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31・悪戯心と本心と

 その日の夜、寝入りばなに東十無の携帯電話が鳴った。

「見合い相手に振られたんだって? 残念だったね。もしかして、職場で肩身が狭い?」

 同情するようなアリアの言葉に、十無は平静を装って声のトーンを変えずに「別に」と答えた。

だが内心では、舌打ちをして、柚子め早速アリアに話したなと、文句を吐いていた。

 実際、アリアの言った通りだった。上司に報告すると直ぐ、噂が瞬く間に署内に広まった。

是非にといわれていった見合いのはずなのに、先方から断られたということは、やっぱり女とはうまくいかないのだという、尾ひれがついた噂。

 十無の耳には直接届くことはなかったが、やはり空気で感じ取られる、同情と好奇の目。それで今日一日、署内にいづらくて、十無は何かと理由をつけて出歩いて過ごしたのだ。

「……私にまで、強がらなくてもいいのに」

「泥棒に心配してもらうことでもない」

「ま、そうだね。じゃ、また」

 一言、嫌味でも返ってくるかと思いきや、いやに素直に電話が終わったので、十無は少し拍子抜けした。何か用があったんじゃないかとも思ったが、仕事の疲れが残っていて、あまり深く考えるのも面倒になり、缶ビールを飲んで眠ったのだった。

  

 翌日、午前十一時過ぎ、署内で書類作成をしていた東十無のところへ、とんでもない来客があった。

 同僚達が興味津々に注目している中、十無は刑事課の扉付近に立っている、全く見覚えのないその若い女性の前で困惑していた。

「あの、誰かと間違えていませんか。俺の双子の弟とか」

「十無、酷い。職場まで来たのは悪かったわ。でも、そんな言い方しなくても」

 栗色のセミロングヘアを揺らしながら、眉を寄せて首を傾げたその美しい女性は、上目使いに十無を見つめている。

 十無の背後から感じ取れる視線。十無は刑事課の同僚達が、注意深く聞き耳を立て、全神経を二人に向けているような気がした。

 これはどういうことだ。

 さっぱりわけがわからなかったが、十無はこれ以上、噂話の中心人物になりたくないと思い、彼女を促して部屋を出ようとした。

「私、別にお弁当を届けに来ただけだから……」

 その声は、刑事課全体に響いた。

「東、色男だねぇ」などと言う、年配刑事の冷やかしの声が聞こえた。

十無は余計なことを言うなと苛つきながら、その女性を部屋の外へ押しやって廊下へ出た。

「俺は君とは面識がない。これは何の真似だ」

「まだわからないの?」

 彼女は目を細めて、含み笑いをしてから、急に声色が低くなって聞き覚えのある声で「十無」と名を呼んだ。

「へ?」

 十無は思わず、気が抜けたような声になった。

 聞き慣れた小憎らしいアルトの声。この声の主に、毎日振り回されているのだ。

まったく、小悪魔の、アリアめ!

