3-17 救助の後に
夕方四時四〇分すぎ、遊園地を去った後、俺と玲香は歩き出した。と言っても、 ここは新潟市の郊外(どことはいわないが)の海岸線だ。ここから、俺の家、洋食店等に行くのは、徒歩では日も暮れてしまう――ということもあり、結局はバスで移動することになった。玲香とともに乗車し、そのまま東区の新潟空港周辺へと向かうバスを探した。
バスのりばは、遊園地の一角にあった。だが、もうバスは来ない。最終便は四時半だったのだ。つまり、結果的に俺と玲香は徒歩で帰らなくてはいけないのだ。
俺も玲香も「はあ……」だとか、「うわあ……」と口から声をもらした。そんな時だった。
「志熊! 六宮!」
「後峠……! 何故ここに……?」
「ろくのん……は、ダメだな。じゃあ『ロク』だな。ロクの車を借りてきたことに関しては謝っておく。すまない。まあでも、一応お前の車は傷つけていないし。それだけはな」
「てか、まずその車、俺の親の車だぞ?」
「……え。……まあいい。とにかく、お前らは免許持っていないだろうから、俺が運転してやるよ。じゃ、早く乗れ」
後峠は、咳払いをした後にあたかも自分の車を運転するかのような発言をした。俺の親の車だということには代わりはないが……。というか、何で後峠が俺の親の車に乗っているのだ? もしかして、美玲も乗っているとか? ねえだろ、きっと。
なんて俺は自分で勝手な想像をつくって、そう思い込んでいた。まあ、大抵のゲーム等の娯楽物の場合、これがフラグ(特定の動作をさせるための条件のことを指す)になったりするから結構重要な点なんだよな。
もしかしたら、俺は死亡フラグをもう作っていたり……。もしくは今思っているこの言葉さえもが、死亡フラグの引き金になったり……。
人間誰しも、「そんなことはない」と思うが、それが後の自分の過ちを犯してしまう原因なのだということを、俺はよく知っている。反抗期、親に反抗しまくった挙句、大学行って卒業して帰ってきて、会話は一言もしないうちに親は二人共死んだ。
そういうことがあったのだ。それこそまさに、「親はいつか死ぬが、俺が大学卒業するまでは生きてるでしょ」なんていう、「そんなことはない」発言だ。そういうのが、俺の親の死亡フラグに関わったのかもしれない。……なんてな。そんなことはないだろう。きっと。
「またろくのん考え事はじめた!」
俺が考え事をしているということにすぐに気づいた玲香が、俺の方をむーっとした表情で見てきた。「これがリア充か」なんて心の奥底で俺は思っていて、不覚にもそのむーっとしている玲香の表情に俺はくすっと笑ってしまった。
車に乗車すると、俺が立てたフラグは見事に消化された。つまり、そこには美玲がいた。
「やっぱりいたか」
「なにさ、兄貴! ま、まさか妹に欲情してるんじゃないでしょうねっ! 欲情なんかしたら、ぶっ殺してやるんだから!」
俺は、「はいはい、ワロスワロス」なんて某巨大掲示板サイトのノリみたいなことをしようとしていた。でも、笑えないわな。だって、俺このままじゃ「シスコン」って誤解されるじゃん。
「ぶっ殺すな。てか、俺はお前に一度も欲情したことなんかないんだが」
「はあ? ふざけないでよ! 昨日だって、玲香さんに私の下着を貸すことくらいで、あんた私に勘違いさせたじゃん! そんな突然、『妹の下着を貸して』とか言われたら、誤解するに決まってんでしょ! 前置きくらいしろや!」
「……それについては、すまない。俺も説明不足だった」
俺は車内で美玲に謝ることにした。車の中で妹に謝るなんて……惨めだ。
それから俺の家までは、遊園地の話題でいっぱいだった。例えば俺が、エレベーター事故にあったということや、ラーメンを食ったことなどだ。まあ、キスだとかに関しては俺も玲香も何があったのかを隠そうと結託し、言わないでおいた。
家に帰る少し手前で、俺、玲香、美玲、後峠の乗った車は渋滞に巻き込まれた。まあ、現在時刻は五時すぎだし、当然なのかもしれない。が、ここまで渋滞することなんて滅多にない。
なにせ、新潟は政令指定都市で県都だが、東京など足元にも足元に及ばない。それを裏付けるかのように、渋滞というものも、東京より新潟のほうがマシなのだ。
渋滞に関しては、新潟県で見ればレジャーシーズンは相当なことになるのだろうが、今はそういうわけでもないし、それに新潟市だけで限れば春夏秋冬関係なく、サッカーの試合等で渋滞ということは少なからずあるが、それでもここまで渋滞というのはありえない。
渋滞を抜けて、家に着いた頃には、とっくに西の方の夕陽は沈もうとしていた。俺の家からはその夕陽が「海に沈む」ということを確認することは出来ないが、結構沈んできていて、空がオレンジ色がかっていた。それは、水色の空を全て塗り尽くしてしまいそうなくらい、水色が全く見えないオレンジ色だった。
綺麗な夕焼けは、俺の心を浄化させてくれていた。疲れを癒す、そこまではいかなくても、何かのものを見て、それに没頭してしまうような、そんな体験が気軽にできる、それが空の景色を眺めるときの醍醐味なのかもしれない。そんなことを思うと、自然に笑がこぼれてきた。




