5 浩一+異世界
「それじゃ、そろそろ次の話に入りますか」
裕也が姿勢を変えて、改めてセリアに向き直った。
「次は、何の話をするのかな?」
「セリアが、武野を知っているという話です」
ここから本題に入るみたいだ。そのことが私の一番知りたいことだし、裕也にとってもそうだと思う。
「タケには五、六年前に会ったと言ったそうですが、その時期のタケは事故で意識不明になって入院しているんすよ。どうやって会えるんすか?」
別に知り合いというだけならばそこまで疑う必要はないのだけど、会ったという時期が問題だった。
セリアが会ったという時期、浩一は入院していた。それも一年近く意識がなく、病院のベッドの上で寝ているだけだった。そんな状況で会ったと言われても信じられない。
「それを聞いた時は私も驚いたけれど、考えてみると納得できる話だったのよね」
セリアは、裕也の言葉を聞いて頷き、当然のことのように返した。
「私が浩一と会ったのは私の世界でのことで、それも浩一は実体を持った意識体の姿だったから」
「え?」
セリアが浩一と会ったのはセリアの世界、つまり、この世界ではない。さらにその時の浩一は実体を持った意識体だった。精霊と同じ状態だったということになるかな。
「最初に会った時はびっくりしたわよ。見た目は完全に人なのに精霊と似た状態だったし、内に秘めている魔力量も普通の人や精霊とは比べられないほど多いし、何者かと思ったもの」
「ちょっと待ってください」
裕也が驚いたように手を前に出して割り込んだ。
「それじゃ、タケはセリアの世界に行ったってこと?」
「う〜ん、行ったというよりは、迷い込んだって感じかな」
セリアは、腕を組んで考えながら慎重に言葉を選ぶ。
「この世界には異世界に渡る方法はないって聞いたし、そもそも異世界の存在自体信じてないでしょ。私の世界でも浩一が来るまで、異世界の存在は疑問視されていたしね」
「一体、どうして?」
「う〜ん、そこのところは想像でしかないけど、たぶんこの世界で浩一が遭った事故と私の世界で起こった魔力の衝突が関係しているんじゃないかと思うの。それによって浩一は意識不明になって、その意識は私の世界に渡った、とか」
セリアは納得しているようだけれど、私は納得できなかった。そもそも話の内容が信じられなかった。精霊だの異世界だの今までの常識では考えられない話が飛び出してくる。
裕也も黙って考え込んでいる。
黙っていても話が進むわけではない。
「セリアの世界で起こった魔力の衝突というのは何のことですか?」
浩一が遭った事故がどんなものかは知っているけれど、セリアの世界のことは知らない。
「それは後で知ったことだったんだけど、浩一が世界を渡った時と同じ頃に勇者と覇王が戦って同士討ちになったんだって。その激突の時の魔力が、かなりすごかったらしいの。だから、その時のエネルギーが浩一を呼び寄せたんじゃないかっていうのが、私の世界の定説になっている」
またわからない単語が出てきた。
「勇者と覇王が戦ったというのは?」
「うん……」
セリアは一瞬、目を伏せた。
聞かないほうがいい内容なのかもしれない。でも、聞かなければ何もわからない。
「その頃の私の世界は、戦争中だったの」
戦争。重い言葉が飛び出した。一瞬目を伏せたのは、その戦争と無関係ではないと思う。
「勇者と覇王というのは、それぞれの勢力の中で最強の力を持つ者の別名。戦争の後半は、ほとんどその二人の対決が勝敗の鍵を握っていたそうだよ」
「どこでも戦争はあるんですね」
「衝突があるのは仕方ないよ。それをできる限り回避するしかない。未だに戦争の傷は消えてないけど、浩一のおかげで何とかなっているし」
うまく収まったのなら、今はそれで良かったのだろう。後は立ち直っていくだけだ。
「……ちょっといいですか?」
今まで沈黙していた浩一が口を開いた。
浩一の話をしているのだから別に口を挟むのは構わない。むしろ今まで口を挟まなかったほうが不思議だ。おそらくは、ほとんどの話を受け入れてしまっているからだろうけど。
「さっきの口ぶりだと僕がセリアの世界で何かしたみたいですが、僕は一体何をしたんですか?」
確かにそれは聞いておいたほうが良さそうな内容だ。
「いろいろやったことはあるけど、一言で言うと戦争を終わらせた」
「僕が?」
「そう、浩一が。向こうでは十年大戦を終わらせた英雄って言われているよ。九年以上続いていた戦争を一年足らずで終結させたから。浩一がいなかったら、未だに戦争は終わっていなかったって言う人もいるし、世界中で浩一は英雄扱いされているよ」
それに対して私は、たまらずに口を挟んだ。
「それはないでしょう」
それはさすがにありえない。疑問を持つ余地もなく否定する。だって、浩一が意識を失っていたのは、九歳の頃だ。そんな子供が、戦争を終わらせたなんて言われても信じられるわけがない。
セリアは、首を振って私の考えを否定する。
「普通だったら無理でしょう。けれど、浩一は普通とは違ったからそれが可能だったの」
「それは、実体を持った意識体だったから?」
その問いにセリアは首を横に振った。
「それも要因ではあるだろうけど、明確な理由はちゃんとある。それは、浩一が勇者と覇王の力を受け継いでいたからなの」
「えっと、よくわからないんですけど」
勇者と覇王については、先ほど少しだけ聞いた。けれど、その二人は同士討ちしたのではなかっただろうか?
