10・薔薇とワイン
「またいつもどおり、花束にしようか」
アリアが旭川で坂本周に成りすましている頃、ヒロはアリアへのクリスマスプレゼントを指輪にしようかと銀座の宝石店へ立ち寄っていた。
だが、アリアは変装以外で指輪を身につけることはなく、喜ぶどころか困った顔を向けられることはわかりきっていた。
ヒロは今回も勇気が出ずに、買うのを思いとどまった。
クリスマスにはケーキとワイン、それに薔薇の花束と決まっていた。
そうなったのはいつの頃からだろうか。
洋服や装飾品にしたこともあったが、アリアはいつも困ったように顔を俯かせる。
あの顔を思い出すと、ヒロはどうしても渡すのをためらってしまうのだ。
初めは身を守るため、仕方なく少年という殻に入っていたものを、今ではそれは違和感がなく当然になってしまった、アリアの男装。
ヒロがそうさせたようなものだった。
アリアの母親、ななからアリアを連れ出した時、少年のようだったアリアを、そのまま少年として扱ってしまったことを、今更ながら後悔した。
一緒に住み始めた時に、女性としての生活に戻していたら。
だが当時、二十歳のヒロにはその余裕がなかった。
アリアが次第に打ち解けてヒロを慕ってくるようになるにつれ、少年の姿をしたアリアでも、ヒロはアリアに女性を感じてしまったのだ。
抑えきれない衝動がヒロを悩ませはじめ、義兄、親代わりの保護者として接するには無理が出てきてしまった。
十三歳だったアリアは、いつしかヒロを全面的に信頼し疑うことなくヒロに全てを任せるようになり、ヒロもそれに応えるために、その気持ちを心の奥深くに封印しようとしたのだ。
女扱いしないためにも、泥棒の『仕事』に自然と手を染めるようになっていたアリアに、男装すると身元がわからず『仕事』には都合がいいからと理由をつけて、いつまでも少年の姿を強いたのだ。
ヒロの指示が絶対となっていたアリアは、それを忠実に守った。
それは歪みとなり、ヒロには悪い女癖がついた。
ヒロは義兄として慕ってくれるアリアの信頼を裏切るのではないかと恐れながらも、何度となくアリアに気持ちを告白したが、その度にアリアは小首を傾げ、困ったように笑った。
義兄という繋がりがなければアリアとは接点がなく一緒にいられない。
そしてまた、ヒロは自分の気持ちをはぐらかし、アリアに冗談のように愛を囁くことで誤魔化し続けた。だが愛している。
その葛藤の狭間でヒロは恋人のような、親のようなどちらともとれる曖昧な愛情を注いできたのだ。
そして、今では弊害でしかない男装を、今度はあの双子達を近づけたくないために利用している。
アリアを誰にも渡さない。もし、異母兄妹だったとしても。
美原ななから、血の繋がりがあると聞かされ、一時は身を引こうとも考えたが、あの女のことは信用できないと、ヒロはその不安を抱えたまま、アリアを愛し続ける道を選んでいた。
ヒロは目に付いた喫茶店にふらりと立ち寄って、喫煙席を希望した。
最近、何処の店でもめっきり減った喫煙席は、店の隅のほうへ追いやられていた。
サラリーマン風の客が一人、肩身が狭そうに煙草を吸っていた。
お腹の出っ張りも堂に入り、妻子がいるような、いかにも家庭的そうな隣の席に座るその男を、ヒロは一瞥した。
こいつも早死にしたいくちらしいな。
ヒロは頭の中で自分に向かって言うように、その男に心の中で嫌味を吐いた。
守りたいものがあるうちは、死ねないと思う。
だが、いつ死んでもいいと思う気持ちもあり、自暴自棄の行動をとっては考え直すのだ。
矛盾する混沌とした気持ちはヒロ自身、どうすることもできなかった。
やはり、煙草の匂いは消せない。
明日、旭川で会ったら、またアリアに怒られるだろう。
今頃、白銀の街で坂本周として生活しているアリアを思い浮かべた。
ヒロは一人で苦笑いした。
今朝から二箱目になる煙草をコートから取り出して火をつけ、ゆっくりと煙をくゆらせた。