第26話 マナの状況
(これは、転移の!)
足元に現れた魔法陣の形を見て、マナは瞬時にこれが転移の魔法陣であると理解した。
(くそ…!)
視界が光に包まれ、体が一瞬宙に浮くような感覚が起きた。
次にストンと、地面に着地するような感覚が起き、光が消えていった。
マナは敵からの攻撃を警戒しながら周りを見渡す。
視界を埋め尽くすほどの木々。
周りに人影はない。
木々を通り抜ける風の音だけが聞こえる。
次に頭上を見る。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた木の枝。その枝に付いている木の葉達が、空を照らす日の明かりの大半を遮っていた。
(確かここは…キキトト大森林。面倒な場所に飛ばしてくれたわ。
仲間と合流させない目的でここに飛ばしたのかしら。
それに私1人だけの状態。多分全員バラバラに飛ばされたわね。
こういう状況では大抵相手は集団で襲ってくる。
こんなに木が生えてたら、どっかに敵が隠れてるわね。
なら…近くに皆の内の誰かがいる事を想定し、巻き込まないよう、今見えている範囲だけを吹き飛ばす!!)
相手に先手を取らせない。
マナは両手に魔力を流し込み、魔術を形成する。
発動するのは風魔術。イメージする形は竜巻。
吹き飛ばす範囲は半径20メートル。
威力を少し抑えて発動した。
「『風王の暴れ渦』!!!」
マナの両手から小さな竜巻が現れた。
そしてそれを地面へ叩きつける。
次の瞬間、巨大な二つの竜巻が発生した。
竜巻は周囲の木々を破壊し、破片を空へと舞い上がらせる。
数十秒後、竜巻は消えた。
木々を吹き飛ばした事によって周囲に日の明かりを遮るものはなくなった。巨大なスポットライトのように、太陽は白い魔術師の姿を照らしている。
「……」
雨のように落ちてくる木の破片を防壁魔術で弾きながら、マナはもう一度周りを見渡す。
パラパラと落ちてくる木の破片。周囲に人影はいない。
竜巻の範囲外。吹き飛ばさなかった所を千里眼でくまなく見るが、気になるものはない。
マナは敵は倒せていないと判断した。
(『風王の暴れ渦』は当たれば相手は粉微塵。
けど今のは少し威力を抑えて発動した。
もし当たったのなら死体か肉片はあるはず)
「お見事。とても素晴らしい魔術でした」
「!?」
前方…竜巻の範囲外だった場所から、先ほど自分達を転移させたあの男が笑顔で拍手をしながら姿を現した。
そしてその男に続くように、ウルフ、オーク、ゴブリン、合計50体の魔物が森の中から出てきた。
(魔物…私が飛ばされたのはキキトト大森林の『森魔領域』ね。
『迷黒森林領域』じゃなくてよかったけど、この数はちょっと…)
マナは舌打ちをし、唇を噛む。
予想より数が多いことにイラつき、そしてもっと範囲を広めるべきだったと後悔した。
「おや、何か不満ですね。
もしや、先程の魔術で誰も倒せていないと思ってしまいましたか?
安心してください、上空に何体か雑魚を配置していましたが、先ほどの貴方の魔術で遠くへ吹き飛ばされていきましたよ」
「あっそ。でもこんなに残ってるんじゃ面倒くさいわね」
「そのようですね。
おっと自己紹介が遅れました。
初めましてマナギスタ様、ワタクシはロトスと申します」
ロトスは軽く礼をしながら自己紹介をした。
さながら貴族のような振る舞いで。
「えらく礼儀正しいわね。ロストマグナの配下にはまともな奴もいるって事かしら」
「配下…ですと? ああ、なるほど。
恐らくケマガとドラハママのどっちかが、そう言っていたのですね。
違いますよ。ワタ…我々は配下ではありません。失敗作です」
「失敗作?」
「ええ。我々はロストマグナ様が……いえ、やめておきましょう。説明しますと長くなりますし」
「そう。ていうかお前、もっと近づいてほしいわね。
遠くて聞き取るのに疲れるわ」
マナはため息を吐き、耳をトントンと指先で叩いた。
そして挑発するかのように、少し相手を馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「今の状況を…お分かりで?」
ロトスは指をパチンと鳴らす。
それを合図に彼の周りにいた魔物達がマナから距離を取ったまま、彼女の周囲を囲んだ。
「分かってないわね。私は魔術師よ。
私が広範囲の魔術を発動すれば、貴方達は全滅よ」
「魔術は、威力や範囲が大きければ大きいほど魔力の溜めが長く、発動に時間がかかります。
その隙に、そして発動される前に攻撃すれば良いだけのこと」
「そう。じゃあ頑張りなさい」
マナは両手をフリーにし、周囲の魔物に警戒する。
いつどこから攻撃が来ても防げるように、そして反撃できるように。
そしてアレを発動するために──。
「貴方のことは事前に調べております。
歴史に名を残した全ての魔術師達を凌駕する程の魔力量を持ち、そして数々の偉業を成した魔術師。マナギスタ・エルメス・ヴァイスルナ。
火の魔術が1番得意で戦闘時はよくそれを使うこと。
近接戦闘は多少得意とのこと。
16歳という若さで魔術学院を首席で卒業。
その後は冒険者と魔術学院の教師の仕事を両立しながら生活。冒険者は43歳、教師は50歳の時に引退。
95歳の時に若返りの薬を作り、それを飲むが、用量を間違えて体が10歳の時にまで戻ってしまい、さらには肉体の成長が止まってしまった」
ロトスは長々と説明する。
普通であれば、この時は攻撃のチャンスである。
しかしマナは彼が説明したある事を指摘しようと思い、説明が終わるまでじっと待つ事にした。
というのは建前で、もうすぐアレが発動できるから動かなかったのである。
そしてロトスの長い説明が終わると、マナは睨みつけながら、やや冷たい口調で言った。
「よく調べてるわね。
でも少し違うわ、くたばりなさい」
次の瞬間、ロトスの視界に映ったのは地面だった。
(なっ!? おも!? これは!?)
