おかえり
退院後、その足で私たち家族は、去年一か月間お世話になった、岐阜にあるお父さんの田舎町へと向かった。
新幹線と、電車を乗り継いで、長い長い時間をかけて辿り着いた頃には、午後の3時を回っていた。
電車の先頭にある運賃箱に切符を入れて、電車を降りる。
山間にひっそりと建つこの駅は、木造造りの小さな待合室があるだけの、本当に簡素な造りにの駅で、駅の背後に立つ山が太陽の光を遮って、午後のこの時間であっても薄暗い。
初めて訪れた時には酷く薄気味悪く感じたものだったが、一年ぶりに訪れた今はとても懐かしく感じられて、私の胸は高鳴った。
やっと!
やっと帰って来られた!
緑に溢れた懐かしい風景を目の前にして、流行る気持ちを抑えきれなくなった私の足は、自然と足早になって行く。
「こら!葵葉っ!お前、今日退院する時に尚美さんに言われただろ?!完全に治ったわけじゃないから無理はしないでねって!!」
お兄ちゃんのそんな注意も無視して、私は駅のホームから、道路へと続く階段を全速力で駆け下りた。
あと少し・・・・・・あと少しで神耶君に会える。
私の大切な友達。
神耶君は私の事、覚えていてくれてるかな?
何も言わずに神耶君の前からいなくなった事を、怒ってるかな?
ずっとずっと、伝えられなかった言葉があるの。
その言葉をやっと伝える事が出来る。
早く・・・早く会いたいよ・・・・・・
神耶君に!
***
一年前、神耶君と出会ったのは、片田舎の小さな小さな町。
この町は、大小様々な山に取り囲まれた自然の溢れる町。
この町の人達は、昔から山と慣れ親しんで暮らして来た。
でも最近は、山を疎み、怖がる住民が増えて、山へと好んで近付く人は随分減ったのだとか。
この町に初めて来た日、そんな事をおじいちゃんが教えてくれた。
だから、この道を使う人も、今は滅多にいないと言う。
この町の守り神と称され、町の南側に聳え立つ小高い山。その山へと続くこの一本道を。
私は、山へと続く一本道を、ひたすらに走り続けた。
アスファルト舗装されたこの道は、山の入口で行き止まりになる。
だが、アスファルトは途切れても、道が途切れたわけではなく、人や動物が行き来する事で長い年月をかけて自然に出来上がった細い一本の獣道へと変わっただけ。
恐れる事無く、その獣道へと一歩足を踏み込めば、そこは一瞬にして世界が変わったかのような、静寂に包まれる。
その静寂にそっと耳を澄ませてみれば、風に揺られ、葉と葉がかさかさと擦れ合う音。鳥の鳴き声や川のせせらぎ。都会ではなかなか聞く事の出来なかった自然が奏でるいくつもの音が聴こえてくる。
その音に誘われるまま山の奥へと進んで行けば、そこには八幡神社と刻まれた石碑と、朱に染められ堂々と佇む立派な鳥居と出会う。
鳥居を潜って、鳥居から続く石畳を歩いて行けば、今度はその先に、少し古びた小さな社が、ひっそりと静かに姿を現す。
一年前。私はこの場所で神耶君と出会った。
この八幡神社に住まう神様に。
「神耶君!神耶君!! 」
神社に着くなり、私は声を張り上げて彼の名前を呼ぶ。
いつもこうすれば、だるそうな顔をしてお社から出てきてくれた。
でも今日は、いくら待ってもその様子はない。
私は焦ってお社に向かって両手を合わせ祈った。
「お願い。出て来て神耶君」
―神様・・・・・・どうか・・・どうかお願いします・・・・・・お願い・・・・・・――
「だぁ~~~~煩い!誰だ?!俺の眠りを妨げる奴は!!」
不意に後ろから聞こえてきた怒鳴り声。
聞き覚えのあるその声に私の胸がトクンと高鳴る。
その高鳴る鼓動を抑えながらゆっくり・・・・・・ゆっくりと後ろを振り向くと・・・・・・
そこには逢いたいと願い続けたその人の姿が。
目と目が合った瞬間、私は一目散にその人の元へと走り出して、その勢いのまま抱き付いた。
すると、その衝撃に耐えきれなかったのか、バランスを崩して私達は、勢いよくその場へと倒れ込んだ。
「いっ~てぇな!この野郎っ!!」
「神耶君、ただいま!やっと会えた~」
先程、倒れ込んだ時にぶつけただろう頭をさすりながら、不機嫌に怒鳴る神耶君を無視して、私は嬉しい気持ちを素直に口にした。
「お前・・・・・・どうしてここに?」
「神耶君に会いに来たんだよ。ゴメンね。ずっと会いに来られなくいて」
「・・・・・・別に」
「ゴメンね。お礼も言わずに神耶君の前から消えて」
「・・・・・・え?」
「助けてくれてありがとう」
「・・・・・・」
「神耶君のおかげで、私、今生きていられてるの」
