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5話目

 水着のままでは話がしにくいということで、ライラたちはマリリンの家に招かれていた。

 そこは家というよりも掘っ立て小屋というべきで、大賢者の娘が住んでいるにしてはあまりに質素なものだった。


「こんな場所に、君は一人で住んでいるのか」


 言外に粗末すぎるとの意を含んだライラの言葉に、マリリンは曖昧に笑う。


「お父様が亡くなって、ここに住み始めてもう半年になりますか……。

 村の方々にこの家を作っていただいたときは、あまり長居する気はなかったのですけど」


「気が変わった、と? 墓を守るうちに離れがたくなったということか」


 説得は難しそうだな、とライラは心の中で考える。

 村長から大賢者の娘が墓を守るような生き方をしていると聞いた時点で、王の元へ連れて行くのは困難そうだと思っていた。

 力尽くで連れて行きたくはないし、さてどうするか、とライラは悩む。

 しかし、悩むライラの前でマリリンは首を振った。


「いいえ、離れがたくなったというより、離れることが出来なくなってしまったのです。

 実は、お父様がアンデッドになってしまいまして……。

 私はお父様が他者に害をなさないよう、ここに留まって封印しているのです」


「アンデッドだと!?」


 信じがたい事を言われ、思わずライラは腰掛けていたイスから立ち上がる。

 マリリンからもらった菓子を物珍しそうに少しずつ頬張っていた小次郎が、驚いたように顔を上げた。


「アンデッドって何?」


 小次郎の問いに、マリリンが答える。


「アンデッドとは、魔物の一種です。

 死んでしまった人が、生前の未練のため死後に何らかの形で活動する存在を言います。

 いくつか例を挙げますと、魂だけが活動するのをゴースト、肉体が存在するものの腐ってしまうのをゾンビ、骨だけで動くのをスケルトンといいます。

 お父様は、肉体が存在し、かつ腐ることのないアンデッド……リッチーになってしまいました」


「じゃあ、大賢者様にも何か未練があるの?」


 小次郎の問いに、マリリンは困ったように頷いた。


「お父様は生前、一度でいいから温泉に浸かりたかったと、いつもおっしゃっていました。

 きっとそれが未練なのでしょう」


「温泉?」


 聞きなれぬ言葉にライラは首を傾げる。

 ライラの国には温泉がひとつもない。そのため、ライラは温泉というものを知らなかった。


「地面から様々な効能のあるお湯が湧き出し、お風呂のように浸かれる場所を温泉というのだそうです。

 活火山の熱により地下水が温められることでそのような現象が起きるのですが……。

 お父様は書物により、温泉のことを知識としては有していたのですが、本物に触れる機会はありませんでした。

 書物にあったような、火山の硫黄の匂いがたちこめる、本物の温泉に浸かりたかったとおっしゃっていました」


 マリリンが詳細に温泉の説明するが、ライラは特に興味が湧かなかった。

 それよりも、いまはアンデッドと化した大賢者のことだ。

 マリリンがこの家にとどまっている理由は、アンデッドとなった父をどうにかするためである。

 ならば、その問題さえ解決できれば、マリリンを王の元へ連れて行くことが出来る。

 

