どうして上司に連絡怠っただけでこんな目に遭わないといけないんですか
昔から私の身体は異常に頑丈だった。
子供の頃家の二階から落ちても骨一本折らず、料理を教えてもらった時に熱々のフライパンに手を突っ込んでも火傷一つ負わなかった。
赤ん坊の頃からそうなのだろう。母は怪我の心配だけは無かったとよく言っていた。
「化け物……」
殴られ倒れ伏したアルフレッドが呟いた。
子供のころから何度も耳にした言葉だ。
「大人しくしといてくださいね、殺しはしませんよ」
ぐったりしているアルフレッドに手錠をかけておく。そのうち増援も来るはずだ。
「おーい、レガリアー」
早速来た、うちの副隊長のカスピアンさんの声だ。背ろにブランドンが付いている。
(とりあえずもう支部には戻っていいかな?)
ほっとした瞬間だった。
2人の後ろに何者かが降り立った。
「え?」
白髪頭のステッキを持った男──ヴィルヘルムだ。
一瞬の事だった。ヴィルヘルムが2人の後ろに降り立ち、ステッキを振ると2人は倒れ伏していた。
「先程はどうも」
一瞬で間合いを詰めたヴィルヘルムが私にステッキを振り下ろす。
騎兵学校教官の鉄拳にもびくともしなかった私の脳が揺れるほどの衝撃。
気付けば地面に倒れ伏していた。
「グライス君、動けますか?じき列車が来ますよ」
「殴られただけなんで問題ないですよ……これ外してもらえますか」
ヴィルヘルムの声だ。隊長達はどうしたのだろう。
「時間ピッタリですね、流石です」
「ちょっと手こずりましたよ、あの隊長さんなかなかしつこくてね、撒くのに苦労しました。残りは影武者君に」
(サイアクじゃん……このままだと逃げられて休日残業コース……)
誰かに危機を伝える方法──音響弾だ、あと二発弾倉に残っている。
「騒ぎのおかげでいい感じに人払いも出来てますね、色々うやむやにして逃げちゃいましょ」
「了解っす、見えてきましたね」
汽笛の音が聞こえた、時間がない。
ゆっくりと、目立たないように腰から銃を抜く。
「おいお前」
(やばい)
「何してる」
銃を握ろうとした手を掴まれた。そのまま後ろから首を絞められる。
「ぐええ!」
「ロスさん女だからって手抜きすぎですよ!」
「おかしいですね、加減する気は無かったんですが」
立場が逆転してしまった。アルフレッドがぐいぐい締め上げてくる、私じゃなければ首が折れているだろう。
列車の近づいてくる音が聞こえてくる。
「グライス君早くその子落として」
「うぎぎぎ……」
「全然折れねぇ……どんな身体だよ」
列車が駅に入り始めた。貨物列車だ、スピードを緩めず駅を過ぎ始める。
「仕方ない、連れて行きますよ」
「本気ですか!?」
「列車を停められると逃げられません、ほら捕まって」
ヴィルヘルムがステッキを振り上げた、先から白い糸が伸び、列車の荷台に引っかかった。
「ぐぇっ」
「大人しくしとけよっ」
一段と強く首を絞められた。
「グライス君、捕まって!」
瞬間身体が宙に浮く。
気がつくと列車の上、荷台から遠ざかるイストサインの風景を眺めていた。
酸欠でぼうっとする頭を振りながら、私はいつ家で休めるのかと考えていた。
がたがた、ごとごと、色鉄を外国へ運ぶ蒸気機関車がイストサインから遠ざかっていく。
「あとどのくらいで降りるんです?」
「もうじき峡谷に差し掛かります、橋で減速がかかったらすぐ出ましょう」
「うぎぎぎ……うごごご……」
貨物列車の荷台の中、大量の鉄が積まれた木箱に私は押し込まれていた。
「……ところで例の物は?」」
「うがー!!ぐぎぎぎ!!」
「無事です、きちんと肌身離さず……レガリアちゃんちょっと黙ってもらえませんか?」
私は拘束され、猿轡を噛まされ放置されていた。
「ロスさん、この女とどんな関係なんです?知り合いみたいですけど」
「残念な事に潜伏先のお向かいさんです、誠に残念な事に」
(残念なのはこっちもだよ!)
蹴ろうとしたが、バランスを崩し身体が木箱に沈み込んでしまう。
「レガリア……苗字は?」
「知らないですねぇ、イグドラ圏じゃわざわざ苗字名乗るのは王侯貴族か騎士くらいですから」
「しかしどうしますこの子?殺せない上に結構色々知られてますよ」
「亡命手続きでもしますか?」
亡命、聞いた瞬間私の顔は青ざめる。
こいつらに連れていかれるなら先はメトラタだろう、騎兵の私が連れ去られればきっと一生出れなくなる。
(嫌……帰れなくなるのは嫌)
騎兵学校に行かせてもらい、今年やっと騎兵になり一人前の給金が貰えた。
ようやく女手一つで私を育ててくれた母の助けになれるようになったのだ。
(何とかして列車かから逃げ出さないと……!)
もがいてみるが木箱が揺れるだけだ。
ヴィルヘルムが私の顔を見た、老齢による皺が刻み込まれた彼の細い眼は私を憐れんでいるようだった。
「……橋の近くで一緒に降ろしてあげましょう、そこまで追手が来る頃には国境です」
「情が湧いたんですか?この女……結構な化け物ですよ、目の届くところに──」
「残念なことに知り合いなんです。グライス君、私は運転手の方に」
ヴィルヘルムが車両の扉を開け、颯爽と出ていった。後には私とアルフレッドが残される。
列車が左右に強く揺れ出した、峡谷に差し掛かったのだろうか。
「おい、それ外すが騒ぐなよ」
アルフレッドが猿轡を取ってくれた。
「……なによ、スパイ相手に話すことなんて無いわよ」
「世間話くらいならいいだろ」
そう言うと彼は木箱の縁に腰掛けた。
「イグドラの暮らしはどうだ、窮屈だろ?身分制度に縛られて、平民じゃ搾取されるばかりじゃないか」
「…………」
「おまけに国内外を騎士が締め上げてる、あんな人外の怪物共に支配されてるんだぞお前達は」
「そんな事言ってもあそこには私達の暮らしがあるの、良いとか悪いとか関係ないわ」
こいつが何を言おうとも、私にとってイグドラは、イストサインは生まれ故郷だ。
「そうかい」
アルフレッドが外を見た。
「もうすぐ橋だ、降ろしてやるが、妙な事はするなよ」
「……わかったわよ」
首根っこを掴まれ木箱から出される、荷物扱いか私は。
突如汽笛が鳴った。
(駅も無いのにどうして……?)
先頭車両から耳をつんざくブレーキ音が聞こえた。
車両全体を激しい揺れが襲う。
「オイオイオイ何が起きたんだよ!?」
「ぐえぇぇぇ!」
私は扉から外に放り出されそうになっていた。
アルフレッドが首元を掴んでいるので幸い列車から落ちてはいないが首が思いっきり締まっている。
前を向くと、列車の先頭が見えた。
そこに見えたのは無数の黒い腕。
列車を正面から掴み、橋から放り出そうとしている。
列車の先頭が線路から逸れた。
「嘘だろ……もう追いつきやがった」
呆然とした様子でアルフレッドが呟く。
(列車が落ちる……)
蒸気機関車の巨体が谷底へと真っ逆さまに落ちていった。