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【物語は政治劇へと突入する。若き政治家アレックス・フィッツに舞い込んだ一つの依頼。貧民街で増加するゾンビ被害を食い止めよ。】
問題は山積みだ。
リベラフェデラーの政治中枢『メリディアン』を囲む摩天楼の一室で、アレックス・フィッツは薄い唇に指を当て新聞を読んでいる。右派の『ワールドクロック』に並ぶ文言はモンスター被害やその対策ニュースだ。近年ドレイク、荒野に住む翼竜達が数を増やしているらしい。畜産を営む者達にとって奴らは脅威だ。それを撃退する為の弾薬、軍需工場、兵器生産システム、個人で行える効率的な駆除方法などの記事が続く。最後のページを読み飛ばしてアレックスは他誌に手を伸ばした。ワールドクロック、最後の一枚はこの巨大な国ランドマリーを実質支配する聖シオン騎士団、その団長であるフェニスへの媚びで彩られている。対する左派『センチネル』は今日も今日とて批判ばかりだ。ワールドクロックがなければ記事を書けないらしい彼らは持ち前の愚鈍さでギルドと国防をこき下ろしている。対案は出せないので捻り込むのがジェンダーイデオロギー、論点のすり替えである。そしてセンチネルもまたフェニスへの忠誠を誓って紙面を閉じる。
紫檀造の高級な書斎机の上に新聞を投げて、アレックスはまた唇に手を当てて思案した。スプリングが入ったドリアードのデスクチェアを左右に振って、厳しい目のまま虚空を見つめている。
ランドマリーは民主制を採用しているが、その実態は軍権国家である。そもそも、この世界に存在しうる国と呼べるもの、国土を有し国民をいただく土地を保有出来る国には必ず強力な軍権がある。そうでなければモンスター達に対抗できないからだ。亜人もエルフも人間すらもこの世界の覇者ではない。数の多いヒューマン種は代表的な被捕食者である。
それでも、とアレックスは机の上に投げ出されている資料を手に取った。文面を読みながら、長い指で赤色の巻毛に覆われたこめかみを支える。フェニスに権力が集中するのは宜しくない。
彼は考える。
フェニスは恐らく死の直前まで権力を握り続けるだろう。世界二位の軍事力により確かにこの国は他国からの、そしてモンスターからの侵攻を免れている。では彼女の死後、その軍権はどうなるのか?永続的な国の繁栄を一人の人間に委ねるものではない。それこそシステムにするべきだ。
全てをマホガニー色に統一された書斎の中で、唯一の色といえば机上のランプだった。書類に反射した光が、アレックスの緑色の目に色を与えている。特徴的なそばかすも灯りの中では淡く薄れてしまっている。
聖シオン騎士団という軍事力を保持しながら彼女には退場いただく。虫のいい話だ、彼女がそれを認めるとは思えない。片腕を切り落とし奴隷から成り上がり、生涯を賭けて作り上げた彼女の軍隊だ。ただ、一つ希望があるとするならば彼女の病的な功利主義。自身の子とも言える軍隊すら、負債となれば彼女は切り捨てるだろう。この国がかろうじて民主制を取り入れられているのも、彼女の合理性ゆえだ。彼女はそれに関わらない。国民も自身の兵士も資産と考える彼女は、資産を増やす事に関しては黙認する。ただそれが不利益となった場合、例え高名な学者であろうが、資産家であろうが、奴隷であろうが殺害する。一つの説として書籍の中でフェニス不要論を提示した友人は死んでしまった。死因は不明だ。だが彼女のその合理性のみでこの危険なバランスは維持されている。彼女に今以上の利益を与える事。それが、国防の要である聖シオン騎士団をシステムへと変化させる唯一の方法だ。
一先ず思考を切って、息を吐いた。彼もまた危険な領域にいる。フェニス不要論を一度だけ周囲に零した事があった。友人との会話、その手がかりとてしての軽いジョークのつもりだった。それ以来自宅には無数の盗聴器が仕掛けられているし、プライベートはほぼ無くなった。既にリヴェール派の下院議員ではあったが、それ以来上院への打診が増えている。監視対象である、という事だろう。敵は誰よりも身近におけ。孫子の格言通りだ。
問題は山積みだ。
