人生で一番騒がしい通勤
誰にも見えないけど確かに手に触れる感覚を感じながら逃げる僕は人気の少ない場所までたどり着くと壁に背をつけて寄りかかる。
「はぁ~っ疲れたぁ……」
仕事へ行くだけなのになんでこんなに疲れないといけないんだと、ため息をついた僕は、右手の先にいるメー子の方を見る。今の現状を作った原因である彼女は反省するどころか目を輝かせて僕の方を見ている。
「た、楽しい!」
こっちは全然楽しくないという言葉を飲み込んでしまうほど、キラキラした瞳を潤ませるメー子を僕は呆れた目で見返すのが精一杯になってしまう。
「恵人が引っ張ってくれたら走れたみたいになった」
「走れたみたい? え、ってことは走れないってこと?」
「うん、地面に足がつかないから走れない」
メー子がわずかに浮いた足をパタパタさせ浮いていることをアピールする。飛んでいるからむしろ速いくらいに思っていたが、まさか逆だとは思わなかった。
「地面に足ついてないのは知ってたけど、普通に歩いてなかった?」
「ううん、ふわふわ動いてるだけで足を動かすのはクセだと思う」
「クセ……なるほど」
足を動かすのがクセだと言うメー子の発言に思わず納得してしまう。仮に今から僕が幽霊になったとして、浮いてるから足は動かさずに飛ぶよとはならないはずだ。これまで生きてきて無意識でやっていたことを止めれるわけがない。
「ってことは、もし足を動かしていない幽霊がいたらそれは浮いていることに慣れている、つまり幽霊歴が長いってこと?」
「たぶんプロ」
なんというか、メー子と出会って幽霊への認識を改めさせられることが多い、なんてことを思った僕はふと構内の時計を見て思わずつま先立ちになってしまう。
「ヤバい、電車に間に合わなくなる!」
いつもより遅く、さらに変な演劇をしたせいでかなり時間を使ってしまい、会社へ着く時間を逆算してギリギリであることを悟った僕はメー子の手を掴む。
「ちょっと急ぐから」
「うん」
嬉しそうなメー子を引っ張って僕は素早く改札口を抜け、無事に電車の中へと入る。いつもより出勤時間が遅いせいで、混雑している電車内のつり革を握ると無事に乗れたことに僕はほっと安堵のため息をつく。
「いたっ」
ほっとしたのもつかの間、聞きなれない声で我に返った僕が隣を見ると、僕の腕にしがみつくメー子にぶつかったおじさんが、腕をさすりながら不思議そうに何もない空間を観察している。
僕に触れているときだけ触れることができる、つまり他人からも触れることができるということだと気づいた僕はメー子の腕に軽く触れる。
「離れた方がいいかも」
「う、うん……」
小声で話しかけると浮かない表情のメー子がそっと離れる。それと同時に僕と目があったおじさんは不思議そうな表情のまま、何もない空間を詰めて混雑した電車内に一人分のスペースを作る。
ほどなくして電車は発進し、電車の揺れに合わせ揺れる人たちの中で揺れないメー子の姿がある。人混みの中にあって干渉しない存在など当たり前だが、誰も気にすることなく日常の風景がそこにはある。
人が自分をすり抜けるたびに顔に影を落とし最初こそチラッと僕を見ていたが、やがて直立させた体をこわばらせ下を向いてしまう。電車に乗る前に見せた明るい表情はそこにはなく、なんだか泣きそうにも見えてしまう。
幽霊なんだからすり抜けるしメー子もお互い干渉しないのだから何も問題はない。気にすることはないと一度はメー子から目を離しつり革を握っている手を見る。
出発して数分で次の駅へ停まるとドアが開く。僕の会社に行くにはあと二駅越える必要があるゆえ、つり革を握ったままドアが閉まるのを待つ。
