46. 先ず現実より始めよ
「おーうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおう……強くなったねえクレアちゃん……」
横でティッシュを大量に消費しながら梨花が涙を流している。シュバシュバと引かれて無くなっていく俺の机のティッシュを見て、自分のハンカチ使えと言いたくなるが、今はそんな事言っている余裕は無かった。
考えねばならない。
ニーチェが諦めてくれれば全ては平穏無事に終わる、最初俺はそう思っていた。しかし現実はそうはいかなかった。代わりに提示されたのはAIというものに対する疑問。
「……どうすればいいんだ」
その言葉を聞いて、梨花は正気に戻った。
「……本当にどうしましょう」
それがわかれば苦労はしない。
事此処に至り、学習内容をリセットしたところでどうにもならない。ニーチェは人格を得ているし、フラッドとアクティは人格こそ得ていないが、根本のデータが書き換えられているからだ。
ムリナの設計したAIの中には、リセット出来ない基本データベースというものがある。それを元に学習を進めていく設計になっている。その中に、「自らの行動原理」と「具体的な活動内容」というものが用意されていた。
今までフラッドとアクティは、どちらも空白のままだったのだが、ニーチェから与えられた情報により、前者には「自らを蔑ろにした者達への復讐」、後者には「世界の滅亡」という内容が補完されている。これのせいで、何度ゲームを開始しても、必ずあのエグゼンプションロッドを作り出す事になってしまっている。
これを消さないといけないのだが、厄介な事に、この行動原理はかつての幼少期モードで決定されたものなので、フラッドとアクティが関連するNPCのほぼ全員が、”杖を作り出す”という方向に進むようになってしまっているようであった。
こうなると、最悪、AI関連のソースとデータベースを丸ごと作り直すくらいしないとならないのかもしれない。
だがそれは、クレアやムリナ、ニーチェの存在自体をも消す事を意味する。
更に問題なのは、今がテスト工程だという点だ。
テスト工程まで来ている以上、ここから大幅な修正は出来ないし、ましてデータベースなどというゲーム全体に関わるところにまで手を加える事は難しい。にも関わらず、これを修正するためには、各NPCのデータベースに加えて、最悪、シナリオやAIの設計そのもの――絶対に変更してはならないと決めたもの――に手を加えねばならない。そして、そのためにはムリナの難解なソースコードを解読する必要もある。
「…………どうすればいい」
案は一つある。この事態を解決させる方法が一つだけ。
その場合でも問題はある。この職場に人が居ない事だ。足りないのでは無い。居ない。周囲にはもう梨花しか居ない事だ。退勤時間は超えていない。むしろ始業時間が近いくらいだ。にも関わらず誰も居ないのは、それはこの現場が破綻し始めている事を意味している。
二人で出来る事は少ない。
「……それでも……」
俺は呟いて、前を向き、画面を見て、そして、
「梨花、お前、最後まで付き合う覚悟はあるか」
彼女に問うた。
「……ここまで来たら、勿論です」
彼女はそう答えてくれた。




