whiskeys 1
【ブレンダンとアンセルの過去。それを飲み下すウィスキー】
ノスフェリム山脈の山麓に気の早い雪が降り始めた。晩秋である。
農民達は既に飼料の刈り込みを終えている。秋の収穫で得た様々な食料を保存食として加工する時期だ。この小さな、見るものが見ればそれは小さな田舎町としか認識されないだろうアデン王国、その国に居住する農民らの家の軒先に、ペイシャロットが吊り下げられる。ノスフェリムに聳える山々から吹き付ける冷えた風が、白く長いその食物を乾燥させて風味を閉じ込める。甘みを増したペイシャロットが熟成するのを待ちきれない子供が、親に頼んでまだ苦味の残るそれをねだる、そんな時期だ。
零下に落ちるアデン王国の夜、アンセル・モーヴィンクリニックの自宅玄関ベルが鳴った。家主であるアンセルには訪問者が誰かわかっている。自宅扉を開けて彼を迎え入れた。焦茶色で年季の入った皮のコートが、室内の灯りに照らされて輝く。
「やあ、ブレンダン。すまないね、こんな時間に。入ってくれ」
アンセルの出迎えを受けてブレンダンの瞳が細められた。コートの中に入っているのはアンセルへの礼と贈答品だ。ブレンダンお手製のウィスキー、味はマルクスに寄せている。
◇◇◇
「いつもすまない。日中は患者が来るし、人工肺のメンテナンスに注力してられないんだよ」
言いながらアンセルは右に左に駆け回る。リクライニング機能のある長椅子に体を横たえたブレンダンは、目だけでアンセルの行方を追った。ブレンダンの口元を覆う錆色の美しいマスク。幾つもの歯車を組み合わせ自動で動き続けるそれはアンセルと、Stormのメンバーであるニーアが開発したものだ。ブレンダンは両肺の機能を失っている。酸素と二酸化炭素を交換する部位である肺胞はほぼ機能していない。指先を挟んでいるのは血中酸素濃度を測る機器だ。今は91%前後で推移している。息苦しさを覚えてブレンダンは体を捩る。そして昔を思い出す。
左からアンセルが駆け出してきた。
「カートリッジに不純物が溜まりに溜まってる。前回の任務は何処だい?勘弁してくれよ、目詰まりを起こしたら元も子もないんだから」
マスクにカートリッジを嵌め込むアンセルの背中に声を掛けた。肺もそんなに膨らまないから、小さくてか細い声になる。
「……モス鉱山で……爆発物を生成してた……」
「それでか!やけに鉱物が出てくると思った!それで?これも全部必要なんだろう?今回は大収穫だね、ブレンダン。小瓶一杯に薬品の元が取れたぞ」
マスクのない口元を歪ませて、ブレンダンはアンセルに向かって微笑む。その背中はかつて彼が心から憎んだ国民のものだ。それが今や、自分の命を繋いでいる。感謝の言葉は何度も述べた。それこそ生涯を通じても彼に本質的な感謝を伝えられないだろう、とブレンダンは思っている。だからか細い声で冗談を言った。
「………髭を、剃っとくんだったな……。陰毛を見られた気分だよ、アンセル……」
答えを聞いたアンセルは丸いメガネの奥の緑色の目を剥いて、吹き出した。受けたブレンダンがやっぱりか細く咳き込む様な、それでも精一杯の笑いを寄せた。
◇◇◇
夜は長い。
小一時間で人工肺のメンテナンスは終わった。ブレンダンの口元にはまた歯車や排出機能が搭載されたスチームパンク式の、——これはアンセルの趣味であるところが大きい――マスクが装着された。血中酸素はほぼ100%へと改善される。リクライニングシートから立ち上がったブレンダンは掛けていた皮のコートの内側から、ボトルを一本取り出し、後片付けに奔走するアンセルに差し出す。
「マルクスに寄せて作ってみた。試飲だ。付き合ってくれ」
両手を流水で濯ぎ、乾いたタオルで指の間までを拭き上げながら、アンセルは口をへの字に曲げる。
「……、まあ、そういう事なら。ただし少しだぞ?マリアに怒られる」
マリアとはアンセル・モーヴィンの妻だ。祖国の動乱期、そして亡命の際も、彼女はアンセルに付き従った。今はこのクリニックで、看護師長を務めている。優しいが看護師の使命を体現した彼女は怒ると怖い。ボトルの首を持ったまま、忍び足でブレンダンはリビングへ向かった。マリアに見つかれば詰められる。夫であるアンセルもそれはわかっているから、男達は平静を装って廊下を歩く。たどり着いたリビングで緊張を解いた。勝手知ったるアンセル・モーヴィンの自宅だ、グラスの位置まで把握できている。
「飲みたくて仕方ないんだろう?素直に言えよ」
「君たちが次々と面倒ごとを持って来るストレスで、僕の健康が害されているんだよ。少しは加減をしてくれ。カイザードにも言ったんだがな」
