北極星
どうも。毎度おなじみ、長良でございます。にっくき夏も折り返し地点に入り、日増しに高くなってゆく最高気温の中、自分的にはそれに拍車をかけるかのごとく熱い主人公を描くつもりで、こうしてこの短編を投稿させていただきました。
本作は萩原朔太郎やら、太宰治やら、芥川龍之介やら志賀直哉やら、ちょうど本作の舞台となっている頃(のつもりで書いたのです)に、いわゆる「天才」と呼ばれていた文檀家たちの小説から、大きなインスピレーションを得た末に書いたものです。そんな経緯を経て完成したものであります為、どうしても表現や台詞回しは、現代小説の域を超えて古臭くなってしまいました。ご容赦下さい。
しかし、そんなある種不釣り合いな要素をも補って余りある、“いい”ものを書けたと、自負してもおります。多少難解、というよりも、ごちゃごちゃとした表現も多いだろうとは思いますが、そんなものは所詮飾りですので、飛ばしていただいて結構。そうしてある程度構成を理解した上で、もう一度、面倒な表現は飛ばして読んでやろうという位の心算でもう一度読み返してこそ面白い、そんな短編に仕上げたつもりです。どうぞ、読み終えたのちはじめに戻って、今度は速読でも試すかのようにご覧になって下さい。
目の前をずるずると這い回る、巨大な両生類。ともすれば自らの身長をも超えるその巨体を見て、私がまず抱いた印象は、気味が悪い、だった。
そもそもオオサンショウウオという名前からして、もう色々と駄目ではなかろうか、と思う。普通のサンショウウオやイモリの類を知っている人間が、まずはじめにこの名前のみを聞いたとして、恐らくこの奇怪な生物を想像できる人間は一人もいないだろう。
東京の博物館で、二メートルを超える巨大な水晶と対峙したことがある。それを見たとき、あまりに下品なその姿に、こんなものもあるのか、と怖気が走ったのを、私は今も忘れない。そして今まさに、この馬鹿げた両生類に対して感じているものも、それによく似た何かだった。
「すごいもんだな」
私の隣でそれを眺めていた、私の師、三浦保次氏は、未だ水中で蠢いているオオサンショウウオを指差し、“やに”の付いた歯を覗かせて笑みを浮かべた。
「ところでこれ、食ってもうまいそうじゃないか」
「一応は保護の対象です、みだりに捕獲するのはいかがなもんでしょう」
生物学者としての以前に美食家としても知られる、氏の食い意地に、私はすっかりあきれ返ってしまった。
「なあに、サンプルという名目で持ち帰ることは可能だよ。そしてあとは、解剖したのちに、命の大切さを噛み締めながら食めばよろしい」
「なんです、そりゃあ」
ばかにしていやがる※1、と、私はとある有名な小説の一節を引用し、オオサンショウウオへ向かって、手に持って観察していたイナゴを放り投げた。しかし私の貧弱なコントロールでは、あの大きな的に当たろうはずもなく、イナゴは丁度、オオサンショウウオの頭のすぐ横に着水する。
「お、宇水くん、いいコントロールをしているね。実にベストな位置じゃあないか」
ヒュウ、と口笛を吹き、保次氏は小さく手を叩いた。私は少なからず『かちん』ときて、少しふてくされたような口調になった。
「皮肉ですか」
保次氏は一瞬きょとんとした顔を浮かべた後、私の言わんとしたことをようやく理解したのか、声を上げてお笑いになった。
「なんだい、わざとじゃあなかったのか。それなら見てみるといい、面白いものが見られるぜ」
氏は、無精髭の浮いた顔に笑みを浮かべたまま、滝壺を指差される。なんとはなく狐に化かされているような気分で、私は精一杯に首を伸ばして、そこを伺った。
さながらカーペットのごとくもみじの浮いた滝壺が、ゆらゆらと規則的に揺れている。先ほどまで動いていた影はすっかり動きを止めており、今やどこにいるのかも判然としない。
「自分には、あそこの面白さは理解しかねます」
じっと眺めているうちに、なにやら憮然とした気分になってきて、私は早くも、一面に燃え盛るもみじに目を移しはじめた。そんな私の肩を軽く叩いて、保次氏は笑う。
「君も文壇に立つ者なら、この位は我慢してみせたまえよ。私は文章は書かないが、一学者として、あれはそそられるね」
顔にかけたビン底の位置を直しつつ、氏は実に興味深げに、上体を乗り出された。私は渋々、それに追従する。
よく見れば、先ほどまで動きの見られなかった水面が、まるで脈動するかのように動いている。そして刹那、大きな水飛沫が上がったかと思うと、何か巨大なものが、もがいていたイナゴをまたたく間に呑み込み、水中へと消えていった。
私は、顔に飛び散った水滴をハンカチーフで拭いつつ、いかにも苦々しく保次氏に尋ねた。
「なんです、あれは」
「オオサンショウウオの捕食行動さ。巨体に似合わず、俊敏な動きをするヤツなんだ、あれでも」