結局この何の解決にもならない不平不満に集約されていく自分の心情に呆れて席を立った。摩天楼を見下ろすオフィスの窓にはリベラフェデラーを雄々しく逞しく包む夕陽が差し込んでいる。この都市の片隅にもままならない生活を抱えた困窮者達が存在する。その生活困窮者よりも更に酷い扱われ方をしているのが亜人種だ。フェニスはまるで復讐のように彼らを使い潰す。数度の反乱は虐殺で鎮圧された。アレックスの所属するリヴェール派は、彼らの権利回復を主目的としている。元よりフェニス、この先登場するだろうあらゆる独裁者を認めない方針だ。だからこそ、彼の父親であるウェイズリー・フィッツの醜聞、亜人女性とのスキャンダルはメディアにより創作された。数代続く政治家の名家、そんなものは意味を為さない、とアレックスは自身を断罪する。今、何をするかであり、今何をやれるかを考える。亜人種を保護するならば全てのモンスターも保護生物として扱うべきである、などという極左の世迷いごとを排除し、弱者救済のみに焦点をあて政策を考え実行しなければならない。
「アレックス?」
扉が開く音と同時に呼びかけがあった。だから表情を正した。声はイヴリン、彼の妻のものだ。親の決めた相手だが、この一年献身的に彼を支えてくれている。彼女に苦悩を見せないのはアレックスの意地の一つだった。思えば父親もそうだった。思い返した記憶がアレックスの厳しい表情を柔和な30歳の男性に変える。
「電話よ、トニーから」
彼女に近づいて肩を抱いた。
「ありがとう、イヴリン。今日は帰りが遅くなるから、先に夕飯は摂っててくれ。留守中、誰が来ても鍵は開けないように。頼むね。日が変わる頃には帰ってくる」
イヴリンは軽く微笑んで、オーケーと彼に答えた。美術修復の仕事をしていたのだろう、イヴリンの頬は赤い油絵具で汚れていた。それが何かを予感させる。一瞬目元が暗くなった、とアレックスは自身を客観視した。彼は常に、一流の、上流の、洗練された弱肉強食の世界に生きてきたから自身を俯瞰で見るのだった。今自分は何をしているか、どのような状況か。今するべきは彼女の側を抜けて電話を手に取り、相手を確認した上、発することだ。
そしてアレックスはその通りの行動を行った。特に受話器の先の相手の確認には慎重を期した。盗聴器が仕掛けられていることは当然、相手がトニーを騙っている場合もある。だから電話口で発するのは一言だ。
「バグベアで」
黒電話の受話器を即座に置いてジャケットを羽織った。学生時代から変わっていない体型は、10年前に仕立てた背広にもフィットする。バーバリーチェックのジャケット、時期を考えてタイは外した。カッターシャツの前をラフに開いて風を入れる。10年来の友に会うにこれ以上ないコーディネイトだ。自宅を出て鍵を閉めて、昇降機を呼ぶ。経文のように折りたたまれ横に開いた扉に手を添えて箱の中に乗り込む。中にはこの高級住宅に住む人間達のハイソサエティな香りで満ち満ちていた。息を止めてそれを排除する。ハイソサエティに生きているから、彼らの欺瞞をアレックスは見抜いている。祖父を紙面で攻撃し続けたセンチネル、父の醜聞をこき下ろして大笑いしたワールドクロック、その2大メディアによる欺瞞の空気が、この高級住宅に、そしてリベラフェデラーを覆っている。苦々しくそれを飲み込み、昇降機を降りた。広いエントランスを駆け抜けながら背広の前を止める。白い階段を軽やかに駆け降りて噴水の前を小走りで通り抜ける。植木はみな綺麗に刈り込まれて調律されている。門を出たら正面に高級ブランド店、デリアンの本店が聳えている。モダンで清潔で洗練された全てが、アレックスには実に空疎に見えていた。大通りを行き交うキャブを停めようと手を挙げた彼のために、一台の乗り合い馬車が停止した。乗客は一人もいなかったし、馬も実に貧相だ。だが、そこには労働の息遣いがあった。迷いなくコーチに乗り込んで御者に声をかける。「バグベアまで」
財布の在処を確かめて内ポケットを探るついでに、コーチ内部の広告に目がついた。折しも時期は大統領選、その中間選挙の季節だった。プロヴァンス派大統領候補、エリック・スターリングとリヴェール派史上初の女性大統領候補、エリザベス・ローウェルの顔が向かいあい、まるでコミックの様相で対峙させられていた。
アレックスについては、前作「AVOCADO」で詳しく触れています。
次回、バグベアでの会話劇。




