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25・優しい十無

 アリアはとにかくけだるさが抜けず、ベッドから起きられなかった。

 朝、一度は起き上がって坂本周に扮したものの、出勤する支度ができた頃には、足取りは一層重くなってベッドに逆戻りしてしまったのだった。

 佐藤美希と別れたのは午前零時前のことだから、そう遅く帰宅したわけではなかった。  

だが、どうしても探偵事務所へ出勤する気になれず、アリアは風邪を引いたといって、そのままずる休みをした。

 問題は山積したままだった。

 音江槇からファイルを手に入れなければならなかったし、ヒロとDのことも気がかりだった。

だが、今のアリアは体がいうことをきかず、どうすることもできなかった。

 虚無感が体を支配していた。

 明日の夜には、多分、十無は美希に結婚を前提にした付き合いか、婚約を申し込むだろう。

それはもう、頭では納得しているつもりなのだが、そのことが頭から離れなくて、アリアは食事も摂らずにベッドでごろごろと過ごした。気がつくと、外は薄暗かった。

 一体何時なのだろう。

 部屋の明かりをつけるのも大儀で、仰向けにベッドの上に寝転がり、アリアは窓から見える灰色の空をぼんやりと眺めた。

 大粒の雪が空から落ちてきた。

 雪は次第に激しく降り始め、灰色の空は、真っ白く塗り潰された。夜に向かって暗くなっていくはずの空は、雪で明るくなっていた。

 落ちてくる雪を目で追うのが大変なくらい、激しく降りだした。

 いっそ、せいせいする。

 雪が全てを消してくれたらいい。

 見たくないもの、消してしまいたいもの、全てを綺麗に真っ白く。

ついでに自分も、かき消してくれたらどんなにいいか知れない。今の自分が嫌だ。美原ななという、解きほぐすことが不可能なしがらみ。そこから抜け出すこともできず、真っ向から対峙する勇気もなく逃げている自分。

