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27・冷たいキス

 まさか、同じホテルのレストランだったなんて。

 十九時前に、東十無から、今、出かけるところだと電話があってアリアは二人が行く店を知ったのだった。

 レストランと隣り合っているバーではどうかと思い、アリアは待ち合わせ場所を変えようと十無に提案したのだが、別にかまわないと言われてしまった。

アリアは腕時計に目をやった。バーに来てから、何度覗きこんだことか。

 何をしても、落ち着かないのだ。

 今まさに、直ぐ側で十無と美希がデートをしている。

 十九時に約束していると言っていた。もうそろそろ二十一時になる。食事が終わって二人は飲みにでも行くだろう。そんなことはわかっていたが、部屋に一人でいるのも辛く、アリアはこんなに早く来てしまった。

 アリアはバーについてから、ずっとため息ばかりもらし、水割りを機械的に口に運んでいた。

 飲みすぎていると自覚していたが、つい、減り方が早くなった。

 でも、十無は何のために坂本周に会おうとしているのだろう。

 カウンターの一番隅にある席でアリアが鬱々としていると、「坂本君」と、背後から声をかけられた。

「十無さん? 早すぎませんか?」

「いや、俺としては予想通りの時間だけれど」

 穏やかな笑みを浮かべながら、なにやらすっきりした顔をして、十無は隣の椅子に座った。

 うまくいったのだろうか。それとも……。

 十無の表情が何を意味するのか、アリアは計り兼ね、動揺していた。

 アリアは早くことの成り行きを聞きたかったが、せっつくわけにもいかず、十無が話してくれるのをじっと待った。

「……坂本君に振られたと、彼女が言っていたよ」

「すいません。十無さんに、どうしてもそのことを言い出せなくて」

「いや、俺のことはいいんだが」

 そんなことはいいから、どうなったのか教えてほしい。

真っ先に知りたいことにはなかなか触れない十無に、アリアは苛々した。

 そんなアリアの気持ちを知らない十無は、暢気に水割りを注文している。

「坂本君のグラスも空きそうだな。同じものでいいかな?」

「そんなことより、十無さん」

 アリアは痺れを切らして十無をじっと見つめ、どうだったの? と、目で訴えた。

 十無はその視線に気づき「振られたよ」と、眉を寄せながら、そっけなく答えた。

「振られた?」

「俺は、そういう運命なんだ。女の子に縁がないのさ。美希さんはまだ坂本君が忘れられないようだ」

 彼女から断るなんて、思いもよらなかった。

 アリアは十無に何と声をかけていいのか言葉に詰まったが、内心、ほっとしていた。

 これで、今まで通り。変わらない。

「……やっぱり、という感じだ。なんとなくそんな予感はしていた。それで美希さんに会った後、一人でいるのが嫌で坂本君にこんなことを頼んだというわけだ。……学生時代に何度も振られていて、いつものことだと思ったが。やはり、いい気持ちはしないものだ」

