表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
VOODOO  作者: 路輪一人
Stigma
36/40

Nova

【尊大な虚無から逃げ出して、ミナは過去の罪を告白し、ブレンダンは出自を明かす】

 しわ一つない高級シャツに、三角筋と僧帽筋の筋を浮き上がらせたギーガーが手を広げて微笑んだ。


「やあ……。ええと、……みんなどうしたんだ?二日後に、エリックの大統領演説が近くの街に来る……。みんなに手伝って欲しかったんだけど………」


 ロック歌手よろしく毛を刈り上げた丸坊主の側頭部に、蛇の意匠を持ったタトゥーが入っていた。そこから伸びる黒い舌、その舌を避けるように、ボタニカル様式で描かれた花々が彼の首元から覗いていた。咲き乱れる花の絵には色が入っている。彼が手を広げればそこに花が咲き、彼が微笑むと同時に蛇が牙を剥く。ブレンダンは無言のまま彼をこう評す。〝尊大な虚無〟何も持っていない、持ち得ないものが必死で作り出した虚像。それだけが彼の成果であり、つまりその姿だけが、ギーガー・スクルージの全人生だ。


「………ジャニスが、ゾンビに……」


 ギーガーの後ろからそう答えたのはミナ・クレーバー、恐らく緊急事態の雰囲気を察してギーガーについてきたのだろう。予定されていたギーガーの到着まで二日余裕があった。それを早めたのは一体どういう理由からか。ミナを振り返ったギーガーは涙を流すミナに微笑みかけて、暴れるジャニスに目を向けた。悲しそうな顔をして彼は顔を振ったが、明らかに演技である。


「ああ……そうか。ジャニス、君は素晴らしいアーティストだったよ。本当さ。君が新曲を作るって聴いていてもたってもいられなくなった。サビの部分、最高だったね。編曲はデビットに任せるから、安心してくれ……」


 微笑んでばかりのギーガーを、ブレンダンは思わず睨みつけそうになったけれどすんでのところで目を伏した。視線を暴れるジャニスに向けて、その後ミナの手元に目をやった。そこでブレンダンはマスクの奥で小さく微笑む。ミナの手の中に起動されている貧者の眼を見つけたからだ。


「君は?」


 ギーガーの尊大な声がブレンダンを呼ぶ。ブレンダンは真っ直ぐとこの村の神の目を見て言った。


「ブレンダン・グリンダ。先日死んだジミーの代わりをやってる」


 ああ、と顔を綻ばせてギーガーが笑う。


「ジャニスから聞いたよ……。優秀らしいね」


 ギーガーから手が伸ばされた。大きな手の平、その甲までも絡まる蛇と草花で彩られている。まるで天国だ、とその絵を笑ってブレンダンは彼の手を取った。意図的に力は込めなかった。


 そしてギーガーの視線は、暴れるジャニスを見つめながら泣いているカートへと移る。


「………僕も悲しいよ……。ジャニスは素晴らしい女性だった。知ってるかい?彼女、学生時代にブスって言われた事にずっと苦しんでたんだ。その苦しみを救って、彼女に曲を書かせたのはVOODOOだ。彼女は幸せを手に入れたんだ……。今度はその幸せを他人に分け与える番だ。さあ、ジャニスの脳を取り出そう。ジャニスは誰も傷つけないまま、〝幸福〟になれるんだ」


 そう、文字通り他者に服用される〝幸福〟になる。VOODOOはそうやって作られる。他者から幸福を抽出し、服用できる錠剤として彼女は生まれ変わる。ブレンダンは静かに項垂れたまま泣き続けるカートに目をやった。そういえば、と思い返す。ギーガーはここに入ってきた時、彼の名前すら言えなかったのだ。きっと忘れていたのだろう。そしてカートにとって世界とはジャニスそのものだった、とブレンダンは考える。ここで様々な人間を見たがその全てに共通するのが、世界の狭さだった。仕事が全てだった者、恋人が全てだった者、或いは既に世界が壊れているものも居た。世界の外から呼びかけられても、人はそれを言葉だと認識しない。


「NO(嫌だ)」


 啜り泣いていたカートが意を決したように強く発した。そうして顔を上げてギーガーを見る。ギーガーは不思議そうに彼を眺めて、それからもう一度、カートに言った。


「脳を取り出すんだ。そうすれば彼女は永遠に生きられる。幸福の世界で」


 ギーガーの言葉を受けて、カートは腰の後ろに手を回した。西部劇のガンマンさながらの素早さで、カートが銃口をギーガーに向ける。


「NO(嫌だ)。彼女は彼女のままでいる。壊させない。俺が」


 ブレンダンの静止の声が響く。


「カート、やめろ!」


 それが合図だった。


 カートは銃口を暴れるジャニスに向ける。そのまま二度、引き金を引いた。一発は彼女の頬を貫いたが、もう一つは側頭部に当たり、脳の組織を破壊した。ジャニスが痙攣をした後、動かなくなる。それを見送ったカートは自分のこめかみに銃口を当てた。


「ドク。あとは頼む。俺たちの体は綺麗に焼いて灰を混ぜてくれ」


 ブレンダンは手を伸ばしかけたが遅かった。乾いた銃声が部屋に響き、カートの頭蓋を破壊した。左に吹っ飛んだカートの細い体が、壁にぶつかりそのまま地面に滑り落ちた。伸ばせなかった手を悔恨と共に握りしめたブレンダンの背後で、ミナが嗚咽し始める。そのまま外に駆け出したミナを追って、ブレンダンは地下の処理場を後にした。部屋から退出する前、ブレンダンはギーガーの呟きを聞いた。彼の首筋には既に、ゾンビ化現象の兆候、青い血管が浮き始めている。二つの遺体を見つめながら、ギーガーはつまらなそうにこう言ったのだ。


