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VOODOO  作者: 路輪一人
Could this be
14/40

Collider1

【ラ・ムエルテ・ブランカの支配地域に放逐されたカヴィアとミナ。二人はこの地獄の城を脱出するために奔走する】

 十字の橋を渡りきった先には、闇を湛えた四角い通路の入り口が口を開けている。


 廃墟の雰囲気を持ちながらも、まだ秩序だっていた白骨幇の支配地域に比べて、こちらの様相は全く持ってただの廃墟だ。打ちっぱなしのコンクリートによって舗装された壁に覆われた真っ黒で真っ直ぐな通路、灯りもなければ扉もない。人の気配がないけれども足元にはゴミが散乱している。そして酷く乾燥していた。先頭を行くカヴィアのブーツが砂を擦る音が薄暗くなっていく通路に反響する。

 カヴィアの背中は静かに緊張していた。アサルトライフルに取り付けられたウェポンライトで慎重に辺りをクリアリングする。まだミナの背は、大穴に差し込む光を微かに受けていたが、あと数歩進めばその恩恵は消え去るだろう。目も眩むような闇が、真っ直ぐに続く。ここがムエルテ達の支配地域だ。怯えた足を一歩出した。体が震えていて、ミナはカバンを強く握りしめた。自分が語った覚悟、覚悟の体すら成していない覚悟をもう一度思い返した。——私達二人の命と、何万人もの罪のない弱者の命、どちらが重いかしら——。この暗闇が教えてくれる。間違いなく自分の命だ。


「ミナ」


 カヴィアの声に驚いて息を飲んで体を引いた。カヴィアはミナを振り返りもせず、低く絞った声色で彼女に訴えた。


「絶対に離れないでね。貴女を守れなくなる」


 そう言ったカヴィアの銃先、そこに取り付けられたフラッシュライトが何かを照らし出した。T字路の突き当たりにあったのは、腐り果てた人の死体だ。腐敗した皮が張り付いた右腕の骨は鎖で右上の太い配管に固定され、衣類の欠片が引っかかっている左の腕は左上の電気配線に巻きつけられていた。十字に張り付けられた骨の聖者の頭蓋には無数の釘が、王冠の様に打ち込まれている。そしてその背後にGrave(墓)とVoid(虚無)の文字。特徴的なストリートアートスタイルで描かれている。そしてその下には見事なカリグラフィーで書かれている聖句、He created us in His delirium.(神は錯乱の中で我らを創りたもうた)それを飾りたてる無数のマリーゴールド、一目見てわかった。ここが、ラ・ムエルテ・ブランカの入り口だ。


 聖なる死体の首にかけられているのは、イミテーションの宝石で飾られたLegba(レグバ)の文字。光の反射すら何か神聖な物への冒涜が垣間見えて、ミナは顔を顰めた。しかしカヴィアはその死体の前で立ち止まる。肩に担いでいた重いバッグを引き下ろし、ジッパーを開けた。中から取り出されたのは特殊繊維で編まれた衣類だ。それを一枚取り出して、ミナに渡す。


「上からでいいからこれを着て。倭国から輸入してきたヒヒイロカネで編まれたセーターだよ。皮膚の露出を最低限にして。この服はゾンビの歯じゃ噛みきれない」


 カヴィアはそのまま防弾チョッキを外し、中に着ていたミリタリーシャツの上から、黒いハイネックセーターを着た。手早く袖を通し、再度防弾チョッキを取り付けた。ミナと言えば肩の痛みを庇いながらヨタヨタとセーターを着用している。バックは邪魔になると感じたから、バックの中身、メモ帳や大切な万年筆、そして貧者の眼を全てVOODOOのジッパーバックの中に押し込んだ。カメラだけはどうにもならなかったから、首から下げる。それからジッパーバックを丸めて着込んだセーターの奥、ブラジャーの間に挟み込んだ。書きかけの原稿は、Legbaの足元に備えてきた。メモさえあれば、原稿なんていくらでも書き直せる。生きてさえいれば更に連載までできる。だが死んで終えば全ては無だ。自分が死んだ時は情報も揮発する。そんなミナを見ながらカヴィアが警句を発する。


