お仕事は大変
なんとか会社に間に合った僕は自分のディスクに座るとパソコンを立ち上げる。
僕の務める会社のオフィスは各ワークスペースが背の高いパーテーションによって囲まれ、簡易的な個室を形成している。ゆえに隣の人が何をしているのかは分からない。
おかげでメー子と一緒にいてもそこまで神経を尖らせる必要はないのが救いだ。
「ねえ、恵人の仕事ってなに?」
「ん? なんていえばいいかな。各地にある工場の業務管理ってやつなんだけど、生産スケジュールの……ん、パソコンでポチポチする仕事だよ」
眉間にしわを寄せて腕を組んで考え込むメー子を見て僕は説明を簡略化する。
「なるほど、ポチポチするやつかぁ。わかる、わかる」
それねって感じで相づちを打つメー子が理解できていないことは分かったが、それ以上は追求せず僕は業務に集中する。
メールのチェックから始まる朝のルーティン。だが今日は違う。
最初こそ興味深そうにパソコンの画面をのぞき込んでいたメー子だがすぐに飽きたのか手を後ろに組んでフラフラ歩いたり、パーテーションをすり抜け隣の人の机にあるチョコの包みを見つけて銘柄を僕に教えてくれる。
「ねえ、休憩まだ?」
「まだだよ。えーっと、うえっこれファックスで送るのかぁ……あそこの人パソコン苦手だからメールだと気づかないんだよな」
古い町工場にいる年老いたおじさんの顔を思い浮かべながら、この時代にあってファックスを送るため資料を印刷する。
プリンターから出てきた紙を手に取ると、共有スペースにあるコーピーやファックスの機能を兼ね備えた複合機の元へと向かう。
投入口に数枚の紙をセットしたあと、スマホを取り出した僕は送り先の電話番号を確認する。
「へぇ~この機械大きいね。えい、えい」
僕に触れてタッチパネルを叩くメー子を無視して僕は作業を進める。
「あ、ついでにあっちの資料も送っておくか」
前に工場のおじさんと話したときのことを思い出した僕は机に戻ろうとしてメー子の方を見てつま先立ちで驚いてしまう。
複合機からじゃんじゃんと印刷されるコーピーの紙の山。何が起きたのか分からない僕がメー子をよく見ると手にはタッチペンが握られていた。
「タ、タッチペン⁉ いやそれよりも!」
僕はあわてて液晶を見るとそこには『253枚』の表記があった。急いで停止ボタンを押してコピーを止めると、ジョブの停止を選択し残りのコピーをキャンセルする。
「動いた」
「いや、動いたじゃなくて……はあ」
感激するメー子を横に僕は複合機から出た紙を手に取る。幸い気づくのが早かったおかげで30枚程度しか出てないようだった。
「渡舟くん、何かトラブルかね?」
コピーされた紙をまとめる僕の背後から聞き慣れた声がかけられる。振り返ると堀の深い顔立ちの初老の男性……僕の部長が立っていた。
僕が手に持つコピーの束を口角をわずかに上げた部長の目元も緩む。これが優しさからではなく、人の失敗を見つけたときの喜びの笑みであることを知っている僕はちょっぴり体をこわばらせ、次にくるであろう部長の攻撃に備える。
「ここにきて何年目だったっけ? 未だに複合機の使い方が分からないのかね? ぷっ、おっと失礼、あまりに想定外のミスに笑いが出てしまったよ」
「申し訳ありません」
「いやいや、いいんだよ。人は失敗する生き物だからね。だけど、これはちょっとありえないねぇ」
頭を下げる僕からコピーの紙を引き取った部長は、自分の手を紙で叩きパンパンと音をたてながらねっとりとした口調で話す。
頭を下げたままの僕だが、小バカにした部長の視線は痛いほど感じる。
「渡舟くんさぁ弛んでいるんじゃないか? 30代っていえば仮にも中堅どころ、上の人間を支えて下の人間の見本となるべき立場だろ。私が渡舟くんの年代のころはバリバリ仕事していたけどねぇ。ぼーっとしてコピー間違えるなんてなかったけどね。それどころか課長とか部長に仕事ありませんか! って積極的に仕事を取っていたけどねぇ」
くどくどと続く部長の言葉を床を見たまま受け止める僕に飽きたのか、目の前に紙が差し出される。
「まったく紙の無駄遣いは罪だよ。もはや犯罪だからね、覚えておきなよ。ほらっ、受け取って。いつまで持たせる気だね」
僕は部長から紙の束を受け取ると、もう一度頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
「はいはい、謝罪だけはベテランだね。今度から気をつけるんだよ」
最後まで嫌味ったらしく言葉を並べながら部長は去っていく。
「はぁ~タイミング悪かった……」
去った気配を感じた僕がため息をつきながら顔を上げると、大人しいメー子の方を向く。そこにはいつもの元気な姿はなく、目に涙を浮かべて唇を震わせているメー子の姿があった。
