5-6 ハイジャック
津波到達予想と同じ時間帯で、津波が襲来した。後峠はその津波に流された。俺は玲香に背負われ、マンションの八階に居た。間一髪、津波に飲み込まれず済んだ俺は、消えていく職場を、ごくりと唾を呑みながら見て只々見ているしかなかった。
新潟空港に有った各航空機は流された。洋食店は流された。テレビ局さえ、水に浸かった。その瞬間に各局共、弥彦山からの放送に切り替えた。
ワンセグ放送アプリを閉じて俺は下の方を見た。
「ろくのん……。ごめん」
「お前のせいじゃないんだ。全ては俺が選択を誤ったせいなんだ。この地震が起こることも俺は知っていた。でも疑わなかった。そのメールの内容に」
「え?」
「疑えばこんな事にはならなかったんだ。俺は、最低だ」
「ちょっと待ってよ、ろくの……」
「いいんだ。俺は、生きる価値なんかないんだ。チキンでヘタレでナイフに怯えてそれでもってせっかくできた友人すら大切に出来ない。……俺は最低だ」
「最低なんかじゃないよ」
玲香の手が折れの右肩に触れた。俺の頬に玲香の髪がこすれ、玲香は続けて俺に話す。
「たしかに後峠は死んだ。それは私だって悲しいさ。長年共に生きてきた仲間だから。でもさ、私は後峠を助けようとしてたろくのんがとても格好いいと思ったよ?」
「……玲香?」
「だから『自分は生きる価値ない』とか言うな。ろくのんにだって悪いところはある。でも、いいところがないわけじゃないんだ。頑張って、生きればいいじゃんか。死んでしまった後峠の分まで」
俺は涙が止まらなかった。男泣きかもしれない。泣くなんて滅多になかったのにな。泣かせるなバカ野郎。
「大丈夫。私が居る」
玲香の温もりが今は亡き俺の母の温もりように思えた。
家族はこうして出来ていくのだ。壊れてもいつか戻る。それが家族だ。戻らない家族なんか、本当の家族じゃない。偽の家族なんだ。重大な問題が起きた時、支えあっていける、それが本当の家族なのだ。俺はふと心の中でそう思い、溢れんばかりの涙を右手で拭い、玲香に「ありがとうな」と一言告げた。
その時だった。
「着信か……」
スマートフォンに映し出される「着信」の文字。その電話の相手は美玲だった。
「どうした美玲」
「あ、兄貴。今航空機がハイジャックされて……」
「え?」
怯えながら小声で話す美玲。聞き取れていないわけではないが聞き取りづらい。
「ハイジャックって言ったか?」
「う、うん。今新潟空港を出てすぐに地震が起きてそれで……」
地震とハイジャック……。何の関わりもなかったはずのこの二つの言葉を聞いて俺はふと思った。「ニューヨークの時も、東京の時も、新潟の時も、地震が起きて何処かの施設が炎に包まれた。ということはつまり……。
俺はスマートフォンの通話を一時的に止め、玲香に問いかける。
「なあ、新潟で一番目に高い建物って……」
「朱鷺メッセ……か。それがどうしたんだ?」
「いや、東京地震で有っただろ。東京スカイツリーとタワー、在京キー局各社、そして基地局の破壊。だから今回は……」
「朱鷺メッセと何処か、か」
「高い建物っていうことは次は……」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ! 美玲ちゃんに早く言わないと!」
一時的に通話を止めていたのを解除し、俺は美玲に話す。
「おい、美玲!」
「残念でした、六宮英人。これで君は二人救助できなかったことになりますよ」
「貴様! 美玲を、美玲を出せッ!」
俺がそう怒鳴りつけると、その声の主は自身の顔を映しだした。狐の仮面を被っていた。この仮面は万代シテイで起きた殺人事件の……。
そう思うと、俺は吐き気がしてきた。
「ほら、これ見てみなよ」
「嘘……だろ? 現実にこんなことが起こるわけ無いだろ……。嘘だろ、こんなの!」
航空機の中の映像が見えた。美玲は倒れていた。目を閉じて。その他の客も目を閉じ倒れ込んでいた。そしてその狐の下面を被った声の主は、倒れ込んでいる美玲の顔に銃口を向けた。
「やめろッ! やめろッ! 銃口を美玲に向けるなッ!」
「残念でしたぁ。美玲ちゃんはもう動けないのでぇ、殺しまぁす!」
声の主はケラケラ笑いながら、倒れ込んでいた美玲に向けていた拳銃から銃弾を発射した。その瞬間、美玲の頬は赤く染まった。そして最後に声の主はナイフを取り出した。
「美玲! 生き返ろ、生き返――」
「だからぁ、無理だって言ってるじゃないですかぁ。さようならぁ」
美玲の腹部にナイフが刺さった。そこから鮮血が溢れだし、航空機の床のほうを赤く染める。そしてその声の主の仮面にも動脈から溢れたであろう赤赤しい血が付いた。
見ているのがやっとだった。幻想だと思えなかった。俺はもう、絶句していたのだ。
「それでは終点、朱鷺メッセに向かいまぁす!」
「待て! 待て!」
俺の言葉は聞かず、航空機は朱鷺メッセに突撃した。俺がいるマンションからもそれが見える。恐ろしい。高く空へ煙を上げ、炎が大きく燃え盛る。
通話が途絶えた。また俺は唖然としていた。
「なぁ玲香。やっぱり、ダメだな、俺」
「そんなこと無い。きっと無いさ」
そんな言葉、今の俺には効果がなかった。せっかく玲香が心配しているのに、俺はダメだった。その時だった。今度はメールの着信音が鳴った。
『件名:屋上へ来い 送信者:須戸
屋上へ来い。いいことがある。お前を殺しはしない。殺さない』
「なんだよこれ……又騙されるのかよ」
「行ってみたほうがいいんじゃないかな? 殺さないとか書いてあるし。別に悪いようなことではないでしょ」
俺は、玲香の言葉を聞き、「もうどうにでもなれ」と心に決めて屋上へ向かった。




