4・仕事
「周、その大股は止めろ。折角女に見えるんだから、もう少し気をつけろ」
「やっているつもりですが、難しいものですね」
並んで歩きながら、昇にそう耳打ちされ、アリアは頭をかきながら苦笑した。
「まあ仕方がないか。にわかに化けた割には上出来だ」
「でしょう? 学生時代は演劇部にいたんですよ。さすがに女役はしたことがないですが」
「見てくれは女役もできそうだが、ま、やらなくて正解だったな。動いたらオカマだ」
「やっぱり?」
女性の姿でも女に見えないことに、アリアはうまく『女装している男』をこなせて喜ぶべきか複雑な心境になり、開き直ったようにからからと笑った。
「おい、もうちょっとおしとやかに笑え」
「東さん、勘弁してください」
「しっ、旦那が鼻の下を伸ばして出て来たぞ」
ターゲットである恰幅の良い年配の男が、会社から出てきたのを目で追いながら昇はそう言うと、とたんに鋭い顔つきを見せた。
仕事中ではこんな真面目な顔をするのかとアリアは意外に思った。
普段、アリアのマンションに顔を出す時はちゃらんぽらんで下っ端のチンピラのような昇だが、一度仕事になると変わるものだなとアリアは感心しながら昇を見た。
「おい、何をぼおっと突っ立っている。相手に付かず離れず歩くこと。いいな?」
「はい!」
昇の厳しい口調に、アリアは思わず威勢の良い返事をしてしまった。
「しっ」
「すいません」
「いいか、本当は複数でマークしないとうまくいかないんだが、何せ人手不足で、俺達だけだ。ここでこちらの存在に気付かれたらそれでおしまいだ。慎重に行動しろ」
昇は前を向いて歩きながら真剣な顔でそう注意したが、昇の口から『慎重に』などと言う一番似つかわしくない言葉が飛び出し、アリアは吹き出しそうになった。
「何がおかしい?」
「いえ、別に」
アリアは笑いを堪えようとするほど尚更涙が出てきてしまい、慌ててハンドバックからハンカチを出して目頭を押さえた。
「おい、なにをしている」
「いえ、すいません」
「あいつ、小料理屋に入るのか。経費が高くつくな」
昇は舌打ちし、男に続いて店へ入った。
いらっしゃいませと、にこやかに迎えた着物姿の店員に、昇はひそひそと何かを伝えると、店員はアリアの方をちらりと見て意味ありげに微笑み、奥の座敷へと案内してくれた。
「あの、東さんは何て言ったんですか?」
「あれか。人目につきたくないので、奥の個室が良いと言ったのさ。ちょっと周の方を目配せしてからな」
昇は声を潜めて言った。
「なるほど」
「多分、隣か直ぐ側にあの旦那も通されているはずだ」
その時、「佐藤様、お連れ様がいらっしゃいました」と言う声が微かに漏れ聞こえてきた。
「ビンゴだな」
アリア達の方には、燗をしたお銚子とお通しが運ばれてきた。昇はつまみを二、三品適当に見繕って、いっぺんに持って来るようにと店員に伝えた後、早速仕事に取り掛かり始めた。
「部屋を一つはさんでいるな。さすがに声は聞こえないか。仕方がない、あれをやるか」
昇は小型ワイヤレスマイクをジャケットから取り出し、感度を確認してから、背広を脱いでネクタイを緩め、わざと髪をくしゃくしゃにして頬に薄っすらと頬紅で赤みをつけて、アリアにウインクして部屋を出て行き、大胆にもそのまま一つ向こうの襖を開けて入っていった。
何を考えているのか、姿を見られたらまずいのではないか。
一体どうする気だろうかと、アリアははらはらしながら隣の部屋に聞き耳を立てていた。
「いやーお二人さん、間違えて悪かった」
昇の上機嫌な声が聞こえ、どかどかと直ぐに部屋へ戻ってきた。
「うまくいったぜ」
昇は悪戯っ子のように瞳を輝かせてアリアの横に座った。イヤホンをつけて、大丈夫だと大きく頷き、アリアにもそれを聞かせてくれた。イヤホンからはっきりと男女の会話が聞こえてきた。
「ようし、これで逃がさないぞ。後は二人の写真だけだな。ほら今のうちに食っておけ」
アリアはどんなことをしてきたのかと訊きたくて仕方なかったが、昇にせかされて取りあえず運ばれてきたホッケの開きをやっつけた。
「おい、もう出るみたいだぞ。料理がもったいない、急いで食え」
そう言いながら、昇もトロをほおばっている。
隣が部屋を出てから、一呼吸おいてアリア達も支払いを済ませ、店を出たが二人の姿はもうない。
「歩いてホテルへ向かっているようだ。くそっ、どっちへ向かった?」
「東さん、こっちです」
アリアは角を曲がったところで手招きをすると、昇は慌てて走り寄り「馬鹿、大声を出すな」と、こつんとアリアの頭を小突いた。
「すいません、つい」
「まあいい、見失わずに済んだ」