「首元は二重にしてね。ゾンビは首を狙ってくるから……。VOODOOでの変異者はウィルスを持っていないけど、力は強い。柔らかいところは引き裂かれるよ」


 小さなカヴィアの背中には大きすぎる荷物を背負い込んで、カヴィアは銃を持ったまま前に進もうとした。ミナにはそれが理解できない。ジャーナリストのミナにとって罵倒と憎悪は日常だ。当然だ、他者の秘密に手を突っ込んでそれを暴いて喧伝する。自分がされれば怒り狂うだろう。けれどもカヴィアはジャーナリストの業(業と言えたものだろうか?)を存分にミナから注がれながら、行動に怒りを用いない。


「………どうして?」


 疑問がそのまま言葉になった。足を止めて振り向いたカヴィアの横顔をライトが照らしている。ミナはもう彼女の顔を見ることすら恐ろしい。


「……仕事、仕事、って……。仕事なら、なんでもやるの?死ぬのに?嫌な仕事なら蹴って仕舞えばいい、断って逃げたらいい、それも権利じゃない、貴女の……」


 ミナの言葉はいつも誰かを責めるために発される。こんな時だってそうだ。自分なら、とミナは考えた。いくら仕事とは言え、契約違反を盛り込んだ職務を遂行する義務なんてない。けれどもカヴィアは文句すら言わず、自分を守るために行動している。カヴィアがわからなかった。ミナの記憶に、そんな高潔な人間はかつて存在し得なかったからだ。

 カヴィアは答えずに正面を向いた。そして右の通路を照らす。まだ真っ暗い道が続いている。


「ミナはやっぱり、頭のいい人だと思う。私はそんな風には考えられない」


 カヴィアの足が前に出て、光が遠くなる。だからミナも置いていかれない様に足を出した。


「私は、学がないから……。権利とか、そういうことはよくわからない。わからないと迷うでしょ?私は弱い人間だから迷ってしまうことが怖い」


「でも仕事をしている時は、それに集中できる。目の前の仕事を一つ一つこなしていれば少なくとも迷う事はない。だから」


 カヴィアのライトだけがミナの頼りだ。そして彼女の言葉も、ミナの一つの光になった。震える足を励ましながらミナは歩く。擦れて震えた情けない足音が周囲に反響する。


「だから、仕事をする。最後の最後まで自分の仕事に責任を負う。そうすれば少なくとも迷う事はなくなる。それが間違っていても、私はその方法しか知らないから……」


 顔をあげてやっとカヴィアの背中を見た。やっと息ができた様な気がした。ミナは確信する、カヴィアの背中にあるのは知性だ。それは本の中から掘り出される一瞬偏執的な狂気から齎されるものではなく、むしろもっと実践的な生活の為の知性。ミナは暗闇に疑い始めている。知性、知識とは何か。それは本来、こうあるべきものではなかったのか?そしてミナはかくも自然に口を開いた。今までの自分では考えられなかった行為、謝罪を、彼女に行う為の開口だった。「……カヴィア……」


 先を行くカヴィアの全身が、まるで震える様にビタリと静止した。片腕が振り上げられている。停止のサインだ。フラッシュライトの先で何かが蹲ったまま蠢いている。まだ黒い。だがやがて黒い何かは形を持って彼女達を振り向き見た。白く反射したのは顔、だが皮膚がない。皮膚は既に顎の下にぶら下がっており、血まみれの手には肉の塊が握られていた。それを真正面で捉えたミナの全身が恐怖で強く引き攣った。だが。


 微かな銃声が二発。続いて薬莢の飛び散る音がした。銃声の後、皮膚のない一体はゆっくりと後方に倒れ天を仰ぐ。暗闇の中でうつ伏せで息絶えたもう一体を今更見つけて、ミナは止まった息を一気に吐き出して口を覆った。カヴィアは事もなく冷静な声でミナに呼びかける。


「……ムエルテの連中の処刑がこれだよ。ゾンビ化した人間に食わせるんだ。ゾンビはムエルテ達の盾としても機能してる。このまま真っ直ぐ進もう。そうすれば、地上13階の非常階段に出れる。そこから脱出できる。できるだけ音は最小限に。音に敏感な奴らが多い」


 カヴィアのブーツが砂をする音がした。同時に彼女のアサルトライフルからリロードの音が響き渡る。絶望している暇はないのだ、とミナは思い直した。考える事はある、誰かを責めて大声をあげたいし、絶叫しながら助けを求めたい。けれどもそれが許されないのなら、仕事を行う以外ないのである。ミナの仕事はまず、歩く事。カヴィアから離れない事、そしてこの恐怖を記憶する事。それだけだ。それだけが、この暗闇を歩くよすがとなる。

挿絵(By みてみん)

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