リビングにたどりついたブレンダンが、テーブルにマルクスを設置した。グラスを二つ食器棚から取り出して、テーブルに並べる。アンセルはチェイサーと氷を用意した。酒のつまみは昔話、二人だけが共有できている遠い昔の思い出話だ。
それぞれの椅子に陣取って、氷入りのグラスにマルクスを注ぐ。華やかな文化の香りを漂わせてアルコールが室内を静かな酒場に変える。乾杯は何のためにするのだろう?彼らはそこに何も置かなかった。気のおけない友人と飲む酒は何にも変え難い豊かなものだ。グラスが鳴った。
夜も更けていく。
ブレンダンは足を組んだまま緩やかな酩酊を楽しんでいるが、アンセルは既にテーブルに伏している。白い肌が真っ赤だ。そうして酔ったアンセルは必ずこの話をするのだった。
「もし僕が白の聖女の前に連れ出されていたら、僕は彼女を治療していたかな」
アンセルはノクタリア共和国の出身である。黒の淑女と呼ばれた少女による圧政と弾圧は苛烈を極めた。独裁に抗ったアンセルの友人は何人も投獄され拷問を受け処刑された。そしてある日、アンセルもまた秘密警察に拘束され、黒の淑女の前に連行される。彼女は血の海の中で横たわっていた。黒い甲冑を着た美しい17歳の少女は、胸部を撃ち抜かれ死の床に、いや、呼吸は既に止まっていた。
「……黒の淑女はね……、若かった。そして綺麗だったよ。どうしてこんな綺麗な子があんな事をするんだろう。そう思った。蘇生しろ、と言われた時、僕は迷った。いくらでも殺す方法があるからね。でも、……僕には出来なかった」
そこからの話をブレンダンは何度も聴いている。蘇生は成功し、黒の淑女は息を吹き返した。そうして彼女が最初に言った一言はその後のアンセルの呪いとなる。『どうして殺してくれなかったの!』独裁は一人で為せるものではない、がアンセルの結論だ。彼女は優しかった。優しすぎるほど優しかった。その優しさが、他者を弾圧した。
「……最後の彼女の悲しそうな顔を覚えてる。既に国内は黒の淑女への怒りに満ちていた。それを蘇生した僕とマリアがあの国に居たら殺されてただろう。彼女は僕を逃した。〝私が初めて、自分で考え行った事です。生き抜いてください〟………」
空を見ながらブレンダンは思い出す。黒の淑女を心から憎んだ、若い頃の話だ。
「……俺が言えるのは、お前が会ったのが白の聖女でなくてよかった、って事だ。あの頃の俺にとって、白の聖女は人生そのものだった」
ブレンダンは白の聖女によって建てられた神権国家、ルミナリアの出身だ。国民は全て白の聖女へ帰依し、法の中で生き、聖女への祈りを人生の目的と考える。そこでブレンダンは自らの知識を磨き、憎きノクテリア共和国を滅ぼす為に、ルクスという人工ウイルスを作成した。全ては白の聖女、その御神威に報いるため。
「……ルクスの実験は、ノクタリアの人間を拉致して行われた。ルミナリアにとってノクタリアの人間は人間じゃなかったからな。ノクタリアの人間達が首を掻きむしりながら死んでいく様を見て、彼女は笑ったよ。笑ったんだ。嬉しそうにな。俺の信仰は破壊された。人生が崩壊した気分だった」
そして彼自身も、ルクスに感染した。ルクスは光のウイルスと呼ばれている。感染力が非常に強く、特に心肺へのダメージが大きい。その上、神経系にも作用した。ルクスに感染した人間は強い不安に苛まれる。脳内麻薬を減少させ他者との繋がりを渇望させるのだ。接触した人間は例外なく感染し、広がっていく。二つの国はそうやって滅びた。100万人の人間が死んで、後には何も残らなかった。
二人は互いをみた。
あれほどまでに互いに憎しみ合い、殺し合った二国の人間達が、アデンという国で酒を飲んでいる。お互いの苦労を労って、互いに慈しんだ。それは、一つの奇跡であり、希望だ。
「………お互いに飲みすぎたな……」
ブレンダンがそう言って笑う。アンセルも顔を伏せたまま笑った。腰を上げたブレンダンが最後の頼みをアンセルに告げる。
「また任務だ。すまんがシェリルとキャシーの面倒を見てくれ。ナースとして使ってもらってもいい」
シェリルはブレンダンの妻である。キャシーは娘だ。彼女達も軽度ではあるが、ルクスの影響を受けて体が衰弱している。
「たまには家に居てやれよ。時期的にちょうどいい、二人の健康診断もしておこう。検査入院って形を取るよ。それから」
赤ら顔のアンセルが満面の笑顔でマルクスを握る。
「帰ってきたら残りを飲もう。マリアやシェリルも一緒に」
次回、任務に赴くブレンダン。バロンの調査資料の中にある名前を見つける。
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