どうにか気付かれずに尾行でき、ターゲットは繁華街のはずれにあるラブホテルへ入った。周りには店らしいものはなく、アリア達は出入り口付近が見える雪深い歩道にそのまま立っているほかなかった。
「あーあ、二時間、いや三時間コースかな。寒いから、覚悟しろよ。ほら、カイロを入れておけ」
「ありがとう。凄いな、色々な物が入っているんですね」
「当たり前だ、それにカイロは必需品だ。この寒空の下じゃ、冗談じゃなく凍傷になる。今夜は氷点下五度だからまだ暖かいほうだが」
以前、一緒に旭川へ来た時には雪道をまともに歩けなかったのにと思うと、知ったかぶりをしている昇が滑稽で、アリアはまた笑いがこみ上げてきた。
「どうも気に食わないな、何をにやついている?」
「いえ、なんでもないです」
両手を口にあてがい、暖めるような仕草をしてアリアは表情を隠した。
「東さんは旭川の人ですか?」
「いいや、今回の調査対象者が旭川へ出張の度に浮気相手と会っているってことで来ただけさ。住まいは東京だ」
「そうですか、わざわざ。こちらの調査員に頼めば済むことでは?」
「自分がかかわった件は最後までやらないと気がすまない」
「意外ときっちりしているんですね」
「引っかかる言い方だな、会ってまだ一日もたっていないのに、俺の性格が分かるのか?」
「いえ、所長が……」
「所長め、余計なことを吹き込みやがって」
昇はそう言って舌打ちした。
「ところで、『東さん』はよしてくれないか。双子の兄がいて苗字で呼ばれることに慣れていないんだ。昇でいい」
「わかりました」
十分もじっと立っていると、じわじわと体の芯まで冷えてきた。二十一時を過ぎ、今夜は雪も降らず、冷え込みも厳しくなってきたようだった。
アリアはコートのポケットに入れたカイロを握り締めたが、寒さでじっとしていられず、その場で足踏みをした。
「ちょっと待っていろ」
昇はそう言い捨てて、何か思いついたのか、走って行ってしまった。十数分後、昇は車を調達してきた。
「どうしたんですか、この車」
「ちょっとそこで借りてきた」
近くにある車の運転代行業者から、無理を言って幾らか支払い、借りてきたのだという。昇のそういう強引さには感心する。
相手をうんと言わせてしまう会話術、これも一種の特技だろうかと、アリアは車に乗り込みながら、素直に感心した。
「ホットココアだ、あったまるぞ」
「気を使ってもらってすいません。でも、どうして僕にはココアなんですか?」
昇はブラック珈琲を手にしていたが、アリアにそう聞かれると、答えに困ったようにうーんと唸り「お子様だから」と言ったので、アリアはドキッとした。
それはいつも、アリアに向かって言う昇の口癖だった。
「あれ? 誰かにもこんなことを言った気がする」
「きっと、誰にでもそう言っているんでしょう?」
昇はそうかなと呟き、缶珈琲を一気に飲みほして、暫し沈黙していたが、
「将来探偵になりたいのか?」
と、唐突に質問してきた。
「いえ、そういうわけではないですが」
「こんな所でバイトをしていたら、将来を棒に振るぞ」
「それはあなたの体験からですか」
「きついことを言う。まあ、その通りなんだが。なんとなく学生時代からバイトしていてそのままいついてしまったようなものだからな」
たわいもない話しをして二時間が過ぎ、アリアはいつの間にか眠ってしまったのだった。昇に揺り動かされてアリアが目を覚ました時には、辺りはまだ薄暗かったが時計は午前七時をまわっていた。
「お泊りコースだったようだ、お陰で少し明るくなって絶好のシャッターチャンスだ」
「すいません、僕眠ってしまって」
「この次からは、しっかり起きていてもらうぞ」
昇はそう言って、アリアに優しく笑いかけた。
昇はサボり癖のある問題調査員だから、所長も手を焼いていると言って、十無がよくため息をついていた。
しかし、実際は違った。
仕事中の思い切った行動や、相方への気配りを目の当たりにし、今まで知らなかった昇の別の面に触れて、アリアは今まで大きな誤解をしていたと感じたのだった。
それに、昇は仕事を楽しんでいるようで、瞳が生き生きとしているのだ。
「おっ、二人が出てきたぞ。周、俺に抱きつけ!」
言っている意味が分からず、ぼやっとしていると、昇に肩を掴まれてアリアはそのまま強引に昇の胸に押し付けられた。
車のフロントの物陰に置いたカメラのシャッター音が車内に響く。昇はリモコンで操作して、両腕はアリアをしっかりと抱き締め、髪を撫ぜている。
カシャカシャとシャッター音が連続して聞こえる中で、アリアは昇に抱き締められて、何故かどきどきしていた。