秋祭りの約束
神耶君とキスをした。
あの日からおよそ1週間の時が流れた――
その間、入院生活を余儀なくさた私はあの日以来、八幡神社へは行っていない。
勿論神耶君にも会っていない。
今までならば、それを寂しいと思っただろう。
けれど今は、神耶君に会いに行けなかった事を、心のどこかでほっとしている私がいる。
神耶君に会えなくてほっとしているなんて……
こんな気持ちになるくらいなら、どうしてあの時キスなんてしてしまったのか。
押し寄せるのは後悔ばかり。
「…………はぁ」
「どうした葵葉?さっきから溜息ばかり吐いて。せっかく退院出来たのに、もっと嬉しそうな顔しろよ」
この日退院を許され、病院から家へと帰る車の中、溜息ばかりついていた私にお兄ちゃんが言った。
「……お兄ちゃん」
「それに今日は、お前が楽しみにしていた八幡神社の秋祭りだ。祭りに行きたかったんだろ?お前が絶対行きたがると思って、俺が先生に無理言って退院を少し早まらせて貰ったんだぞ。ほら、もっと嬉しそうな顔をしろよ葵葉」
俺の手柄を褒めろとでも言いたげなどや顔で、お兄ちゃんは言う。
普段なら真っ先に反対するくせに、こんな時ばかり余計な事を。
私はお兄ちゃんを恨めしい気持ちで睨み付けた。
だって今まさに私にため息を吐かせていたのは、その“秋祭り”の事だったのだから。
――『あのね、再来週、八幡神社で秋のお祭りがあるんでしょ?夏祭りのデートの約束は守れなかったからさ、今度は秋祭りでデートしようよ』
少し前、神耶君と交わした約束。
去年の夏祭りでは叶えられなかったお祭りデートを、改めて実現したいと私が強引に取り付けた約束。
まさに今日が約束の日なのだが、今にして思えばどうしてそんな約束をしてしまったのか、過去の自分を恨まずにはいられない。
あんな事をしでかした後で、一体どんな顔をして会えば良いと言うのだろうか?
考えれば考える程、私の思考回路は出口の見えない深い迷路へと迷い込んで行く。
けれども時は待ってくれず、答えの出せないまま夕方となり、祭りを知らせる空砲が賑やかに鳴らされたた。
自分から約束を取り付けておいて、行かないわけにはいかない。
しかも、1度ならず2度までも神耶君との約束を破るわけには――
「お母さん、私、八幡神社のお祭りに行ってくるね」
これ以上、私がしでかした過ちから、逃げ続けるわけにはいかない。
ついに私は覚悟を決めて、お母さんに一大決心を告げる。
「はい、気をつけて行ってらっしゃい。でも遅くならないうちに帰ってくるのよ。貴方は病み上がりなんだから」
少し心配げな表情を浮かべる母さんに見送られながら、私は1週間ぶりに八幡神社への道を歩き出した。
神社までの道すがら、私は神耶君に対してどんな態度をとるべきか考えていた。
とりあえず、まずはキスしてしまった事を謝罪するべきだろううか?
それともあれは、ほんの遊び心で神耶君をびっくりさせる為の悪戯だったのだと、真意を誤魔化すべきだろうか?
