39. ニーチェの憂鬱
気付くと私は魔界の自分の部屋に戻っていた。
手元に杖は無い。やはりアレを持ち越す事は出来ないらしい。
……やはりこの日に戻ってくるのか。何度目の事かと考えると、うんざりとした気分にさせられるが、ここが出発点なのであるし、これを続ける他無いのだから、仕方のない事だ。
私は身なりを整える。魔界の王子としてではなく、人間の一員に扮するために。化粧をし、角を隠し、鋭い牙を隠すための入れ歯もして。
それが終わると転移魔法により人間界へと移動し、そして例の港の倉庫へと向かっている。
本来この辺りの作業は、あの|目的の欠片も無い空虚な人形に任せるべきところであるが、ここ数回、何故かクレアがこちらを尋ねてくる事が多い。そうなったらまたリセットせねばならない。その確認のためにも私があちらに行かねばなるまい。決してクレアの顔を一目見ておきたいという、安易な理由では無い。
クレアか。
さっきの周回では何かおかしな動きをしているように見えたが――彼女は何もしなくていい、何も知らなくてもいい。ただ幸せになってくれればいい。次に杖が完成したら真っ先に彼女の辛い記憶を消す方法を探った方が――
「もし」
「わっ」
突然声を掛けられて驚きの声を上げてしまった。振り返ると、
「ニーチェ様でしょうかァ?」
先程の周回で初めて見たヤツだ。名前は……リラ・トピユーアだったか。
「……あ、ああ」
問題があれば殺せばいい。とりあえず答える。
「少しお話があります。クレアち……クレア様の件です」
ピクン、と自分の目元が上がった気がした。
クレアの?
「……聞こう」
「ここでは難しいですよン。どこか静かなところはありませんかねン」
「ではこちらへ」
私は迷いなく、港の倉庫へと彼女を連れて行く事に決めた。普通なら適当に流すところであるが――クレアの話となれば、そうも言っていられないというものだ。