僕と目が合うと体を振るわせて、涙をボロボロとこぼし始める。そして震えたままの唇をわずかに動かす。
「ご、ごめん……なさい……」
絞りだすような小さな声で謝るメー子を見て僕は、さっきまで部長に説教されてキュッとなった胃をさする。
「大丈夫だよ。注意しなかった僕も悪いんだし気にしなくったていい」
「で、でも……」
納得してない様子のメー子は今にも泣き崩れそうでいたたまれない姿をしていて、僕は彼女の悲痛な表情を和らげたくて自分ができる限りの柔らかい笑顔を作る。
「そんな顔しなくていいよ。次から気を付けてくれればいいから」
それでも納得いかないのかメー子はぐすぐすと鼻を鳴らして涙をこぼす。
「本当に大丈夫。それよりもずっと立っているの暇だよね。何かできないか一緒に考えようか」
僕が声をかけると涙で潤んだ瞳を向けて小さく頷く。目に溜まった涙をこする姿を見て安堵のため息を小さくついた僕はファックスを送信するとメー子を連れて自分の席へと戻る。
「災難だったな」
戻る途中パーテーションから顔を覗かせた同僚から声をかけられる。
「まあ機嫌が悪かったんだろ」
「仲座のヤツが機嫌悪いのはいつもだろ。ほんとっネチネチと嫌みったらしいよな」
「まあね。あれで仕事ができるなら文句も言わないんだけど」
「違いないな。あいつ仕事も適当だもんな。っと呼び止めて悪かった。これやるよ」
そう言って同僚が自分のディスクの上にあったチョコを数個くれる。
「ありがと」
「おう」
チョコの包みを受け取った僕はお礼を言うと自分の作業スペースに戻る。
「これさっき教えてくれたチョコだろ? 食べよっか」
僕がチョコを差し出すと戸惑うメー子の目が泳ぐ。本当は食べたいけど、怒られた手前食べづらいといったところだろうか。
「僕も食べたいから、きみも食べなよ」
僕は一つの包みを開けると口に中に放り込み、もう一つをメー子の手の上に置く。まだどうしていいか分からず、涙の残る瞳を向けてくるメー子に微笑みかける。
「おいしいよ。食べたら?」
「う、うん」
僕に促されたメー子は一歩前に出て僕に寄りかかるとチョコの包みを開き口の中へと入れる。
「甘い……」
ポツリと呟いたメー子を見てホッとする。
「実はさ、今朝電車に乗ったとき、人混みの中できみが凄く嫌そうな顔をしていたの気付いてて知らないふりしようとしたんだ。幽霊だからいいやって」
僕が話だすと驚いた表情で見つめてくる。
「そんな僕をきみは許せる?」
「で、でも恵人は私を連れ出してくれた。見て見ぬふりしてない。だから……許すも何もないと思う」
「じゃあ僕もきみが悪いことをしたとは思ってないから」
僕が言いたいことが分かったのだろう、それを否定しようとしたのかメー子が何かを言おうとするのを手を広げて僕は制する。
「この話は終わりってことでいい? それよりさっきのことでタッチペン使えばタッチパネル操作できるってことが分かった方が意味があると思うんだ」
何か言いかけた言葉を口の中でもごもごさせるメー子を横目に、僕はディスクの引き出しのカギを開けると中からタブレット端末を取り出す。少し古いがまだ使えるタブレット端末の電源を入れるとバッテリー残量が少ないと警告がでる。
ケーブルを電源タップにつなげるとメー子にタブレット端末を手渡す。受け取ったメー子は不思議そうにタブレット端末の画面を見つめている。
「なにこれ?」
「それはタブレット端末っていってモバイルデバイス……簡単に言うと大きな携帯でインターネットとかできるんだ」
「これで? うそだぁ」
僕の説明に納得できないメー子に引き出しから取り出したタッチペンを見せる。
「論より証拠、使ってみたらいいよ。パソコンとか使ったことある?」
「う、うん……たぶん」
自信なさげなメー子の目の前で僕はタッチペンで画面に触れる。瞬時に切り替わる画面をポカンと口を開けたまま見つめるメー子の表情が可笑しくて、笑みがこぼれてしまいそうになるのを我慢する。
「ここを押したら繋がるから検索してくれればいいけど……大丈夫?」
「う、だっ、大丈夫」
頭から煙が出そうなメー子に僕はタッチペンを手渡す。
「それじゃあ、僕は仕事するからその間お願いしたいことがあるんだ」
「お願い?」
メー子が不安そうに首をかしげる。
「通勤するのに毎日自転車借りるわけにはいかないし、これを機に自転車を買おうと思うんだ。だから近くの自転車屋を探してほしいのと、どんな自転車がいいかを考えてほしいんだ」
僕の提案にメー子は目を丸くして驚く。
「ずっと待っているのも暇だよね。ついでにこの周辺のことも調べてみたらいいよ。地理とか分かんないでしょ」
「お、おお~たしかに! 調べてみる。恵人の自転車も見つけるから任せて」
少し元気を取り戻したメー子が明るく返事をするのを見て僕は胸をなでおろす。




