Could this be 2
【そしてかくも芳醇な地獄が、ミナ・クレーバーの罰となる】
女達はミナの手を引いた。冷えて心地の良い温度が、ミナの肩に手のひらに触れる。湖を凪ぐ風が彼女達のドレスを翻した。ミナの汚れて絡まった髪を巻き上げ、草を巻き上げた。風の中には花の香りがある。全てが夢のようで目の前にある光景が信じられなくて、ミナは薄ぼんやりとした意識のまま女達に手を引かれて歩いていった。女の一人が言った。
「貴女幸運ね。いいえ、ギーガービレッジにたどり着いた人はみんな幸運よ」
女達のカラフルなドレスの裾が広がる。そのドレスの下は素足だった。足の裏に柔らかな芝生を感じて歩くのはどれほど心地いいだろう、とミナは考える。左隣に居たブラウンの肌の女性が微笑みながらミナに語りかける。
「きっと酷い目に遭ったのね。でももう大丈夫。ギーガービレッジは全部受け入れる。貴女の傷も価値観も何もかもを受け入れる。貴女はギーガーに選ばれたのよ」
嘘だ、とミナは思う。確かにかつて自分はギーガーに見つけられていると思っていた。けれども本当は、心の奥底で何処か、それを否定する自分も存在したのだ。あんな有名人が自分なんかを見ているはずがないって。左の腕を組まれて女達に歩かされる。皆が同じ笑顔を張り付けた女達が自分の腕を引く。左肩の傷の痛みが足を引っ張っているように感じたが、女達のなすがままだ。広い芝生の草原を歩いていると開けた景色が見えてきた。まるで村だ。鬱蒼と茂った森に囲まれている。ログハウスが幾つか並んでいて、畑も見える。様々な色のテントが至る所にセットしてあって、家畜の鳴き声と堆肥の香りが漂ってきた。ログハウスの一つから小麦を焼くあの香ばしい匂いが発されている。その奥に大きな、まるで開いた教会の様な巨大な建物があった。ステージだと一目見てわかった。そこから知っている音がする。ギターの音だったりピアノ、そしてドラムスの音だ。それだけではない、その音階をもミナは知っていた。あれは。
「Before the Break……」
ミナは呟いた。ギーガーの初期曲だ。
ミナの言葉を聞いて女達は笑いさんざめいた。腕を引く彼女達の力が強くなり、足が速くなった。
「知ってるでしょ?そうよ、今日はギーガーが来てる。私たちのギーガーが来てる!さあライブよ!」
We’ll ride to a world no one’s ever seen,
Just you and me, caught in a midnight dream.
Don’t worry, baby, we’re wired to ignite,
Chasing after blues that cut like light.
It’s the rush before the fall,
When silence dares to call.
Like lungs that scream for air—
There’s fire hanging in the stare.
巨大なステージの前に呆然と立ったまま、ミナはそれを見上げた。
ギーガーだ。ギーガー・スクルージだ。彫刻の様な肉体がギターを抱いている。本物の男に頭髪はいらない。その代わりすっきりとした頭部の下には身震いする様な整った顔がある。甘くて切なくて、暴力的で幼い。ステージの中央、南部の田舎で良く見る木造のチェアに腰掛けたギーガーは繊細で美しい、そして暴力的な響きと伸びを見せるあの声で歌っている。体の感覚がなかった。彼の全てに目を奪われた。広いステージは虹色の旗で覆われている。簡易な、それでも凄まじい色彩感覚とデザインセンスによる装飾、その中でもギーガーは全く色褪せていなかった。周囲に整然と積まれてある音響設備から、皮膚すら振動させる波長が流れてくる。その波長に包まれる事は、彼に抱かれると同義だ。彼がそこにおり、そこで歌うために形作られた舞台、それがこのステージだった。
涙が溢れてきた。
ああ、ギーガー!ギーガー!ギーガー!ミナは感情を押し込める様胸を抱きしめて泣く。貴方に会いたかった、貴方の声を聞きたかった、そして感謝を伝えたかった!あの屈辱的な夜、ままならない夜を、幾度貴方の歌に助けられ奮い立たされてきたか!涙交じりの震える声で、ギーガーと共に歌う。
「……anging in the stare……」
