王は愛しい子の成長に目を細める
腕の中で戸惑って視線をめぐらせ、離れたほうがいいのかどうなのか悩んでいる様子のシェーナを見下ろして、カナスは苦笑してしまった。
「シェーナ」
呼びかけると、シェーナが震えた様子ながらも瞳を合わせてきた。
「俺に触れられるの自体が嫌だというわけじゃないんだよな?」
「・・・え?あの・・・はい!嫌じゃないです。そんなわけがないです」
「そうか」
それならいい、とカナスは口の中で呟いた。それを聞き取れなかったことで不安に顔を曇らせるシェーナの頭を撫でようとして、はたと手を止めた。
(「子供扱い」は嫌なんだったな)
とはいえ、シェーナを見ているとついつい撫でたくなってしまう。
シェーナがすぐ泣きそうになるから、というのもあるが、ただ触っていたいという気持ちもある。
カナスが撫でると、安心したような顔、嬉しそうな顔を見せてくれることが気分がいいのだ。
(それにしても、子供扱いは嫌だとは。成長してんだな、こいつも)
しかもその理由が自分と対等になりたい、だ。
怯え逃げ惑っていてばかりの頃を思い出すと、その進歩に笑みすらこぼれてしまう。
しかし、触れる寸前、数センチのところで手を浮かせたままのカナスに、シェーナはますます不安になったようだ。じわりと黒い瞳が再び潤んだ。
「こら、泣くな」
柔らかい頬を軽くひっぱると、一転今度はきょとんとした表情に変わる。
その落差に吹き出してしまうのは、何かの小動物を思い出したからだった。
勿論、馬鹿にしたわけではなく、可愛いという意味で、である。
やはりまだ子供だな、と思いつつも、彼はひっぱった白い頬をさすりながらシェーナに言った。
「別に俺はお前を馬鹿にするつもりで、子供扱いしているつもりはないんだがな」
「え?」
「まあ、何だ。確かに対等に扱ってるかというとそうじゃねえって答えになるだろうし、お前のことを子供っぽいと思わないこともない。けど、それはある意味仕方ねえだろ。お前は俺より年下なんだし、俺よりも知らないことがたくさんある。でも、俺はそれについて世話が焼けるとか面倒だとか、一度も思ったことないぞ」
率直な気持ちを伝えると、シェーナは目を丸くしていた。
「・・・え・・・、大変じゃあ・・・ないんですか?」
「ないぜ」
一瞬の迷いもなくきっぱり答える。
シェーナはますます驚いた様子になった。
「で、でも・・・私、何もできないです」
「できなかった、だろ。違うか。できない状態にさせられていただけだ。今はお前、笑うことも泣くことも怒ることもできるじゃねえか。自分で考えてどうしたいと思うことができるじゃねえか。それさえできりゃ何でもできるぜ。やりたい、という気持ちがなければ何ひとつできないんだからな」
「・・・でも、大きくなることも、綺麗になることもできないです」
「バーカ。それは見た目の話だろ。そんなもんどうだっていいんだよ」
「どうだってよくないです!私だって、もっと大きくなりたいです!そうしたら、あなたに、あの綺麗な人たちみたいに・・・っ」
シェーナは興奮した様子で反論をしてきて途中で、ハッと口を閉ざした。
「何だ?」
「・・・・・」
「こら、話せ」
答えないシェーナの引き結ばれた唇を、カナスは指でつまんだ。
ぶるぶるとシェーナが嫌そうに首を振って逃れようとする。
「さっさと話せ。話すなら、手も離してやる」
非難するシェーナの視線に、にやっと笑うと、彼女はますます恨めしげな瞳になった。
しかし、頷かないので、今度は小さな鼻をつまんだ。
シェーナは答えるものかと、馬鹿正直にそれでもまだ唇を引き結んだままなので、やがて息が苦しくなったらしくぱたぱたと腕を殴ってくる。
「話すなら離してやるぞ?」
少しためらって頷いた。
こういうちょっと抜けているところが面白くて笑ってしまう。頭の回転の悪い奴は害悪とまで思っていたが、シェーナに限っては別のようだ。
しばらく肩で息をしていたシェーナは、ようやくぽつりと漏らし始めた。
「あの・・・手・・・が、うまく届かない・・・から・・・」
その言葉の意味も、彼女の頬が真っ赤になっている理由もよく分からなかったが、カナスは黙って続きを促した。