 考えてもどうにかなるものではないけれど、考えてしまう。

 アリアは再び眠りについてしまいたくなり、目を瞑った。

 と、その時、人の気配が微かに感じられた。

 眠りの世界へ落ちようとしていたアリアに、緊張が走った。

「誰だ!」

 アリアは跳ね起きて、薄暗い部屋の入り口の方に振り向き、低い声を発した。

 閉まっていたはずの部屋のドアは開け放されているが、誰もいない。

 アリアは少し冷静になって考えた。

 これだけ気配を消して不意をつく人物は、多分彼女しかいないという結論にたどり着いた。

「どうしたの? 明かりもつけずにごろごろと」

 アリアの背後に気配が移り、聞き覚えのあるハスキーな声が穏やかに響いた。

 Dだ。

「驚かさないでください」

 アリアは肩に入った力が抜けてため息をつきながら振り向き、やっとDと対面した。

 部屋は薄暗く、窓からの雪明りで、Dの微笑をたたえた顔は青白く照らされていた。

「だって、部屋が暗くていないと思ったんですもの」

 じゃ、いないと思って忍び込んだのか。悪趣味なD。

 アリアは苦笑した。

「一言いいたいことがあって来たの。……無用なお節介はいらないわ」

 Dはベッドに座っているアリアの横に腰掛けて、肩をすくめた。

「お節介?」

「そう、ヒロのこと」

 この前の、ヒロの誕生日の夜のことか。

「二十日は、たまたま用事ができて……故意に仕組んだわけじゃないよ」

「本当に、そう?」

 Dに微笑まれながら凄まれると、アリアは言葉に詰まった。

「ああいう不意打ちはヒロが嫌がるのよ。もうしないでね」

「Dは、それでいいの?」

 アリアは何も考えず、そんな言葉が口をついて出たのだが、言ってから後悔した。

 今の状態でいいわけがない。きっとDもそう思っている。なのにDにそんなことを訊くなんて、愚問だ。

 予想外のことを訊かれたとでもいうように、Dは目を見開いてから、口角を少し上げて目を細めて微笑んだのだ。

 悲痛な微笑。

 アリアは苦しそうなDの顔を直視できず、俯いてしまった。そして、素直にごめんなさいと、謝った。

「いいのよ。私のことより、アリアちゃん、あなたはどうなっているの。何かあったんでしょう?」

 Dの低い声は、気持ちが落ち着き、子供のように素直になれそうな気がした。母親ってこんな感じなのだろうか。

 アリアは母親の腕に包み込まれているような安堵を感じていた。

 昨夜の佐藤美希のこと、見合いを壊そうとしたことを、アリアは為ら躊躇いながらも、ありのまま話した。

「全てに自信がなくなってしまった」

「……」

「自分の気持ちも行動も、これでよかったのかと」

「後悔しているの?」

「わからない」

「でも、その時はそれが一番良いと思ったのでしょう?」

「多分」

「終わったことはもう後戻りできない、もし後で間違っていたと思うのなら、その時にまた行動するの。あの時は間違っていたって。それでも遅くない。何もしないでいてはだめ。後悔を重ねることになるでしょう?」

 Dは横に座ってアリアの肩を抱き、頭を肩に寄りかからせて優しく囁いた。

 Dの艶やかな長い髪がアリアの顔にかかり、甘い香りに包まれた。

 個人の特徴を消すため、Dは特定の香水をつけていないはずだが、シャンプーの香りなのか、甘えたくなるような匂いが仄かに漂っているのだ。

 アリアは安らぎを求めてその匂いに顔を埋めた。Dもまた、自分と同じ、羽を休められる居場所を探していたのだろうかと、アリアは思った。

 暗い部屋に、窓だけがスクリーンのように明るく、風と共に舞い上がっては降り続く、吹雪に変わった白い雪を映写していた。

 二人は言葉を交わさずに、音のないスクリーンを眺めていた。

 そうしていたのは五分ばかりだったのか、それとも二十分ほどが過ぎていたのだろうか、玄関のインターホンが鳴って、二人は顔を見合わせた。

 訪問販売か何かだろうと、出ないでいると、続いてドアを叩く音がした。

「おい、いないのか?」

 同時に、玄関ドアの開く音がした。

 十無だ。十無がどうしてここへ?

 一気にアリアの心臓が高鳴った。頭の中を台風が駆け巡る。アリアは混乱した。十無が坂本周を尋ねてくる理由などない。佐藤美希から何か聞いたのか。それとも、アリアだとばれたのか。

「大丈夫よ、あの刑事はあなただと感づいてはいない。きっと頭の中は、明日のイブで一杯よ。さあ、今は坂本周なんでしょ?」

 Dはアリアの動揺を感じ取り、そう断言して不安を打ち消してくれた。

その言葉は威力を発揮し、Dに背中を軽く押されてベッドから立ち上がった時にはもう、アリアは落ち着きを取り戻していた。

 なんにしても、今は正体がばれるわけにはいかない。自信を持って坂本周を演じよう。

「周ちゃん、頑張ってね」

 Dはおどけてそう言い、自分も立ち上がって、アリアの顎に手を添えたかと思うと、風のような早業で、アリアの頬へ唇をかすめた。

「部屋に上がるぞ、いないのか? 事務所で風邪だと聞いたが……」

 十無が二人のいる寝室へ顔を覗かせた時、Dは一瞬のうちに窓から消えた。

「Dか!」

 そう叫んで、十無は窓辺に駆け寄り、開いたままの窓から外を覗き込むが、Dの姿はなく、この吹雪で、着地した跡もよく見えなかった。

 ここはアパートの二階だ。雪が積もっているとはいえ、普通、飛び降りれば骨折くらいはするかもしれない。それに、靴はどうしたのだろう。足元を見ると、Dが立っていた辺りの絨毯が、解けた雪で濡れていることに、アリアは気がついた。Dは靴を履いていたのだ。土足で部屋に上がりこんでいたのだが、アリアは暗がりで今まで気づかなかった。

