Blue Shift1
【フラッフィー・マンションへと潜入する為、ミナは傭兵ギルドへ赴き警護を依頼する。】
右を見ても左を見ても、ゴミと下水の匂いの立ち込める路地の裏にその建物は輝く様に聳えていた。
お世辞にも治安がいいとはいえない、リベラフェデラー、ドームの際にある地区だ。ドーム外から不法移民が流れ込む、その最前線にあってこれだけの高級感を演出できる外観がまず珍しかった。一般的な建物はその全ての入り口に鉄格子が取り付けられている。まだ中心に近いレッドピル出版ですらそうだ。だがこの民間傭兵会社の受付入り口にはそれがない。強盗の類がないわけではないだろうが、確かにそこに所属しているのは、歴戦の兵士たちだ。自信の表れでもあるのだろう。
大きなガラス窓が嵌め込まれていて中の様子が通りを一歩隔てたこちら側からでもよくわかる。柔らかいオレンジの光に照らされた室内には二人、客が待合の椅子に腰掛けている。高級なカフェでの女性との待ち合わせにも似た高揚を感じながら、ミナは左右を確認して通りを渡った。薄い黄色を基調とした落ち着いた色彩の玄関扉に近づき、美しい金属で刻印された文字を読んだ。『民間傭兵サービス グラナイト・ヴァウ』緊張の息を吐いてドアノブに手をかけた。
室内は更に落ち着いていて優雅だった。淡い光の照明は磨き上げられたシカモアの床を照らしている。驚くべきは音楽。静かなクラシックが嫌味にならない程度の音量で流されていた。
「ようこそ、グラナイト・ヴァウへ。ご要望をお伺いします」
高くに設置されたカウンターの上から声が掛かった。柔らかい男の声に驚いてそこを見上げると見目の良いスーツ姿の若い男性が微笑みながらこちらを見下げている。
「あの。レッドピル出版です。予約が入っていると思うけど」
少々お待ちを。そう告げた男性が、帳面を捲る。その間を埋める為室内を観察する。カウンターを正面にして左の壁には登録されている傭兵達の顔写真が掲載されている。殆どが男性、それも中年だ。女性の姿もあったが15枚ある写真の中の2名だけだった。一人は精悍な顔つきをした女性戦士、国籍はアジア圏だろう。ガネーシャの雰囲気が伺える。もう一つはやはり鋭い目をした白人女性。名前と職能をみればなるほど、救護衛生を担当しているらしい。選べるのなら女性がいい、とミナは思った。男性と三日間一緒だなんて冗談じゃない。
「ミナ・クレーバー様ですね。モートン・グレイブス様よりご予約頂いています。五番の部屋へどうぞ、担当を案内させていただきます」
受付の青年の声に振り返り、曖昧に微笑んで黒いスーツの後に続いた。カウンターの隣に設置されていた小さな階段を上がり、そこから真っ直ぐに続く廊下、幾つか並んでいる個室、5という数字が刻印された扉を開けて受付の男性はミナをそこへと案内した。
「この場で少々お待ちください。事務員を呼んで参ります」
内部には小さなテーブルと向かい合った椅子、テーブルの上には資料が乗っている。受付の男性はそのまま出て行ってしまったから、スツール型の椅子に腰掛けた。テーブルの上の資料を取り上げて読み始める。GRANITE VAV。政府認可の民間傭兵サービス。何かが引っかかったけれど、その差異を横に置いてミナは資料を読み始めた。
資料にはこうあった。この民間傭兵サービスは、政府支援の元、主に負傷兵及び新人の養成を目的として創設されたギルドである。文言を読んで沸いた不快感を覆い隠して頷いた。政府の支援を受けている。この内装と外観も合点がいく。読み進めた最後のページには、ミナがこの世界で最も憎む男がポートレイトの中でいやらしく微笑んでいた。
エリック・スターリング。
プロヴァンス派の政治家で実業家、歯に衣着せぬ過激な発言でバカな男達の支持を得ている。ミナにとっては倒すべき敵だ。白い髭を蓄えたマスキュリストさながらに彼は序文で挨拶を始めていた。
……他者の安全を守り、国の為に尽力した男達が捨て置かれている。モンスター達と戦う事は、オフィスで書類に目を通しコーヒーでブレイクする事ではない。肉体と精神を酷使し、時には社会生活を行えないほどの障害を負うこともある。けれどもそうした負傷兵、負傷ギルド員の多くは職にあぶれ物乞いとして生活をするしかない現状がある……
数行を読んで喚きそうになった。男達は金の為にギルドに所属して、金の為に命を散らすのだ、そんな勝手に税金を投入するなんて!社会には更に支援が必要な人達が沢山いる。例えばシングルマザーやレズビアンの自分だって毎日心から血が吹き出す様な思いをしながら生きてる。単なる甘えだわ、とミナはそれらを断罪した。傷はいつか塞がるけど心の痛みは一生涯、自分の足元について回るんだから!
