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26・イブ

 予報通り、朝から底冷えのクリスマス・イブだった。

 吹雪の後の冷え込み。こんな日は、空気が澄んで雪が宝石のように輝いて綺麗だ。

 だが、東昇はそんな景色には目もくれず、朝から仕事そっちのけで、車で忙しく飛び回っていた。

 今夜までに、早くアリアを見つけなければ。兄貴は午後七時には佐藤美希に会う。そしてプロポーズをしてしまう。兄貴はアリアのことが好きなのに。

絶対だめだ。そんなこと許さない。兄貴は後悔するに決まっている。

 昨日から、昇は何度も十無の携帯電話を呼び出していたが、何を言われるのかわかっているのだろう、十無の携帯電話は電源を切っていて繋がらなかった。

昇はかなり気が急いていた。このままでは、兄は過ちを犯してしまう。アリアを見つけて兄に会わせ、阻止しなければ。昇はその一心だった。

だが、この間、アリアの姿どころか形跡すら見つけられなかった。

思いつくところは全て捜しつくし、あとは闇雲に、ひたすらアリアを探していた。

「くそ!」

 アリアがいたことのあるマンション前で車を止めて、昇はとうとうかんしゃくを起こし、握り拳でハンドルを強く叩いた。

 いつの間にか暗い空。車内のデジタル時計は午後六時と表示していた。

「一人じゃ限界だ。こんなときに風邪なんか引きやがって、役に立たない坂本周! これじゃあ、だめだ。時間ばかりが無駄に過ぎる、落ち着け」

 昇は目を瞑り、深呼吸をして自分に言い聞かせた。

 と、携帯電話が鳴った。十無の着信だった。

「どこにいる? 佐藤美希に会うのは止めろ! 後悔するだけだ。早まるな」

 十無が一言も言葉を発せないほど、昇は勢いよくまくし立てた。

「おい、昇、落ち着け。それに、これは俺の問題だ」

 妙に落ち着き払った十無の声が、昇を苛つかせた。

「せめて、アリアに一度会ってから考えろ」

「その必要はない。アリアなら二日前に見かけた。女性に贈る高価なピアスを買っていた」

「どうしてそれを早く教えてくれなかったんだ! でも、女性に?」

「旭川へ着いた夜、アリアが派手な女と、飲み屋街を寄り添って歩いていたのを見た。多分、その女性に贈るためだろう」

 派手な女? 待てよ?

「兄貴、もしかして、その女はアリアより背が高くて長い髪で年上風の派手系美女?」

「遠目で夜だったから、美女かどうかはわからないが、派手な女だったのは確かだ」

坂本周の部屋で見た派手な年上美女。まさか……。

昇はあるつながりを見つけて動悸がした。

「もうそろそろ、彼女と会う約束の時間だ。俺の気持ちは変わらない。それを伝えたかっただけだ。じゃ」

「兄貴!」

 電話は一方的に切られた。

「あの美女は、アリアとも坂本周とも面識がある? どうなっている!」

 昇は両手で髪をかきむしった。思考は混乱していた。

 坂本周はアリアが旭川へ来た頃と同じくして現れた。

坂本周の身元を証明できる人物はいない。まず、事務所だ。履歴を調べよう。いや、そんな時間はない。周のアパートへ行って、問い詰めた方が早い。

 坂本周は、もしかして……いや、まさか。あんなに一緒にいたのに、どうして気がつかなかったのだ。

 頭によぎる考えがまだ信じきれないまま、昇は坂本周のアパートへと、車を飛ばした。


東十無は、五分前にはホテルの最上階にあるフランス料理店へ到着したのだが、佐藤美希は既に席についていた。

「時間通りね」

「美希さんは、早かったね」

 美希の笑顔に応えるように、十無は笑顔を作った。

正直言うと十無にはまだ迷いがあった。こんな気持ちで美希さんにプロポーズをするのは失礼ではないのか。こんな煮え切らない気持ちで。

そんな気持ちを律するために、美希に会う直前、昇に電話を掛け、気持ちは変わらないなどと断言し、もう後戻りできないんだと自分を納得させる必要があったのだ。

十無がワインを選び、といっても全くわからず、ソムリエにワインを見繕ってもらったのだが……後は予め予約しておいたコース料理が順次運ばれて、ワインで乾杯した。

「イブに、よくこんな所を予約できたわね」

 客は見るからに、カップルばかりだった。

「ちょっと、無理を言って……」

 以前、Dの事件で顔見知りになっていた支配人に、無理を言ったのだった。

公私混同することなど皆無なのだが、十無は他に何処も思いつかず、苦肉の策だった。

 佐藤美希はドレスアップしていた。薄桃色のブラウスは、胸元が大きく開いてシフォンの重ね衿が柔らかい印象を与え、スリットが入った同系色のタイトスカートも、優しい女らしさが強調されていた。