 そうか。坂本周に会って、やけ酒につきあってほしかったのか。

自分は何を期待していたんだろう。坂本周の身で、どうにかなるわけがない。冷静に考えればすぐわかるようなことなのに。

そんなことも分からなくなっていた自分のことが、滑稽に思えて、アリアは苦笑した。

「今夜は残念会ですね」

 アリアが乾杯と言ってグラスを合わせ、十無も苦笑した。

でも、十無が何度も振られたことがあるとは、知らなかった。

「十無さんはもてそうですけれど。職場ではもてるでしょう?」

「だったら、こんなところまでお見合いには来ない。署内では、いつの間にか俺は女嫌いということになっている」

「どうして?」

「さあね。だから今回俺が見合いをするといったら、署内中に知れ渡ってしまった。帰ったら暫くは噂話の種にされる。やっぱり、あいつは女じゃだめだったんだ、とか」

 意外だ。職場でそんな陰口を叩かれているなんて。十無はもしかして職場では目立つ存在なのか。それとも、口数が少ないから、誤解されてしまうのか。

「そんなことより、坂本君。やっぱり、美希さんはだめなのか?」

 唐突に美希のことに話しを戻されて、アリアは曖昧な笑みを浮かべた。

「いい娘だけどなあ。こればっかりはどうしようもないか」

「十無さんは、どうして今までそんなに振られたんですか?」

「その話しはやめよう、俺を慰める酒じゃないのか?」

 十無が眉をひそめて嫌そうな顔をした。

 アリアは十無が好きになった女性に興味がわいて、ついそんなことを訊いたのだった。    

「くよくよしていても始まりません。今後に備えて振り返りましょう。そうしたら、きっと次はうまくいくはずです」

「そうかな……」

 十無が来る前から短時間で次々と飲んでいたアリアは、自覚していなかったが酔っていた。そして、少し強引になっていた。

 あまり乗り気ではない十無は、渋々話し始めた。

「大学では、よく合コンに誘われた。そんなに友達でもないのに、勝手に俺も参加することにされて。頭数を揃えるためにね。で、行ってみると、女の子達が結構話しかけてきて、初めのうちはいいが、いつも途中で一人になってしまうんだ。そして、あぶれた男同士で、空しく、ただひたすら酒を飲む羽目になって帰ることになる。そんなことはしょっちゅうだった」

 それって、いいように利用されていたのではないか。見た目良い十無を使って女の子を集め、途中で言われのない中傷でもしたのだろう。酷い友達だ。

 でもそんなことを言ったら、十無は女性不信どころか人間不信になりそうで、アリアは言うのをためらった。

「付き合ったことはあるんでしょう?」

「あるような、ないような」

 十無は「うーん」と唸って、首を傾げている。そして、思い出すように話しを続けた。

「物静かで、落ち着いていて、ちょっとした仕草が可愛いな、と思っていた娘から告白されて、付き合ったこともあった。でも、『十無君のイメージが壊れる!』と何度か言われて、結局、別れた」

「何か、したんですか?」

「別に。俺の部屋に来たとき、炒飯作って出したり、外食でラーメン食べようって誘った時にそう言われたんだけれど、何が悪かったのか俺にはさっぱりわからない。付き合うたびにそうだった」

 アリアはなんとなくわかった。十無は外見がお坊ちゃん風だ。澄ましていて、自炊なんかしそうに見えないし、外食は洒落たレストランにでも行きそうだ。ハイソな生活をしているように見えてしまうのだ。でも、そんなことを言う女の子って……。よくよく十無は女運がないのか。

アリアは少しばかり同情した。

「……やっぱり俺が悪いのか?」

「十無さんは、悪くない。女の子達が見る目がないだけです」

「そうかな。その学生時代があるから、俺はすっかり女性に臆病になった」

「大丈夫、自信を持ってください。周りの友達は、きっと十無さんのことを妬んでいたんです」

「妬まれるようなものは何もないんだけれど」

 十無は肩を竦めた。

「十無さんは気弱にならないで、もっと強引になったほうがいい。はいそうですかって諦めてはいけません。そんなことをしていたら、好きな人を誰かに持っていかれてしまいます」