セリアは「ちょっと長くなるけど」と断ってから説明を始めた。
「勇者の力と覇王の力は、個人が身につけた能力とは違います。それぞれ外から与えられる力で、正式には勇者の力は光の加護、覇王の力は闇の加護と呼ばれているものです。そして、その力を与える存在を光の意志、闇の意志と呼んでいました。それが戦争の中で活躍して、次第に光の意志に認められた者が勇者と呼ばれるようになり、闇の意志に認められた者が覇王と呼ばれるようになりました。浩一は、光の意志と闇の意志、その両方から認められて、光と闇の二つの加護を一度に持つことになったわけです」
ここでセリアは、それぞれ別のお茶菓子を二つ取り、テーブルに並べた。
「ここでちょっと十年大戦の話をしておくわね。こっちが覇王のいる精霊たちの勢力」
お茶菓子を一つ、湯飲みの右側へ置いた。
「そしてこっちが勇者のいる人と精霊の混成勢力」
もう一つ、別のお茶菓子を湯飲みの左側へ。
「十年大戦というのは精霊と人の戦争だったんですか?」
「正確には少し違って、最初は精霊同士の争いでした。そこに人が加わり、それから光の意志と闇の意志が加わって、時がたつ毎にだんだんと勇者と覇王の戦いになっていきました」
さらにお茶菓子を二つ取り、右と左に一つずつ加える。それぞれ勇者と覇王を表しているのだろう。
「しばらくは、勇者と覇王が交互に倒される形で戦いは進みました。代が変わるごとに加護の力は強くなる性質がありましたから、それはとても自然な流れでした。その流れが変わったのが、勇者と覇王が共に倒れてしまったことです」
左右に置いてあったお茶菓子からそれぞれ一つずつセリアの手の上に移った。
「今までならば、新たに勇者や覇王が選ばれて戦いが繰り返されることになりますが、その時に選ばれたのは一人でした」
手にあったお茶菓子を並べて湯飲みの手前に置いた。
「それが浩一。両勢力は、互いに浩一に協力を頼みました。けれど浩一は、その協力を両方とも断って戦争をやめるように言い出しました。長年戦い続けていた両者はこれに耳を貸すことはなく、浩一とも敵対するようになりました。それで第三勢力が誕生します」
テーブルの上に湯飲みを中心に、お茶菓子で頂点を表した三角形が作られた。
「それからいろいろあって、最終的に浩一の提案を精霊たちの勢力と人と精霊の混成勢力が呑む形で戦争は終結。浩一は一躍時の人となりましたとさ。おしまい」
セリアは、最後にちょっとおどけて見せて説明を終わらせた。
「そんなことが本当にできたんすか?」
今まで黙っていた裕也が腕を組んだままで聞いた。
「できたんだよ、本当に。浩一が持つ頃の加護の力は、異常というぐらい強力なものになっていて、うまく使えば戦局は簡単にひっくり返るし、本気で使えば地形も変わっちゃうし、扱いの難しい力になっていたの。その両方を持ったから、相手をする側としては相当脅威だったでしょうね」
セリアは、そこでため息をついた。
「だから、浩一の力を借りれば簡単に仕事が終わると思ったんだけど、記憶喪失じゃ加護の使い方も忘れているよね?」
セリアが、浩一に顔を向けた。皆の視線が、自然と浩一に集まる。
「……そうですね」
集まる視線に浩一は、ポツリとただ事実を当たり前のように答えた。
「だぁー!」
突然裕也が、声を上げながら片手で乱暴に頭をかいた。
「ぜんぜんわかんねぇー。こっちの常識とそっちの常識があまりに違いすぎる。理解しようとしてた前提が、そもそも間違ってた気がするぞ」
言われてみればそうかもしれない。真剣に聞き入っていたけれど、話の内容は突拍子もないことで現実味が全くなかった。
「そう言えば、浩一に最初に説明した時も信じてもらえなかったな。精霊とか魔法とか魔獣とか言われてもわからないって。まるでゲームの世界だ、とも言っていたかな」
また突拍子もない話が飛び出しました。精霊は少し聞いたことだけれど、魔法と魔獣のことは聞いてない。
「ゲームの世界っすか。そういうことで聞けば、それなりに納得はできそうっすね」
裕也の表情はさっぱりしている。悩むのをやめたみたいだ。
「あれ、万事解決しちゃったの?」
セリアが首を傾げる。
「そういう訳じゃないっすけど、とりあえずは。それでタケの身につけた力は、こっちの世界でも使えるんすか?」
「たぶん使えると思うよ。魔法も使えたしね」
「いつの間に使ったんすか?」
「この世界に着いた時と、さっきだよ」
「さっき?」
「ほら、キュピが水晶像を出した時。あれ、魔法だよ」
確かに不思議な現象ではあったけれど、魔法だとは思わなかった。言われてみれば納得だけど、言われてみないと気づけないものかもしれない。でも、ちょっと心配事もある。
「そんなに簡単に使っていいものなんですか?」
どういう仕組みなのかは知らないけど、違う世界で使って何か影響はないのだろうか?
