キス
――二日後――
「あ~もうこんな時間。早くしないと神耶君に会いに行けなくなっちゃうよ」
今日は、神耶君に会いに行くと約束した日。
けれどそんな日に限って帰り際、先生に掴まって、頼まれごとをしてしまった。
すっかり秋も深まり、日が沈む時間が早くなって来たと言うのに……
暗くなってしまっては、神社に行かせては貰えない。
「急がなくちゃっ!」
神耶君に会いたい一心で、私は帰りを急いだ。
いつもなら、一度家に帰って荷物を置いてから神社に向かうところだが、赤く染まりはじめた空の色に急かされて、今日は直接神社に行くことに。
私が神社に辿り着いた頃には空は真っ赤に染まり、私の影を長く長く伸ばしていた。
足下から伸びる長い影を辿って私は視線をゆっくり上げて行く。すると神社の本堂からは少し離れた位置にそびえ立つ、神社への入り口の意味も兼ねられた石造りの鳥居、その柱に寄りかかり座わる神耶君の姿を見つけた。
「神耶君? こんな所に出てきて何やってるの?! 風邪酷くなっちゃうよ!」
私は慌てて神耶君の元へと駆け寄る。
「神耶君? ねぇ神耶君ってばぁ! 聞こえてないの?」
姿勢を屈めながら何度となく神耶君へと呼び掛ける私。
けれど、いくら声をかけても俯いたまま、神耶君からは何の反応はない。
彼の顔は、狐の面によって隠されていて、表情から様子を探る事も出来ない。
「もしかして……寝てる?」
そう言えば神耶君は、眠る時はいつも、このお面を被って顔を隠していたっけ。
そんな事を思い出して私は、本当に神耶君が寝ているのか様子を確かめようと、そっと彼の顔に被さるお面へと手を伸ばした。
その時不意に、神耶君の体がグラリと揺れて……
「え? 神耶君?」
私は慌てて彼の体を支える。
そして私以外にももう一人、神耶君の背後からも神耶君を支える人物が現れた。
「師匠さんっ!」
「こんにちは。葵葉さん。」
「こ、こんにちはっ! あ、あの……師匠さん、神耶君、元気になったんですか? 外に出ても大丈夫なくらい元気になったんですか?」
突然の師匠さんの登場に驚きながらも私は、この2日間の神耶君の様子を師匠さんへと訪ねた。
「いいえ、まだ治りかけですよ」
「じゃあどうしてこんな所で寝て?」
「きっと貴方を待っていたのでしょうね。今日は葵葉さんが来てくださると、神耶に伝えてありましたから。なのにいつもの時間になってもなかなか来ないあなたの事を心配して、ここで待っていたのでしょう。私の目を盗んで、全くこの子は」
「……え? 神耶君が?」
私を待っていてくれた?
嬉しさについつい胸が躍る。
私のときめきに気付いているのか、私に向かってニッコリ微笑んだ師匠さんは、ゆっくりと神耶君の体を起すと再び鳥居の柱へともたれ掛けさせる。
そうして一度神耶君の態勢を整えた後で、社へ彼を運ぼうと彼の体を抱え上げようとした。
その時――
「あっ……」
いつの間に掴んでいたのか、神耶君は私の制服の袖を掴んでいて、持ち上げたのと同時に袖を強く引っ張られた。
「おやおや」
師匠さんは苦笑いを浮かべながら、神耶君を持ち上げる事を止め、地面へ下ろす。
と、三度鳥居の柱へと彼の体をもたれ掛けさせた。
「ふう。全くこの子は……本当に手のかかる。仕方ないですね。何かかけるものを持って来ます。その間葵葉さん、少し神耶の事見ていていただいても宜しいですか?」
「あ、はい。わかりました」
「ありがとうございます」
師匠さんは、私に小さくお辞儀してニッコリ微笑むと、私達を残し社へ向けて歩いて行った。
遠ざかっていく師匠さんの背中を見送りながら、私は神耶君の隣に腰掛け、大人しく師匠さんが戻ってくるのを待つ事に。
腰を下ろした事で神耶君と視線の高さが揃う。
「……」
神耶君の姿を瞳に写し、暫くの間じっと見つめる。
けれど、お面に隠されて神耶君の顔が見られない。
神耶君の、こんなにも側にいられるのに、顔がみられななんて……なんだが物足りない。
この面の下、彼は今どんな顔して寝ているのだろう?
