3-14 ハンドレッドタワー Ⅰ
ジュース代の料金を支払い、俺と玲香はダウンタワーへと向かった。だが、ダウンタワーの前には人がいなかった。それどころか、張り紙がダウンタワーの前の掲示板に張り出されていた。
「『ダウンタワー故障につき、現在運転停止中』だって。あちゃー……」
「どうする、ろくのん? 観覧車行く?」
「いや、この手の高いところへ上るアトラクションはあとひとつあるぜ」
「え?」
「『ハンドレッドタワー』があるじゃないか!」
玲香が俺に聞いた質問に、俺はそう答え、ハンドレッドタワーの方に指を向けた。
ハンドレッドタワーは、高さ一〇二メートルのタワーアトラクションで、周りをぐるぐると回転式のエレベーターが回りながら昇降する。高さ九二メートル地点で、回転はしない、回転式のエレベーターより広い面積の展望台に降りなければならない。
帰りは、回転式の展望台を使うこともできるが、普通なら高さ九九メートル地点から、大階段で地上に降りる。そんなアトラクションだ。
「さて玲香。行きますか」
「ですな」
俺と玲香はハンドレッドタワー下の受付へと向かった。
タワー下の受付に、他の客はいなかった。ここまで閑散していると、さっきみたいに「営業休止中なのかな?」と疑いたくもなるが、実際そういうわけではないらしい。掲示板にも貼りだされていないし、受付係員だってしっかりいるのだ。
少し疑問を抱えながらも、ここまで来て引き返すわけにはいかないので、俺と玲香は受付に遊園地無料パスを提示して乗り込むことになった。
乗り込むと、三〇秒くらいしてエレベーターが回転し始めた。
ちなみに、この回転式エレベーターは日本にも数える程度しかなく、極めて珍しいエレベータなのだという。それ故に、ハンドレッドタワー運転開始当時はすごく賑わったのだという。
でも、今は賑わってはいない。なぜなら、このタワーは――緊急停止がよく起こる噂がよく言われるのだ。でも、俺は「そんなの俺には関係ない」と思いながら、展望台に着くのを待っていた。が、それは突然襲ってくるのだった。
五十メートル付近で、高所恐怖症の症状が出てしまったのか、玲香は俺の方にくっついてきて、手も凄く強く握ってきた。そして玲香が笑顔を見せた時だった。
回転式エレベーターが止まった。当然電気も止まった。動かない。高さ五二メートル付近で止まった。もうエレベーターは上昇しない。
「……え?」
ついに、それに玲香が気付いてしまった。玲香は高所恐怖症だ。それでいて、もしも密室恐怖症なんか持っていたら、たまったもんじゃない。最悪、この高さ約五二メートルというこの空中の中の密室で暴れられてしまうのかもしれない。
もしそうなった場合、俺はどうなるのだろうか。玲香は一体どうなるのだろうか。もしかしたら、窓ガラスを割って地上へ飛びだしていってしまうのだろうか。
いや、今はそんなことをしている時間などない。今すべきことは、俺が落ち着いて、そして玲香を落ち着かせてやることだ。こういった密室空間では、冷静さが大切となると俺はどこかで聞いた。
確かインターネット掲示板、もしくはサイトだったと思うのだが、まあ今はそんなことどうでもいい。とにかく、今俺がいち早く冷静さを取り戻さなければいけないのである。
すーはー、と二回、俺は深く息を吸って吐く。そうして玲香の背中に手を当て、すりすりと上から下へとなでおろした。
「大丈夫だ。きっと助けは来るはずだ。それを待とう。冷静になるんだ、玲香」
「ろくのん……」
俺が笑顔で玲香を見ていると、玲香は俺の方を上目遣いで見てきた。この場においてその目はやめろ―――やめてください、お願いします。密室空間という言葉が意味深長すぎて変な方向へ突っ走ってしまうかもしれないじゃないか。
「ろくのんは、その……えと……。こういう密室空間でも私みたいな女性に手を出したりはしないの? チキンだから?」
「うーん……。わからないや、チキンかどうかなんて。でも、言っておくけど、俺も一応けじめは付けているからな。手を出すとかそれ以前に、しっかりと人を大切にするというか、個人の尊重というか。―――俺もわけわからなくなってきた」
「バーカ。まあでも、ろくのんはチキンでしょ。大体、不良みたいな男どもから助けてくれた時に、ろくのんなんて言ったと思ってるの?」
「知らないな……。俺なんか言ってたかな? 黒歴史確定的なことかな?」
「言ってたじゃん。『俺はチキンじゃねえッ!』みたいなこと」
「うわ……」
俺は思わず息を呑み、頭を抱えた。玲香を助けるためにお化け屋敷の裏の小屋に戦いを挑んでいって、勝ったというのは覚えているのだが、その助けるまでの流れが俺の脳内には入っていなかった。―――いや、入っていても、記憶として残されていないだけなのかもしれない。
中学生時代に発症した『厨二病』よりはまだマシかもしれないが、助けた本人にそう言われると、自然と恥ずかしくなるのは気のせいだろうか。
