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VOODOO  作者: 路輪一人
Stigma
40/40

Closer

 月刊ケムトレイルが、早朝のキオスクに並ぶ。冷えた朝の空気を纏ったそのタブロイド紙の見開き一面、約2ページにわたって、編集長モートン・グレイヴスは追悼文を掲載した。


 ―――彼女について――。様々に語りたいことはある。怒鳴り散らしてやりたいし、文句も言いたい。それからもっといい記事を書け、お前なら書けたはずだ。そんな激励も送りたかった。だがいま彼女の事について考えた時、出てくる言葉はたった一つ。〝よくやった〟。この言葉で私を憎む人も出てくるだろうと思う。だが、それ以外に彼女にかける言葉がない。彼女は使命に燃え、勇敢に職務を果たした。一体どれほどいる?自分がやっている仕事に意味を見出せる人間が。小さな無駄をみなどうにか省こうとする、理由は色々だ。効率化、タイムパフォーマンス、コストパフォーマンス、……。小さな手間を省いて、浮いた時間で何をする?生活の質なんて大してあがりゃしない、せいぜい寝る時間が増える、一日中寝て、それから寝れない夜を過ごすだけだ。


 ……ミナが失踪して、彼女の事を考えない日はなかった。裏切られた気もしてた。自分を責めたりもした。だが、今目の前に彼女の成果がある。センチネル、ワールドクロックの記者が、こぞって彼女の成果を聞きにくる。俺には一生かかったって無理な仕事だ。


 ミナ・クレーバーがギーガー・ビレッジで得た全情報は、無料で開放する。全てをセントラルライブラリーに寄付し、全市民が見れる状態にする。情報は隠さない。彼女が見たもの、記録したものは全てありのままで読む事ができる。その情報には、ある種の人間にとって都合の悪いこともあるだろう。もし、彼女の成果を闇に消し去りたいと考える奴がいるならば、まず俺を殺しに来い。俺はもう二度と、ミナ・クレーバーを手放さない。


 その月のケムトレイルは飛ぶ様に売れた。ミナ・クレーバーという記者が暴いた、エリック・スターリングとギーガー・ビレッジの関係、そしてリヴェールと反社会ギルドの関係は、全ランドマリーを揺るがす大スキャンダルとなった。エリックとエリザベスは様々な記者に追い回され、罵倒された。一時は大統領選の開催も危ぶまれたが、最終的にはリヴェールが勝った。エリザベスの見えすいた強弁が、余りにも稚拙だったからだ。彼女は事あるごとに言った。


「私の名前はあの記事の中には出てきていない」


 彼女の噴飯物の言い訳を、ワールドクロックは殊更に嘲笑して書き立てたが、左派政党リヴェールは、反社会ギルドとの関係を「我々の過失」とし、彼女の罪を覆い隠した。背後には恐らくフェニスの手が伸びていたのだろう。自身の所属するリヴェールの失態を眺めながら、アレックスは考える。首の皮一枚繋がったが、その首には犬の首輪が嵌められた。エリザベスはこれから一生涯、フェニスの犬だ。奴隷を作るには、金で買うか命を助ければいい。フェニスとエリザベスによる貧困層からの搾取はより苛烈になっていくだろう。


 エリック・スターリングは土壇場になって、大統領選の出馬を取りやめた。プロヴァンスからは、健康問題、との発表があった。一報が入ったリヴェールは色めき立ち、エリザベスは飛び上がって喜んだ。冷ややかにそれを眺めていたアレックスの元に打診が入る。形は異なるが「貧民街のゾンビ事件」は確かに解決されたからだ。VOODOOの摘発は減り、ゾンビの姿も減った。アレックスは上院議員となり、エリザベスを囲う周辺議員として配置された。