 Dらしいというか、泥棒業が板についているというのか。

 笑っている場合ではないのだが、アリアはつい苦笑してしまった。

「今、この窓から女が……」

 十無が自信なさそうに、アリアに同意を求めた。

「十無さん、何を寝ぼけているんです? ここは二階ですよ」

「だが、確かに長い髪がするりと落ちていくのを見たような……あれはD?」

「雪が入るので窓を閉めますよ、ちょっと部屋の空気を入れ替えていたんです」

 やはり刑事、Dの姿は、ほとんど見えなかったと思うが、感なのか。

 十無は今まで、まともにDの顔を見たことがないはずだが、もし鉢合せしていたら、確実にDだとわかっただろう。

 アリアはひやりとした。

「何か用事があったのではないんですか?」

 アリアはさりげなくカーテンを閉めた。

「ああ、勝手に上がりこんで、すまん。これ、蜜柑なんだけれど、風邪に良いと思って」

 まだ狐につままれているような、ふに落ちない顔をして、暗い部屋の中を見回し、十無はビニール袋をアリアに手渡した。

 ずしりと重い袋の中には、大きな蜜柑が二十数個は入っていた。

 不器用なお見舞い。十無らしいというか……一人でこんなには食べられないが。

 だが、アリアは自然に顔がほころび、胸の辺りが暖かくなった気がした。

 アリアはお礼を言ってから、部屋の横につながっている居間へと促し、ローテーブルを挟んで向かい合わせに腰を下ろした。

 十無は足を崩して胡坐をかき、落ち着くと熱はないのか等と、しきりに心配し、それと同じくらい、風邪を引いているのに、押しかけて悪かったと、何度も謝った。

 その度にアリアは、熱も下がってもう大丈夫だからと繰り返す羽目になった。

そして、十無に話しを促してやっと用件にたどり着いた。

「用というほどのことではないんだが」

 なにやら話しづらそうに、十無は膝の上で両手を何回か組みなおしている。

「明日のことですか?」

「坂本君、知っているのか?」

 十無が心持ち身を乗り出した。

「ちらっと、美希さんから聞きました。会う約束をしたのだと」

「実はそうなんだ。俺は、二日後には東京へ戻らなければならないから、このまま結婚を前提に、付き合いを続けるかどうか、はっきりさせなくてはならないと思っている」

しなければならない、か。きっちりしている十無らしい。

 アリアは無言で相槌を打ちながら、話しに聞き入った。

「で、レストランも予約を済ませて準備も整えたのだが」

 十無は視線を落としてさっきから何度も組みなおしている両手を見つめた。

「彼女に何と言っていいものか、悩んでいるうちにわからなくなってしまった」

 はあ? 本当にどうしようもない奥手の十無。よりによって、それを坂本周に相談に来たのか。

 アリアは一気に力が抜けた。

そして、声を上げて笑いたくなった。こんな十無を相手に、付き合っていかなくてはいけないなんて。佐藤美希はこれから苦労するだろうなと同情してしまうくらい、アリアは変にさばさばした気分になった。

