Told you 1
【女人禁制の会員制バー・バグベアにて、アレックスとトニーの密談が行われる】
馬車の親父にチップを多めに渡して乗り合いの馬車を降りた。目の前に聳える一等地、その角に面した扉の前に見事なカリグラフィーで『バグベア』と書かれている。扉を引いて中に入る。薄暗い店内から落ち着いた男性の声がした。「いらっしゃいませ」
まず目に入るのが巨大なカウンター、ダークレッドが店の絨毯と相まって世界を形作る。二、三名のバーテンは全て男性で、見目の良いベスト姿。語らず黙らず適切を知り職務にあたる。カウンター前のスツールも座面はダークレッドの皮が施されている。赤と黒、茶の中に混ざる金。それがダンディズムに相応しい色である。天井に吊るされている灯りは全て蝋燭の灯りだ。それがカウンター奥のグラスに反射して宝石の輝きを再現する。時折網膜を刺すのは金箔の装飾だ。店内の至る所に施されている精緻な技巧はそれ自体が名人と呼ばれる職人のものだった。カウンターの背後にはL字に、ドア付きのボックス席が配置されている。
既に幾つかのドアは閉じられ、低い男性の囁きが聞こえていた。この会員制高級バーは女人禁制、男性のみの入店が許可されている。同性愛者の出会いの場でもあるバグベアは、個室は完全防音、そして凡ゆる記録媒体の起動をブロックする。それはつまりこの場所は重要機密に関する密談場所として最適なのだ。またバグベアはその歴史からも客の情報を外に出さない事で有名だった。商業区に一店舗、そして中央区に一店舗あるが中央区にあるこの本店は貧者の眼の起動すら行えない。
バーテンに案内され予約席に腰を下ろした。扉を閉める直前に、軽食とマルクスを注文した。食事に合う度数の強い蒸留酒だ。
個室の中で一人トニーを待ちながら彼は思考を巡らせる。テーブルに置かれた茶封筒の中身は機密資料だ。先日、リヴェール派の党大会で、党首エリザベスに呼び出されこう命令された。
——貧民街で横行しているゾンビ被害を解決せよ、と。
封筒を開いて資料を見る。中には『月刊ケムトレイル』編集長、モートン・グレイヴスの陳情書があった。
———ケムトレイル専属記者であるミナ・クレーバーが行方不明になった。失踪から既に三ヶ月経過している。彼女はVOODOOと呼ばれる新種の薬物の取材を行っていた。調査の結果、薬物の取引場所がフラッフィーマンションである事を突き止め、潜入取材を敢行したがそれ以来連絡がない。憲兵隊に捜索を依頼、事件性も含めた説明を行ったが憲兵隊からも協力を拒否された。各種ギルドにも支援を要請したが、現在フラッフィーマンションは政治的理由のため案内を制限している、との事。一刻も早い行方不明者の捜索を行って頂くよう、弱者包括を掲げるリヴェール派、党首エリザベス・ローウェル氏に陳情を申し上げる。
読みながらアレックスは考える。確かに。
確かにフラッフィーマンションは非常にセンシティブだ。現在ランドマリーは南の国、サカスーマと麻薬戦争中にある。囮捜査には道標がいなくてはならない。末端を潰したって意味などないのだから。またサカスーマからは不法移民が大挙してこの夢の先進国、ランドマリーに押し寄せる。その殆どが一旦、フラッフィーマンションに身を寄せるらしい。アレックスとしてはさっさと解体し、移民の整理を行うべきだと考えているけれども、既に不法移民は一つのビジネスになっている。
ノックの音がしたので、書類を伏せた。OKとだけ声をかけたら扉が開いた。バーテンがマルクスと軽食を運んだのだった。人好きのする黒い髪の若いバーテンが会話も少なく、テーブルに軽食を配置していく。扉を閉める前に彼にチップを渡した。テーブルにある軽食に向き合ってナプキンをつける。カトラリーに手を伸ばそうとしたが、胃に何かを入れる前に、先ずは精神の緊張をほぐしたかった。ヘーゼルナッツの香りがする蒸留酒がグラスの中で揺れている。冷えたグラスを持って口をつけた。燃える様なアルコールの刺激と、そこから鼻腔に広がる上質の香りに絆されて、アレックスは思わず深いため息をついた。
そこから二時間が経過した。
既に二杯目のマルクスが乾いている。ダークレッドのテーブルを叩く回数が増えた。書類はもう三回読み直した。待ち人はまだ来ない。仕方なしにもう一度、書類に目を通し始めた時、扉をノックする音が聞こえた。酒で潤んだ目でそちらを見ると先ほどのバーテンの後ろに長身のマッチョが立っている。彼の顔を見るや否や呆れたため息が喉から滑り出した。
「すまんな、待ったか」
長身のマッチョこと、トニー・エンデバーはそう断りつつアレックスの前に腰を下ろす。
「待ったか、だと?ああ、待った、待ったさ。必死で口説き落とした女に土壇場で逃げられた気分になった。あと数分遅れてたら俺はジャングル(大麻)でトンでるところだった」
正面のマッチョはベスト姿、ジャケットは脇に抱えていたようだ。控えているバーテンにジャケットを渡し、バレンタインの白を注文した。
「おいおい、ゲイかよ。ガキの飲み物だぞ」
