可能性
「葵葉さん。神耶の事好きですか?」
「………えぇ?!」
社を出た後、師匠さんと二人、神社の裏にある川へとやって来た。
川で水をくむ私に、師匠さんから唐突にされたそんな質問に、私は思わず手にしていた桶を落としてしまう。
前にも一度、同じ質問をされた時は冷静に答えらていたのに、何故か今は冷静ではいられない。
神耶君への気持ちが淡い想いから、もう押さえきれない程強いものに変わってしまっていた事に気付かされる。
なんとか誤魔化そうと、慌てる私を余所に師匠さんはまっすぐに私をみつめる。
その真剣な顔に私は覚悟を決めて「はい。」と、師匠さんに負けないくらい真剣な眼差しで見つめ返した。
瞬間、師匠さんの表情にいつもの穏やかな笑顔が戻った。
「そんな葵葉さんに朗報です」
「………へ?」
師匠さんの笑顔と共に、辺りに張り詰めていた緊張が一気に消えさる。
あまりの空気の違いに私の口から思わず間抜けな声が漏れてしまった。
「葵葉さんの神耶への想いが、もしかしたら報われるかもしれません」
「…………は?」
私の思いが報われる?
師匠さんの言っている事が理解出来ず、またも間抜けな声が出た。
「だから、神耶に貴方の想いを伝えられる日が来る!」
「……え?」
「かもしれません」
「あ、あのっ!それは、どう言う事ですか?」
思いもしなかった展開に、私の胸は高鳴った。
いったいどう言う事なのか?
はやる気持ちが押さえられなくて早口になりながら私は師匠さんに訪ねた。
「これはあくまで可能性の話です。詳しいくはまだお話できないのですが……ここを留守にしていた間、私はその可能性の実現の為に天界を走り周って来ました」
「それで暫く留守にすると?でも……どうして急にそんな……」
「急に……でもないのですよ。前々から考えてはいた事なんです。まぁ、きっかけになったのは葵葉さんの神耶への想いを確認したあの日ですかね。私は、貴方の想いにかけてみたくなりました」
「私の……想いに?」
そう語る師匠さんの姿が、夕日に照らされ赤く染まる。
なぜかその姿が、私にはどこか切なげに映って見えた。
「神耶は……愛情と言うものを知らない子なんですよ。人なら多くの者が受ける親の愛情ですら知らない。あの子は誰からも愛されず、世の中から疎まれて生きて来ました。そして、誰からも必要とされない、疎まれたままあの子は人としての生を閉じました。でもあの子は……どんなに疎まれようと、嫌われようと、人が大好きなんですよね」
「…………」
「人から頼られたい。人の役に立ちたい。あの子は人から愛される事に必死なんです。だからこそ神になる道を選んだ。神となり、人を助け、守る道を。
でも……神になったからと言って、私達に出来る事は限られています。私達の力は決して万能ではない。必ずしも人の願いを叶えられるわけではないのです。それは仕方の無いことであり、当然のことでもある。
でも高い理想を持って神となる事を選んだあの子にとってそれは、辛く悲しい事。神と言う存在の無力さに、あの子は何度となく歯痒い思いをしてきた事でしょう」
神耶君が一人悩み、苦しんで来た日々を想像すると、私も胸が苦しくなって……
知らぬ間に涙が頬を伝っていた。
「あの子は、いつだって人の役に立ちたいと一生懸命でした。それは側で見て来た私が一番良く知っています。けれどあの子の想いはいつも人には届かなかった……。人はいつしか神と言う存在を信じないようになって行った。それどころか……神耶の存在を……この八幡神社の存在を忘れて行きました。あの子は、神になった現在でも、人の愛情に餓えているんです」
「私はっ……神耶君の事を忘れたりなんかしません!私は私を助けてくれた神耶君に感謝してるし、神耶君が凄く優しい人だって事も知ってます。そんな神耶君だからこそ、私は神耶君が大好きなんです!!」
「………ありがとうございます、葵葉さん。あんな意地っ張りで、素直じゃない神耶の事を理解してくれて……好きになってくれて、本当にありがとう」
そう言いながら師匠さんが私の頭を優しい手つきで撫でた。
見上げた師匠さんの顔が、先ほどの切なげな顔から、いつもの穏やかな表情に変わっていた。
「だから私は、神耶にまっすぐに向けられる貴方の愛情にかけてみたい。そう思ったんですよ。私はあの子を孤独から解放してあげたい。ずっとそれを望んで来ました。だから、神耶を好きになってくれた葵葉さんに、人の愛情の温かさをに教えてあげて欲しい。神耶を幸せにしてあげて欲しいのですよ。その為だったら私は……どんな協力も惜しみません。どうか……」
師匠んの言葉を途中で遮り、私は口を開いた。
「私……今凄く幸せなんです。神耶君と一緒にいる時間が楽しくて……今でも十分過ぎる程幸せなのに、でも心のどこかでそれ以上を望んでしまう自分がいるんです。欲を出したら、今の幸せすら壊れてしまうかもしれない。それだけは絶対に嫌!そう自分に言い聞かせて、この胸の奥に芽生えていた気持ちに、ずっと気付かないふりをしていたはずなのに……この芽生えた想いが膨めば膨らむ程に欲望を隠し切れなくて……そんな欲張りな自分が本当に大嫌い」
「……葵葉さん」
「でも……大嫌いだけど…………願わずにはいられない。もし……もし叶うのならば………私の未来が神耶君と共にあって欲しいと。そして、もしも許されるのならば……私はいつかその気持ちを、神耶君に伝えたいと。そう願わずにはいられない」
「……ありがとうございます、葵葉さん。全力でその願いを、叶えるお手伝いをさせていただきます。」
そう言って師匠さんが、ニッコリと嬉しそうに微笑んだ。
だから私も、嬉しくなって微笑み返した。
良いんだ、伝えも。
神耶君に私の気持ちを……
伝えても良いんだ――
水を汲んで戻ってみると、神耶君は寝息をたてて静かに眠っていた。
そしてその日、神耶君が目を覚ます事はなかった。
目が覚めるまで待っていようかとも思ったのだけれど、すっかり暗くなった空を見て、師匠さんに帰るよう言われてしまったから、大人しく私は帰る事にした。
渋々社を出る時に、私は師匠さんに神耶君への伝言を頼む。
「明日は用事でこれないけど、明後日はまた様子見に来るから、早く風邪治してまた一緒に遊ぼうね!約束だよ!って伝えておいてください」
「はい。神耶が目を覚ましたら必ず伝えておきますね」
「あっ!それから……」
「まだ何か?」
「はい!今週末の秋祭りデートの約束も、楽しみにしてるって、そう伝えて下さい!神耶君、忘れてたら困るから」
「秋祭りデートですね。はい、そちらもちゃんと伝えておきますね。葵葉さん、今日は神耶の為に色々とありがとうございました。女の子の夜の一人歩きは危ないですから、気をつけて帰ってくださいね」
「は~い。ありがとうございました。じゃあ、神耶君の事、宜しくお願いします」
「任せてください」
師匠さんに見送られながら、私は社を後にする。




