3-6 お化け屋敷録
そうして俺と玲香はまたお化け屋敷の列に戻った。だが幸いな事に、時刻が午前一一時を過ぎたことによって、さっきよりも列は少なくなっていた。
俺は、さっきのような出来事を繰り返さないために、玲香の手をぎゅっと手にとった。それの感触が分かったのか、玲香が俺に対してこんなことを言った。
「あの……さ。さっきのアレは、一体何だったのかな……?」
「アレって……一体……」
「な、何度も言わせないでよ……。アレだよ、その……『玲香は、玲香は俺の彼女だッ!』っていうアレ。一応、私も今すごくドキドキしているんだからな!」
「そ、そんなこと言われても……そのだな、さっきのはその……」
俺は少し戸惑う。なにせ、さっきの言葉はふとした内に出た言葉なのだ。だから俺も「その言葉に何か深い意味があったのか」と問われれば、「なかった」と答えることしか出来ない。
でも、今聞かれているのはそこではないし、俺の答え方は間違っていたし。ああもう、なんて言えばいいんだよ……?
「さっきのは、お前を助けるために出てしまった言葉だ。不快に思ってしまうんだったら、申し訳ない」
「―――申し訳なくなんか、ない」
ぎゅっと手を握られる。温かい感触が伝わる。そしてその表情をやめろ。目をつぶるな。可愛すぎて死ぬから。
「お、お、お……おう」
俺は凄く動揺してしまった。心拍数のパラメータが最高潮に達してしまったかのように。
「さっきのろくのんは、本当に格好良かった。まるで白馬の王子様みたいだったよ。……ごめん、例えが可笑しいかな」
「格好良い……?」
久しぶりに言われた。その言葉を聞いた瞬間に、俺の胸の中に衝動が走った。
「うん、格好いいよ」
もうこの言葉が聞けないかもしれない。これが「人生最初で最後の恋愛になるのかもしれない―――」。そう思うだけで、俺は自然に涙腺が緩んできた。
(あれ……? なんで涙流してんだろ、俺……)
それを見た玲香が、俺のことをぎゅっと抱き寄せた。
「男泣きなんか、デートですんなバーカ。私が悪い事しただとか、上手く恋愛行ってないのかとか言われるだろ。……でも、ろくのんが本当に王子様みたいだったのは確かだよ」
「玲……香……っ!」
「私のただ唯一の、王子様―――」
俺は玲香の胸の中で泣く。胸の中で泣くなんて何年以来なのだろう。親の身体に包まれて泣いたあの日から少なくとも二〇年は経過しているんだろう。でも、今となってその親は声を上げないし姿も見せない。ふとしたことで、俺は母親と父親のことを思い出した。
『母さん。俺が大学に行くとき、俺は笑っていましたか?
父さん。俺がぼっちになった時も俺のことを支えてくれてありがとう。あの時は暴言ばっか吐いていたけど、本当は感謝しているんだよ。
父さん、母さん。俺を産んでくれてありがとうな。俺は今、こうして一人の女性と遊園地で遊んでいる。それは俺の初めての彼女だ。父さんも、母さんも生きていて欲しかったな……。そうすれば、見せてやることも出来たのに』
――そんなことを。
今では伝えられない言葉を俺は心の中で思った。そうすることで、俺の涙腺はまた崩壊した。さっき以上に、大きく崩壊したのだ。
「ろくのん、今日本当に泣きまくっているけど、大丈夫?」
「大丈夫じゃないから泣いてんだろうが……」
「……うん、そうだよね。それが当然か」
「あったりまえだろ、バーカ」
「お、女の子に『バーカ』なんていうろくのんは嫌いですっ! ……でも、守ってくれるよね……? 私はろくのんに心を開いていいんだよね?」
「ああ。心を開いていい」
丁度その時、俺と玲香は係員の指示に従ってお化け屋敷に入っていった。
お化け屋敷の中に入った瞬間、辺り一面が真っ暗闇になった。
「こ、怖……っ!」
玲香はそう言うと、俺の身体に抱きついた。……てか、こうも密着されると、何か反応しそうでヤバイ……。
ずずずと、先ほど流した涙のあとを消すように鼻水をすすると、その時俺の足を何かが掴んだ。それはひんやりしていたが、今は夏ではないから冷たくて話にならない。
(冷たっ! なにこれ? 何でこんなに冷たいんだよ!)
