14・ファイル
雪が降っていた。それも大粒の牡丹雪だ。こんな日は気温が高い。
昼下がり、音江探偵事務所の窓際で、アリアはコピー作業をしながら欠伸したいのを堪えて外を眺めていた。
どうして十無の見合い相手と夜中まで一緒にいなければならなかったのか。
昨夜は佐藤美希につき合わされて、帰宅は午前一時を過ぎたのだった。
そして、アリアが気だるい体を押して出勤したところ、『調査に行って来るので、書類をまとめておくように』と、昇が走り書きしたメモが机上に置かれていたのだった。
「あいつ、逃げたな」とそれを見た音江所長は苦笑していた。
所長は昇に寛容だ。それに、もう慣れっこのようだ。
東京から追っかけてきた浮気調査は、もうすでに終了しており、昇は旭川に用がないはずだった。
所長から頼まれた仕事も今は大きいものはない。一体、何の調査に行ったのだろうか。
「昇さん、もう昼過ぎなのにまだ帰ってきませんね。今頃、何処かでサボっているんじゃないですか?」
「はは、そうかも知れんな。だが、東君も何か考えがあるんだろう」
所長はパソコンとにらめっこをしながら、暢気にそう返事をした。
午前中の早いうちに他の調査員は皆出払い、事務所には所長とアリアしか残っておらず、静かだった。
本社が旭川で東京は支社ということだが、東京の方が需要はあるのか調査員は多いらしい。
ここの調査員は計七名で、事務員も兼ねている。所長は実際の調査は行かないことになっているが、人手不足の時には出掛けていく。
それに、副所長の長女、音江槇と所長は入れ替わりで、本社と支社を行ったり来たりして忙しいようだ。
「やっぱりまだ娘にすっかり任せるには心配でね。東君が本腰で仕事にかかってくれると安心できるのだが」
所長は昇を信頼しているような口振りで、アリアは昇を片腕とまで見込んでいることが不思議だった。
だが、それはすぐに納得のいく落ちがついたのだった。
「槇が嫌に東君のことを推していてね。あれでも、東京では真面目に働いているのかね」
と、所長はパソコン操作の手を止めて首をかしげたのだ。
アリアは声を上げて笑いたくなったのを、我慢しなければならなかった。
そんな世間話をしながら、アリアは報告書のコピーと整理を終えたのだった。
「所長、書類は出来上がりましたが、東さんが帰るまで、東さんが今まで担当した報告書を参考に見ていて良いでしょうか」
「構わないが、持ち出しはしないように」
「わかりました」
所長はCD―ROMが詰め込まれた施錠してある引き出しの一つを開け、昇がかかわった調査情報の保管場所を教えてくれた。
アリアの予想通り、昇が担当した旭川での調査はさほど多くはなかった。そのうちの一番新しい年数が記載されているものを取り出した。
「これはマスターですか?」
「いや、コピーだ。万が一のことを考えて別に保管している」
「そうですか、破損したら大変だと思って。じゃあ安心ですね」
「でも、慎重に扱ってくれ。マスターは出すのが面倒でね」
「遠いところにあるんですか?」
「そう遠くはないが、東京の分と一緒に旭川の貸し倉庫に保管しているから、出すのが大変なんだ」
「では、大事に扱います」
案外、簡単に聞き出せた。こんなに早く情報が手に入るとはと、アリアは内心ほくそえんだ。
アリアは最近の調査記録が入ったCDを選び、パソコンにセットして中を開き、フォルダを確認した。
ヒロから指示されたこと、それはある情報を消すこと。
アリアは美原という名前を探しが、ファイルはなかった。
画面を見ながら、アリアは少し考え込んだ。
昇は資料作成にかかわっていないのだろうか。だとすると……。
「所長、東さんのファイルは少ないんですね。これだけですか?」
「旭川での仕事は少ないからね」
「副所長のファイルも見ていいですか」
「どうぞ」
アリアはさっき所長が開いてくれた鍵付きの引き出しから、副所長の名前で収められている一番日付の新しいCDを一つ取り出した。
なかった。何故だ、もう調査は終わっているはずなのに。まだ音江槇が持ち出しているのか。
「副所長って、色々調査していますね。最近も自ら出向くことがあるのですか?」
「弱小事務所だから必要があれば動いている。今も何件か抱えているはずだ」
「大変ですね。確か、東さんと幼馴染で歳も同じくらいでしたね。若いのに凄いな」
「いやそれが、子供の遊びの域を出ないから困っている。金払いの良い依頼人がいて継続調査を依頼されたのはいいが、一人で動いていて、事務所に報告しないでいる。調査を私物化してはいけないのだがね。まとめ上げたら報告すると言っていたが、困ったものだ」
アリアはぴんと来た。それはきっと美原ななからの依頼に違いない。
「でも、二十代で副所長をこなしているなんて。一度お会いしてみたいですね。副所長は近々こちらへは来る予定ですか?」
「そろそろ来る時期だな。クリスマスは雪があるところがいいと我がままを言っていたからね」
所長は目を細めた。子煩悩な親だ。所長は娘に甘いのだろう。
多分、仕事も好き放題にやらせているのではないだろうか。
娘のことを話す時、困ったといいながら、笑みが絶えない。
「じゃあ、会えるのを楽しみにしています」
音江槇に直接会うしかない。
ファイルのありかを聞き出さなければ。そして、自分に関する情報を全て消さなければならない。
アリアは所長に笑顔で話しかけながら、頭の中で今後の策を練り始めていた。