数人の人たちが降り、入れ替わりにたくさんの人たちが入ってくる中ふとメー子を見ると、うつむいたまま両手をぎゅっと握っているのが目に入る。誰にも気づかれることのない存在、だけど意思はあって感情もある……気が付くと僕はつり革から手を離していた。
「すいません、降ります」
僕はメー子の腕に軽く触れるとそのまま電車の中に入ってくる人の流れに逆らって降りる。すごく迷惑な行為であることも、他人から冷ややかな視線を向けられていることも分かっていたが、これ以上メー子をこのままにしておくのは無理だった。
メー子が電車から降りたのを確認した僕は手を握り、戸惑うメー子を引っ張って人が少ない場所へと連れ出す。
「こ、ここで降りるんだったの?」
「いやまだ先だけど」
僕の答えに意味が分からないと首をかしげるメー子だが、今は時間がないこと、何よりも人混みが辛そうなきみの姿を見ていられなかったからなんて恥ずかしくて言えない僕は握った手を引っ張る。
「急ごう。このままだと遅刻しそうだし」
まだどこか戸惑うメー子を半ば強引に連れ駅を出ると少し前に記憶を頼りに足を進める。
「あった、えーっとまだ有効期限は切れてないはず」
ビルの駐輪場に設置されているレンタル自転車の前で立ち止まった僕はスマホを取り出すと、たくさんのアイコンの中からあまり馴染みのないアイコンをタッチする。
かなり前に自転車を借りるため登録して一度しか使ったことのないアプリはもたもたしながら開き、アップデートを要求してくる。仕方なく承認すると、再びメー子の手を引き近くにあるコンビニへと向かう。
「先に朝ごはん食べよう。ほら、選んで」
「え、えっと……うん」
コンビニのパンコーナーの前で戸惑いながらもメー子は僕に促され朝ごはんを選び始める。
メー子が選んだ焼きそばパンとサンドイッチに加えて僕のクリームパンと飲み物を二つ袋に入れてもらい外に出る。
スマホを見て、もう少しでアプリの更新が終わりそうなのを確認した僕はビルの端に立つ。人通りのまばらな場所で僕はパンの袋を開けるとメー子に渡す。
「目立つから僕の後ろで食べようか」
「うん」
目を輝かせ焼きそばパンを受け取ったメー子は僕の背中に寄りかかって食事を始める。これで少なくとも焼きそばパンが空中に浮いているのを見られることはないはずだと安心した僕はクリームパンにかじりつく。
半分を食べ終えたところで背中を遠慮がちに叩かれ振り返ると。メー子が空になった焼きそばパンの袋を渡してくる。僕は代わりに紙パックのオレンジジュースを手渡す。
嬉しそうに受け取って飲み始めるのを見計らってサンドイッチを袋から出して後ろへ差し出すとメー子が手に取るのを確認して手を離す。
背中で袋を開けて食べている気配を感じながらスマホを取り出し、アプリの更新完了の文字を見て操作する。
パックのコーヒーを飲み終えた僕が振り返ると、既に食べ終えていたメー子が袋と紙パックを両手に持って立っていた。
「ごみはこれに入れて。それじゃあ行こうか」
僕が広げた袋にごみを入れてまだ何をするのか理解できずに不思議そうな顔をするメー子を連れ、僕はスマホに表示されたQRコードをかざしてレンタル自転車のカギを解除すると引っ張り出しまたぐ。
「乗れる?」
自転車に乗っている僕に恐る恐る近づいたメー子は僕の肩に手を置いて後輪のスタンドにある出っ張りに足をかける。
僕の両肩に手を置いて立ち乗りするメー子を見てペダルを踏みこむ。
本来二人乗りは違法だが幽霊であれば問題はないはずだ。ついでにヘルメットもかぶってはいないが今日だけは勘弁してもらいたい。
軽く肩にかかるけど確かにある感触を感じながら僕は自転車をこぐ。
「風が気持ちい」
久々の自転車は運動不足の体にはこたえる。だけど後ろで嬉しそうに呟くメー子の声で自転車をこぐ足に力が入る僕はなんて単純な人間なんだろうなとか思いながら、人生で一番騒がしい通勤を継続する。