「ありのままを、思っていることを言葉にしたら良いのでは?」

「それができたら苦労はしない。この前、昇に坂本君から指南してもらえと言われたのを思い出して……酒の上での戯言だったろうが、恥を忍んでこうして相談に伺った」

 剣術でも習いに来たかのように、畏まった言い回しをする十無が、アリアには可愛く思えた。

 十無なりにかなり困っているのだろう。

 普段、決して弱音を吐きそうにない十無が、信じられないくらい気弱になっている。昇の所へはさすがに兄というプライドがあり、行けなかったのだろう。

 今の十無に自分ができること。大したことはできないけれど、十無がそれで幸せになるのであれば、坂本周として喜んで相談に乗ろう。

「今から、そう力が入っていてはうまくいくものもだめになります。十無さんは、まずリラックスすることが第一だと思いますが」

 アリアはにこっと笑ってキッチンへ行き、氷を入れたロックグラスを二つ持ってきた。脇にはバーボン、クレメンタインを抱えて。

「君、風邪を引いているのに大丈夫なのか?」

「気付けに丁度いいですよ」

「なんだかその女性のラベルが、随分と高級そうだな」

「あまりバーボンは飲みませんか? これは三千円台ですからそう高くはありません、気軽に飲んでください」

 アリアはグラスに、琥珀色の液体を注いだ。

「では、明日うまくいくように」

 アリアは戸惑う十無にグラスを持たせ、自分のグラスをカチンと合わせて勝手に乾杯した。

「きついな、この酒」

 一口飲んだ十無が顔をしかめた。

「アルコール度数五十・五度ですから。でも、口当たりがよくて甘いから、飲みやすいでしょう? このくらいの酒じゃなきゃ、気付けになりません」

十無は首をかしげながらもそうかと、納得し、アリアもそうですと、飲みながら力強く断言した。

 十無と二人きりでお酒を飲むことになるなんて。嬉しいけれど、もっと違う形で飲みたかった。

 アリアは片方の膝を立てて座り、その上にグラスを持った方の腕を乗せて、バーボンを少し口に含んだ。

 アリアの視線は十無に向いている。

 十無の、口の端ではにかむような笑顔がいとおしい。

 いつも冷静な表情を崩さない十無。困ったことがあると、つい黙りこんで難しい顔になる十無。

「坂本君……その、俺、なにか変かな?」

 十無はアリアの視線を痛いくらい感じたのだろう。

 アリアの方をちらりと見てから、居心地が悪そうに髪をしきりになぜた。

「あ、すいません。ちょっとぼうっとしてしまって……」

 アリアは慌てて取り繕った。いけない、今の自分は坂本周だ。十無が変に思う。

 いつの間にか、坂本周の仮面は剥がれてアリアとしての視線を十無に向けてしまった。

 恋する女の熱い視線。

「また熱が上がってきたんじゃないのか?」

 覗きこむようにして、十無は心配そうな顔をこちらへ向けた。

「大丈夫です」

 アリアは思わず、きつい口調で否定した。

 そんなに優しくしないで。

 十無の優しさは毒だ。優しくされると勘違いしてしまいそうになる。

「……それならいいが。しかし、この酒はきついな」

 十無はテーブルの上にあるバーボンの瓶を手に取って、物珍しそうにラベルを眺めた。

「それは、川に落ちて死んでしまった娘の肖像です。名前がクレメンタイン。聞いたことありませんか? アメリカ民謡で愛しのクレメンタイン」

「いや、知らない。でも、あまり縁起がいいものではないな」

「父親が死んだ娘を思う歌。死んでもずっと思い続けてもらえるなんて、ロマンチックだと思いませんか」

「そんなものかな」

「僕は素敵だと思います」

「でも、死んだらおしまいだろう?」

「そうでしょうか」

「いつまでも死んだ人間のことを、くよくよと考えていたら、人は生きていけない。少しずつ忘れて、最後に良い思い出が一つ、心に残っていればいい。俺は人間の頭って、機械と違ってうまく忘れてくれるから、よくできているなと思うよ」