「ああ……脳を破壊されちゃあ、VOODOOに出来ないじゃないか………」


 ◇◇◇


 朝日が眩しく湖面を照り付けていた。世界は眩しく明るかった。その美しい世界で喘ぐように、ミナは診療所を飛び出して、人工湖の方向へ走り出す。その後ろをブレンダンが追う。


「ミナ!」


 ミナは止まらない。一種の錯乱だ。予想されるのはVOODOOの発作的な服用、或いは自死の危険。彼女を落ちつかせるのが最優先だった。どうにか彼女に追いついて細い手首を掴んだ。引き戻された彼女が顔を顰めてブレンダンの手を振り払おうとする。もう一度彼女の名前を読んだ。ミナは答えずブレンダンから逃げようとする。彼女の肩を抱き、彼女を抱きしめた。そうしたらやっとミナは立ち止まり、膝を折り、ゆっくりと座り込んでいった。天を仰ぎ泣きながらミナは絶叫した。


「また見捨てた………!!!」


 ブレンダンは彼女を抱きしめながら告解を受ける。


「また見捨てた!私は!また!」


「君の所為じゃない。俺がもう少し早く判断をするべきだった」


「カメラを……カメラを持つのが怖い……!人を人と思えなくなる、ただの被写体だと……!」


 ブレンダンのコートに縋りついたままミナは号泣した。慟哭の合間に発せられる告白を、ブレンダンは咎めもせず、止めず、ひたすら静かに傾聴を行った。ミナは湖近くの花園に座り込み、ブレンダンもまた彼女を抱き抱えている。朝日は湖を取り囲む森の向こうから上がってきた。朝日が、ミナの茶色の髪を鮮烈に照らし始めた。


「もう嫌だ!こんな世界!こんな世界も、醜い私も、全部消えればいい!全部!全部!お願いだから罰して!許さないで!自分がどんどん惨めに………!」


 喉の奥から吐き出される嗚咽が、言葉を切る。ブレンダンは注意深く彼女の状態を観察し、そして腕の力を弱める。告白は正常な精神の発露、興奮状態ではあるが、理性は働いている。彼女のそばに腰を落ち着け、背中に手を当てた。再度、ミナの告白が始まる。


「カヴィアの時も、カヴィアの時もそうだった!私が見捨てた!マガジンを拾ってカヴィアに渡せば生きられた!彼女に足場があるって強く伝えれてれば………!カヴィアは死ななかった!生きてた!今も!私は一体誰に謝ればいいの………!許して欲しい……!苦しい………!」


 苦しい、ともう一度発して、ミナは膝を抱えた。そのまま膝の上に顔を埋めて咽び泣いている。ストレス負荷は順調に軽減されているが、とブレンダンはミナを眺めつつ彼女を分析した。VOODOOに関わる全ての出来事は、彼女の生涯に渡る傷となるだろう。太陽が昇りきった。テント村の背後にある食堂から朝食の配給が始まった。何人かの患者が、ミナとブレンダンを眺めながらヨタヨタと食堂に歩いていく姿が見える。長い時間をかけて、やっと静かになったミナに、今度はブレンダンが声をかける。


「ジャニスの死もカートの死も、君のせいじゃない。俺が止めててもあいつは撃っただろう。撃つ対象がギーガーだったかもしれない。物事にイフはないさ。起こった事が全てだ」


 ミナの言葉に、ブレンダンは自分の過去を重ねる。確かに苦しかった。誰かに罰して欲しかった。100万の人間を殺した。言われるままに、殺人ウィルスを作成して。自分の罪を雪ぐ為に存在しているのか、とブレンダンは自分に問う。それも違う。ブレンダンは信じている、自分は救われてはならない、と。


「ミナ。武装しろ。近いうちにこの村は完全に破壊される。君はVOODOOを克服できる可能性がある。村が破壊されたと同時に調査資料を持って村を出ろ。目印はつけておく。赤いリボンを目指せ」


 顔をゆっくりと上げて泣き腫らした目のまま、ミナがブレンダンを訝しげに見上げた。その目の前に小銃を差し出したブレンダンが止めのような告白をする。


「君の雇った傭兵、カヴィア・ラオの銃だ。ここに行商に来てたムエルテから買い戻した。いいな。赤いリボンを目印に東の果ての荒野を目指せ。俺はそこで待ってる。……それと君に言っていない事がある。俺の出身はルミナリアだ」


 最後にブレンダンは錆びついたマスクの横に輝いている、月と星の紋章を指で叩いて立ち上がった。涙の枯れたミナの脳が動き出す。ルミナリア、ルクス、そして月と星の紋章。自分の足元に置かれたカヴィアの銃を指で触る。ブレンダン・グリンダ?記者であるミナ・クレーバーの記憶、無数の記事、今まで培ってきた知識が彼女の中でおぼろに輪郭を持ち始めた。ルクスはルミナリアで人工的に作られ、そして100万の人間を殺した。ずいぶん昔に読んだドキュメンタリーの1ページ、その開発者の名前は、『ブレンダン』ではなかったか?


挿絵(By みてみん)

次回。作戦の決行。そしてブレンダンは彼に出会う。


面白いと思ってくださったら評価お願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