夕日が照らす一本道。神社へと続くその細く長い道を重たい足取りで歩きながら、私は一人頭を悩ませながらゆっくりと、でも確実に神社までの距離を縮めて行った。
「……あれ?もう着いちゃった?」
いつもなら、長く感じていた道のりも、考え事をしながら歩いた今日は酷く短いものに感じられる。
結局、散々に悩み考え抜いた結果、何の結論も出せないまま私は神社へと到着してしまった。
「仕方ない……こうなったらもう、なるようになれ!当たって砕けろだよ!」
半ば開き直りにも近い気持ちで、パンパンと自分の頬を2回程強く叩き、気合いを入れた私。
その後2度3度と深呼吸した後、いつものように大きな声で、社の前から神耶君を呼んだ。
「神耶君久しぶり。元気にしてた?一週間も来られなくてごめんね。来られない間にあっと言う間に時間が経って約束のお祭りの日になっちゃったね。神耶君は約束覚えてくれてるかな?一緒に出店見て回ろ~」
精一杯の強がりで、平静さを装い神耶君を呼ぶ私。
けれど私の勇気も空しく、社からの返事はない。
聞こえて来たのは――
「パパ~、あのお姉ちゃん、一人で大きな声出して、何やってるのかな?」
「こら!人を指さしてあんまり笑うんじゃない。あのお姉ちゃんが可愛そうだろう。こういうのは見ないふりをしてあげるのが一番の親切なんだぞ。わかったか章大」
私のことを話しているのだろう親子の会話。
いつもなら人の姿などほとんどない神社だけれど、流石に祭りの今日は人で賑わっている。
社の前、一人大声をあげる私の姿は、祭客には変に映って見えるのだろう。
親子に限らず背中からはヒソヒソと囁き笑い合う声がいくつもいくつも私の耳に聞こえて来た。
いつもなら、返事がなければそのまま社へと上がり込み、神耶君の様子を確認するところだけれど、背中から聞こえてくる人々のささやき声に、私は社への階段を登ろうと上げかけ足をピタリと止めた。
流石に人が大勢いる前でそれをやっては非常識だと大騒ぎになってしまうだろう。
そう思った私はそそくさと社の裏に回って、北側の高窓から中の様子を見ることにした。
社の裏手に回ると、一気に人気がなくなる。
祭りの賑やかさも耳に遠く、そこはには別世界のような静けさが待っていた。
少し不気味に感じるその静けさの中、私は社殿の高欄をよじ登り、縁側へと上がる。
「……神耶君……いる?」
小さな声で問いかけながら、自分の目線より少し高い位置にある、格子窓から背伸びをして恐る恐るの中を覗き込んだ。
限られた視界の中、私は薄暗い社殿の中をじっと目を凝らし見る。
けれども、そこに神耶君の姿は確認できなかった。
「あれ……いない……のかな。良かった~」
神耶君の不在を、残念に思いながらもどこかホッとした私は思わず本音を零す。
「って……何が良かったなの? 逃げずに神耶君と向き合うって覚悟決めて来たんだから、このまま逃げちゃダメ!」
気合いを入れ直すべく私は再びパンパンと手のひらで両頬を叩く。――と、顔を持ち上げ真っ直ぐ前を見据えてた。
「行こう、神耶君を探しに。行こう」
そして私は駆け出した。
日が傾き、薄暗くなった夜の森の中、神耶君を探しに私は走った。
「神耶く~ん、どこにいるの?隠れてないで出てきてよ~」
神耶君がいそうな場所として、まず最初に私が思いついたのは神耶君のお気に入りの場所。
この山の頂上に位置し、見晴らしが良く、町を一望できるその場所には、大きな大きな桜の木が佇んでいて、神耶君はよくそこで昼寝をしていた。
少し前にも、その場所から私のことをも見守ってくれていて、風邪をこじらせていたっけ。
もしかしたら今回も、なかなか神社に顔を出さなかった私を心配して、風邪をこじらせ動けなくなっているのかもしれない。
そんな淡い期待をもって、神耶君のお気に入りの場所まで来て来てみたのだけれど――
「神耶君?いないの?隠れてないで出て来てよ~」
だが、そこにも神耶君の姿はなかった。
「ここにもいないか。どこ行っちゃったんだろう神耶君?お祭りデートの約束、忘れちゃったのかな?それとも顔を合わせるのが気まずくて姿見せてくれないのかな? やっぱり私……嫌われちゃったのかな?」
一抹の不安を覚えながらも、私は次の場所を目指して登ってきたばかりの山を下り始めた。
次に目指すは、神耶君と魚を捕って遊んだあの小川。
魚を捕るのに1時時間もかかって、意外に神耶君が運動音痴なのだという一面を発見した場所。
それでも、私の為に一生懸命魚を追いかけ回してる姿はかっこよくて、ドキドキした記憶が昨日のことのように思い出される。
この場所も、神耶君との思い出がたくさん詰まった大切な場所――
「……神耶君~、神耶君~~!」
その思い出の場所で、私は何度も何度も神耶君の名前を呼んだ。
けれども、やはり神耶君のからの返事はなかった。
「ここにもいない……か。神耶君、本当にどこに行っちゃったの? お願いだから出てきてよ。意地悪しないで早く出てきて!早く出てきてくれないと、お祭り終わっちゃうよ? ねえ神耶君~~!」
私の必死のお願いにも、やはり神耶君からの返事はない。
すっかり暗くなった不気味な森の中、私は言いようのない不安に襲われていた。
遠くから聞こえる陽気な笛や太鼓の音、人の笑い声が余計私を惨めな気持ちにさせた。
それでも私は必死に不安な気持ちを押し殺して、その後もいくつかの神耶君との思い出が詰まった場所を訪れては神耶君の姿を探して回った。
「……どこにもいない。どうして?どうして神耶君は出てきてくれないの?ねえ、神耶君、どうして??」
神耶君を探し回って、2時間は経っただろうか。
それでもまだ見つけられない事態に、ついに私は癇癪を起こして叫んでいた。
どうして神耶君は私の前に姿を現してくれないのか?
