Nova 2
【ミナはブレンダンの過去にたどり着き、ブレンダンはかつての部下———オーウェンと邂逅する】
ギーガービレッジはそのまま俄かに活気づき始める。
ステージ前に巨大なスクリーンが貼られ、住民は言われるままステージの前に集まった。そのほとんどが無気力な中毒者で、彼らは意味もわからないままステージに設置されたスクリーンを眺めている。スクリーンに映し出されているのは、エリック・スターリングだ。今日は音響も重低音、ステージから少し距離のある診療所の中にまで、エリック・スターリングの大衆を煽る劇場型演説が響いてくる。
『この国は我々の国だ!我々が拓き、作り上げてきた国だ!誰にも奪わせない!資本主義ですらこの国と誇りは奪われない!なぜならばこの国の誇りとは、労働者、君達だからだ!私は関税で取り返す。奪ってきた奴らに支払わせる!私は君達の火炎瓶になる―――。戦うぞ!諸君!』
指笛が鳴り響き、歓声が上がる。薄暗い診療所で計画に備え、ベッドに横たわったブレンダンはその音を聞いた。指笛も歓声も、きっと画面の向こう側で起きている事だろう。エリック・スターリングなる政治家が、幾ら熱を持ち吠えようと薬物に汚染された人間の脳に響きはしない。静かな静かな絶望だけが横たわる。外の歓声から逃げるようにしてブレンダンは目を閉じた。決行は今夜。全ての準備は終了した。
◇◇◇
ミナ・クレーバーは、灯された火を胸に立ち上がる。ブレンダン。ブレンダン・グリンダ。会話の家に乱雑に散らばっている様々な雑誌を読み漁る。このハームリダクション施設に存在する殆どの人間には情報を摂取するという習慣がない。それでも会話の家には拙い娯楽と精神安定の大義を借りた様々な種類の本が置いてあった。寄贈棚の中、雑多に詰め込まれている本のジャンルはバラバラだ。ケムトレイルが何冊かと、近代哲学全集、自殺した作家の未完成品、薬物カルテル侵入日記、コミックやZINに近いペーパー類。ファッションや魔術雑誌、それから魔法大全、実践書から研究書。そして新聞。ミナはエリックの演説を背に聞きながら、会話の家で情報を漁っている。狙いはルクス、開発、特効薬の記事、ルクス研究の記事だ。直近の記事は、『ルクス特効薬開発される』ランドマリーの学者がインタビューに答えている。文責はワールドクロックの記者だった。次に読んだのはセンチネルの記事、『如何にしてルクスは拡大したか』これは医学博士へのインタビュー。ミナはそれを夢中で読んだ。嫉妬と称賛に腹の奥を焼きながらそれでも読むのをやめられなかった。自分を切り捨てたワールドクロックとセンチネルの情報は、示唆に富み、正確であろうとしていた。イデオロギーの違いはあれど、情報そのものに対しては真摯だった。その真摯さが今、自身の何かを呼び覚まそうとしている事実にミナは敗北の解放を感じている。
その感傷に浸る時間すらも惜しい。ルクスの文字を探して、ミナは会話の家の中にある本棚に手を伸ばす。高く聳える本棚の前でジャングルを吸って眠りこけていた男性がミナに不満を告げた。それを無視して、背表紙をなぞる。そしてミナの指はついにある本へと辿り着いた。著者はオーウェン・ドレクスラー。表題は、『信仰と科学』引っ張り出して、ミナは本を開く。表題の裏には一枚の写真が印刷されていた。『ルクス開発チーム』8人の白衣を着た人間達がラボの前で微笑んでいる。その中央にいた人物を見て、ミナ・クレーバーは息を飲んだ。
ブラウンの髪、ブラウンの目。マスクのない口元に髭はなかった。彼はあの鋭く温かい眼差しのまま微笑んで白黒の写真の中で佇んでいた。
◇◇◇
時刻は深夜。
村は寝静まっている。診療所から見えるテントの中もちらほらと明かりが見えるばかりだ。ギーガーは村に宿泊しているという。明日は大掛かりなフェスだそうだ。その全てを破壊する為、ブレンダンは動く。仕掛けた爆薬を再度確認、時間も指定した。村の中を隅から隅まで見回り、診療所へと帰る道すがら、ブレンダンはこの天国のような地獄の施設を眺めて考えた。これから起こる破壊工作により、村の住民の半数はパニックに陥り、VOODOOを服用するだろう。彼らに与えた阻害薬がトリガーとなり、次々にゾンビ化が始まる。決して再服用はしない様に。重ねた忠告はテントの中では無視されている。テントに透ける灯りの奥から、VOODOOを炙る甘苦い香りが漂ってきた。薬物問題の根幹は依存症、精神疾患だ。依存を克服できたものだけがこの破壊から逃げおおせる。
