表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/31

17・好きな人

 同時刻、アリアは十無と同じように落ちてくる雪を見ていた。

「アリア、浮かない顔だな」

「今回の『仕事』は、面倒だからどうしたらいいかなと、ちょっと考え中」

 アリアはヒロに悟られないようにそう言ったのだが、実は十無のことを考えていたのだ。

 今頃、十無は美希さんとうまくいっているのか。

きっと楽しく過ごしているのだろうと思うと、アリアは胸がうずいた。

「なぜ、まだ坂本周のままでいる? 今日くらい『仕事』のことは忘れろ」

「ごめん、ヒロの誕生日なのに」

 ヒロは窓際に寄りかかっていたアリアに寄り添うように立って、アリアの肩にそっと手を置いた。

 ここは忠別川沿いにあるアパートの二階の一室。

 木造の古いアパートは、二重サッシなのに隙間風が冷たかった。

 今夜は冷え込みそうだ。明日の朝、窓霜が見られるかもしれない。

 降る雪の先に、川の向こうに見える中心街の明かりが、ぼんやりと白んで見えた。

 旭川の中心街から遠い場所ではなかったが、氷点下十三度ほどになる冷え込みの時は、ダイヤモンドダストが煌めき、窓から川霧が見えるのだ。

 そして、最近の家には見られなくなった窓霜が、幾何学模様で窓を覆う。

 それは二度と同じ模様が現れることがなく、朝日と共に消えていく。

 一瞬の美。

 日が昇ればただの水滴になる、その時だけのもの。誰にも気づかれずにそのまま消えていく存在。

 自分が死んだら、自分のことを覚えていてくれる人がいるだろうか。

 アリアは窓を見ながら感傷的になった。

「ワイン、もう一杯どうだ?」

「うん、もらう」

 食卓テーブルには、ロ―ストビーフにサラダ、チ―ズの盛り合わせと飲みかけの赤ワインがあった。その傍らに、アリアが贈った、少し派手なベルサーチのネクタイが置いてある。

 本当であれば、ホテルでディナーを予約したいところだったが、こんな狭い街では東兄弟にいつ会うとも限らない。

渋々、アジトでのささやかな晩餐となった。

 そしてもう一つ、アリアがこの部屋で過ごすことにしたのにはわけがあった。

「あのねヒロ、実は今夜……」

 言いかけた時、坂本周用の携帯電話が鳴った。

それは見覚えのない電話番号だった。

 アリアが身構えて電話に出ると、聞き覚えのある元気な声が耳元に響いた。

「周ちゃん? 私、美希。今何処にいるの?」

「いや、ちょっと。どうしてこの番号を知っているの?」

「東君の弟から聞いたの。ついでに住所も」

 昇め、口の軽い奴!

