Tommy s Thema 1
【アレックスはプロヴァンス派大統領候補、エリック・スターリングと対談する】
イヴリン・フィッツが朝自宅のベッドで目覚めた時、アレックスは隣に居なかった。
朝の澄み切った光を反射する彼の枕を眺めながら、イヴリンは微かに安堵した。一年の結婚生活でも取り払えない大きな壁をイヴリンは彼に感じている。元々親の決めた結婚だし、期待はしていなかったが、それでも伴侶となる男性にはそれなりの協力と敬愛を持ちたいと考えていた。だが彼のある種不自然なほどの優しさは、イヴリンを困惑させた。君の思う通りに。仕事に関しても妊娠に関しても、アレックスはイヴリンのスペースに立ち入らない。それどころか、夫婦の共有スペースであるベッドの中でさえ、彼は妻の位置を脅かさない様努めている節がある。時折ある二人での就寝の時も、アレックスはまるで埋葬されたミイラの様に体を緊張させ、イヴリンの肌に触れない様気をつけていた。新婚時のイヴリンにそれは安心であったけれど、一年を経てそれは明確に不満へと変わりつつある。
そもそも、と結論づけてイヴリンは毛布を蹴ってベッドから起き上がる。彼の仕事が仕事だし、自分の仕事も変則的だ。彼が家に帰らない事などよくある事だし、自分だって作業が立て込んでいる時は職場に宿泊する。まるで仮面を被った人間とままごとをしている様な生活だけれども、それも自分が望み放置してここまできた事なのだ。
顔を洗って、キッチンへ足を運んだ。保冷庫の中にミルクとセシア(シリアル)があったはずだから、それを食べて出勤しよう、そう思い顔を上げたらアイランド型キッチンのシンクに前に人が立っている。息を吸ってのけ反った。視界に入ってきたのは、アレックスの日に透ける赤い巻毛だ。
「やあ、おはようイヴリン」
彼は保冷庫の中のオレンジジュースをグラスに注いでいる。
「最後のブレッドを食べちゃったよ。これから事前質疑だ、エリック・スターリングに会ってくるよ。覚えていれば帰りに買ってこよう。君もこれから仕事かい?」
酷く明るい声だ。一年彼を見てきたからよくわかる。寝ていない時のハイテンションだ。
「……いつ帰ったのアレックス。貴方寝てないでしょう?」
「はは、……心配しなくていいよ、図書館で仮眠をとった。十分さ。今日は早く帰る。よければ今度一緒に食事に行こう」
グラスを水洗いして、食洗機に伏せた彼は、ヨレヨレのネクタイを締め直してイヴリンのそばを通り抜ける。イヴリンは何かを彼に言おうと思ったけれども言い出せなかった。彼が余りにも早く玄関へと駆け出したからだし、自分が何を言うべきかもよくわかっていなかった。
◇◇◇
まとめた資料を小脇に抱えて、少し乱れたスーツ姿のアレックスがメリディアン、ランドマリー政治中枢への道を急いでいる。図書館での徹夜作業は思った以上の成果をアレックスにもたらした。バロン・クラウドという人物。彼は確かにクラウディア社に所属していた。開発部の部長という立ち位置だった。経歴はロックウッド大学卒、専攻は兵器工学、ここまでは確かにバロンの生い立ちをなぞっている。だが。思い出してアレックスはほくそ笑む。まるで顔が違うのだ。アレックスの知るバロン・クラウドは身長190少しある大男、女の様な長いまつ毛とゾッとするほど整った容姿、長く均整の取れた手足に彫刻の様な肉体を備えた美青年だった。特徴的な白銀の髪の色と海を思わせる透き通ったブルーアイズ。しかしクラウディア社のパンフレットに載っているフォト、パスポートに至るまで、バロン・クラウドと称される人物は彼とはおよそ似ても似つかない平凡な男性としてそこに微笑んでいる。恐らくはクラウディア社主導の改ざんだ。バロンの専攻は兵器開発、しかしランドマリーでは規制、規約にて自由な兵器開発は行えない。威力実験などの人道的問題もある。だが規制のない国外、冒険者ギルド、それも反社会的な色を含む組織内部での開発となれば。実験は常に実戦にて行われる、公的許可など必要もない。作り上げられた何かの情報を得れる人間はほぼ居ない。知っているのはクラウディアCEO、ヴィクター・クラウド、バロンの父親だ。そこで得られる様々なデータでクラウディア社は競合他社に対する凄まじいイニシアチブを得ることが出来る。あいつめ!