「きゃあ!」
どうやらさっき俺の足を掴んだ冷たい何かは玲香のことを触ったようだ。何処に触ったのかは分からなかったが、足を触ったのだろう。
冷たい何かに触られたことも相まって、俺をさらにぎゅっと抱くと、玲香は俺の耳に息をかけてきた。でもこれは故意にやったわけではないのだろう。溜息だと俺は思うが、それは合っているとは限らない。
(だがしかし……。耳に息がかかるとさすがにヤバイだろ……)
「ひゃうっ!」
「冷たっ!」
上からこんにゃくが落ちてきた。それはついさっきこんにゃくのパッケージを開け、洗った瞬間の名残が残っていて、とても冷たかった。だが、俺は玲香のそういう声(ひゃう!とか)を聞くことが出来て、満足だった。
いや、後で慰めるか。さすがにこのままでは玲香が可哀想だ。
それから少し歩いて行くと、明かりが見えた。ライトの明かりだ。しかしここまで明るいのはLEDだからか? 便利な時代になったもんだ……なんてなにそれ、年寄りの吐く台詞じゃないか。俺はまだ二三歳なんだから、そんなん言わなくていいだろ。
俺は自分自身に自分でツッコミをした。
「ボタンを押してくださいって書いてあるよ」
玲香はそうライトの明かりのあるところに置かれているボタンを指して言った。
「でも大体こういうのって、ラノベだと大抵罠の可能性が高いし……」
「いいんだい! 男なら、男気を見せろっ!」
手を掴まれた俺は、主導権を完全に握られてしまった。そうして、俺は玲香になされるがままに、ボタンを押してしまった。
「きゃあっ!」
「これ水じゃねえか!」
俺は中高大というこの一〇年間で鍛え上げた『スルースキル』を巧みに利用し、水が自分の体や衣服にかかるのは逃れられた。だが、ボタンの直ぐ目の前に居た玲香は、水がかかって服も髪の毛も、びしょ濡れになっていた。
「じじ、ジロジロ見るなっ!」
透けて見える。なんとなくブラジャーが透けて見える。……何を考えているんだ俺は! だがしかしけしからん! なんてけしからんのだ!
「ほ、ほらいくよ!」
俺はさっきまで俺の身体にぎゅっと強く抱きついていた玲香とは一変した、自分自身で主導権を握る第二形態の玲香に手を引っ張られ、出口へと向かっていった。
出口を通って、俺と玲香はまた光に触れた。
「うわぁ……スケスケじゃん! ブラが見えてるじゃん!」
「だけどなぁ……。それに関しては俺も何も言えねえからなぁ……。まぁ、ドンマイ!」
「なんか喜んでいるような感じがするんだけれど、気のせいかなぁ……?」
「気のせいだろ……アハハ、アハハ……」
「まあここで、『二回死ねえええッ!』と蹴ってあげてもいいんだけど、それをするとさすがに係員になにか言われそうなので今日のところはやめておく」
「最初からすんなよっ!」
俺はそう言うと、少し笑ってから玲香の方を見た。もう時刻は一一時三〇分を回っている。こうしてみると、本当にお化け屋敷で時間食ったんだと改めて痛感する。
「さて、飯食いますか」
「だね。でも、どこで食うの? 私達は『遊園地無料パス』をもらったから、アトラクション系に関しては困らないけど、飯には困るよな。パス使えないもん」
「え? 『遊園地無料パス』で、昼飯食えないの……?」
「ああ。この裏に書かれているだろ。『このチケットは、園内すべてのアトラクションに無料で乗れるチケットです。ただし、このチケットがあっても、食事は無料ではありません。ご了承ください』と」
「本当だ……」
確かに遊園地無料パスの裏には記述されていた。ということは、これだけでは昼飯が食えないということであり、イコール園内の料理店によって別途有料で注文しなければいけないのだ。
「だから、お金貸して」
なんか強烈な言葉を言われた気がしてならないのだが……。
「金を貸せ。以上」
「無理だ。ここは割り勘で行こう」
「ざけんな! 今持ってねえんだよ! ノーマネーなんだよ!」
「はぁ……。わかりました。でも『奢り』じゃないから、そこだけはいいな? 後で返せよしっかり。忘れたら、絶対にもうお前に金は貸さないからな」
「ご主人様……。どうかこのか弱いメイドに、どうかどうかお金を恵んでください……」
玲香はまた俺のこの「支配したい」という衝動をくすぐるような真似をした。やめてくれ。上目遣いにその言葉はチートだ。
「じゃあ、ご主人様。えと、その……何か条件があるのであれば……」
「特に条件というものはないが……。強いて言うなら、そうだな……キスとか?」
「わかりました」
唇が触れる。おいおい、止めてやれよ俺。玲香が可哀想じゃん。自分でも望まないのに俺にキスとか。でも、もしかして望んでくれてるのかなという期待もあったりするが、きっとそれはないに等しいんじゃないのかな。
「奢って、くれますか?」
「ちょっと待て。先に聞きたいことがある」
「なんでしょうか?」
「まず敬語を使うのをやめろ。いつものお前のままでいい。次に……いや、これは観覧車の中で言うことにして、まあ、飯は奢ってやんよ」
「ありがとう、ろくのん!」
笑顔で俺の手を握ってくれた。それと、顔が近い。笑顔だから余計に可愛すぎてもう無理……。やっぱり学生時代にいっぱい恋を経験しておくべきだったのだろうか。
そんな感情はなぎ払うように、俺も笑顔を作って、玲香に見せた。