「・・・・・・」
「神耶君のおかげで、病気とちゃんと向き合ってみようって思えたの」
「・・・・・・」
「だからね、私、あの後病気を治す為にって、前から薦められてた東京の病院に転院して、今まで頑張ってたんだ。毎日毎日痛い注射打たれて、何回も何回も怖い手術を繰り返して」
「・・・・・・」
「おかげで今、やっとこうしてまた、神耶君に会いに来る事が出来たの。私、頑張ったんだよ?」
「・・・・・・」
「神耶君にもう一度逢いたくて、いっぱいいっぱい思い出作りたくて・・・・・・頑張ったんだよ?」
そこまで吐き出して一呼吸置く。神耶君の反応が気になって。
「神耶君は・・・・・・私の事、待っててくれた??」
そう言って、抱き着いていた体を離し、私は神耶君の顔を覗き込む。
「お前・・・・・・生きてたんだな…?」
そう言って、私の頬に優しく手を触れる神耶君。
「神耶君のおかげだよ。本当に本当に、ありがとう。」
ニッコリと微笑んで言葉を返す。
すると・・・・・・
「神耶君?何で泣いてるの?」
「・・・・・・泣いてない。馬鹿な事言うな」
「でも涙が」
「うるさい」
不意に恥ずかしそうに、頭につけていた狐のお面を被って、顔を隠す神耶君に、私は思わずクスリと笑ってしまう。
「ねぇ?それ、どうしたの?そのお面。」
どれくらい時間が経っただろうか?お面をつけたまま、なかなか顔を見せてくれない神耶君に、私はそんな疑問を投げかけた。確か去年の彼は、こんなものをつけていた記憶はないのだけれど?
「・・・・・・うるさい。2回も約束破りやがって」
何気なく聞いてみた言葉に、返って来た神耶君の反応はとても不機嫌そうで・・・・・・
「2回も?約束?」
何の事を言っているのだろうか?
彼が何を怒っているのか一瞬分からなかった私は、一生懸命、去年の記憶を手繰り寄せて行く。
約束?
神耶君とした・・・・・・約束・・・・・・
「・・・・・・あ~~もしかして、今年も夏祭り終わっちゃったの?神耶君との夏祭りデート楽しみにしてたのに~」
「約束破ったんだから針千本飲めよ。いや、2回分で二千本だ!」
「え~?破ってないよ」
そう。忘れていたわけではない。
今年こそは、夏祭りデートをしようと意気込んでいたぐらいなのだから。
本当に楽しみにしてたのにな~。夏祭りデート。
今知らされた事実に、私は肩を落とさずにはいられなかった。
いや、待て?
落ち込む必要はないのではないか?
だって祭は来年もあるのだから。
私は、来年もここにいるのだから!
「夏祭りは来年もあるし、来年こそは、夏祭りデートしよう!ね!」
そんな結論にたどり着いて、満面の笑顔で、私は神耶君に約束をせがんだ。
「・・・・・・来年?」
神耶君はと言えば、私の口にした言葉に驚いた様子で・・・・・・
「来年って事は、じゃあもうお前の病気は治ったのか?」
そんな問いを返された。
神耶君の問いかけに私は、首を小さく横に振った。
「完全に治ったわけじゃないみたい。でもね、もう普通の子と同じような生活は出来るんだって。私ね、秋からこの町の学校に通う事になったの。」
「そっか・・・・・・そっか!よかったな!」
「うん!神耶君とも、これからいっぱいいっぱい遊べるよ!」
「そうだな」
「来年の夏祭りだって、きっと行けるよ!」
「あぁ。そうだな」
「あれ~?珍しい。私の事、うざからないんだね?」
「うざいに決まってるだろ。」
「あ~酷いな~。やっぱり私の事邪魔物扱いしてたんだ~」
「お前な、自覚あったなら少しは俺への接し方考えろよな」
「言ったでしょ?私は、気付かないふりをするのが得意だって。神耶君に邪魔者扱いされたって、気付いていないふりして、纏わりつくから、覚悟しておいてね!」
「・・・・・・お前な~」
また、以前の様にくだらない事で言い合いが始まる。
そんな他愛もない事が、本当に楽しい。
神耶君も、同じ事を思ってくれてたら・・・・・・嬉しいな。
そんな事をぼんやり考えていると、不意に神耶君に抱き寄せられる。
そして耳元でそっと囁かれた。
「お帰り。葵葉」と。
予想外の言葉に一瞬びっくりしながらも、私は神耶君の背中に手を回して答える。
「ただいま。神耶君。」
その言葉に。行動に。きっと神耶君も同じ事を思っていてくれているのだろうと確信した。
私が帰る場所はここなのだと。
神耶君が待っていてくれる限り、私はこの病気と戦う事が出来る。
私はそう確信した。
8月下旬。
まだ蒸し暑さが残る、ある夏の午後のひと時。