「お前なぁ」

 十無は急に言葉が柔らかくなり、親しい口調に変わった。怒った顔を作ろうとしたが、アリアだとわかると、嬉しくて顔が緩んでしまい、どうしてもにやけてしまった。

それを取り繕うように、十無は右拳を握ってアリアの頭をこつんと小突いた。

「ふふ、わからなかった? どうかなこれ、十無の好みの女性?」

 アリアはエンジ色のロングコートの下に着た、膝下までの桃色のニットワンピースの裾を少し持ち上げておどけて見せた。

柔らかい雰囲気、大学に通うお嬢さんという感じのアリアを、十無は可愛いと思った。

「何しに来た?」

 そんな感情をひた隠し、十無は勤めて難しい顔をした。

「だ、か、ら、お弁当」

 桜色の頬に笑みを浮かべたアリアから、十無の目の前に、ピンクの花柄のハンカチに包まれたお弁当が突き出された。

「お弁当?」

 十無は腕組をして、その弁当をじっと睨んだ。

 アリアに頼んだ覚えはないし、誰かにアリアが頼まれて持ってきたということもあり得ない。とすると。

「いいから、これ、食べて」

 押し付けられるように、十無は弁当を渡された。

「これ、お前が作った?」

「まさか!」

 アリアは十無の耳の側に顔を寄せて、「柚子が作ったの」と声を潜めて言った。

そして、周囲に目配せして誰も見ていないことを確かめてからこう言ったのだ。

「これで、十無も彼女がいるということになるでしょ」

 成る程。若い女性が手作りお弁当を持って、いそいそと職場に顔を出す。

確かに、それで彼女がいると印象付けることができるわけだ。

だが、泥棒に、アリアにそこまで心配されていたのか。それって、少し自惚れてもいいのだろうか。アリアはもしかして自分のことを……。

 十無はそんなことを考えながら、じっとアリアを見つめていたが、胸元に光るネックレスを見つけて目を疑った。

 先に丸いボール状のトップがついた、シンプルなプラチナネックレス。それは見覚えのあるものだった。閉店間際のデパートで、十無がアリアに贈ろうと、思わず衝動買いをした物とそっくり同じなのだ。