図書館で似ても似つかないバロンの顔を見つけた直後、アレックスは人目も憚らず大笑いをしてしまった。そこからなんだか誇らしくなって同時に強く嫉妬もした。なんてやつだ、俺がここで唸っている間に世界から姿を消しやがって!それはつまり、外部ギルドを誘致する全ての障害が取り払われた事を意味する。
肩に背負った書類入りのバッグがずり落ちそうになったのでそれを引き上げた。徹夜明けのテンションにプラスされた希望の足音が、アレックスの足を浮き足立たせる。軽やかに登ったメリディアン中枢、議事堂へ続く広場を抜ける。チラホラと見えるスーツ姿の人間は、同業者とロビイスト、そして記者だろう。見上げる白いドーム型が美しいその建築物に近づく為に広い階段を駆け上がる。彼には今日も重要な仕事が待っている。リヴェール派にとっては倒すべき巨悪、プロヴァンス派大統領候補、エリック・スターリングとの対談の時間が押し迫っていた。
◇◇◇
目的は中間選挙前、マナ映像機で投射される公共放送の中で行われる直接対決の事前準備だ。各政党の党首は、相手方から選出された若手議員の質問に答えなければならない。議事堂のエントランスを抜け、真っ直ぐにエリックが待つであろう、プロヴァンス派の会議室へと足を運ぶ。何人かの友人、女性議員からも声を掛けられたが、それには手と笑顔で返した。最高級のケルダン、翼竜の体毛を混ぜ込んだ絨毯の感触を楽しみながら、扉の前に立った。カバンの中にはエリックの著書も忍ばせてある。息をついて、背を正した。衣類の乱れを整えて、手櫛で巻毛を掻いた。ノックをする。「どうぞ」
低い声がした。
「失礼します」
言いながら扉を開ける。大窓にかかるレースカーテンが日の光を集めて揺れている。床材はシーク樫、古い物だ。その上に乗るのが準Aランクであるタムブール種の体毛をふんだんに使った絨毯。赤の発色が美しい。絨毯の上にソファ、コーヒーテーブルを囲う形で設置してある。部屋全体を覆うバロックな色調、それに沿う様に白い革の張られたソファに彼が座っていた。エリック・スターリング。顎を引いて彼の顔を直視する。豊かな顎ひげ、60後半にも関わらないしっかりとした肉体、そして智と暴虐を秘めた青い目の色。ブロンドは多少白髪が混じり始めている。その彼が目の前の秘書官に視線を投げ、ゆっくりと体を前に屈めた。立ち上がる彼の動作は優雅そのもの。アレックスは腹の奥で唇を噛む。久しぶりに目にした。政治家の家に生まれ、常に政治を行う人間とその模様を特等席から観察していたアレックスに、エリックの動作は見慣れた物だった。だが、リヴェレー派が政権をとり、先進的な改革を推し進めてからはとんとお目にかからなくなったビンテージ物だ。あまりにもトラディッショナル。優雅さも雄々しさも全てが政治の為に機能する。古いという目新しさは、人目を引く要素になる。
「ようこそ。君が今回の担当かね?……名前は」
差し出される手を取った。宣戦布告である。
「アレックスです。アレックス・フィッツ」
ああ、とエリックは顔を綻ばせた。人好きのする笑顔だ。実にチャーミング。エリックの構成物は常にパターナリスティック、人に恐怖を与えるものだった。濃い色のスーツも大きな背も口髭も高い背も。けれどもそれを全て覆い隠してしまう、なんとも言えない笑顔。これが武器だ。これこそが政治家の才能だ。
「フィッツか。ウェイズリーは元気かね?今は地方議員をしていると聞いたが」
「性格に合っている様で、ここで働いていた頃より元気ですよ。そろそろ引退してもらわないと私の出番が無くなってしまう」
アレックスの冗談に笑いで返したエリックは、対面のソファに座る様促した。
アレックスがカバンの中から資料を取り出す。準備の間、エリックはまた優雅に時間をかけソファに腰掛け、足を組んだ。
言葉による戦闘が開始される。
次回、言論による戦闘。面白ければ評価お願いします。