むくむくと湧き上がる好奇心に、私は神耶君の顔に被せられた狐の面を取りたい衝動にかられる。
その衝動に逆らうべきか、従うべきか、暫くの間葛藤してみた結果、私は衝動に従う事を選んだ。
「……失礼……しま~す」
躊躇い気味にゆっくりと神耶君の顔から狐のお面をお外す。
お面の下から表れたのは、スヤスヤと気持ち良さそうに眠る神耶君の顔。
2日ぶりに見る彼の顔を、私は微笑ましい気持ちで見つめた。
いや、木々の隙間から差し込む夕日に照らされた神耶君の寝顔が、男の人ながらとても綺麗で……
見惚れていたと言った方が正しいのかもしれない。
無意識に、私の手が神耶君の頬へと伸びる。
その綺麗な寝顔に、まるで吸い込まれるように………私は神耶君の元へと顔を近付けていた。
――――『伝えても良いんだ、私の気持ちを……神耶君に、伝えても良いんだ』
2日前、師匠さんから聞かされた可能性の話に、私の心に芽生え希望。
その希望が、私を一瞬可笑しくさせたのか……
気付けば私は、神耶君の唇に自分の唇を重ねていた。
一瞬触れた、温かく柔らかいもの。
はっと我に返る。
「っ?!」
初めて感じる感触に、驚き私は後ろへと飛び退いた。
瞬間、神耶君の視線が私の視線と絡まる。
「………………神耶……君」
「……葵葉……お前………」
「起きて…………」
「…………今……何を……?」
「…………」
「………………」
私達の間に長い長い沈黙が流れる。
その沈黙に堪えかねて、一歩、二歩と後ずさる私の手を神耶君が乱暴に掴む。
捕まれた腕から伝わる神耶君の体温に私の心臓がドクンと大きく跳ねた。
神耶君から向けられている、困惑と疑惑の表情に私の心臓はまるで警告を鳴らすかのようにドクンドクンよどんどん早さを増して行く。
「……ごめん……なさい……」
震える声で、絞り出すように謝罪の言葉が零れ落ちる。
と同時に、今度は瞳からもポロポロと涙が零れ落ちてく。
私の涙に、神耶君の力が一瞬緩む。
その一瞬の隙をついて、私は私の腕を掴んでいた神耶君の腕を力一杯振りほどいて逃げた。
全速力で逃げ出した。
何てことを……
何てことをしでかしてしまったのだろうか?
あれでは神耶君に、私の気持ちが知られてしまう。
知られてしまったら、もう今のまま、友達のままではいられない。
今このタイミングで、私の気持ちを伝えるつもりなんてなかったはずなのに。
神耶君ともっともっと、今の関係を続けていたかったはずなのに。
どうして?
どうして自らそれを壊すような真似ををしてしまったのか?
思い当たることがあるとすれば――
それは完全に舞い上がっていたせいだ。
神耶君に、いつの日か私の気持ちを伝えられる日が来るかもしれないと、師匠さんから可能性の話を聞いて舞い上がってしまったせいだ。
でも師匠さんが教えてくれた話は、あくまでも可能性の話で、今では決してなかったはず。
それなのに今、神耶君に自分の気持ちがバレるような行動をとってしまって、私と神耶君の関係はどうなってしまうのだろうか?
「あ……あぁ……あああああ~~~~~~」
考えれば考える程、悪い想像しかできなくて、走りながら私は、声を上げいて泣いていた。
泣いた所でどうしようもない。どうしようも出来ない。
だって私は無力な人間なのだから。
言葉にできない程の深い後悔と自己嫌悪、そして不安の渦に襲われながら、とにかく私は走った。
辺りはもう、すっかり暗い。
その薄暗さが余計に私を不安にさせていた。
「きゃっ……」
山を駆け下り、アスファルト舗装が施された道に出た所で私は、足をもつれさせてその場に手をついて倒れ込む。
全速力で山を駆け下りて来たせいか、私の心臓はもの凄い早さで心臓が脈打っていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
呼吸も速く、息苦しい。
更にとどめを刺すように、じわりじわりと膝の辺りが熱を持ち、じんじんと痛みを訴えてくる。
転んだ拍子に怪我をしてしまったか。
自業自得とは言え、一気に襲う体の不調に私は立ち上がる事ができなくて、胸の辺りを押さえつけながら私はその場にうずくまった。
「嫌だ……嫌だよ……神耶君に、嫌われたくない。離れたくない。神耶君とまだまだ一緒に……いたいよ……」
うずくまりながら、はぁはぁ荒い呼吸に混じって、私は絞り出すような小さな声で、私はそう呟いていた。
私の小さなつぶやきは、少し肌寒い秋の風に乗って、簡単に空へ消えていってしまう。
荒い呼吸音だけが、いつまでも止むことなくひとりぼっちの静かな夜の道に響いていた。
どのくらい時間が経った頃だろうか、朦朧としていた意識の中、私を呼ぶ声が聞こえて来る。
「葵葉~! 葵葉~?! どこにいるんだ葵葉~」
「……お兄……ちゃん?」
「葵葉っ! どうしたんだ葵葉! 苦しいのか??」
私に気付いたのか、駆け寄ってくるお兄ちゃんの姿が、ぼんやりとする視界に映る。
一度も家に帰らずに、こんな時間になってしまったから、きっと心配して探しに来てくれたのだろう。
私はお兄ちゃんにこれ以上心配かけないようにと、一生懸命笑ってみせるも、息苦しさに私はそのまま意識を手放した。
「葵葉?! おい、葵葉! しっかりしろ!! 葵葉~~~!!!」
――その後私は、お兄ちゃんが呼んでくれた救急車に乗せられ、病院へと運ばれた。
翌日目覚めた時、お兄ちゃんが怒りながら私にそう教えてくれた。
そして1週間ほど、久しぶりの入院生活を送ることとなった。