胸には一粒、ダイヤが揺れている。

 前回の爽やかな感じと違って美希は可憐な雰囲気がした。

「なあに?」

「この前と違うなと……」

「やっぱり、変かしら? こんなひらひらした服、普段着ないから」

「そんなことはない。ただ、ちょっと目のやり場に困る」

「東君って、もう、何処を見てるの」

「いや、いやらしい意味じゃなく、その、綺麗だから……」

 十無は俯いて赤面する美希に、しどろもどろに弁解した。

「東君も、素敵よ」

 美希は、はにかみながら微笑んだ。

 二人は美味しい料理を口にしながら、美希が仕事中の珍事や失敗談を面白おかしく話し、十無が聞き役となった。

お互い多少緊張してぎこちなさはあるが、以前会った時よりも和やかに過ごし、うまくいっているではと十無は思った。

可愛い美希さん。彼女と結婚したら、きっと笑いの絶えない、明るい家庭になるのだろう。

だが、本当に彼女を愛せるのか。愛していく自信があるのか。美希さんを悲しませることがないのか。やはり……気持ちに嘘をつけない。これではいけない気がする。

 いくら自分の気持ちを偽っても偽りきれず、頭をもたげてくるアリアへの思いが十無を苦しめた。

 逃げていては解決しないのだ。

十無は背広のポケットにある、赤いリボンのついた小箱を握り締めた。それには、アリアに渡すはずだったネックレスが入っていた。

言おう。言わなければ。

「美希さん、」

 話そうとした時、食後の珈棑が運ばれてきて、十無は出かかった言葉を飲み込んだ。

「ここのホテル、私、好きじゃないの」

今度こそはと、十無は意気込んでいたのだが、美希が先に口を開いた。彼女は夜景を眺めながら、少し眉をひそめている。

「えっ、ごめん。俺、ここしか分からなくて」

意外なことを言われて十無は慌てて謝った。

「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。東君のせいではないわ」

 美希は両肘を突き、珈棑を一口、美味しそうにゆっくりと口に含んだ。

「正確には、ここの隣のバーが、なの」

 それは、坂本周と待ち合わせているバーのことだ。たまたま、同じホテル内の店になってしまった。

「実はね、最近バーで周ちゃんと会って。でね、私、振られちゃったの」

 美希は言いづらそうに、だが、はっきりと、十無の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「ごめんなさい。私、東君とお見合いをしながら、周ちゃんを好きになってしまった。でも、失恋したの。後悔はしていないわ。で、東君に甘えてこのまま付き合おうかなんて思ったりもしたけれど、色々考えて、やっぱりこんな気持ちでは、東君とお付き合いを続けていく自信が、ないの」

 何だ、そうだったのか。彼女もまた悩んでいたのか。

 十無は重い荷物をようやく降ろすことができ、体が軽くなった気がしてほっとした。

「東君は私にとって青春の一部かな。アルバムに閉まって、久しぶりに懐かしがるような、そんな存在だったと気がついたの。私が好きだった東君は、学生時代の東君なのかもしれない。東君は私にとって、永遠に憧れの人。それは今も変わらない。こっちからお願いして、わざわざ旭川まで来てもらったのに。身勝手だけれど、本当にごめんなさい」

 美希は封印していた思いのたけを、一気に開放したようだった。

話し終えてから、美希は深々と頭を下げた。

彼女の表情はすっきりしたものだった。

「美希さん、俺のほうこそ煮え切らなかった。悪いのは俺の方だ」

 十無も頭を下げた。

「ふふ、お互いに謝りあうなんて、なんだか変ね」

 美希はからからと楽しそうに笑い、つられて十無も顔を見合わせて口の端で笑った。

「でも、東君は私のキューッピットなのよ。東君がいなかったら、私、周ちゃんに会えなかったもの。振られたけれど、とっても感謝している。だから、このお見合いは意味があったの」

 美希らしいポジティブな発想に、十無は微笑んだ。

「で、東君も心に思う人がいるのね? どんな人?」

「……皮肉屋で、何を考えているのかつかみ所がなくて、何でもすぐはぐらかして生意気で、おまけに少し寂しがり屋で、どうしようもない奴」

「それって、憎まれ口ばかりね」

「本当だ」

 十無は口をついて出た言葉が、そんな言葉しかないのを指摘されて苦笑した。

「あら? 私、つい最近も同じようなことを言ったような気がする」

 美希は首をひねった。

「ま、なんにせよ、東君のほうはうまくいくようにって、私、祈っているわ」

 美希はそう言ってウインクすると、席を立って十無の方へ手を振った。美希は足取りも軽く、先にレストランを出たのだった。

 美希さんを傷つけずに済んだ。

十無は美希の後姿を見送りながら、ほっとしていた。

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