ふうん、と鼻を鳴らしながら、私はもみじの散った水面を眺めた。水はすっかり濁ってしまい、オオサンショウウオの姿は、今度こそどこにも見えない。
静謐、という言葉が脳裏に浮かんだが、あまりにもこの場にはミスマッチで、私はどうにも照れくさくなった。まだこの滝には、風や木の立てる音が生きている。
帰りましょう、と、私は滝から目を背け、保次氏に笑いかけた。
「君はなぜ、文学の道を歩もうとしたのだね。大学にいた頃は、これでも君を買っていたんだが」
帰りの列車で、突然、保次氏は私に、そう問われた。周りの乗客に聞こえてやいないかと、私は顔を赤らめて周囲を見渡す。幸いにも、この車両は私達の貸切りのようだった。
「自分は、生物学と文学の区別を付けておりません」
かたん、かたたん、と規則的な音の響く車内で、私は氏への当てつけも込めた、つまらない自己解析を試みた。
「私にはむしろ、両者では共通点の方が少ないように思える」
「いえ、自分は、この私を主観とした宇宙は、全てこの私が“そう”しているからこそ成り立つ、つまりは私のものだと信じておるのです。であるからして、それらを語るという点において、生物学と文学は微塵も変わらない」
「すまないが、君が何を言っているのか、私にはさっぱりわからん。もっとわかりやすく頼めんかね」
文章は、読むのも書くのも苦手なのだ、と、保次氏は帽子を取り、禿げ上がった頭を軽く掻かれた。そしてコートからキセルを取り出し、煙草を詰め始める。
私はその姿を見て、退屈しておられるのだな、と思った。それと同時に、恩師に向かって、得意気に自分を語る恥知らずぶりを、今更になって思い出す。しかしもはや引くわけにもいかず、私は顔を真っ赤に染めながら、使い慣れないデカルトの例えなぞ使って、いかにも自分が正しいように力説するのだった。
しばらく話したのち、私はふと、保次氏が寝息を立てているのに気が付いた。私はほっとしたような、むかむかと苛立つような、妙な気分になった。
人が恥ずかしいのを我慢して、夕日のような顔色になりながら話しているのに、その横でよだれを垂らして寝ていやがる。自分の顔は今、おそらく先ほどよりも赤く、火照っていることだろう。私は、怒りを埠頭へばらまくかのように、視線を窓の外へと向けた。
私の心情とはまったく逆の、透き通るような青と白を湛える海。ここに居を構える者は、さぞや幸せだろう。そんなことを考え、苛立ちが少し収まったと同時に、列車は唐突にトンネルへと入った。先ほどまでの心地よいレールの音と、風を切る騒音のあまりの差異に、私は思わず閉口する。今日は仏滅に違いない、と思った。
そして、トンネルを抜けると同時に、列車は小さな駅に停車した。紅い葉を揺らす潮風に、私は思わずホームに降りて、それを胸いっぱいに吸い込みたくなったが、それでは保次氏を置いてゆくことになってしまう。私は貧乏ゆすりをしながら、黙って発車を待つことにした。煙草を吸おうか、とも思ったが、煙で氏に起きられてはたまらない。コートの内から取り出した安物のキセルを、私は手の中でくるくると弄ぶのだった。
その時、突然、車両のドアが開き、一人の女が入ってきた。
とりわけ、美しい女ではなかった。ともすれば醜女とさえ言える、陰鬱な表情を浮かべた女である。
昼間から、何が悲しくて女の憂い顔など見なければならないのか。私はとうとう、ため息でもつきたいような気分になってきた。
内心を悟られるのも癪であるので、貧乏ゆすりこそ止めたものの、私は未だ、いらいらとして、視線をせわしく動かしている。そして私の心を依然として荒涼とせしめたまま、列車は静かに動き出した。
待てど暮らせど、全く同じレールの音に、さして変わらぬ海景色。隣から聞こえるいびきの音に辟易しつつ、気晴らしにどこを見ようとも、女の顔が嫌でも目に入る。ところどころに橙色の光が降りる、絹布を引いたかのような薄曇の空のみが、私の心をひそやかに癒していた。
水平線に沈む夕日も乙なものだ、と思った。隣の顔が無ければ尚良し、とも。
列車が少し左に曲がり、女の顔と夕日が重なる。どこぞの菩薩像のようなその光景に圧倒され、私は初めて、正面から女と目を合わせた。相対的に暗いためか、女の顔は、先ほどよりはいくらばかりか整って、私の目に映った。
菩薩というよりは、金剛力士像のような顔だった。本来美しさとして定義される、曲線美や、ある種の単調さなどをまるで欠いた、およそ女性らしからぬ顔付きである。
私は内心で、醜いなどと思ったことを、女に詫びた。美しくはないが、乱れた顔付きなどでは、決してないではないか。そんなことを考える私自身が可笑しくて、私は思わず、にやりと口角を持ち上げた。
恐ろしい形相のまま、眉を吊り下げた女が、私の表情に気付き、更に口端をも垂れ下げる。その顔の、あまりといえばあまりな似合わなさに、私はつい、唇から勢いよく息を漏らしてしまった。