「それで、君はどうしたいんだ?」


 ライラの問いに、マリリンはわずかに考えて言った。


「お父様の未練を晴らして、安らかに眠って欲しかったのです。

 そのために、私はあの泉の精霊に力を貸してもらおうとしていました。

 実は、あの泉には精霊が宿っているとの伝説があります。実際、あの泉には魔物は近づいてこないことから、精霊が宿っているのは確かでしょう。

 泉の精霊に出会い、泉の一部でも温泉に変えてもらうようなことが出来れば、父の未練も晴れるのではないかと」


 けれど、とマリリンは悲しそうに目を伏せる。


「どれだけ探しても、泉の精霊は見つかりませんでした。

 あるいは、女神様が封印されたために精霊にも何か影響が出ているのかもしれません」


「泉の一部を区切って焼いた石などで温める、というのではダメなのか?」


 要するに温かい泉だろうとライラは提案するが、マリリンは首を振った。


「それでは温泉ではなく、ただのお湯でしかありません。

 硫黄の匂いのたちこめる温泉でなければ……」


 力なく声を落とし、マリリンは口を閉ざす。

 しばらくして、マリリンは決意をこめた目をして口を開いた。


「温泉をこの地に造ることは不可能です。そして、お父様を他の場所へ移動させることも出来ません。

 残念ですが、お父様の未練を晴らすことは無理でしょう。

 ――騎士様。お願いです。どうかお父様を……」


 討ってください、と続けるつもりだったのだろう。

 マリリンの目に宿る悲壮な決意を見れば、それは明らかだった。

 アンデッド化したとはいえ、父を討って欲しいと娘が言葉にするのに、どれほどの苦しみがあるだろうか。


 だからこそ、その言葉を遮って発せられた小次郎の声は、天啓のようにその場に響いた。


「造れるよ」


「……え?」


 呆けたように小次郎を見るマリリン。

 そんなマリリンに向かって、小次郎は安心させるような笑みを浮かべて応じる。


「ここで温泉は造れるよ。大賢者様の未練を晴らせるよ。――だから、大丈夫だよ」


 力強く、優しい声。

 その声を聞いたマリリンの目から、ぽろぽろと涙が流れ出した。


 無理もない、とライラは思う。

 十代後半の少女が、父親と死に別れ、そして父親は未練により魔物となった。

 それから半年間、たった一人で父親の未練を晴らすため努力してきた。

 未練を晴らしてやることが不可能だと、そう思い始めたのはいつからだろうか。

 その考えに至ったことを悔いることもあったろう。

 そんな苦悩すらも、たった一人で彼女はここで耐えてきたのだ。


 さしのべられた救いの手に、涙せずいられようか。


「坊や、あなたは……あなた様は……」


 小次郎の手を、マリリンがすがるように両手で握る。

 その問いに、小次郎は笑みを浮かべたまま答えた。


「僕の名前は小次郎。異世界の女神ルティア様から加護を受けて、この世界に来たんだ。

 ルティア様から、女神メルート様を救えって言われたわけじゃないから、僕が予言の勇者かはわからないけど。

 でも、たとえ僕が予言の勇者じゃなくても、お姉さんを救うことは出来る」


「勇者様……! 小次郎様!」


 ぽろぽろと感涙しながら名前を何度も呟くマリリン。

 優しげな笑みを浮かべる小次郎。


 思わずライラもドキリとするくらい、感動的な場面であった。











 ブクブクボコボコブクブクボコボコ。


 間断なく泡がはじける音の中、ライラとマリリンは並んで泉に浮かんでいた。

 ライラは常と変わらぬ様子で、マリリンはどこか恥ずかしげに顔を赤らめて、それぞれ立ち泳ぎしている。

 二人の周囲では、ひっきりなしに泡が浮かんでは消えていた。


「まぁ、わかっていたさ。どうせこういう方法だろうなということは」


 ライラが小さく呟くが、泡のはじける音にまぎれてしまい、隣にいるマリリンにすら聞こえない。


 大量の泡の発生源は、水中にあるライラたちの肛門であった。


 そう、二人はいま、泉の中でひたすら放屁し続けているのである。


 小次郎が示した温泉を造る方法とは、女神の加護を受けたおならを水中で大量に放出することだった。

 そうすることにより、おならの熱さで水の温度が上がり、加護を受けたおならが水に溶け込むことで様々な効能が出る。

 また、硫黄の匂いというのは卵の腐ったような、あるいはおならのような匂いであると表現される。

 おならの匂いを辺りに漂わせることで、硫黄の匂いがたちこめているのと同じ効果が出る。