 エリザベスの勝利演説の前座として、彼女へ贈る祝賀演説の原稿を、アレックスは深夜遅くに書いている。その姿をイヴリンはこっそりと扉を開けて覗き見た。


 エリックが出馬を取りやめてから、彼は更に塞ぎ込む様になった。自分の前では無理に明るく振る舞っているけれど、最近は同じベッドですら寝ていない。肌も衣類も荒れている。徹夜をする事は多かったけれど、衣類だけは清潔に保っていた。今はそれもままなっていない。カフェ・エリュシオンでの昼食から先、少しずつ壊れていくアレックスの姿を、イヴリンは諦観と焦燥に焦がされながら見守っている。彼は紫檀の机にかじりつく様に原稿を書き、書いては消している。頭を抱え、後ろ頭を掻き、そして、拳を机に叩きつけながら彼らしくない汚い言葉を使った。「ファック!」


 初めて聞いた彼の乱暴な言葉にイヴリンの体が震えた。その震えに連動した扉が、まるで彼女を進ませるきっかけの様な意地悪な音を出す。憔悴しきったアレックスの緑色の目が、イヴリンを見た。イヴリンもまたアレックスを見た。汚れた下層民の目だ。怯えと驚きが彼女の肉体を後ろに引かせた。


「起きてたのか、イヴリン。すまない、うるさかったかい?」


 早口だった。取り繕う彼を見たのも初めてだった。滑稽な速度で立ち上がり、扉を閉めようとする彼を見てイヴリン・フィッツは決心する。扉を引き、彼に近づき、彼の体を抱きしめた。彼がそのままバラバラになってしまいそうだったから。そして彼がいつもしている様に、低い声でゆっくりと語りかけた。

「言って。アレックス。私に話して。貴方が何と戦っているか。私にも貴方の痛みを背負わせて」


 アレックスの手は始め、空を掻いた。イヴリンの温度を感じたアレックスの喉奥から、くぐもった呻きが漏れ始めた。そしてアレックスの腕が細く嫋やかで強いイヴリンの体を抱きしめる。彼は泣いていた。


「………僕が、彼を追い詰めた………!」


 イヴリンの首元に顔を埋めたアレックスが、告解を始める。


「右派と左派、手を取り合えるかも知れなかった、その可能性を僕が潰した………!」


 欺瞞で党首の犯罪を覆い隠したリヴェールと麻薬組織と関係を持っていたプロヴァンス。その是非を問うて国内は分断されるだろう。それぞれの支持者達は各々の正義、いや、狂気を振りかざし、互いを攻撃しあっている。イヴリンはアレックスの悲痛な告白に対する答えを持ち合わせていない。だが、彼女には覚悟がある。この弱い、子供の様な、見栄っ張りの、そして呆れるほど優しい男は彼女の夫だ。夫を守るのは妻の役割である。


 ◇◇◇


 そして、大統領演説の当日。

 アレックスとイヴリンは高級なスーツとドレスに包まれて、歓声を上げる聴衆の前に居た。見栄えのする衣装、整えられた容姿、人が良いと思える全てに包まれた孤独な夫婦は、エリザベスの演説の前説を行う。祝賀とプロパガンダによる政治ショーだ。

 アレックスは口を結び、壇上へと上がった。カメラが一斉に彼の表情を捉える。銃声の様だった。

 壇上に上がり、アレックスは開口一番、彼女について語った。


「報道——それは悪魔の仕事だ。私もそう思います」


 静かになった世界をアレックスは見る。どこかで聞いているかも知れない彼に向けて語る。エリック・スターリング。貴方となら手を取り合えた。互いを尊重しながら有意義な議論が行えた。その未来は潰えたが、彼が何処かで生きているなら、可能性はゼロじゃない。


「悪魔は嘘だけではなく、都合の悪い真実をも突きつけるからだ。昨日私が犯した過ちをここに並べることはできません。優秀な記者の面々がペンを持って私の失敗を狙っている」