「でもまあ、ろくのんが街中そこらにいるようなクソ男共みたいな、『誰でもいいからヤりたい』的な思考を持っていないだけ安心だよ。……もしかして三次元には興味なかったりして。ろくのんってそういう人だったんだ。マジ引くわー」
「俺は二次元も好きだけど、三次元で彼女作らなきゃいけないって言うことくらいわかってるわ! 勝手に俺を『二次ヲタ(ここでは二次元にしか興味を示さない人間のことを指す)のコミュ障』みたいな風に言うんじゃねえっ!」
「だよね。安心した。二次ヲタだったらどうしようかと。それでいてロリコン&シスコンだったらどうしようかと」
俺は「玲香って、時折本当にズバズバ聞くんだな」なんて心の中で思っていた。よくもまあ、街中で洋食店を営んでいていつもは清楚なのに、ここまでキャラクター性が変貌してしまうとは。まさか、玲香から「ロリコン」と言われるなんて俺も予想外だった。
「助けって何時来るのかな? もうすぐ来るのかな?」
「知らねえよ。でも、きっと今日中には来てくれるはずだ。てか、このエレベーターには非常時に鳴らすようなボタンはないのかな?」
あたりを見回す。しかし、そういったボタンは見当たらない。まあ、このエレベーターの作られたのが結構昔だし、仕方ないのかもしれないが。もしくは手抜きだったりして。
「綺麗ですな。日本海といい、越後の山脈といい」
玲香はそう言って、この空中の密室空間から、街中を見下そうと、ガラス付近の手すりにつかまって外を見ていた。
ここは、新潟市の郊外、海岸線の近くに位置する巨大遊園地だ。その遊園地内でもい地番高いところまで上昇するのが、この『ハンドレッドタワー』だ。そして、玲香は高所恐怖症なんだ。
でも、玲香は今この高さを恐れてはいない。もしかしたら、絶景がそこに広がっていて、それで気を紛らわしているのかもしれない。
ただ、玲香が「高いところが嫌」と言って涙目になっていたのに、今は別に涙も流していないし、むしろ笑顔を見せている。もしかしたら、もう克服したのかもしれない。
「綺麗だけど、玲香のほうが綺麗なんじゃ――――あ、ちょ、口が滑った……」
「口が滑った訳じゃにくせに。でも、そう言われるとなんか嬉しいな」
「だ、だから本当に口が滑っただけだって……」と俺が言うと、玲香は面白がっているのか、笑みをこぼしながら「嘘つき」と俺に言った。
「助け、来ないね……。なんか、怖くなってきた」
下を向きながら、ついさっきまで笑みを見せていた玲香が俺に言った。
「飲み物とか、売って……ないよね。喉も渇いたし……」
玲香が続けてそういった時、俺のスマートフォンがメールを受信したらしく、着信音が静かなこの密室空間に響いた。
『飲み物は約半周したところに冷蔵庫が置かれている。ただし、その中の飲料は全て冷えてはいない。また、コーラは絶対に飲むな、腐っているからな。そのコーラに関してだけは、もうハズレは確定している。飲むのであれば、オレンジジュースや、お茶などをお勧めする。コーラを飲んでも身体に害はないが、後に腹をこわす原因となる為、飲む際は自己責任で頼むこと』。
そんなふうにメールには書かれていた。
「ろくのん。さっきのメールってどういうメールだったの?」
「いや、特になにもないんだけれども」
「も、もしかして、彼女からのメール? ……リア充爆発しろ」
「いや、まず俺彼女いない歴イコール年齢ですし?」
「私もそうだよ。彼女いない歴イコール年齢だよ」
「そりゃあ、玲香は女だから彼女いたら大変でしょ。完全に百合ってことになるし」
「……気付いたんだね、そこに。気が付かなかったら、どうしようかと思ったよ」
玲香はぼそっとそう言ってくすっと笑顔を浮かべる。俺はそれを見て、「この……ッ!」なんて殴りたくなったが、ここで殴ったら大変な事態になるということは俺も分かる。
「じゃあ、ジュース持ってくるよ。さっきのメールは、ジュースの置いてある場所を記してあるメールだったんだよ」
俺はそうあっさり言うと玲香から離れて、この回転式エレベーターの半周した所、丁度今俺と玲香の居る反対側の反対側、そこへ向かった。
「ろ、ろくのん……置いていくの?」
ぎくっ。また上目遣いか。何度俺を落とせば気が済むのやら。でもまあ、それが玲香のキャラクター性なのかもしれない。いつもは洋食店で働く従業員、じゃなくて店長で、敬語もしっかり使えるくせに、いつもはテンションの高いキャラ。でもって高所恐怖症……。
――なんと臨機応変な態度をとれるキャラなんでしょうか。逆に尊敬してしまうじゃないですか。
「置いてなんか、行かねえよ……しょうがないなぁ」
「そ、その呆れた表情で手を差し伸ばすんじゃない!」
「ごめん。俺も今いろいろと大変だし、疲れているし。だからその、ごめん」
結局、俺は玲香を連れて反対側にあるらしい冷蔵庫へ向かった。