女はいよいよ怒り心頭、といった表情を浮かべ、ついと私から目を逸らした。少し不謹慎だっただろうか、と、私は背もたれによりかかり、顎を持ち上げて、頼まれてもいない言葉を吐いた。
「私は確かに、貴女の顔を見て笑いましたよ。決してその御尊顔をあざ笑った訳ではないが、貴女の顔を見て、そして笑ったのだ。何故、私にお怒りにならんのですか」
女はちらとこちらを見て、無愛想に口を開いた。
「貴方が、私にも勝る、おかしな顔をしてらっしゃったからですよ」
「左様ですか」
それだけ話して、私たちはまた、元のだんまりに戻った。列車の揺れと連動するレールの音が、どことはなしに心地良く、私の耳に届いた。
それから、それほど経たずして、列車は私たちの目指していた駅に停車した。私は保次氏を揺さぶり起こし、列車を後にする。女はこちらを一目も見ず、夕日に照らされた山のもみじに見入っていた。
「やァ、山が綺麗だな」
氏の声に釣られ、私も峠をを仰ぎ見る。まばらに染まった紅の山肌が、橙色の夕日によって、まるでペンキでもぶちまけたかのような色に染まっていた。
下らない、と私は吐き捨てて、山から背を向けた。
「先生、自分はお先に失礼します」
「おいおい、良いのかい?こんないい景色、二度と見られるかわからんよ」
「二度も見たくありません、こんな節操のない」
ふうん、という保次氏の声を尻目に、私はコートの襟を正して、歩き始める。吹きすさぶ北風の中、私の脳裏には未だ、レールの音がちらついていた。
静謐だ、と思った。風の音に支配されたこの空間は、あの雑多な車内に比べて、あまりにも整いすぎている。
保次氏に偉そうに語った、私の持つ思想。人間の主観というものは、己のみでは成り立たないものである。その周囲との比較により、自らを自らとして見つけることができた瞬間、その価値観は成り立つのだ。
それを実感し、私はあの時、静謐という言葉を間違いだと切り捨てたことに対して、途方もない恥ずかしさに襲われた。己のことすらも理解しきらぬ若輩が、何をもって自らの考えを間違いであるなどと言えたというのか。
狼狽を表に出さぬべく背筋を伸ばして歩く最中、仕事をしたい、と唐突に思った。私の心を切り取って、あるがままに映写した本を書きたいと、そう思ったのである。
さぞや捻くれた、読んでいて気分の悪くなるものになるに違いない。評価も、恐らくされないことだろう。自らの感情をそのまま書き綴るなど、まさしく児戯と変わらない。
しかし私は、五臓六腑の底から湧き出る情動に突き動かされるかのごとく、急ぎ足で家路を歩くのだった。
※1…太宰治の著書「富嶽百景」による。
お忙しい中、拙作をお読みいただき、ありがとうございます。もし、まだ一度目の方がいらっしゃれば、今一度はじめに戻って、そして読み返してみて下さい。これを読むのは、その後でも遅くはございません。
唐突に話を始めるようですが、私はよく、周囲から「女性的なところがある」と、口を揃えて言われます。己のことながら、少なからず自覚はしておりますし、少し前までは、その性格に肯定的であった自分がいたことも、他ならぬ自らが誰よりも知っています。しかし最近(と言っても少々前になるのですが)、そういった自分から脱却せねば、と思うに至る出来事があったのです。ほんの些細なものですが、それは、私自身の心に変化の必要性を埋め込むには、これ以上なく十分なものでした。
何を隠そう、私は紛う事なき男性でございますので、私自身の中にも、男性的な部分は少なからず存在する筈。そう思った私が、沢山の他の部分に埋もれているそれを蒸留すべく書いたのが、本作です。
主人公はどこか空回りな熱意を持った、元生物学者志望の、駆け出しの小説家。前々からこの時代に生まれたかった、と思っていた大正時代を舞台に、ある種自分の中の理想像とも言える主人公を、思うがままに行動させてみました。
楽しかったと言えば、細かい部分も考えるならば嘘になります。確かに新鮮な気分で書くことこそできましたが、己では手の届かぬ憧れを描くことに、抵抗が無かった訳ではございません。それでもなんとか、私の理想を書ききることができました。
実を言うと、私の中の「男性的な部分」を綴った本作とは別に、私の中の、友人曰く「女性的な部分」を凝縮したものも同時進行で書いていたのですが…これを書き終わった直後、なんだか馬鹿らしいような気が致しまして、メモ帳から削除してしまいました(実は後悔している)。まあそんなこともあるだろうと、今はすっきりとした気分でございますけれども。
では今一度、お忙しい中本作を読んで下さり、ありがとうございました。次のあとがき、もしくはまえがきでお会い願えれば幸いに存じます。