 微かな笑いが起きた。


「けれども、報道はまた、神聖な職業であると考えます。ミナ・クレーバー。彼女の名前は永遠に刻まれる事になるでしょう。彼女は情熱を持ち不正を暴き、職務に殉じた勇敢な英雄です。彼女の行った全ての業務に私は頭を垂れます。何故なら私もまた、リヴェールという不正の只中に居たからです」


 アレックスの祝賀演説を聞きながら、エリック・スターリングは微笑んだ。若くて眩しい。このおいぼれに真っ向から挑んで一歩も引きはしなかった。あの胆力、そして思考力。回転の早い頭脳から出てくる魔法の様な言葉の数々に圧倒された、そして最後は彼を大好きになってしまった。彼の様な若者が存在するのなら、とエリックは思ったのだ。大丈夫だ、きっとこの国は建て直せる。そんな諦観を打ち破る音が背後からした。ノックも無しに無遠慮に入り込んだのは、錆びた歯車を幾つもつなげて作った、不思議なマスクをした男だった。汚れたコートを翻して、エリックの座るソファのそばのテーブルに一錠の薬を置いた。エリックの背後に立ち、手を前に直立した彼、ブレンダンがエリックに言う。


「ご依頼の品です。苦痛なく服用後10分で眠る様に心停止します。リー・ウォンよりなるべく苦痛のない様に、と要望されました」


 立ち上がりもせず首だけでブレンダンをみたエリックが再度映写機に映るアレックスに目を向けた。そしてそのまま笑い始める。


「リー・ウォンか。懐かしいね。彼も君達の仲間かね?」

「ええ、貴方の事を気にかけていました」


 笑いを収めたエリックの耳に、アレックスの勇ましい演説が入ってくる。


『……罪を雪ぐ手段は行動しかない。だからこそこの歴史的瞬間、ランドマリー初の女性大統領を始点にするのです。成功は最終的なものではなく、失敗も致命的ではない。大切なのは続ける勇気なのですから』


 吐息と共にエリックは俯きながら吐き出した。


「……私は初めから、勝てない戦いに臨んでいたのかも知れないな………」


 そう告げた後、エリックは迷いなく錠剤を口の中に放り込み、ブレンデーと共に飲み下した。目を見開いたブレンダンとは対照的に、一気に呼気を吐きつけた後、満面の笑みを浮かべてそれを評する。


「これが死の味か」


 エリックは眼前に揺蕩う海を眺めた。ガラス張りのリビングは、エリック・スターリングの自慢の別荘だった。オレンジに染まった波が幾度も押し寄せては引いていく。その静寂の合間に、遠いアレックスの演説が続いていく。


『我々は批判を歓迎します。この勝利は誰かの沈黙の上に成ってはならない。故に最も親愛なる敵、プロヴァンス派の方々に我々は期待します。更なる研磨を、更なる向上を。互いに論をすり合わせより良いものを。その為にはあなた方の協力が』


「………座ってくれ。後10分しか生きられない人間の最後の頼みだ。少し話さないか。名前は?」

「………ブレンダンです。ブレンダン・グリンダ」


 そう言ってブレンダンはブーツを響かせ、エリックの左、彼を右に眺めるソファへ腰を下ろした。視線をそのまま海に寄せる。


「良い別荘をお持ちで」

 ブレンダンの言葉にエリックは老人の快活さで答えた。

「そうだろう?静かでいいんだ。いろんなやつが私の金や権力をたかりにくる。だけどここに逃げ込めば安全だ。ずっと静かで落ち着いていられる………」


『正義は隊列では動きません。良心はいつも単独行動だ』


 アレックスの演説に応える様に、エリックが呟いた。


「………私は、愛されたかったんだよ」


 海を眺める老人の顔にも夕陽が差し掛かった。ギーガー・ビレッジで見たあの勇ましいギラついた政治家の顔とは打って変わって、無垢で透明な素直さがあった。


「……人は権力を持つと恐れられたくなる。自分の力を誇示したくなるんだ。私もそうだ。でも、段々と恐れられているだけでは苦しくなる。段々と、尊敬されたくなる。愛されたくなるんだ……」


