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VOODOO  作者: 路輪一人
Stigma
38/40

stigma 2

「与えられた幸福など幻想だ」


 オーウェンを赤い光の中で見つめながらブレンダンは続けた。


「………俺達は、ルクスによる死を救済だと信じていただろう?白の……白の聖女もそうだ。だがそれは違う。幸福は自身の手で選び取らなきゃいけない。信仰や啓蒙で与えられる幸福は必ず霧散する。……だからルミナリアは滅んだ」


 電線の断絶したラボの中、予備電力が働いているだろう小さなライトが、オーウェンの泣濡れた実に敬虔な表情を映し出した。彼は救われている様でもあった。その暗い世界で安らいでいる様でもあった。


「………信仰は、自分の問題ですか?チーフ。白の聖女は僕たちの全てだったでしょう?僕達は人生を捧げた。そうする様に教育された。全て、全てが彼女の為に設計された国で生きてきた。僕達はそれを壊したんです」


「それは、この穴蔵で毒物を作る事にどう繋がる?信仰にはルールがあっただろう。白の聖女は自死を認めていないぞ」


「そう、死ねない。何度もそれが頭をよぎりました。何度も試そうとした!でも!」


 死ねなかった、とオーウェンは絞り出す様に答え、頭を抱えた。


「………僕は罪人です、チーフ。自分を誇れない!自分を誇る為に信じたものが僕を壊すんです、毎日、毎日……。考えない日はない………。苦しいんです………」


 天井から粉塵が舞い落ちてオーウェンの金色の髪を汚した。細かな粒子は彼の前で光に透けて白く踊った。


「だから、だからこそだ!お前の技術を使うんだ!俺達が許されることはない、救われる事も。それを認めろ、自傷を止めて、自我を埋めろ。そして行動するんだ。白の聖女は、信仰は、行為の外注先じゃない」


 ブレンダンの背後にある圧縮機が水蒸気を噴き出す音が聞こえ始めた。時間がない。


「お前の感じている恐怖も、恥も、羅針でしかない。方向を変えるんだ。お前は既に進むべき道を理解してる。ただ、」


 ただ、それを阻むものが信仰であり、白の聖女への帰依である、とは言えなかった。それは今のオーウェンにとって死刑宣告に等しいだろう。


「………行動だけが、お前の救いになるはずだ。俺がそうだった………」


 それを聞いたオーウェンは〝幸せそうに〟笑った。何かが抜け落ちた空虚な笑顔だった。


「……貴方は信仰を捨てたんですね、チーフ。でも、貴方は生きていた、それは、それは僕にとってたった一つの達成です」


 オーウェン、と彼に声をかけようとした瞬間、衝撃があった。ブレンダンの視界が炎で埋まる。寸前で身を翻し、蒸気をあげ続ける圧縮機にそばに転がり込んだ。爆発が連鎖し始める。錆びたマスクの中で唇を結んでブレンダンは炎の中で立ち上がる。爆破の衝撃で破壊された生成場の鉄板が軋んだ音を立てて彼の前に落ちてきた。炎が周囲を埋め尽くす、黒煙が通路を真っ黒に染める。ブレンダンは足早に燃える通路を歩き始めた。死体処理場の通気口に開けておいた脱出口に潜り込む。行動だけだ。自分の言葉を証明する様に、ブレンダンの肉体は動く。死を避けて過去を超えていくために。


 ◇◇◇


 地下から衝撃があった。


 大地を突き上げる凄まじい衝撃に、『信仰と科学』を読み耽っていたミナの肉体は木の葉の様に空に浮かび、次の瞬間何処かに叩きつけられた。土埃を全身に浴びながら、白黒した頭で周囲を確認する。木造であった会話の家の天井は抜け、高くに澄んだ星空を覗かせている。会話の家であった木の欠片がミナの肉体を埋めていた。全身打撲の痛みに呻きながらどうにか体を起こす。そして混乱の中で周囲を確認した。村は燃えていた。爆発に巻き込まれて千切れた遺体が散らばっている。村の中は炎と人の叫び声、怒号に満ちていた。数人の理性を保った人間が、消火活動を始めている。けれど、ここはハームリダクション施設、全てに絶望した人間の終の住処だ。破壊を目の前にした彼らは、人生の最後の願いを次々と叶え始めた。安価で、イージーな逃避の手段。口一杯にVOODOOを詰め込んだ者、人生の最後にVOODOOを静脈に入れた者が次々と、次々と歩く死体となってまだ理性を残し、他者の為に行動しようとしていた人々を襲い始める。


