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VOODOO  作者: 路輪一人
Stigma
35/40

Sun hammer 2

【阻害薬の救いを軽視したジャニスはゾンビになり、ギーガーが村にやってくる】

 ブレンダンの指示によりVOODOOの純度、生産数が大幅に増えた。

 かつて自分が行っていた処理だ。ルクスは他者から幸福を奪うウィルスだった。それを確認するために、ルミナリア人の遺体を切り刻んだ。脳に糸を差し込んでどの神経がエンドルフィンを生産しているか調べる必要があった。つまりオーウェンは、脳のどの神経がエンドルフィンを分泌しているか知っている。幸福ホルモンをどの受容体が受け取るのか知っている。彼の専門は分子生成だ、エンドルフィンをペプチドとして純粋化する事は可能だろう。

 カートは増産され、純度を増したVOODOOにご満悦だ。たった一錠で世界がぶっ飛ぶ、と作業の途中でブレンダンに語る。おおかた作業の途中でくすねたのだろう。生まれ変わったVOODOOの効果を、彼らしい刹那的な言葉で表現した。


「これでゾンビにならなきゃ最高なんだがな」


 そう笑う彼には既に兆候が現れている。ブレンダンには、彼がVOODOOをやめない事がわかっている。破滅に向かう人間の、輝かしい愛くるしさ。それこそが彼で、そうでなくなった彼は、薬物を使うまでもなく、生きた死体になるだろう。だから彼には開発した阻害薬は与えなかった。それはきっと彼を救い、そして絶望させるだろう。


 阻害薬を村人全員に投与した。離脱を一時的に抑える、そんな説明をしたように思う。阻害薬服用後、12時間は決してVOODOOを使用しない事。この禁忌を破れば、劇症反応により体内に蓄積した神経毒が一気に全身に周る。使用者はより早く強力にゾンビ化へと進むのだ。その説明に、ジャニスは笑っていつもの冗談で答えた。けれどもミナは一度押し黙り、カメラのレンズを指でなぞった後、ブレンダンをみてイエス、と答えた。人の選択にはさまざまに種類がある。他者がどんな選択をしようと、それを批判する立場に自分はいない。何故ならブレンダンは、自身の選択を棚に上げ白の聖女に従ったからだ。


 悔恨に身を焼こうが、感傷に身をよじろうが時間は過ぎる。罪悪感に臓腑を抉られる過去はもう過ぎた。考えても苦しんでも過去は変えられない。過去への認識を変えうるたった一つの方法が行動だとブレンダンは理解している。誰かが酒で酔っ払っている夜、或いはジャングルの薬効でリラックスしながら大笑いをする夜、ブレンダンは彼らに夜の挨拶を交わしながら、先ずは会話の家、そして診療所、マーケット、村の入り口に聳え立つ木造の門、それらに爆薬を仕掛けて回った。診療所の地下にある死体処理場、そしてそこから伸びる無機質な廊下、丁度会話の家の地下に位置するだろう薬物生産工場には、特別にデカいプラスチック爆弾を。溶媒や分子安定の為の減圧機構も発見した。発火や化学反応に良い影響を与えるだろう。全ては連鎖的に行われるべきだ。たった一つの行動が全てを連鎖させるように。その為には、あの部屋に入らなければならなかった。オーウェンが閉じこもっている薬物ラボ。この村の実質的な心臓部だ。その心臓と、ギーガーという頭脳。共に破壊されなければ必ず息を吹き返す。故にブレンダンは待っている。ギーガー・スクルージ。彼の到着を。


 ◇◇◇


 予定されていたギーガーの来訪の三日前、事件は起きた。

 眠っている人間も多い早朝だ。ブレンダンもまた短い仮眠の為、空いている診療所のベッドに身を横たえていた。ブレンダンの瞼をノックするのは喧騒、診療所の外で争っているらしい。意識を浮上させ、疲労した脳が小さく苛立った。その隙にミナの声がブレンダンの名前を激しく呼んだ。


「ブレンダン!!ブレンダン!!ジャニスが!ジャニスを助けて!」


 飛び込んできたミナが必死で引っ張っていたのは呻きながら暴れるジャニスだ。顔中に青い血管が浮き始めている。蹴上げた足で体を起こし、暴れる彼女を捕捉した。ジャニスの背後を取り、両腕を腰にまとめる。ジャニスは頭を振りながら何かに噛みつこうと歯を剥き出しにして首を捩っていた。ジャニスの足を崩し、床に押し付けながらブレンダンはミナに問う。ミナは全身に引っ掻き傷を作っていた。