 アリアは内心、悪態をついた。

「ごめんなさい、突然かけて怒った? でも、周ちゃんに会いたかったの。これから会えないかな」

 彼女は今夜、十無とお見合いの真っ最中のはずだ。どうなっているのだろうか。

「ねえ、だめ?」

 黙っているアリアに、返事を促すように美希が甘えた声を出した。

「わかりました。じゃあ、十五分後に」

「これから出掛けるのか」

「仕方ないよ。今は坂本周だから」

「その女、別に探偵の仕事に関係しているわけではないだろう?」

「でも、十無のお見合いの相手で、しかも婦人警官なんだ」

「だから?」

「だから、心配で……。とりあえず行って来る」

十無との見合いはどうなったのか、アリアは早く知りたかったのだ。

 しかし、さすがにヒロにはそう言えなかった。

 アリアはコートを着込んで、ヒロの質問から逃げるように玄関へ行ったが、言い忘れていたことを思い出してヒロのほうを振り返った。

「あ、今夜Dもここへ誘ってあるんだ。少し遅くなるって言っていたけれど、きっと来るから」

 と言って、ウインクした。

「おい、アリア、どういうことだ」

「じゃ」

 玄関先まで来たヒロを、アリアはするりとかわして出掛けた。

「あいつ、仕組んだのか?」

 ワイングラスを片手に、ヒロは玄関に一人取り残されて寂しそうに呟いた。


美希から電話があったのは、部屋を出る口実に良いタイミングだったが、どうして自分に電話をかけてきたのか。まだ二十一時過ぎという早い時間なのに。

アリアの気は急いていたが、肝心のタクシーは雪が舞う中、スケ―トリンク状態になっている路面をのろのろと進んだ。

 十五分後にと約束したが、結局、着いたのは三十分を過ぎていた。

「遅いじゃない」

「ごめん」

 佐藤美希は待ち合わせの買い物公園沿いにあるドーナツ屋で、珈棑を飲んでいた。

アリアも紅茶をオーダーして受け取り、向かい合わせに座った。

「お見合い、うまくいった?」

「こんな時間に私がここにいてそう思う?」

「……だめだったの?」

 美希は首を横に振ったのだが、それに反して沈んだ顔で、「彼から、付き合ってと言われたわ」と、答えた。

 十無は……本気だ。

アリアは二人がうまくいくことを応援しているつもりだったが、十無が彼女を選んだという事実を聞かされて、顔がこわばってしまった。そして、口を硬く結んだアリアは、目線を彼女からはずし俯いてしまった。

動揺を隠しきれなかった。

「周ちゃん、どうして怖い顔をするの?」

「ごめん、なんでもない」

 沸き起こった感情を打ち消すように、アリアは慌てて表情を笑顔に作り直し、「良かったね」と言った。

今更、何をそんなに慌てるのか。十無は彼女を選ぶ。それは、わかりきっていたことのはず。「アリア」は十無の選択肢には初めから入っていないのだから。十無の選択肢、自分もそこに並びたいのか。それを望んだところでどうなるのだ。もう考えない、そう決めたはず。

今まで深く仕舞い込んでいた感情が溢れ出す。アリアはそれを押さえきれなかった。

頭の中で自問自答を繰り返し、アリアはその気持ちを必死に否定した。

「でも、私、悩んでいるの」

 美希の声でアリアは我に返った。

美希が目の前にいることさえ、アリアは忘れそうになっていたのだ。

 彼女は今、なんと言ったのか。お見合いがうまくいったにしては彼女の様子がおかしい。

「どうして?」

アリアは思わず眉をひそめて美希に強い口調で返した。

あんなに思い続けていたようなことを言っていたのに。どうして悩まなければならないのだろうか。

折角、十無から良い返事をもらえたのに。自分だったら……自分だったら? 

アリアは浮かんできた言葉に戸惑った。

「……東君のことは、きっと良い所だけ記憶に残って、理想化していたのね。会ってみたら何かが違った。でも、私からお見合いをお願いしていたし、そのことを言えなかった。それに……」

「それに?」

「……自分の気持ちに正直になるって難しい。周ちゃんは、きっとそんな悩みなんてないのでしょう?」

「いいえ、僕はいつも悩んでばかり。自分の気持ちさえも本当のものなのか、わかりかねている。今の生活を投げうって恋に飛び込むことができない、自分が変わるのが怖い臆病者でしかない」

 アリアはそう言って、硬い表情のまま俯き、空になったティーカップを弄んで自嘲した。

 アリアは自分でも不思議なくらいすらすらと気持ちを言い表せた。アリアは声に出すことで、改めて自分の気持ちを知ったのだった。

 美希はアリアの憂いた表情を見つめ、瞳にかかる、男にしては長い睫毛に目を奪われていた。

 アリアが美希の視線に気づいて顔を上げた。目が合った美希は、微笑んだ。

二人が付き合うことを知ったアリアには、気持ちの余裕はなく、美希のその微笑の意味に気がつくことはできなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