The tide
【違法建築を繰り返し、有機生物の様に巨大化した貧民窟、フラッフィーマンションがミナの前に現れる。その入り口はシャッターで閉じられていた。】
道なき荒野を走って6時間、それは突如彼女達の前に現れた。
ハンドルを持つカヴィアの口数が少なくなる。それは彼女の右方向に打ち捨てられた廃線の跡が見え始めた頃だった。カヴィアはその廃線のあと、既に一部は壊れて自然に返り始めている線路のあとを追いながら車を走らせている。線路は高い岩山へと向かっているらしい。斜めになった車体の中でミナも左右に揺すられながら必死で取手を掴んで衝撃に耐えている。その衝撃が止んで、車体が水平になった。まるでそこを狙ったかの様に冷えた風がミナの背後から吹き抜けていく。混ざっていたのは微かな腐敗臭。警戒し辺りを見回した時、岩陰から逆光を受けた真っ黒な何かがミナの眼前に広がった。
目を見開いてそれを見上げる。巨大な城だ。人の血と肉、憎悪と怨嗟で組み上げられた歪に成長する共同マンション。よく見れば窓が存在しているのがわかる。同時に一般的な社会では想像つかないもの、飛びでた鉄骨には幾つもの——(恐らく懲罰として機能するのだろう)首吊り死体が、真っ黒な怪鳥シュリーカー・クロウに啄まれていた。確かにこのマンションはモンスターと人間が共存する住宅だ、ここではモンスターそのものが人間社会の懲罰の方法となっている。
眼前に迫ったカオスに圧倒されてミナは息を忘れた。同時に立ち上がって、ほとんど本能のままカメラのシャッターを切った。今まさに腑を引き摺り出される罪人の写真、餌を取り合い争うシュリーカー・クロウ、ギャアギャアと騒ぎ立てるクロウの声を聞きながら窓辺で酒を飲む老女、崩れかけた足場に腰掛けて何かをしゃぶっている汚れた少年達。
ジープの速度はそれらをスライドし、遠ざけていく。待って欲しい、の声がそのままシャッター速度に現れる。運転を続けるカヴィアが呟いた。
「あれがフラッフィーマンションだよ。元は二十階建てのアパートだった。今は何層あるかわからないけど、あのマンションに少なくとも30000人が居住してる」
30000人。答えられないミナは再度カメラを覗き込む。銃を持った男達の姿も見えた。ミナにとってこの景色は世界の真実だ。夢中でシャッターを切りながら彼女はそのマンションに暗い熱情を感じていた。ここだ。世界とはここだ。ケムトレイルが見ている世界、あるいはモーティが目指している世界もここだ。富裕層を拒否し、プリミティヴな人間をむき出しにする世界。その暴力だけが、自分を馬鹿にしたセンチネルやワールドクロックに穴を開ける。膿んだ生命が発酵する世界。
「シュリーカー・クロウがいつもより多いね。抗争か何かあったのかもしれない。主に屍肉を食べるけど、群れは像や大型のモンスターも襲う。人間ぐらい片足で持ち上げるから気をつけてね」
緊張しているカヴィアが低い声で警告を呟いたけれど、ミナの耳にそれは入らない。
「地上5階が入り口だ、一階は既にモンスターに占領されてて入れない。昔はここまで鉄道が来てた。駅から入れる様になってる」
カヴィアは右にハンドルを切った。砂埃が舞って、黒い城は岩陰に隠れて消えていく。ミナは魅せられた様に背を伸ばして、岩陰から覗くかもしれないフラッフィーマンションの姿に期待をした。フラッフィーマンションはもうその姿を表さず、シュリーカー・クロウの鳴き声は遠くなった。やっと腰を落とした助手席で、ミナはあのマンションを表現する言葉を探している。
———言うなればあれは原始の生命、その咆哮なのではなかろうか。
文章が回る。