「何があった」


 ブレンダンは叫ばなかった。いつものトーンで暴れるジャニスを押さえ込んでいる。腕の傷を押さえながら、苦しそうにミナが言った。


「ジャニスが、ジャニスが、私、止められなかった……VOODOOを、」

「飲んだ時間は?」


 ゾンビの様にジャニスが絶叫する。


「ついさっき」


「27番に」


 端的にブレンダンはミナに指示した。27番。それはこの村の〝死亡〟の数字だ。


「早く!」


 そこでブレンダンは初めて声を荒げた。ミナはそれでも涙を浮かべて逡巡していたが、意を決したように受話器を取った。部屋の中にジャニスの絶叫が響き渡る。腹の奥を弄るような低い呻き声が響く。口の端には泡沫状の泡が確認できた。


「ジャニスが、ゾンビに」


 ブレンダンもまた渾身の力でジャニスを押さえ込んでいる。ゾンビ化において最も恐ろしい事は、壊死した細胞から発される細菌汚染ではない。脳のリミッターが焼き切れる事によって起きる凶暴化だ。人の喉に食らいつき、指先を破壊しながら脳を喰らおうとする。目的はただ一つ、枯渇したエンドルフィンの補給である。マスクの下で歯を食いしばりながらブレンダンは、暴れるジャニスの華奢な体を押さえ込んでいた。結束の道具を探したが、長く細い物は自殺の道具になる。だからこの村では使用されていない。凄まじい力が38歳の健康な成人男性であるブレンダンの肉体を浮かす。ジャニスの肉体が跳ねる。ブレンダンはそこで〝最悪〟を想定した。首の血管とマスクを繋ぐチューブを切られれば一巻の終わりだ。その前に彼女を完全に無効化する―――。茶色のコートの懐に手を入れた。強力な神経毒が入っているシリンジの先に指が触れる。


「ジャニス!」


 男の声がした。カートだ。安堵のため息をついて、ブレンダンがカートを見る。ジャニスはまだ暴れている。カートはその様をみて、まるで電流で撃たれたように停止した後、ブレンダンに駆け寄ってジャニスを拘束した。持ち込んでいたのはガムテープ、それでジャニスの手首を何重にも巻く。泡を吹いて何かに噛みつこうとする口に、カートは自身のランニングを脱いで詰め込んだ。細く白い少年のようなカートの裸体が、昇りつつある太陽の赤い光を反射している。


「地下に」


 とカートが言った。ブレンダンも頷いて暴れるジャニスを抱えあげた。その後ろでミナは顔を逸らしたまま静かに泣いていた。


 地下通路の死体処理室、あの銀色のベッドには四肢を拘束するベルトが存在している。暴れるジャニスをどうにかして拘束して、男性二人は荒い息を整えている。カートが喘ぎながら言った。


「どうする」


 ブレンダンはカートを見た。そして、随分と冷たい言い草だとは思いながら彼に告げた。


「どうする、とは?」


 汗を拭ったカートが当然のように言う。


「治療するんだろ?」


 息を整えて背を正したブレンダンは真実を告げた。


「無理だ。ゾンビ化が始まってる。青い血管が見えるだろう。やれる事はない。早めに脳を取り出してやった方が苦しまずに済む」


 カートは押し黙った。カートの沈黙の間に、ジャニスが叫び、拘束具を引っ張った。カートの目は、その青い破滅的な目は、じっとジャニスに注がれていた。長い沈黙があって、カートが子供のような震えた声で拒否をした。


「NO(嫌だ)」


 ブレンダンは泣き出したカートを眺める。きっと何かしらの感情をジャニスに持っていたのだろう、それはわかる。わかるが、もうそれは永遠に失われた。VOODOOが奪って行った。


「NO………!!(嫌だ………!!)」


 カートの静かな啜り泣きが響く死体処理室の背後に音があった。彼は正に枯れた花の香りと、墓場の静謐さ、そして威厳を持って彼らの前に現れた。ブレンダンは振り向いて、彼の顔を記憶する。屈強な肉体と、白い肌と、何もない目。虚無だからこそ他者から詰め込まれたカリスマを持ってギーガー・スクルージは彼らの前に姿を現した。口元には微かな笑みを湛えていた。


挿絵(By みてみん)

次回。カートの決断。そしてミナの覚醒。

残り5話です。面白いと思ってくだされば評価お願いします。

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