「強気に、ね。覚えておくよ」

 十無はずっと苦笑している。アリアは顔が赤くなっており、見るからに酔っていた。

「坂本君の方は? その後、告白したのか? 無理だとか言っていただろう?」

「……僕のことはいいですから」

「俺ばっかり話してもつまらない」

「よしましょう、救われない話しですから」

「そこまで決め付けなくても……」

「やめましょう」

 アリアは自嘲するような笑みを浮かべて、静かに、だが有無を言わさない強い口調で十無の言葉を遮った。

「そうだ。これ、おせっかいかもしれないけれど、君が思っている彼女へあげてくれないか。俺はとうとう渡せなかった。彼女の好みに合うか分からないが」

 十無は頑なな態度のアリアを気遣いながら、躊躇いがちに背広のポケットから赤いリボンのついた小箱を取り出した。

 カウンターに置かれた小箱は、十無がポケットに入れてぞんざいに扱っていたため、赤いリボンがひしゃげていた。

「銀のネックレスで、先に丸い玉がついたシンプルなものだ」

「僕は……」

「俺が持っていても、若い女の知り合いはいないし、適当に誰かにあげても構わないから」

 アリアの困惑した表情に、十無は慌ててそう訂正した。

 アリアは少しの間、小箱を見つめた。

十無が佐藤美希にと思って購入したネックレス。そんな物を私の手元には置きたくない。

だが、あまり頑固に断るのも変だと思い、わかりましたと言って仕方なく受け取った。

アリアの口数が減って会話が途切れた。

黙ってしまっては十無が心配する。アリアはそう思ったが、もう何を話したらよいのか、アリアはわからなくなっていた。

「そろそろ、帰りましょうか」

「そうだな……坂本君、今夜はありがとう」

 二人はバーを出た。

 エレベーターに乗ってから、ふと十無の横顔をアリアは盗み見た。十無も水割りを切らさず頼んで飲んでいたはずだが、顔色一つ変わらず、全く酔っていないように見えた。

今回はまとまらなかった縁談。でも、この先、また同じことが起こる。いずれ十無は誰かを好きになり一緒になる。そして、十無の優しい瞳は、一人の女性に向けられるのだ。そんな日が来る。

……い、や、だ。

アリアの胸の中で、何かが動いた。

二人はロビーについてホテルの正面出口へと向かうが、アリアの足取りはのろのろと重たかった。

「坂本君、大丈夫か? 飲みすぎたのか? ホテル前にタクシーがあるから、先に乗ったらいい」

 少し後ろを歩いていたアリアを気遣うように、十無は振り返って優しく声をかけた。

 温かい、十無の声。

 十無の気遣いに、アリアは弱々しい笑顔を作って応えた。

そして、このまま十無と別れたくないという感情が、アリアを突き動かした。

「……あの、少し歩きませんか」

「俺はいいけれど、歩けるのか?」

「僕は大丈夫です。冷たい風に当たって頭を冷やしたいから」

 二人はホテルを出て、旭川駅の方へ向かって歩いた。

イブとあって、タクシーが多く行き交っていた。歓楽街から多少離れてはいるが、カップルなどが寄り添って歩く姿が目についた。

 緑橋通りと称されているその通りには、中央分離帯にななかまどの街路樹が続く。

この時期、街路樹はイルミネ―ションで飾られ、所々にななかまどの実に見立てた赤い明かりが白い雪の中に灯っている。その光の帯は、駅まで真っ直ぐに続き、暖かい輝きを放っていた。

 木々の間には、歩道のロードヒーティングの為のボイラーが所々にあり、細い煙突から白い煙を吐き出している。風もなく冷え込んできた空中に、ゆっくりと立ち上る煙。

 そんな景色の中、二人は黙って並んで歩いた。アリアはトレンチコート、十無も厚手のロングコートを着込み、マフラーまでしていたが、歩き始めると耳がかじかんで痛みを覚えるほどだった。

「……酷く寒いな」

 十無が口を開いた。

十無は何か話したそうにしている。アリアはなんとなくそう感じた。

でも、今声をかけられたら、余計なことまで話してしまいそうで、つっけんどんに、そうですねと答えた。

「坂本君、何か悩んでいるんじゃないのか?」

「……」

 今、この時を十無の側で過ごしたいだけ。望みはそれだけだ。それだけで充分だ。それ以上何が望めるというのか。

「坂本君は人に干渉されるのが苦手なのか。でも、人に聞いてもらうだけで楽になることだってある。ま、恋の悩みは俺に話してもだめか。……俺には、君が落ち込んでいるように見えるのだが」

