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16・トラウマ

 東十無は待ち合わせの時間よりやや早く、料理屋についていた。

 アリアを忘れる。そう決めたのだ。

 事務所で待っていたが、十無はとうとう昇に会えずじまいだった。

 アリアが今どうしているか十無にはわからなかったが、この雪の街にいることは確かだった。

 でもそれはもう関係のないことだ。これから佐藤美希に会うのだから。

 十無は気持ちを切り替えようとしていた。

 彼女が指定してきた店は、駅から離れた所にあった。酒精会社の直営店で、建物内にはお酒の製造過程が硝子越しに見学できるようになっていた。

その一角に洒落た感じの和食店があった。オルゴールの音色が流れている落ち着いた雰囲気の店は、女性客が多かった。

 オルゴールか。アリアはどうしてあんな物をくれたのだろう。あいつもよくわからないことをする。お陰でこっちはいいように振り回される。大体、よりによって何の意味があるのか全く検討がつかない物を、いい年をした男に……。

 自分勝手にアリアに腹を立てている自分に気がつき、十無は思わず苦笑した。

 男から男に贈るのに、気の利いた物もないか。……そんなことより四日後はクリスマス・イブだ。やっぱりクリスマスには彼女をレストランにでも誘ってネックレスでも贈らなければならないだろうか。

 意識を無理に佐藤美希に修正して、十無は半ば義務のように彼女との今後の予定を考えた。

「遅れて、ごめんなさい」

「そんなに待っていないよ」

 少し息を弾ませて席に着いた佐藤美希は、淡い水色のタイトなパンツスーツ姿で、声と写真だけで想像していたよりも落ち着いた印象に見えた。

「だってあの写真は成人式の時のですもの、かなり前よね。これじゃあ詐欺かしら」

 威勢のよい明るい声。彼女の声で十無は自分も元気が出てきそうな気がした。

「ああ、やっぱり東君は変わっていないわ。私、変わったでしょ。大学時代の私のこと覚えている?」

「いや、悪いけれど、全く思い出せない」

「そうよね、きっとそうだと思っていた。目立たない存在だったもの。……東君はずっと東京なの?」

 美希は少し残念そうに目を伏せたが、すぐに違う話題を笑顔で話し始めた。

 そのあとも、美希は運ばれてきた料理をついばみながら十無にあれこれと話しかけてきたのだが、次第に会話は途切れがちになり、十無は居心地が悪く感じたのだった。

「いいわね、東京は雪が降らなくて。旭川にいたら、半年は雪の中よ。夏だなって思えるのは一ヶ月くらい」

とうとう天候の世間話になってしまった。

十無も何か話題を作らなければと焦ったが、焦ると余計に気の利いた会話が思い浮かばず、そうだね等と相槌を打つのが精一杯だった。

 それまで笑顔を絶やさず楽しそうに当たり障りのない話をしていた美希は、はたと箸を止めて、「ねえ、私ってどう見える?」と真顔で聞いてきた。

「どうって」

 そう言われても何と言ってよいのか。

十無は、「元気で明るい人かな」と考えながら答えた。

「やっぱり」

 普通ならば褒め言葉なのだから、笑顔が返ってくると思いきや、美希は少しがっかりしたような口振りだった。

何か癇に障ることを言っただろうかと、十無は焦った。だが、美希は再び笑顔になって話しを続けた。

「ねえ、東君は今まで誰かと付き合ったことはないの?」

「ないよ」

「そう。でも、好きな人はいたでしょ?」

「そりゃまあ。でもうまくいったためしはないな」

「意外だわ。学生の頃、もてていたのに」

「そんなことないよ」

 十無は辛うじて、精一杯の硬い笑顔を作っていた。

料理は見た目にも美しく盛り付けられて美味しいはずなのに、十無は緊張で喉が通らず、箸がすすまなかった。

日本酒は早いペースで飲んでいたが、味もわからずに流し込んでいた。

 十無は就職してこのかた、女性とのデートなど一度も経験がなかった。

女性の扱いも元々不得手で間が持たない。だから、そういう機会を避けていたのだ。

学生時代、確かに告白を受けたことはある。

だが、彼女達は大抵、十無と会話をほとんどしたことがなく、面識がないままに、突然付き合ってほしいというのだ。

 十無は彼女達の熱心さに押されて交際したのだが、十無が結論を出す前に、私のこと本当に好きなの? 何を考えているのかわからないなどと自分勝手なことを言って、彼女達は去っていったのだ。