ギーガーが声を張り上げた。観衆が喜びの雄叫びをあげて彼に答える。両手は広げられ腕は高く上がる。ララ……ラララ……寸分も違わぬ観客の歌声、その只中に立たされてミナは慟哭した。自分はずっと一人だったのだ、とその時理解した。ずっと一人で孤独で寂しくて、理解者が誰もいない世界に投げ出されていた。世界は寒くて無理解で、そして非情だった。私が求めるものを誰も理解していなかったし、理解する気もなかった。けれどもここは違う。発さずとも自身を誰かを理解してあげられる、理解してくれる。ギーガーの歌が終わり、割れんばかりの拍手と指笛、そして彼を讃える声が会場を包む。ギーガーはその優しい狂気を秘めた微笑みで観客に手を振り、マイクで呼びかけた。
「みんな。仲間が来たんだ。今日は三人。歓迎しよう」
拍手が巻き起こる。顔を伏し泣いていたミナの手をまた美しいドレスを身に纏った女性が引いた。
泣き腫らした顔のままミナは舞台に上がる。彼女の他に二名、汚い格好をした恐らくは薬物中毒者と思われる男性と女性が立っていた。女性は細い肩を抱きながら寒そうに震えており、男性は床を見ながら忙しなく体を動かしている。美しいドレス姿の女性が、ギーガーに近寄り耳打ちをする。金色の口髭が神々しく動いて、彼はミナの名前を呼んだ。
「ミナ。ようこそ。苦しんだんだろう。話してくれ。俺にその苦しみをわけてくれ」
ギーガーの声を聞いた瞬間、蓋をしていた記憶が蘇った。カヴィア、カヴィア!あの優しい微笑み、力強い戦士!それを殺した、見殺しにした!自分は決して正義などではない!薄汚れた大衆、無知で残酷な大衆よりももっと罪深い生き物だ!ギーガーの前で膝を折った。彼の前にへたり込み、ミナは涙ながらに自身の罪を告解した。
「………私、私は悪くない!助けられなかった!カヴィアは……!違う、私が!私が見殺しに……!」
昂った感情で意味不明な言葉を羅列した。カヴィアの名前を出した瞬間、喉の奥から震えるほどの後悔が押し寄せて涙が溢れてきた。見上げたギーガーは静かに微笑み、ミナの姿を見ている。変わらない美しい顔、それが一歩進んで、ミナの頬に触れた。
「そうか。もう何も心配いらない。ミナ。お前は選ばれた。お前は荒野を超えた。お前は超越者だ」
望んだ通りの言葉があって、ギーガーがミナの前で手を開く。手の中には白い錠剤があった。それはミナのカバンの中で落ち着いていたものだ。ジッパーバッグに入れて守り抜いたものだ。哀れなゾンビになってしまった男から、CCIの職員が抜き取ったものだった。ミナはそれを使おうとはついぞ思わなかったけれども、ギーガーの手の中でそれは唯一の救済の様に煌めいている。
「さあ、聖体を受け入れろ、ミナ・クレーバー」
彼に差し出されるまま、その錠剤を口に受けた。目を閉じ、錠剤を飲み込んだ。瞬間、全身が引き攣る様な快感に浸された。
全てがスローモーション、世界は輝き、全身は性感と安堵と幸福、平静と激情に苛まれコントロール出来ない。引き攣った肉体はそのまま後方に倒れるが、女達が彼女の背を抱き抱え、肉のベッドの様な柔らかさで衝撃から守る。舞い立つ埃の中に花が咲き乱れている。光が拡散し、それは鋭い光線となってミナの網膜を焼く。ギーガーの美しい顔が歪む、二重、三重にぶれて、虹色に光る。倒れ込んだミナを案じた聴衆は口々に愛の言葉を囁く。音は遠くなり近くなり反響し、脳を愛撫する。肌は呆れるほど敏感になったが、肩の痛みは完全に消えた。そして不安も消え去った。ミナの中に湧き上がるのは幸福、決して今まで味わったことのない絶頂、それは安息の、充足の、愛の、達成の、おおよそ人間が感じうる精神的多幸感の全てが実体となって一気にミナの肉体に押し寄せた。ミナは深く息を吸った。愛の津波に溺れそうになり、顔を上げる。顔を流れていく汗が水面を思わせた。太陽はそこにあった。全てがそこにあった。望んだもの全てが現実としてミナ・クレーバーの眼前に並べられた。
喉から漏れたものが自分の絶叫だと気付いたのは随分後だ。自分の絶叫は今や、聴衆達の歌声と一体になっている。ここだ、とミナは思った。脳にたどり着いたオキシフィン、VOODOOが彼女をそうさせた。ここが私のいる場所だ。これが全ての始まりだ。
私はこうなる為に生まれてきたんだ!
次回、アレックス編「Contact 」開始。麻薬危機は個人で起こるものではなく、その裏にはシステムがある。面白いと感じてくだされば評価お願いします。励みになります。