「大丈夫じゃないかな。私が使った魔力も自分のだし、キュピが一度に使った魔力もそれほどでもないし、仮に大量に使うことがあっても自分か空気中の魔力しか使えないから、集めるのが大変で時間がかかるし、そんなに影響が出るほど使うつもりはないよ」
「魔力がなくなることはあるんですか?」
「あるよ。たくさんの魔法を使ったり、一度に大量に消費したりするとね。でも、なくなっても魔法が使えなくなるぐらいの影響しかないし、自分の魔力を使いきっても大丈夫」
セリアは、ブイサインを作って答えた。心配する必要がないことを知ってほっとした。
「魔法ってそんなに簡単に使えるものなんすか?」
さらに裕也からの質問が飛ぶ。
「私の世界では学べば誰でも使えるけど、この世界だと難しいかな。魔力を集めるのが大変だし、魔法式もあらかじめ準備しておかないといけないだろうし、使いづらいと思う」
「加護の力も似たようなものなんすか?」
「魔力が必要なのは同じだね。私の世界は魔力が中心になっているから魔力なしでは何もできないの。加護の場合は式が必要ないから魔力さえ集められれば使えると思うよ」
「魔法と加護は、何ができるんすか?」
「魔法の場合は、構築した魔法式の構成でどんな魔法になるか決まって、集めた魔力の性質で効果に差が出てくる。魔力と式をうまく組み合わせれば、何でもできるよ。火を起こすのも、空を飛ぶのも、水を集めるのも簡単にできる。人によって得意不得意があるから、完全に万能というわけじゃないけどね」
セリアは浩一に視線を向けて、「加護のほうは聞いた話だけど」と前置きした。
「加護は、どんな力にするか一人一つだけ作るみたい。その作った力を次へ伝えていく。代を重ねるごとに種類が増えていくけど、一度作ってしまった力は変えられないから魔法のような便利さはない。浩一は、先代の勇者や覇王がみんな戦うための力しか作らなかったから面白い力はないって言っていたよ」
「面白いって……」
そんなことが言える状況だったのかとあきれると同時に、昔の浩一ならば言いそうなことだと思った。
記憶を失う前と現在の浩一は、違うところが多い。現在は自分から行動することのない、消極的な、やる気のない雰囲気が漂っている。しかし、記憶を失う前は、もっと積極的に行動する子供だった。おとなしくなったと表現することもできるけど、あまりにも突然の変化だったので当初はかなり違和感があった。
そんな中で一番の違いは、口癖が変わったことだ。今は「つまらない」が口癖だけど、昔は「面白い」が口癖だった。全く逆の意味の言葉に変わってしまった。浩一本人に思うところはないのだろうけど、私には変わってしまったことを突きつけられたように感じる部分だ。
「そういや、協力して欲しいってことでしたけど、浩一に何をさせようとしてたんすか?」
「頼みたかったのは、対象の居場所を割り出すこと。浩一の加護の中にレーダーみたいなものがあるから、それを使えばすぐに見つけられると思ったのよ」
「対象っていうのは、追ってきた精霊のことっすね?」
「うん、そう。だけど、魔法かスキルで隠れちゃってて、正確な場所がわからないの。魔法だったら使った形跡が残るはずだからスキルだと思うんだけどね」
セリアは、お茶菓子を手に取り、包装を破って口に運んだ。
「探さないでいいんすか?」
「探しているよ。キュピのスキルでこの辺り一帯の変化はわかるし、この世界に着いた時に対象の魔力の残滓は確認したし、この辺にいるのは間違いないから」
セリアの視線は、テレビに向いている。すっかりくつろいでしまっている。
「何でその精霊を探しているんですか?」
「私のところに来た仕事はね、迷惑行為を繰り返している精霊を捕まえて欲しいというものだったの。一つ一つは大したことなかったんだけど、その数と範囲がすごくてね、六カ国にわたってやっていたの。それを罰するために捕まえて欲しいんだって」
「その迷惑行為っていうのは?」