今までどんなに嫌がっても神耶君が約束を破ることはなかった。
だから今日も、なんだかんだ言って最後は出てきてくれる事を期待していたのに、神耶君が現れる気配は全くない。
やはり彼は、あの日のキスを怒っているのだろうか?
私は神耶君に嫌われてしまった?
はっきりとした理由がわからないまま、時間ばかりが過ぎていき、祭りが終わるタイムリミットも迫って来ていた。
気持ちが焦れば焦る程、不安ばかりが押し寄せて――
ついには目にいっぱいの涙が溢れてきた。
「どうしてこんな事に?せっかくのお祭りだったのに……どうして……」
何度疑問を口にしたところで、答えてくれる人はいない。
泣いてみたところで何も改善されない状況に、私はなんとか気持ちを奮い立たせて、最後の可能性にかける事にした。
「……社に戻ろう。もしかしたら、社に戻って来ているかもしれない。もしいなかったとしても、あそこで待ってたいらきっと神耶君は来てくれる。きっと来て……くれるはずだよ。だって今度こそお祭りデートしようって、約束したもん。神耶君は、絶対約束は破らない。守ってくれるはずだよね。そうでしょ神耶君?
……待ってるから。神耶君の事、ずっと待ってるから。来てくれるまで、私ずっと待ってるから!ねえ、神耶君、聞いてる?本当はどこかに隠れて見てるんでしょ?私のことからかって遊んでるんでしょ?来てくれるまで、絶対帰らないからね!絶対絶対、帰らないんだから!!」
一人不安に耐えきれなくなった私は、空に向かって大声で叫びながら、社への道を駆け下りて行く。
人の波で溢れた賑やかな神社へと戻ってきた私は、鳥居の前に一人立ち、神耶君が現れるのをただただ願い続けて、じっと静かに待った。
賑やかだった祭りが終わり、一人、また一人と神社から人の姿が消えて行っても、ただ一人、私だけは帰ることをせず、神耶君が迎えに来てくれるのをいつまでもいつまでも待ち続けた。
「……神耶君……どうして?どうして……来てくれないの?私の事、嫌いになっちゃった?私、やっぱり神耶君に嫌われちゃったのかな……」
一人ぼっちになった境内。
意地を張って待ち続ける中でぽつりと漏れた弱音。
その言葉をきっかけに、ぽろぽろと涙が滝のように溢れ出て来る。
神社に灯るわずかな明かりであったはずの月までもが雲に隠れ、姿を消した。
不気味に暗い夜の森の中、私は一人泣き崩れた。
ポツン――
ポツン――――
月を隠した雲が、私に追い打ちをかけるように雨を降らし始める。
10月の雨は、体の芯まで凍えさせる冷たい雨。
その冷たい雨に打たれ続けた私の意識は朦朧として行く。
「神耶……君…………お願い……お願いだから嫌いにならないで………私の事……嫌いにならないで……側に……いて……」
朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞って声に出し呟いた願い事。
そんな私の最後の願いに、やっと返ってくる声があった。
「葵葉っ!!」
遠くから、私の名前を呼ぶ声が。
「かぐや……君?」
薄れゆく意識の中、声の主を確かようと私は視線を漂わせたのだけれど、願望を込め呟いたその言葉を最後に、私はゆっくりと意識を手放した。