十無はその度に傷ついた。

周りでは、よく女を変える奴、冷たい。などと噂されたりもしていた。

 こうして十無には女性が苦手だという立派なトラウマが出来上がったのだった。

新人警官の頃には、婦人警官などから飲みに行こうとお誘いもかかっていたが、そういう理由で片端から断ってしまい、そのうち誘いは来なくなり、いつしか、クールで近寄りがたいという殻を作り上げてしまった。

 よく言えば仕事熱心で真面目だが、上司に受けがいい十無を妬む同僚には、堅物で女に興味がない、男が好きなんじゃないかなどと、陰口を叩かれたりしていた。

 そんなこともあり、今回お見合いをするという話はあっという間に署内に広まって噂話のネタにされていた。

 これで振られたら自分の立場がないかもしれないなどと気弱な考えもあり、十無は美希の前でかなりの緊張下にあった。

「無口なところも変わらないのね」

「いや、美希さんの前で緊張しているんです」

「緊張?」

 意外な言葉を聞いたというように、美希は目を見開いた。

「俺、女性と話しをするのがかなり苦手で」

十無はそう言って、景気付けにグラスに半分は入っていた日本酒を一気に飲み干した。

 言おう。無口でクールな東十無は、実は気弱で女の扱いも苦手な男だと。

外見で誤解されるのは嫌だ。

「いいのよ、東君はそのままで。人に合わせる必要などないわ」

 美希にそう言われて、十無は一気に肩の力が抜けた気がした。

「昨日、ある人にそう言われたの。あなたはあなたのままでって言うようなことを。その方が魅力的だって。随分気障なことを言うなって思ったけれど、でも、ふっと気持ちが軽くなって。私のことをそんな風に見てくれる人がいるんだって、少し自信を取り戻せたわ。自分で自分を否定して卑屈になってはいけないのよ」

 昨夜のことを思い出しながら話す美希の瞳が、美しく潤んでいる。

十無はぴんと来た。

 ある人というのは坂本周のことだろう。彼が既に彼女の心を掴んでしまったのか。

「あのね、東君が本当に来るって聞いて、私、とてもどきどきしていたわ。学生時代に好きって伝えていれば、今の私は違っていたのかもという思いが心の奥にずっと残っていたから。そして、その後、東君にいつか見てもらいたいと思って自分を変えたの。……でも」

「だったら、今からでも遅くはない。俺でよければ、付き合ってほしい」

 美希が顔を曇らせ、「でも」と、話しを続けようとしたとき、十無は断られるような予感がしたのだ。

 このまま終わらせたくない十無は、彼女の話しを遮って珍しく強気な態度で思わず告白してしまったのだった。

 心のどこかで坂本周に対抗意識があったのか、職場への体裁を考えたのか。それとも、アリアを忘れるためには前へ進むしかないと自分を追い詰めたのか、それは十無自身にもはっきりわからなかった。

 多分、そのどれもが当たっていたのだろう。

「私で、いいの?」

「あなたがいいのです」

 真剣な表情で見つめる十無に、美希は直ぐ返事をしなかった。

 店の大きな窓の外、青白くライトアップされた庭に降る雪を見るように顔を逸らし、美希はどうしたものかと考えているようだ。

「そうね、まずお願いします」

 美希が十無の顔に視線を戻して、微笑みながら微妙な言い回しの返事をした。

 十無はとりあえずノーではなかったことにほっとし、「助かった」と、陳腐な返事をして、美希が首を傾げていたのだが、当の本人はそれに気づいていないほど緊張していた。

 十無は酔うほど飲んでいないはずなのだが、その後、何を話したのか記憶が飛んでいた。

 うまくいったはずの見合いの席だったが、その料理店を出た二人は次の店に行くこともなく、それぞれにタクシーで帰宅した。

「これでいい。俺は美希さんを大切にする」

 タクシーの窓から見た雪はさらさらと風に舞い上がっては落ちていき、地に着かないうちに再び舞い上がっている。

 所在なげにふわふわと、いつ地面へたどり着くのか、それともいつまでも宙を彷徨っているのか。

 十無の気持ちもまた、不安定に揺れ動いていた。


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