最後にブレンダンは、ジミーの寝ていたベッドに目をやった。そうして一人ごとを呟いた。
「じゃあ、行ってくるよジミー。君の処置は、やっぱり完璧だった」
地下通路を通り、カートの居なくなった地下薬物の生成場を抜ける。生成場の奥にある鍵のかけられた扉の前に立つ。合成したプラスチック爆弾を鍵穴に埋め込み、後退した。オキシフィンの純化を行う圧縮装置の後ろに隠れ、乾電池で作った即席のスイッチで起爆する。衝撃があり、煙が上がる。ラボの中の赤色灯が回転し始め、異常を周囲に伝えた。墓守が来るまで数分もない。地下の入り口は封鎖しているが、すぐに破られるだろう。足早にラボの中に踏み込んで彼を探した。そしてブレンダンは気づく。ここはまるでルミナリアのルクス開発ラボ、そのままだった。試験管を置く場所も、解析機器の並びまで、完璧に再現されている。だからブレンダンには彼が何処にいるかもすぐにわかった。ラボの更に奥にある会議ルーム。そこで彼らは何日も寝泊まりし、互いに話し合った。白の聖女への祈りを通じて100万の人間を殺すために。会議ルームは抵抗なく開いた。白く明るく発光する部屋の中で、白衣を纏った痩せた男が、ズレた眼鏡を押さえながら立ちあがろうとしていた。ブレンダンは端的に言う。
「オーウェン。今すぐここを脱出するぞ。村全体に破壊装置を仕掛けた。数分後に全て爆発する。逃走経路は確保してある。着いてこい」
ブレンダンの姿を見たその痩せた男は目を見開いてそのまま停止した。彼の肩にのしかかった罪の重さが、彼の背を丸くしたようだった。停止していた彼は、バランスを崩しながらもどうにか立ち上がり、口を開けたまま目の前の人物を観察している。
「オーウェン。時間がない」
「………ありえない………」
そう言ったオーウェン・ドレクスラーは震える声でそう言った。震える右手がゆっくりと丸眼鏡のつるを持つ。
「………死んだはずだ、貴方は………」
「不幸にも生き残った。お前もそうしろ。少なくとも、お前はこんなところに篭っている人間じゃない」
最初の爆発がブレンダンの背後で起こった。大地と空気が震えて、ラボを照らす明かりが二度点滅した。
オーウェンは怯えた様にその明かりを見て後ずさる。ブレンダンは以前厳しい目でオーウェンを見つめている。
「オーウェン!」
声を荒げたブレンダンにオーウェンは怯えて竦んだ後、消え入りそうな声で彼に言った。
「………嫌だ。嫌だ、………チーフ。外が怖いんです………どう生きていけばいいかわからないんです、チーフ。私はどう生きていけばいいか……」
赤色灯がオーウェンの絶望に色をつける。随分と痩せた、とブレンダンは彼を評した。かつての彼は天才、笑いながら遊びながら次々と画期的なアイデアを実践してしまう薬理の魔術師だった。それが今やこの穴蔵で、人を〝幸福〟へと変貌させる毒薬を作っている。
「………白の、聖女も、………彼女も死んだ!ルクスで!私が殺したんです、私達が!みんな殺した………!どう償えばいいんですか、私は一体、どうしたら………」
2回目の爆発が起こった。発電機に仕掛けたものが爆発したのだろう、地下施設の全電力の供給が止まる。警告音が鳴り響き、赤色灯がブレンダンとオーウェンの表情を変わるがわる染めている。ブレンダンは一度俯き、過去を思った。消せない過去だ。その過去を踏破して、ブレンダンは月と星の紋章を手に入れている。発する前に、生存バイアスでしかない、と自戒はした。その上で出した、これがブレンダンの結論だった。
「………信仰は、道標になり得るが、そこに救いはないよ。オーウェン」
次回。オーウェンとの決別とミナの決断。そして全てはVOODOOに続きます。
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