突如として、自分の体が重くなったのだ。
(なんだ…これは! いったいなぜ重くなった…! 何かに押し潰されているかのような…!)
地面に叩きつけられ、這いつくばったまま、見えない何かによって徐々に押し潰されていく。
体に力を入れ起きあがろうとするが、その分重さは強くなっていく。しかし、力を抜けばその瞬間押し潰されてしまう。
マナの周囲を囲んでいた魔物達も、ある一つを除いてロトスと同様に地面に倒れていた。
違っていたのは彼らは全員死んでいたこと。
彼らはロトスほど強くはない。すでに押し潰されていた。
「これは…まさか…! 重力魔術…!」
「その通り」
マナは棒立ちのまま、ロトスを見下すかのように見つめる。
「なぜだ…! 貴様が重力魔術を使えるなんて情報…! どこにも!
それにいつ溜めた! いつ重力魔術を発動する為の魔力を!」
「こんな危なかっしい技、人前で使えるわけないでしょ」
マナはパチンと指鳴らした。
次の瞬間重力は急激に強くなり、ロトスの体は潰れた。
トマトを思い切り潰した時のように、彼の身体から血がブシャリと飛び出た。
「知らなかった? 魔術を発動する際の魔力はノーモーションでも溜めれるのよ。ま、知らないか。これやれるの私しかいないし。そもそも私が考えたやつだし。
あとさっき言ってた、違うってことだけど、それは…。
!!」
マナは気配を感じた。
ロトスを倒して、周りに敵は居なくなったと思う寸前、自身の後ろ、約30メートル離れた距離に何者かの気配を感じた。
「そこにいるやつ! 出てきなさい!」
マナは後ろへ振り向き気配を感じた場所に向かって大声で叫ぶ。
すると、1人の男が現れた。
ロトスである。
そう、先ほど倒したはずのロトスである。
(…!?)
マナは確認をする。先程潰したロトスの死体を。
あった。潰れた死体が。
ではあそこにいるロトスは何者なのか。
すぐにマナは理解した。
「偽物ね」
「その通りです」
本物のロトスがパチパチと拍手をする。
「本来であれば偽物と魔物達で貴方の体力を消耗させて、その後私が仕留めるつもりでしたが…。
いやはや流石は天才の魔術師。お見事です」
ロトスはクスリと笑い、マナに近づく。
(ちっ、面倒だけど、もう…一回…?)
マナは頭の中で「は?」と呟いた。
何故かロトスが自分に近づいていたのだ。
ゆっくりと、警戒も何もせず歩いてくる。
先ほどの重力魔術は見ているはずなのに。
何故ロトスはこっちに来るのか。
なぜ警戒もせずに近づいてくるのか。
(まさかとは思うけど、試してみるか)
マナは右手に火球を作り、それをロトスに向けて放つ。
彼は避けもせず、火球を自ら喰らった。
ドォンという爆発音と爆ぜる火の玉。
灰色の煙が舞う。
その煙を押しのけるようにロトスが現れた。
ダメージは一切なかった。無傷のまま、何も無かった様な振る舞いでマナに近づく。
「…無効化ね」
「正解です。
貴方の得意の魔術は私には聞きません。少々、体を弄ってますから。本当は偽物にもやりたかったですが、時間がなかったのが残念です。
しかし、驚くのはこれからです」
ロトスの体がみるみると変わっていく。
その姿は魔物…いや怪物のそれであった。
オークを遥かに超える巨体。
大木のような巨大な腕と足。
熊を想像させる凶暴な獣の顔。
普通の者であればその姿を見た瞬間、腰を抜かすか怯えながら逃げ始めていることだろう。
だが、彼女は驚きも怯えも逃げもせず、「う〜ん」と言いながら頭をポリポリとかいた。
「似た様なのを以前見たからあんま驚きはしないわ」
「…そうですか。コホン。
気を取り直して…得意の魔術は効かず、そしてこの巨体、貴方が多少近接戦闘が得意でもこれは流石に無理でしょう」
「…」
マナは黙ったまま、アルテメトを取り出し、腕に装着する。
そして構える。
左腕を引き、左手は腰の少し上の位置に置く。
右腕は肘をやや曲げた状態にし、右手を前に出す。
胴体は横向きに。
右足を前、左足は横に向ける。
そして膝を曲げ、体勢を低くする。
拳は空気を握りつぶすようにギシッと握る。
その構えは、格闘家のそれであった。
「まさか…やるおつもりで?」
ロトスは訝しげな顔をしながら立ち止まった。
「さっき偽物に言おうとしたこと、貴方に言うわね。
私はね…殴るほうが得意なの」