「いいえ、そんなことはありません」

 お願いだから、そっとしておいてほしい。

 アリアは十無の視線を感じながら、俯いて歩いた。

「バーでも聞いたのにしつこいようだが、何故だか君をこのまま放っておけない気がする。年上の彼女のことだろう? そんなに辛い恋ならば一人で抱えない方がいい」

「……違います」

 平静に答えたつもりだったが、アリアの声は震えていた。

瞬きをすると、涙が落ちそうでアリアは顔を上げられなかった。

 これ以上、話しかけないで。

「どうした、寒いのか? これで少しは暖かいぞ」

 立ち止まったアリアに、十無は優しく声をかけて自分のマフラーをアリアの首に巻いた。

 やめて。優しくしないで。

 アリアはとうとう、涙が溢れてしまった。

 アリアはゆっくりと顔を上げたが、涙でぼやけて十無の顔がよく見えなかった。

「坂本君? 泣いて、いるのか?」

 動揺している十無の声。

「……あなたが、あなたのことが……好きです」

「えっ」

十無は言葉につまり、混乱し、ただ、呆然としているようだった。

「本気です……初めて会った時から、ずっと」

 涙を湛えた瞳のまま、アリアは十無に向かって微笑んだ。

「坂本君?」

 アリアはマフラーをはずして、驚いている十無の首にそっとかけて返し、そのマラーを両手で引っ張り、爪先立ちで不意に十無と唇を重ねた。

一瞬の出来事だった。

おずおずと、躊躇いがちなキス。触れるか触れないかのキス。

冷たく柔らかな感触が、寒さで感覚が鈍くなった唇に、微かに触った。

衝動的にキスをしてから、アリアは十無の顔を見るのが怖くなり、くるりと背を向けて、すぐ側のタクシーに乗り込んだ。

告白してしまった。馬鹿なことを!

アリアは後悔した。十無は坂本周としてみている。アリアとしてではなく。

だが、仮にアリアの姿で告白しても同じだろう。それどころか、犯罪者という足枷もついて回る。

きっと、今よりもっと望みはない。そう考えると、体の寒さより心の中が冷え切っていくように思えた。心が凍てつく。

救いようのない恋だ。

車窓から流れる街の明かりを目で追っていると、氷点下十五度と表示された電光板が、目に入った。木々も空気さえも凍る気温。

十無と並んで歩いていた時、その寒さも感じないほどにアリアの心は凍えていた。

望みなんてない。でもやっぱり好きに違いない。……だが、何も期待してはいけない。

その言葉だけが、アリアの心の中でリフレインしていた。


東十無は坂本周がタクシーで立ち去った後も、やや暫くその場に立ち尽くしていた。

今、何があったのだ。坂本君が……なんて言った?

混乱する頭の中で、十無は必死に理解しようともがいていた。

だが、十無の思考では到底理解しきれるものではなかった。

彼の涙が意味するものはなにか。

好きです。

好き、とは。唇にかすめた、あの冷たい感触は……キス、されたのか。

「俺、男にキスされたのか?」

 十無は思わず声を上げた。その時になって初めて、行き交う人の視線に気がついた。                   

側を通り過ぎようとした若い女性が、えーっ、男同士? 等と話している声が耳に入り、十無は今頃になって赤面し、急いでその場を離れたくて、タクシーに乗った。

「お客さん、男にもてるのかい? 男前だもんねぇ」

 丁度見ていたのか、タクシーの運転手にも冷やかされ、十無はホテルに着くまでの間、居心地の悪い思いをしたのだった。

 だが、数回しか会っていない坂本君のことが、どうしてあんなに気にかかったのだろうか。

 混乱している頭の隅で、十無はそんな疑問が頭をよぎった。

 マフラーをあんな風に……いつだったか、同じようなことをしたような。

 記憶の糸をたどってみたが、十無は思い出すことができなかった。

 男に告白されてキスされたという衝撃が、強烈にインプットされた今の十無には、冷静に真実を見抜くことなど、できるはずもなかった。

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