怒りがそのまま指先に伝わって、資料を丸めようとした時に扉が開いた。入ってきたのは初老の男性事務員だった。メガネでスーツ姿。だけど眼光は鋭い。書類を持っていた右手には鋼鉄の義手が嵌め込まれていた。
「初めまして。事務員のノア・スタントンと申します。契約事務を行わせていただきます。掛けても?」
ノーなんて言えるわけもないから、無言で頷いた。スーツ姿の事務員は腰掛けて、手の中の書類を丁寧に並べ出す。ギルド員らしい几帳面さだ。
「ではこちらが今の契約可能傭兵になります」
入り口で見た顔写真の列がそのまま印刷された紙が差し出される。選べるなら、最初から決めていた。はっきりと言う。
「女性がいい。女性の傭兵は契約できる?」
一瞬詰まった後背を正した事務員は、窪んだ目の奥で何かを言い淀んでメガネを掛け直した。
「現在の契約可能な女性傭兵ですとカヴィア・ラオのみのご案内となりますが」
指さされたのはあのガネーシャの香りを纏った女性戦士だった。怒りで燃えた腹が即座に希望で昇華された。
「彼女でいいわ。彼女、お願いできる?」
ミナの顔を見ずに頷いた事務員は、書類に恐らく彼女の名前を書いた。そして書き続けながら話し続ける。
「ではご契約者様、レッドピル出版のミナ・クレーバー様で、三日間のご契約ですね。ガイド地域などは」
「フラッフィーマンション……ダンジョンを」
事務員の目が一瞬メガネの奥で輝いてミナを見た。けれども何事もなかったかの様に、彼はペンを走らせる。
「取材ですか」
「そうね、住民に話を聞きたいの」
何かを書き終えた彼は、一度書類を手に取って眺める。そして注意事項を読み上げた。
「それでは、ミナ・クレーバー様。フラッフィーマンションでの取材の為の護衛を三日間、という契約で提出させていただきます。出発は明日。こちら、グラナイト・ヴァウまでお越しください。なお、契約傭兵が死亡した場合は殉職、という形になります。死亡に伴う各種支払いは国と、スターリング財団から支払われます。職員はプロフェッショナルです。ご契約者様の安全を第一に考えますが、それでも死亡のリスクはございます。行動には細心の注意を払い、職員にお従いください。危険地域に赴く事の危険性、ダンジョンに踏み込む事のリスクを熟知した上でもし、ご契約者様が死亡された場合、我々には一切の責任を負う事が出来ません。こちら免責事項です。お読みいただいた上で同意のサインをこちらにお書きください。サインを行われない場合、全て契約は破棄されます。最終確認です、同意されますか?」
渡されたペンの先にはアメジストが仕込んである。この世界の鉱石は全てを記憶する。特にアメジストは「誠実」と「契約」の石、それにマナを仕込んだサインペンは違える事の出来ない契約の為の道具だ。凡ゆる偽造を弾き複製が不可能、つまりは強力な物的証拠になる。
ペンを手に取り、ミナは免責事項の最終ページに自分の名前を書き入れた。微かな緊張と、それ以上の誇らしさが彼女にペンを走らせた。ミナはそれを英雄の一歩だと感じていた。自分は、このサインにより世界を変える、変える事のできる英雄だ。ギーガーの曲を思い出した。踏破する荒野は暗く長いが 今、自分は夜を越えた、と感じた。朝日の様な高揚を持ったままサインを終えて微笑みながら事務員を見た。皺だらけの瞼に隠れた経験値を思わせる彼の風貌は、苦味を含めた曖昧な表情を浮かべただけだった。
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