 坂本君に渡したはずだ。同じものは売っているが、偶然にしてはでき過ぎている。

「すいません、五分程で戻りますから」

 十無は刑事部屋にある自分の机に弁当を置きながら、そう断りを入れ、「おう、ゆっくりしてきていいぞ」と言う冷やかしの声を後に、アリアを別の場所へと引っ張って行った。

といっても、何処も人がいないところはなく、結局、自分の車を停めている屋内駐車場へ落ち着くしかなかった。

「おい、そのネックレス」

 車と車の間で立ち止まって、十無はどきどきしながら早速切り出した。

「ああ、これ? Dが誰かから貰ったらしくて、自分の好みじゃないからって、くれたんだけれど。これがどうかした?」

 ということは、坂本君がDに渡したということか。

「坂本周っていう奴を、知らないか?」

「誰? それ」

「いや……」

坂本周はアリアではないのか。でも、違ったら。男に告白されたなんて絶対言えない。言いたくない。きっとアリアに一笑に付されて終わる。でも……。

十無は喉元まで出かかった言葉を、心の引き出しに再び仕舞い込んだ。

アリアは思案顔の十無に向かって静かに微笑んでいた。

薄暗がりの排気ガスの臭いがする駐車場で、屈託なく微笑むアリアの笑顔が眩しい。自分だけに向けられた笑顔。ずっと独り占めできたらどんなに嬉しいことか。

十無の胸の奥が熱くなった。

女子大生にしか見えないアリアを目の前にして、十無は無性にアリアを抱き締めたくなった。

だめだ、アリアが可愛い。

「俺、」

手を伸ばせば届く位置に立っているアリア。十無はアリアの肩に手をかけて衝動的に抱き寄せてしまった。

「十無、あの、ちょっと」

困惑顔のアリアの顎を手で引き、十無はそのままキスをしようとした。

と、唇が触れそうなほど近づいたその時、手のひら大の、なにやら丸くて柔らかい透明な物体が、アリアのワンピースの中から、足元にすとんと落ちた。

「もう、そんなにぎゅってするから、パットが……」

 アリアは屈んで、その柔らかい物体を拾い上げた。どうやらそれは、胸元に入れるジェル状パットらしい。

「ご、ごめん」

 やっぱり男だよな。

 パットが十無を現実に引き戻した。

「ちょっと、グラマーにしすぎたかな。重くて落ちちゃった」

アリアが悪戯っ子のように、舌を出した。

「何処から見ても、女の子に見える自信はあるけれど、こればっかりはね。十無、私に惚れちゃった?」

 ぼおっと突っ立っている十無に、「私、可愛い女の子に見えるでしょ?」と、アリアは自信あり気に微笑んだ。

「莫迦、人が通ったから、恋人らしくカモフラージュしただけだ」

 勿論、誰も通ってはいない。口からのでまかせだった。

「なあんだ」

なあんだって、それはどういう意味だ。残念という意味なのか。

 十無はアリアの言葉にどぎまぎして敏感に反応した。

「じゃ、このお礼は仕事を程ほどに手を抜いてくれるだけでいいから」

「そんなことができるか。それに、こんなことを頼んだ覚えはない」

「そっか、残念。……早く、本当に彼女ができるといいね」

「おまえは、お前はいないのか?」

 十無にはその質問が精一杯だった。

「私は……柚子がいればいい」

柚子? アリアは柚子が好きなのか。

「それに、ヒロとDと」

答えになっていない。

十無はため息をついた。

「Dとは親しいのか」

「え? まあ、時々会うことはあるけれど」

「その、Dとお前ってどういう」

「憧れの人かなあ。『仕事』も手早いし、素敵だと思う」

微妙な答えをするな〜!

「十無」

 アリアはにっこりすると、いきなり十無の背広の襟首を両手で掴み、体を寄せて唇を合わせた。

柔らかい唇の感触が、十無の頭を混乱させた。

 何で……どうして……どういうことだ。どうなっているんだ!

「お、おまえ、男なんだから。俺をからかうな!」

 十無はとりあえず、照れ隠しに叫んでいた。

「さっき私にキスしようとして、驚かせたお返し」

 アリアはにやりとしてそう言い、パットを持った手を振りながら駐車場を出て行った。

 十無はぽかんと口を開けてその姿を見送った。

「まったく、やられた。俺の完全な負けだ」

アリアに振り回されっぱなしか。惚れた弱みだ、仕方ないか。このまま俺は三十歳を迎えてしまいそうだ。それはそれでいいか。

 十無は諦めきったような苦笑いをして、頭をかいた。

暫くして、誰かが十無の『男なんだから』と言う叫び声を聞いたのか、署内では十無の彼女はニューハーフだという噂が、まことしやかに流れたのだった。

 

 昼下がり。柚子が紅茶を飲みながら、ソファでまどろんでいると、アリアがいそいそと帰ってきた。

「そんなにおめかしをして、お弁当は何処で食べてきたの?」

「うん、ちょっとね」

 アリアは上機嫌で答えたのだが、柚子はその訳も知っていたし、アリアがどこに行って来たのかもわかっていた。

 柚子がそれとなくアリアをたきつけた張本人だったのだから。

「十無が署内で酷い言われようなんだって。見合いも断られちゃって、肩身が狭いみたい」

 前日、アリアの前で一言、柚子がそう言うだけで充分だった。

 アリアは新聞を見ながら、「ふうん」と、聞き流しているように返事をしていたが、柚子の思惑通り、今朝になってアリアはしっかりと行動に移したのだった。

 それで柚子は確信したのだ。

アリアは十無が好きなんだ。

 柚子は初めてボーイフレンドを連れてきた我が子を、ハラハラしながら見つめる母親のような、そんな気持ちになっていた。

 少し寂しいような、それでいて嬉しいような、なんともいえぬ感情。

「何にせよ、アリアは女の子として成長しているんだわ」

 半分ほど残っていた紅茶を一息に飲み干し、変装を解きに自室へ行ったアリアを横目で見ながら、 柚子は女子高生とは思えない、保護者のような感想を口にして、にっこり微笑んだ。

柚子はキッチンへ行ってティーカップを洗いながら、シンクの前にある小さな窓を覗き込んだ。

ぎゅうぎゅう詰めに立ち並ぶ家々の屋根の上に、代わり映えのしない灰色の空が広がっていた。

「東京は春が早いかしら。そうだといいな」

 年越しもこれからだというのに、柚子は鼻歌混じりで気分はもう

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