 泉の中で放屁し続けることにより、泉の水は様々な効能のある湯へと変じ、辺りにはおならの匂いがたちこめる。

 すなわち、マリリンの言った温泉の完成だ。


 ライラ達はすでに数時間、水中でおならを出しぱなしにしている。

 徐々に水温も上がってきており、この様子なら日没までには風呂として十分な温度になるだろう。

 アンデッドは太陽の光を嫌うため、時間的にもちょうど良い。


「三時間以上放屁し続けているのに、まったく止まる気配がない……。

 なんて素晴らしい奇跡なのでしょう! さすがは小次郎様です」


 熱に浮かされたように、マリリンが小次郎を褒めたたえる。

 小次郎から温泉の計画を聞いた時、ライラはマリリンの感動が冷めて、今度は失望で泣き出すんじゃないかと心配した。

 しかし、どうもマリリンは心の底から感動していたらしく、小次郎の計画を聞いても喜ぶだけだった。

 それどころか、小次郎にカンチョーされるときなにやら嬉しそうな顔までしていた。


 実は洗脳されてるんじゃなかろうか。


 自分は大丈夫だろうかと心配になってくるライラ。

 洗脳はされていなくても羞恥心は削られていることに、当然ながら自分では気づけない。


「あっ! 小次郎様が手を振っていますよ! ライラさんも一緒に振り返しましょう!

 小次郎様ー! 小次郎様ー!!」


 岸辺で手を振る小次郎に気づき、マリリンが嬉しそうに手を振り返す。

 飼い主に尻尾を振る飼い犬のようだな、とぼんやり考えながら、ライラも手を振り返した。







 それからさらに数時間放屁し続け、ついに泉は温泉へと変化を遂げた。

 水面からホカホカと湯気が立ち、手を浸ければ実によい湯加減である。

 辺りには硫黄の匂いが漂い、なにやら情緒があるように思える。

 この温泉に浸かりながら月夜を見上げれば、大いに風情を感じられるだろう。


 硫黄でなくおならが漂っている、ということさえ知らなければだが。


「この温泉ならば、お父様の未練も晴れるでしょう。

 小次郎様、ライラさん、本当にありがとうございました」


 小次郎たちに頭を下げ、マリリンは温泉を見やった。

 すでに父は温泉に浸かっている。この温泉ならば父の未練も晴れるだろう。


 おそらく、今夜が父との今生の別れとなる。


 もちろん、父とはすでに死に別れている。今の父は、アンデッドと化した魔物でしかない。

 しかし、リッチーは生前の姿で活動する魔物だ。初めてリッチーとなった父と遭遇したとき、恐怖の中にどこか懐かしいという感情もあった。

 それからたった一人で、父の未練を晴らすためこの家に住み続けた。

 孤独の中で、リッチーではあっても、生前と変わらない父の姿は心の慰めになっていた。


 それももう、今夜でおしまいだ。


 湯浴み着を身に纏い、父の隣で湯に浸かる。

 父はマリリンに視線を向けることなく、ゆったりとした様子で月を眺めていた。

 リッチーとなって以来、会話が成立したことなどない。それでも、マリリンは声をかけずにはいられなかった。


「お父様、温泉はいかがですか?」


 答えは返ってこない。ただ、父の表情をみれば、温泉に満足していることがわかる。


「気持ちいいですね、お父様」


 父と共に月を見上げる。

 月は青白く、どこか寂しげに輝いている。


「未練は晴れましたか、お父様」


 隣で湯に浸かる父の気配が、徐々に薄れてゆく。

 未練が消え、リッチーとしての存在が消滅し始めているのだ。


「さようなら、お父様」


 別れの言葉を口にすると、耐え切れず涙がこぼれた。


「温泉に涙は似合わんよ、マリリン」


 懐かしい父の声に、驚いて顔を上げる。

 しっかりとマリリンを視線を合わせ、父は生前と同じように笑っていた。


「お父様!」


 マリリンが声を上げ、思わず手を伸ばす。

 ぱしゃり、と水がはねる音だけがして、結局マリリンの手は父に届かなかった。


 最初から誰もいなかったように、父の姿は消えていた。


 父が最後に温泉や月でなく、自分を見てくれていたことが、マリリンはなんだかとても嬉しかった。


いつもの話と毛色が違いすぎてすみません。カレーを頼んでチャーハンが出てきたみたいな。

プロットでは普通のギャグだったはずなんですが。

次話からはいつもの調子に戻ります。

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