聞かれたセリアは、テレビを指差した。
「あれだよ」
テレビの画面は、報道番組を映している。その番組の中で、地域で有名な地蔵が別の石像と入れ替えられてしまったという内容のニュースが流れていた。
「あんな感じで、いろんな物の場所を入れ替えているの。看板とかゴミとかが、お店の商品とか家の中の家具とかと入れ替えられちゃっているの。初めは泥棒かと思われていたんだけど、調べていくとどうも違うみたいで、いろんな場所で同じことが起こっていたんだって。それで、同じ精霊の仕業というところまでは突き止めたんだよ」
「あれって、学校の近くだよな」
裕也が、確認するように私に視線を向けた。
「うん」
私は、素直に頷いた。
道乃森高校は神社に挟まれている関係からか、周囲に地蔵や御堂が多い。画面に映し出されているのは、その中でも表通りに面しているせいか、ちゃんと整備されている地蔵のある場所だった。それ以外に、裏路地の狭い場所でひっそりとしている地蔵もかなりの数がある。
「ちなみにね、あの石像、私の世界の物だから」
セリアは、テレビ画面に視線を向けたままで言った。
「彫刻とかが盛んな所があってね、その町の門柱のてっぺんに立てられていた石像が、確かあんな感じだった」
「どういうことですか?」
「同じ世界の物だけじゃなくて、空間の異なる世界の物も入れ替えられるっていうことだよ。被害に遭った物の中にもどこの物なのかわからない物があったし、最近はその傾向が強くなっているみたい」
今はまだ小さい事柄みたいだけど、このまま続くと大事になるかもしれない。知らないうちに自分の持ち物が入れ替わっていれば、混乱する。そして、疑いを持つ。不思議や悪戯では済ませられない事態に発展するかもしれない。
「さっさと解決しちゃったほうがいいんだけど、なかなか見つけられなくて。異世界に渡ったことがわかって追ってきたけど、正直なところ時間かかりそうなのよね」
セリアの肩が、心なしか下がる。
そこで、浩一が背中をソファから離し、体を前のめりにして裕也に顔を向けた。
「なあ、裕也、手伝う気はないか?」
「いきなりどうした?」
裕也は、とりあえずといった様子で返した。その顔には笑みが浮かんでいる。
「このまま放っておく気にならないだけだ。裕也だったらうまく情報を集められるんじゃないか?」
浩一の提案に裕也は、少し考えるそぶりを見せた。
「まあ、できなくはないだろうな。精霊が直接関係してるのは無理でも、傾向が分かれば関係のありそうな情報なら集められるだろ」
「その方向で頼む。それと、光、セリアを泊めてやれないか?」
浩一の視線の先が、裕也から私に変わった。
「え?」
「無理なら、僕のうちに泊めるつもりだけど」
一瞬、判断に迷ったけど、受けるのと断るのとどちらが自分にとってマイナスなのかはすぐに判断できた。でも、答える前に浩一の考えを聞いておかなければならない。
「浩一は、手伝うつもりなの?」
「直接手伝うつもりはないけど、そのつもりだよ」
「どうして?」
「実際問題として、この一般常識を何も知らない人を外に放り出すのは間違いだと思う」
「ええ〜、それは酷いんじゃないの」
セリアが抗議の声を上げているが、浩一の言い分には同意できた。セリアはこの世界のことを知らな過ぎる。この世界のお金を持っているかも怪しい。そのことを意識してしまっては、このまま外に出すわけにはいかない。
「わかった。セリアのことは任せて」
「頼む」
「なぜか、本人の意志を無視して話が進んでおりますが、みんなはそれでいいの?」
セリアが、首を傾げてみんなの表情をうかがった。
私に断る意志はない。断ったとしても浩一が協力する気になっていてはあまり意味がないだろう。結局は、かかわることになる。
裕也は裕也で、やる気があるようだし、誰からも反対意見は出なかった。
「そっか。それじゃ、お言葉に甘えて、お世話になります」
セリアは、姿勢を正してから深々と頭を下げた。