『私達は声を拾います。中間層、労働者、全ての人々の声を拾います。耳に痛い不愉快からやり直しは始まるからです。そうでなくては!』


 ブレンダンは彼の言葉を聞いている。波の音と同じリズムだった。聞こえてきたアレックスの演説よりはずっと優雅で心地いい。だから自然と、ブレンダンの口は閉じられた。


「自分を愛してくれる人を探した。そうしたらそいつらはみんな、酷い生活をしてたんだ。金もない、食い物もない、誇りもない………。私たち金持ちの為に働いた奴らだ、報われるべきだ、そうおもったんだよ。私は自分を恥じた。私達の生活、私達の自由を保障する為にこれほどの人間が犠牲になっている事を改めて知った。そうしたら途端に、今までつるんでた金持ちの連中が憎くなったんだ。私達が責任なく自由を行使する、マスコミがそれを盛り上げ、自由に生きれない奴らに見せつける。結果」


「『誰もが自由に孤独に狂う!』………」


 アレックスとエリックの声が重なった。映写機に映されたのはエリザベスの顔だった。物凄まじい顔で、アレックスを見つめている。アレックスは止まらないだろう。彼はこの言葉で、エリザベスに対する復讐を宣言した。


『この国はもう、……我々の父母が愛した国ではないのかも知れないが……』


 続くアレックスの演説を眺めたエリックがまた嬉しそうに微笑んだ。


「………でも大丈夫さ。きっと。彼の様な男が、いるのならまだ」


 大きく息をしたエリックが笑顔をブレンダンに向ける。


「君もそうだろう?ブレンダン。君の顔を知ってるぞ。ルクスは怖いな」


 静かにエリックの言葉を受けたブレンダンが発する。


「……私の国と信仰に自由はありませんでした。しかし、確かに犯罪と愚行、そして孤独はなかった」


「……皆が皆、何かしらの同じ価値観を持ち、仲間として存在できる。それだけで救われる何かがあるなら、私はそれを作りたかった。人を騙してでも、作ってやりたかった。私は」


 英雄になりたかった。


 波の音と同じ静けさで、エリックはそう告白した。きっとそれが、彼の最期の自戒である。エリックの意識が撓み始めた。一度大きく息をついて、ソファの背に頭を乗せる。


「………ブレンダン、君は、何故生きられた?救いもない孤独の中で、愛されない、という地獄の中で、他者が自身の能力を食い潰す苦海の中で……」


 波の音がブレンダンの耳に届く。様々に理由はある。死ねなかった事、アンセルに出会った事。けれどそれは瑣末な事だ。100万の人間を言われるままに殺した。なら答えは一つなのだ。


「………私は、救われてはならないと感じたんです。救われないまま、救われない事を自覚して生きる。それ以外ないだろう、と」


 エリックはそれを聞いて薄く笑って目を閉じた。


「………はは、なんて孤独だ、なんて、………たった一人で、現実に挑むのか。誰にも、理解されないまま………。まるで、犀の角のようじゃないか………。だが、ブレンダン、もう少し君に早く会えてたら………私は、………私も…………」


 波のが遠くで砕ける音がした。映写機からはエリザベスの大統領演説が聞こえ始めた。けれどもブレンダンは海を眺めながら、その波の向こうに行ってしまったエリックと会話を続けている。打ち返す波の色が濃く、あたりは暗くなり始めた。波の向こうにきっと、オーウェンも、ジャニスもカートもジミーもいる。そして、ミナも。だからブレンダンはソファに座ったまま、エリック・スターリングに向けた最期の言葉を呟いた。


「ええ……。ええ、その通りです。閣下」


挿絵(By みてみん)


最期まで読んでいただき、ありがとうございました。

この物語が貴方の心の何処かに落ち着いたなら、これ以上はありません。

心からの感謝を。

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