4-5 泣妹
読み終えた。することがない。時間は朝六時くらいだ。大長編の小説を読んだためかっめまいがする。文字を見るのがイヤになってくる。なぜこうなったんだ。
「玲香、寝るなよ」
玲香は眠気に襲われたらしく、本を持ったまま寝ていた。この寝顔、スマートフォンの背景にしようなんて極悪な事を一秒でも考えた俺が非常に憎いが、可愛い。こんな女性教師に指導を受けたい。そう思い上がって、天国まで脳が飛びそうだった。時。
「兄貴。飯」
流石俺の妹。「兄に対し、単語だけで話すのか。少しは単語だけじゃなくて文章として、会話文として成立させろ」なんていう指導、俺には不可能だ。もうこいつには逆らえない。そういうものさ、兄なんて。
日夜ギャル化していく自分の妹を、腐女子化していく自分の妹を、止めてあげれるなら止めてあげても良かったんだ。でもギャル化が進んで、どう見ても「ビ○チ」に見えるようになって、言葉も「単語だけ」。これには逆らえぬ。ヘタレだな、おい。
「飯? 自分で作れ」
「は? 死ね。金出せ。乙女ゲーム買いたいから。ポスター買いたいから。紅薔薇様マジ神だから。金出せ。自分で飯は作るから、金出せ」
酷いカツアゲだな。自分の兄にまでカツアゲとは。こいつ、本当にウザイ妹である。一回も「可愛い」なんて思ったこと無いし、思いたくもない。世間の妹が全てこういったキャラなのかはわからない。ただひとつ言えること、それは、
「俺の妹はブラコンじゃない」ということだ。
実際、妹に過激な恋愛感情持たれた所で、それこそ「どこのヨス○ノ○ラ」だよ、って話だ。全く。俺と美玲は血縁関係がある、義理じゃない兄妹なのだ。
がしかし俺からしてみれば、自分の金を妹にオタ趣味の一環として使われるのが嫌だったので、ここは一言叱っておくことにした。
「バイトして金貯めて買え。以上。文句ないよな」
「文句ありありなんですけど。うちの学校バイト禁止だし」
「校則くらいやぶれよ。どうなっても知らないが。俺には知ったこっちゃねえよ。要件済んだらさっさと部屋に戻れ。寒い」
シッシッと、俺は右手を動かした。それを見ると、美玲は一言「死ね」と言って、俺の部屋を去っていった。壁を蹴られないだけマシだと俺は思った。
「さて、玲香は起きて……」
「うにゅう……」
玲香は起きていた。目を開けている。つまり、さっきの「うにゅう」というのは作り言葉で、「決して寝ている間に出た可愛い言葉」という意味ではないようだ。
「お前、話聞いていたのか?」
「……うん。複雑、だよね……」
玲香も何となく俺の心情を理解してくれているらしい。妹という複雑な関係だ。恋愛感情的な方向へ行きすぎても法律的にアウトだし、悪さ的な方向へ行きすぎても法律的にアウトだ。だから、加減というものが必要になるわけだ。
俺の見る範囲では、俺の妹は「加減」を知らないようだ。平気で人に向かって単語で会話するし、それに年上に向かって暴言など言語道断、何様のつもりだということに成りかねない。
「……お前はさ。もし俺がお前の兄だとしたら、俺に対して反抗するか?」
そう質問した後、俺は「あくまで架空の話でだ」と補足して答えを待った。
「分からないや。でも、私は反抗しちゃうかもしれないね。女の子ってさ、結構心が傷つきやすいんだよ。会話から外されることとかは、女性社会において……ね」
「……そうか。つまり美玲は、友達関係で何か問題を抱えていたりするのか?」
「そうかもしれないね。実際私もそうだったもん。美玲ちゃんは、成績優秀なの?」
「知らん。でも、学校内では期末、中間、定期テスト全て『学年トップ』らしい」
俺がそう言うと、玲香は「だからか」とポツリ呟き、うんうんと顔を上下に振る。俺は「?」状態で、何を示しているのか察しようとしたが、どうも察することが出来なかった。
「学力上位の子ってさ、完璧すぎてイライラしてくるんだよ、周りからは。学校で、『ガリ勉』だとか、『完璧主義女』だとか言われているんじゃないかな。もしそうなら、家で兄に反抗するっていうのも有り得るし、今美玲ちゃんは高校生だしね……『勉強できる』っていうのは悪くはないんだけれどなぁ……」
玲香ははぁ、と溜息をついて「どうするべきかなぁ」とまたポツリつぶやく。
「やっぱり君は兄なんだし、君が美玲ちゃんにいっぱい声を掛けてあげて、美玲ちゃんの心を落ち着かせるべきだよ。今ならまだ台所にいるでしょ?」と、間をおいて俺の方を見ながら玲香はそう言ってきた。
「確かにな」
「うんうんと頷くなら早く行動起こせ」
「お、おう……」
玲香に後押しされ、俺は台所へと向かった。妹はウザイ。ウザイさ。でも、家族なんだ。母もいない、父もいない、俺の支えの一人だ。家族の難は、家族が救って壊してあげなければいけないんだ。
「美玲!」
「あ? 何? 起きたんなら飯作ってくれない?」
「ああ。作ってやるよ。だからさ、一つ言わせろ」
「何?」
「―――困ったことがあったら何時でも相談に来いよ。俺が全部受け止めてやんよ。なんせ俺達は、お前と俺は……『家族』だからな。お前が笑えるように導いてやんよ」
俺は一応笑顔を作って見せた。ああ気持ち悪い。俺の笑顔とか想像するだけで気持ち悪い。笑顔を作り終え、美玲の方を見ると、美玲は涙を流していた。何時以来だろうか。妹の泣いた姿なんて。
人様に向かって暴言吐いて吐いて、ギャル化していって……。あの時の美玲は笑っていなかった。泣いていなかった。もしかしたら、美玲の涙を見るのはもう十年ぶりくらいかもしれない。でも、久しぶりに美玲が、このギャル暴言女が、泣いた。
「泣くなよ……」
フォローに入る俺。やっぱり女の泣き顔を見ると止められなくなるんだよね。妹でも。何かこう、守ってやりたい気分になるというか……。
「初めて兄貴の言葉で泣いたじゃんか……どうしてくれるんだよ……もう」
あれ? 今美玲は「じゃんか」とか、「だよ」とか言ったよな……。それに、全くもってギャルみたいな発音じゃない。しっかりとした日本語になっている。
ほんの数分前まであんなにウザくて、可愛さの欠片もないクズだった妹。でもやっぱりこいつは、ただ強がりなだけか、と俺は心の中で思い、目をつぶった。
「……良かったね、ろくのん」
玲香の声が聞こえる。何か後ろの方にダークな笑顔が浮かんでいるのは気のせいか。
「そうですな。リア充ば爆発しろ、この妹に欲情してるド変態。美玲たんは俺の嫁……」
「死ね」と、美玲は一言告げた後、後峠の顔面に強烈なキックを食らわす。美玲が元通りになったじゃねえか。でもまあ、こいつにも悩みがあるということは分かったしな。もう少し、悩みはあるみたいだが。
「さ、朝飯作るからちょっと待ってろよ」
「私も作る!」
ぎゅう、と玲香が俺に抱きついてきた。すごい笑顔を浮かべていた。
「さ、朝飯作るかな」
俺と玲香は朝飯を作り始めていったのだった。笑顔でイチャコラしていたのだ。
――これから起きる悲劇も知らずに。