 ミナは暫く呆然と立ち尽くしたまま、まるで黙示録の様なその光景を眺めていたが、背後から唸る誰かの声を聞いて、瓦礫の山を踏み分けて走り出した。ブレンダンの言葉が蘇る。東の果ての荒野を目指せ。痛みはあったが全力で走った。目的地は自身のテント。彼女の全てである取材バックを引っ掴んで、今度は村の入り口、大仰な木造の門の方向へ走り出した。また何処かで爆発が起きて、炎が舞った。熱が彼女の肌を焼く。胸の中で守る様に取材バッグを抱え込んだ彼女が、正に村の門の前に到着した時だった。


 再度、衝撃が右方向から彼女の肉体を吹き飛ばす。一瞬意識が途切れたが、数秒の回復を置いて目を開けた。耳の奥で金属音が鳴っている。音が聞き取りにくい。うつ伏せの口元から荒い呼気が漏れる。生きている。大丈夫!立ち上がりかけた彼女の体を引き留めたのは門を形作っていた2本の巨大な柱だった。倒れてきたそれに挟まれた右足が奇妙な方向に曲がっており、そこから大量の血液が滲み始めていた。


 息を吸った瞬間、寒気がするほどの激痛が襲ってきた。身を捩るたびに冷えた激痛が腿を上がってくる。歯を食いしばる。痛みに緊張した手が取材バッグの端を絞る様に握った。冷や汗が滲む、炎の熱がその汗を乾かす。このまま死ねば、と彼女は思った。望んでいた事が叶うのだ。このまま諦めれば自分は、行方不明として処理される。恥ずべき人生、他者に独善を押し付け、結果優秀な女性を見殺しに、それを償う事もできずに薬物に溺れた情けない自分の人生は、誰にも知られる事なく完結する。望んだ事だ。望んだはずだった。だが、体が動いた。


「…………う、あああああ!」


 潰れた足を引き摺り出そうと彼女の肉体は動いた。何故か今、彼女の中にはカヴィアの言葉が何度もリフレインしている。


 恐怖に負けず任務をこなした事や、Dutyを裏切らなかった事。その全てが自分を強くしてくれる。


 激痛に伴う涙と冷や汗が、ミナの頬を泥で汚している。それでも彼女は前進を止めようとしなかった。


 仕事をしている時は、それに集中できる。目の前の仕事を一つ一つこなしていれば少なくとも迷う事はない。


 私の仕事。ミナは考える。私の義務。私が行う事、行おうと決めた事。世界は私を迷わす嘘で満ちている。でもその嘘に耳を貸さず、前を向き続けるには、その義務に真摯に向き合う以外方法がないのだ。ミナは思う。私の仕事は?記者である。全てを記録し、他者に届ける。自分の使命はこのギーガービレッジの全記録を、ブレンダンに届ける事だ。


 脱出に身を捩るミナの背後に気配があった。体を引き摺りながら歩く、その特徴的な音から、ミナは正体を見抜く。ゾンビだ。必死でバッグの中を探って、カヴィアの銃を握った。そうして苦痛に顔を歪めながら背後の何者かの姿を、身を捩りながら確認する。


 炎に照らされた彼はもう真っ白な肌になっていた。体の中央を貫くのは、大きな木の杭だ。それを引き摺りながら歩いてきたのは、ギーガー・スクルージ、その人だった。目を見開いて彼を見る。かつてのあの輝くばかりのカリスマ、それは文字通り血に沈んだ。彼に感じた陶酔も高揚も、今のミナの中にはない。だから必死で左腕で上半身をうかした。そのまま腰を捻り、体勢を変えて、迫るギーガーの頭蓋に向けて発砲した。一つ目は腹。微かにブレたギーガーの肉体は、何をも見ないままミナに迫っている。彼が求めるのは、人間の脳。エンドルフィンだ。二発目は肩に当たった。そして三発目は見事ギーガーの額に穴を開ける。瞬間、ギーガーは糸が切れた様にその場に座り込み、そのまま動かなくなった。


 ミナの口元から出る荒い呼気が細くなり始めた。寒くて、眠い。もう一度足に目をやった。出血が酷い。失血死か、ゾンビに引き裂かれるか。その最期が予想され始めた時、ミナの目が、炎に反射する白い粒を見つける事になる。よく見ればそれは地面の至る所に散らばっていた。VOODOOだ。指を伸ばせばそれはすぐ届く場所にある。飲めばたちまち痛みは消え、動くことが可能になるだろう。だが、ブレンダンは言った。


 二度とVOODOOを服用しない事。阻害薬がトリガーになり、ゾンビ化が促進される。


 死の眠気を振り切ってミナは強くイメージした。赤い目印。東の果て。そして、自分は記者である、という事。白い錠剤をつかんだミナは、それを迷いなく自分の口内に放り込んだ。


挿絵(By みてみん)

次回 VOODOO

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