———全てがカオティック、熱された自由。憎悪と嫉妬と猜疑と反抗。人が恐怖するもの、恐怖とは不明である事だ、だとするならばフラッフィーマンションは恐怖の対象ではない。人間が見るに耐えられないもの、フラッフィーマンションにあるものは生命そのものの暴力だ。それは常に人間のそばにある。生命が持つ冒涜性、生きるという事の原罪がそこにある。人はフラッフィーマンションに気付かされるのだ。暴力は常に我々の中に存在している、と。
◇◇◇
廃線のレールの上を走っていたら、二階建ての倉庫の様な建物が見えてきた。大きく書かれている言葉は華国語、漢字だ。
レールはその倉庫の中に伸びているが、巨大なシャッターが行く手を阻んでいる。ジープを止めたカヴィアが運転席から飛び降りる。ドアを閉めた後、続こうとしたミナを制して言った。
「少し待って。危ないから車から降りないで。戦闘になったら見捨てて逃げてね」
微笑んでそう言った後、彼女の小さな背中がガレージに進んでいく。彼女の小さな体から出たものとは思えないぐらいの大きな声で、彼女は華国語を口にした。
「有人在嗎《誰かいない?!》」
荒れ果てた街の中は静かだ。その静けさが逆にこの場所の危険度を知らしめる。ミナはゆっくりと車内で体を屈めた。目だけはカヴィアに向けながら。カヴィアはまた、両手を上げて声を張り上げる。
「我沒有槍。沒有敵意。我只是來面試的!(銃は持ってない。敵意もないわ。取材に来ただけ!)」
暫く静寂があって、錆びた倉庫の上から小さな声がした。
「是誰?(誰だ)」
屋根の上に人影が見えた。そして人影を見つけたミナは更に頭を低くした。銃を持っている。
カヴィアはそのまま声を上げる。
「カヴィア・ラオ!我會把我的面試費放在這裡!(取材費をここに置くわ!)」
そういって彼女は防弾チョッキの奥から茶色の封筒を取り出した。分厚い封筒を線路の石の上に置いて、手を挙げたまま後ずさる。即座に武装した男性が倉庫の右から飛び出してくる。左にも一人、彼は既に銃を構えていた。二人とも特徴的なマスクを顔に被せている。まるで髑髏の様な——。汚れたシャツを身に纏った右の男が封筒を取り中身を確かめる。左の男に目配せをする。左の男は銃を下ろし、視線を倉庫の上へと向けた。
倉庫の屋根に立ち上がった男の顔も髑髏のマスクで隠されている。ただ、彼の身なりは多少良いものだった。厚めのジャケットとジーンズ、年は若そうだ。
「進來!」
屋根の上の男が声を上げた。途端に鉄錆の擦れる耳障りな音が周囲に響き渡る。シャッターがゆっくりと開き始める。駅の構内にもまた小さな街があった。白いマスクの男達が緊張を解いた様子でこちらを伺っている。
ジープの運転席へと歩いてきたカヴィアがドアを開けた。助手席に丸まっているミナを見つけて微笑む。
「もう大丈夫だよ。白骨幇の連中はまだ話がわかる。恩を売れば力にもなってくれる。フラッフィーマンションに入るにはこの方法しかないんだ。東にも入り口はあるけど、ラ・ムエルテ・ブランカの支配地域だから私じゃコネクションがない。私はまだ新人だしね」
運転席に乗り込んだカヴィアが車のキーを回す。エンジンがかかって車体が揺れたので、助手席のダッシュボードにミナは頭をぶつけてしまった。ゆっくりとアクセルを踏んだカヴィアは、その小さな街、反社会ギルド白骨幇のアジトに侵入する。そこにはやはりミナの予想した通りのカオスがあった。赤いランタンに隠され浮かびあがるのは、無秩序な統制。反社会組織による自治からなる小さな華国街が駅の構内に広がっていた。
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