32.増えた目標
落ち着きを取り戻したエリスティアは遊戯室から出る。
レイは黙って黒髪の少女と手を繋いだ。
短い距離を二人は無言で歩き、エリスティアの自室へと戻る。
室内で待機していたイメリアは何も言わず微笑んでお茶を淹れてくれた。蜂蜜入りの甘い紅茶だった。
レイは大して待つことなく、猫舌のエリスティアは少し冷ましてからそれぞれ口に含む。
「おいしい……」
そしてほっと息を吐いた。
「ドライフルーツ入りのクッキーもございますよ、今朝久しぶりに焼いてみたんです」
元々はキッチンメイドとして働くつもりだったイメリアは菓子作りが得意だ。
彼女に勧められるままエリスティアは皿の上の菓子を一口齧る。
小麦の香ばしさと果実の甘酸っぱさ、サクリとした歯ごたえが心地良かった。
エリスティアの横でレイもクッキーを食している。
彼も甘いものが好きであることを黒髪の少女は少し前から知っていた。
エリスティアは二枚目のクッキーを食べ終わるとイメリアに向き直る。
「ねえ、私もクッキーを作ってみたいのだけれど……」
そう黒髪の少女に言われ彼女の侍女は目を丸くする。
エリスティアは自分でもわからないまま少し慌てた。
「その、クッキーとか作れたらお腹すいたときとか、いいかなって思って……!」
口から出した後で言い訳の粗末さにエリスティアは気づいた。
腹を鳴らしながらクッキーが焼けるのを待つ己を想像する。のんびり屋にも程がある。
そもそも別に言い訳などしなくていいのでは。黒髪の少女は今更気づいた。
「私もイメリアみたいに美味しいお茶を淹れたりクッキーを作れるようになりたいの」
「お嬢様……」
自分の願いが貴族令嬢として正しいかはエリスティアには判断がつかない。
十年間まともな教育を受けてこなかったからだ。
行儀作法担当のビアンカ女史に質問すれば答えは得られるだろう。だがそうする気はエリスティアには無かった。
貴族は菓子作りなんてしないと言われても自分はしたい。
それに父に実子と認められたとはいえエリスティアは表舞台に出る気は無かった。
この国では屋敷の中に隠れ過ごし、時期が来ればアスラ国に渡りそこで暮らすのだ。
父であるユーグ男爵もエリスティアと一緒に行くつもりらしいが彼のアスラ国での立場はわからない。
イメリアを含め使用人たちを連れていくのか、そして自分たちはどのような暮らしをするのかもエリスティアは知らなかった。
不自由な暮らしはさせないとは言っていたが、身分が貴族のままなのか平民なのかも不明だ。
この件は後で父に確認した方がいいかもしれない。黒髪の少女は心の中にメモをした。
「お願い、絶対お父様には怒られないようにするから……!」
勉強にも今まで以上に真面目に取り組む。そうエリスティアは熱心に己の侍女に頼み込む。
少し前までの落ち込みを忘れたような少女をレイはクッキーを齧りつつどこか安らいだ目で見ていた。




