6-2 ホワイトアウト・ミッション min+sec
なんとか立てた時にはもう、三〇秒が過ぎていた。
「何処で鍵を使うんだよ……もう少しルールを説明しろっての……」
「ねぇ。あれって何?」
そこには何もなかった。まさか、俺にだけ見えないとか、そういうことなのか? 「俺には見えない」と俺は言った。玲香は強く強く自分が俺に見えない『それ』を見えていることを伝えた。玲香のいる方向には当然居ないし、もう一度戻ると――あれ、居た。
「で、あの紅い炎に包まれたおじいさんは何なんだ?」
「分からない。もしかしたら私達にヒントをくれたりするんじゃないかな?」
紅い炎に包まれたお爺さんが立っているという言葉は少し笑える。だが、もしかしたらそのお爺さんが俺や玲香を救ってくれる救世主かもしれないので、小馬鹿にすることはやめておいた。
お爺――老人といったほうがいいか。老人は日本では大切にするべき存在だ。それくらい俺も日本人だから分かっているけれど。でも、今の日本の社会はそうなっている。
お爺さんの方へ近づいていく。次第に見えてきた姿は、遊園地で会ったあの爺さんに、洋食店で会ったあのお爺さんに似ていた。クリソツ(そっくり)なんてものじゃない。もう、凄く似ていたのだ。もう少し近づいて、「同一人物だ」と俺は思った。
「あの……爺さんって、前に洋食店に来たこと、あります……よね?」
「ええ。洋食店というのは空港の近くの……」
「はい、そうですね。それと、なぜ今貴方は紅い炎に包まれて居るのでしょう」
「いや……そのだな。私はもう、死んでいるんじゃ」
「死んでいる……? 何その超展開……」
「超展開……いい響きだな。じゃが、本当のことだ。皆死んでいるんだ。この扉を開ければいろんな人が、津波で亡くなった人が、部屋の中に存在している」
「でも、まだ津波発生から数十分しか立っていないですよ?」
「お主。この空間、この白い空間は何処へ向かおうとしているか、分かるか?」
「未来とか……過去とかじゃないんですか?」
「違う。向かおうとしているのは『今』じゃ。過去も未来も存在しない」
「……え?」
俺は意味がわからなくなった。「未来」も「過去」もどこにも無いのだ。未来も過去もない。今しか存在しない。そういう意味なのだろう。だが、何故「今」だけしか存在しないのか、俺はふと疑問に思い、心の奥から何かがこみ上げてきたのが分かった。
「つまり、タイムマシンでセットした日付、時刻、世界線に行った所で、それは『過去』とも『未来』とも言えない。『今』になるんだよ。未来に行っても、指定された日付時刻世界線にたどり着けば、その瞬間即座にその時間は『今』となる。君は『過去から来た』と言いたいのかもしれないが、そうじゃない。『君は今を生きている』。そう解釈されるんだ」
お手上げである。もうどうにもならない。俺にはさっぱり意味がわからなかった。いや、その解釈だとやらが分かる人もいるだろう。でも俺には分からなかった。
「まあ、これ以上難しい話もするのも嫌だし、君達は時間制限もあるだろう。早く行くんだ。そこにドアはある。そのドアを開けて、左右にしたいの積み重なった一本道を通り抜けていけ。じゃあ、さようなら。また新世界線で」
お爺さんは、その瞬間紅い炎が消え、その場に倒れ、ドアの奥の方へ吸引された。そして、その瞬間ドアが開いた。
「行くぞ、玲香」
「……早く、この世界から、この真っ白な空間から抜けだそう……」
「そうだな。もう時間もあと二分を切った。急ぐぞ」
俺達は、死体の積み重なった左右の山など目もくれず、先へ先へと急いで駆けていった。
再び俺と玲香の目の前にドアが現れた。積み重なった左右の死体の山で、最初はそのドアが見えなかったのだが、今になってようやく全貌が見えた。
「鍵……よいしょ……」
俺は、持っていた鍵を鍵穴に差し、ロックを解除した。そして、開いたドアの向こうには、全数一〇〇段以上に及ぶ階段が続いていた。それを見た瞬間、俺は「うわ……」と絶望の淵に立たされたが、そんなことでくよくよしていられるものか。
「玲香。体力は大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない。でも……疲れてきたら、おんぶ、してほしいな」
「分かった。でも、頑張って走れよ。もう時間はないんだ。こうしている間にも時間は減っていくものなんだ。だから行くぞ」
「なんか爺臭い。そういうのもろくのんのいいところだけどね。……じゃ、行きますか」
残り一分四〇秒。まだまだ残りの道程は長い。最近運動していなかったから、俺も体力がヤバそうだ。もしかしたら持たないかもしれない。
残り一分二十秒。ようやく全体の五分の一は終わったかもしれないが、まだまだ階段は続く。残り何段あるのだろうか。白い世界、浮かび上がる階段に、その階段を駆け登る俺、玲香。足の痛みも感じてくるが、今はそんなの心配しちゃダメだ。
残り一分。もう俺はヘトヘトになった。走っても、いくら走っても疲れ、そして今にも倒れそうだった。もう頭の中の脳みそが抉り取られて飛んでいってしまっているかのようだった。だが、その時、玲香が俺のことを呼んだ。
「ろくのん……おんぶ……して……?」
緊迫した状況の中、玲香は俺の方を甘い目で見つめてきた。ヤバイ。その目は俺を導こうとしているのか、変な方向に。でも、おんぶするくらいしてやらないと。それに、今やらなくて何時やるんだ、一体。今しか……ないじゃん。
勝手な自己解釈。でも、だけど、それをすることで俺は気合が湧いてきた。
残り四十五秒を切った。おんぶし終わって、俺は最後の力を振り絞って上へ、上へと登っていった。目が回りそうで、クラクラしそうで。でも、ここで俺が気力に負けたら元も子もない。玲香を傷つけるわけには。それに俺自身が決めたことを簡単に諦めたくはない。
「オラオラオラオラオラオラオラオラ!」
別にパンチをしているわけじゃない。玲香を背中におんぶし、目の前の階段を駆け、そして先へと進んでいるだけだ。バトルではない。
その気力も、残り三〇秒を過ぎた頃にはもう無くなりそうだった。それほど、俺の気力は搾り取られていたのだ。
「いっけえええええええええええええええええええええええっ!」
喉がカラカラになっているのがよく分かった。口の中で唾が糸を引いてタラァとしているのも何となく分かった。ハァハァゼェゼェと息を吸ったり吐いた。