 バーボンのせいか、無口な十無が、饒舌になっている。

「そういう考えだったら、僕も好きです」

 好き。

 違う意味で口にしたのに、十無に向かってその言葉を使ってしまったアリアは、耳の先まで赤くなっている気がした。

 アリアはまともに十無の顔が見られなくなった。

 テーブルに置いたグラスを両手できつく握り、アリアは俯いた。

「どうした? やっぱり具合が悪いのか?」

 十無の声が優しい。優しくされればされるほど、アリアは辛かった。

 顔を上げたら、きっと泣いてしまう。

 アリアは首を横に振るのが精一杯だった。

 ぐうっ。

 しんとしたところに、アリアのお腹の虫が鳴いた。

「なんだ、お腹が空いていたのか」

「そういえば、朝から何も食べていなかった」

 こんな時でもお腹がすく。そう思うと、アリアは可笑しくなった。

「ちゃんと食べないと、また風邪がぶり返すぞ。よし、俺が何か作ってやる。こう見えても自炊で慣れているから」

 早速、十無は居間に繋がっているキッチンに立って、冷蔵庫の中を覗いた。

 間もなく、とんとんとんと、包丁の心地よい音が聞こえてきた。

「簡単なものにしたから、もう少しでできるからな。しかし、ろくなもの置いていないな。外食ばかりじゃ、またすぐ風邪を引くぞ」

 確か、冷蔵庫には即席のご飯が二パックと、キャベツに卵、パンとマーガリン、後は何かあっただろうか。

「さあ、どうぞ」

 二、三十分もしないうちに、アリアの目の前に細切りキャベツ入りの熱々卵雑炊が置かれた。

「熱いから気をつけろ」

 アリアはいただきますをして、ふうふうと雑炊を冷ましながらスプーンを口に運んだ。口中で卵がとろけて体が芯から温まった。

「美味しい、十無さんて何でもできるんですね」

「昇と二人暮しだから、必然的にできるようになっただけさ」

 照れながら謙遜している。

 十無のことだから、やるとなると極めてしまうのだろうなと、アリアは台所で格闘している十無の姿を想像してクスッと笑った。

「坂本君の彼女はここで手料理を振舞うことはないのか?」

「ここに来ることはほとんどありませんから」

 年上の派手系美女、Dのことは面倒で、あえて否定しなかった。

「さっきの、まさか彼女のはずないか。俺が来たからといって、窓から出て行く必要はないし」

「さっきも言いましたが、ここは二階ですよ? 見間違いです」

 顔色一つ変えずに、アリアはしらをきった。

「そうか。こう、長い髪の……追っている泥棒で、Dという奴がいるんだが、似ていたような感じがして。でも、まさかな」

「それより、十無さん、美希さんがいるから、これからは料理をする機会が減りますね」

 十無はまだDにこだわっているようだ。このままだとぼろが出そうなので、アリアは強引に話題を逸らした。

「それは……どうかな」

 十無の顔が急に曇って意外な返事が返ってきた。

 それはどういう意味だろう。

 アリアが口を開きかけた時、携帯電話が鳴った。

「僕の携帯だ。ちょっと、すいません」

 そう言ってアリアは立ち上がり、電話に出ながら寝室へ移動してドアを閉めた。

「俺だ、どうなっている? 全く連絡をよこさないで。心配するだろう? 明日の夜は空けておけよ」

 ヒロだ。いつも悪いタイミングで電話が来る。

「明日は遅くなると思う。十無に気づかれそうで、そろそろ潮時かも。だから、明日、実行することにした」

「じゃあ、これからそちらへ行く」

「今は、会わないほうがいい。十無がここに来ている」

「どうしてあいつが?」

「色々あって……とにかく、明日ことが済んだら行くから」

 アリアはそれだけヒロに告げると、電話を切った。

 明日の夜、音江槇からファイルをいただく。そうしたら、二十五日には坂本周は姿を消さなければならない。

 Dがこんなにうろうろしてしまえば、そろそろ限界だろう。

 アリアは軽く深呼吸して坂本周の顔になると、居間へ戻った。

「どうも、すいません」

「いいや、もうそろそろ帰る。押しかけてきて悪かった、ゆっくり休んでくれ」

 玄関先まで送ると、十無はコートを着ながら何か言いたそうにアリアの方へ顔を何度か向けた。が、何も言わずに嫌な余韻を残して行ってしまった。

パタンとドアが閉まると、十無が今ここにいたことを誇示するように、入り込んできた冷たい風がアリアを包んだ。

 もう会えなくなる。

 そう思うと、アリアは考えるより先に外へ飛び出していた。

「十無さん、言いたいことがあるんでしょう?」

 アリアは十無を引き止た。

 いつの間にか吹雪は止んでクリームのような新雪が、吹きさらしの階段や手すりに積もっていた。  

 階段を下りかけていた十無は、その場でアリアの方を振り返った。

「いや、その……坂本君、変な頼みを聞いてくれるか」

「どういう?」

「悪いが、明日の夜、バーで待っていてくれないか」

「え?」

「いや、やっぱりいい。忘れてくれ。悪い、変なことを言って」

「……グランドホテルのバーで、いいですか? バー・エジソンで、いつまででも待っています」

「そうか、ありがとう」

 微かな笑みを浮かべてそうお礼を言ってから、十無は帰った。

 数分外にいるだけで、顔がこわばるような寒さだった。

 きりりと冷えた空気が、青白い雪の積もる闇夜を支配していた。


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