「バレンタインの白は血液にいい。アルコールも入ってないしな。イキって毒物を体に入れる時代はもう過ぎたんだよ、アレックス。お互い守るものもある。それに、年齢を考えろ」
「いつから元老院のジジイになったんだ、お前は。やめてくれ、老人の小言は毎日聞いてるんだ。目が霞んでくるんだよ、段々と!冗談じゃない。俺の理想は死ぬ直前にベッド上でウィスキーをかっ食らって逝った曾じいさんだ。血には抗えん」
それを聴いたトニーが上目遣いにアレックスを見た。整えられた口髭が緩んでいる。
「変わらんな」
「お前も」
互いに破顔した。そうして遠慮のない大笑いを始める。トニーは上を向いて大口をあげて大笑し、アレックスは顔を抑えながら笑っている。一先ず笑いが収まって、先ずは律儀はトニーが謝罪をした。
「飯を食ってたのか。俺は家で食っちまった。我が家のルールでな」
「残念だよ、トニー。お前と久々に飯を食えるからワクワクしてたんだ。お互い、会う暇も無くなっちまったからな」
素晴らしいタイミングで扉をノックする音がした。扉を開けると、バーテンが真っ白い液体の入ったグラスを持って立っている。ノンアルコールソフト飲料、バレンタインの白だ。氷で薄まっているマルクスを鳴らして、トニーに向けた。トニーもまた改まって、グラスを手に取りアレックスに差し出す。
「良き再会に」
◇◇◇
近況をお互いに報告した。トニーは二番目の子供がそろそろ産まれる事、どうやら男であるようだと言う事。アレックスは新婚生活のあれこれ。最初は気を使っていたがイヴリンのナチュラルさに救われている事など。そして会話は本題に入る。
アレックスがそっと書類をトニーの前に差し出した。黒いテーブルを滑る書類を、トニーは静かに見ろしている。「本題だ」
書類を受け取りそれの中身を改めるトニーをアレックスは静かに眺めている。トニーの家は数代続く憲兵隊の家系、彼もまた家業を継いで30歳で憲兵隊の上級職に就いている。トニーは燭台の灯りの中で書類に目を通した。読み終わったのだろう、両肘をつき両手で口元を隠したまま鋭い目でこちらを見るアレックスに視線を投げる。沈黙はアレックスにより破られた。
「事実か?」
詰問の調でトニーに言った。トニーは暫く空中を眺めて、決心したようにアレックスの目を見て頷いた。
「憲兵隊が、上からの圧力で市民の安全を脅かしている。問題だぞ、トニー」
「俺達だけの問題だと思うか?憲兵隊は治安維持装置に過ぎん。命令には逆らえん。命令を出しているのは恐らく、リヴェール派のエリザベス・ローウェルだぞ」
トニーにそう言われて、今度はアレックスが頭を抱えた。わかっている事だったが裏付けを目の前に出されると中々にショックではある。トニーが続けた。
「フラッフィーマンションは貧民ビジネスの温床だ。弱者包括と叫べば見栄っ張りな企業が金を出す。移民や貧困者は楽に買い叩けるから労働力のダンピングにもなる。更に働けなくなった者は薬物に始末させればいい。かなりの金がそのビジネスに突っ込まれている」
「……調査資料は……?」
「ある。内部資料を見る権限が俺にはある。裁判でも十分に戦えるだけの資料は集まってるが、恐らく口封じが始まるだろう。そもそもこの弱者ビジネスに噛んでいるのが、エリザベスとフェニスだ」
ファック、音には出さずそう吐き出したアレックスを哀れみを込めた目でトニーが見つめている。
「その貧民ビジネスを潰してみろ、とあの女は言ったのか。この俺に」
首を振ってトニーは答える。
「お前が邪魔なんだろう。自分の意に従わない者は要らないさ。フェニスならまだしも、自分の利益に盲目になっている女は先を考えないぞ」
自分の足元に流れ込んできている転落の水の冷たさが、アレックスには実感できた。何が間違っていた?今更だ。だが、今から自身の矜持を曲げることなんてしたくない。それは数代続いてきたフィッツ家、歴代大統領を何名も輩出した名家に泥を塗ることになる。
「………お前の言葉を聞いておけばよかったな………。覚えてるか?ロックウッド大学の新歓」
ふ、とトニーの口元が綻ぶ。夢の様なモラトリアムがお互いの脳裏に蘇る。
「高校時代から陰謀論に汚染されてた俺だ。お前が見誤るのもしかたないさ」
「あの時、お前は言った。フェニスが必ず軍部を乗っ取ると。全くお前の言う通りになったな」
またフェニスだ。学問の重要性など意に介さず、ただカリスマとその底冷えする功利主義のみで全てを叩き潰す元奴隷の女。彼女こそが一つの研究対象になりうるだろうとアレックスは考える。この秘密主義のバーが存在しているのもフェニスのお陰だ。この密談場所が齎す経済効果をフェニスは尊んでいる。恐らく彼女も利用したことがあるのだろう。考えれば彼女だけかもしれない。このバグベア、家畜からペット、人間、モンスターすら捕食する大食漢のモンスター。オスしか存在せず多種族を攫い繁殖をする、社会を構築し、言語を持つゴブリンの上位亜種。その名を冠したバーへ足を踏み入れる女性は、きっと男性よりも男性的であるべきだ。
次回はアレックスによる突破口。面白いと感じてくだされば評価お願いします。