「わ、私・・・小さくて・・・手を伸ばしても、うまく届かないから・・・。わ、私も、カナス様に・・・できたらいいな・・・って思うのに・・・。ずるい・・・って・・・だから・・・あの人たちが、う、うらやましくて・・・」
「・・・何を?俺に?」
しかし、黙っていてもやはり意味不明なので、カナスは結局尋ねてしまった。
「俺があいつらと何かしたか?」と眉間に皴の寄った不審な表情になってしまったが、シェーナはうつむいたままだったので、それは見られなくて済んだようだ。
怯えることなく、ただ、耳まで真っ赤にしながらおどおどと続けている。
「・・・あの人たちと腕を・・・」
「腕?」
「その・・・く、くっついていました。腕を組んで、いました。本の絵にあるみたいで、とても・・・綺麗だと思いました。でも、見ていて・・・苦しいような、悲しい気分になりました。でも、私・・・うまく、できないので・・・真似もできません」
「・・・ああ」
ようやく合点がいき、何だ、そんなことかと拍子抜けした。
あの女たちは単純に相手にするほうが面倒くさいので(当初は何か薬物をしかけられるかと警戒もしていたが)最近は好きにさせて存在を完全無視していた。その方がいっそあきらめてくれるのではないかと思っていたから、腕を組んだだかなんだかは覚えていない。
そういえば久々にあいつらにも声を発したなと思い出す。
それくらいの些事だ。
あれはシェーナにちょっかいをかけるぞと暗に脅してきたからだけであったが、そうすれば反応するとわかっている(そうでなければ反応しないとわかっている)歳上の女の強かさにあらためて舌打ちをしたくなった。
つい防衛的に反応してしまう自分に対してのものでもある。
が、シェーナはカナスが彼女たちといるのが嫌だったらしい(いたくていたことは一度たりともないのだが)。
(そうか、嫌だったのか)
やたら思わぬ事実を知らされる日だとカナスは笑った。
「わ、笑わないでください。どうせ・・・分かっています・・・」
語尾のしぼんだシェーナの唇の端に、彼はかがんで自分の唇を触れさせる。もはや真下を見ているとしか思えなかったシェーナが、びくっとして見上げてきた。
「そんなことに嫉妬をしなくても、お前にだけだぞ、こんなことしてんの」
「し、嫉妬・・・してな・・・」
「お前だけだ。こうやって、顔を近づけるのも、俺から触れてやるのも、視線を合わせるためにかがんでも、膝をついてやってもいいと思うのは。この間、お前も言っていたが、俺は偉いんだぜ?それでもお前にだけは視線を下げられる。その意味、分かるか?」
「あ・・・っ、あの、それは・・・申し訳なく・・・」
「違う。それは間違いだ。そうじゃなくて、お前は特別だと言っているんだ。特別に、俺が言うこと聞いてやってもいいと思っている唯一の人間。だから、お前がして欲しいことがあるなら、ちゃんと言え。しかもそんなクソ簡単なこと。ほら、手ぇ貸せ」
「でも・・・」
戸惑うシェーナの手を引き、自分の腕につかまらせる。
すると、確かにシェーナは自分の肘の辺りを掴むような格好になってしまった。
腕を組むというよりは、なんだかぶらさがっているようだ。
その発想にぷっと思わず吹き出してしまった。
途端、シェーナが泣きそうな表情で、むくれた。
「いいです。変だから」
「悪いって。おい、怒るな」
「怒ってないです」
「待てよ」
カナスはぷいとどこかに行こうとするシェーナの手の平を掴んで、指を絡ませた。
「な!なん、なんですか?」
「さすがにあれは歩きにくいだろ。だから、代わりに手をつないでいてやる」
「つなぎ方が変です!」
「こっちのがくっついてる感じがしていいだろう?しかし、お前は本当に手が小さいな」
「どうせ・・・背も小さいです。チビです」
視線の高さまでつないだ手を持ち上げると、シェーナの唇が尖った。
すっかり拗ねてしまったようだ。いや、悲しいのに強がっているのかもしれない。
カナスは空いているほうの手でシェーナの細腰を引き寄せると、尖った唇をぺろりと舐めた。
ぎょっと目の前で、シェーナの黒い瞳が見開かれる。
「まあ、そんなにも小さいのが嫌だったらヒールのある靴でも履くか?まず一歩で転びそうだけどな」
次の瞬間には、ゆでダコのようになっているシェーナに、くっくと笑いながら提案をする。
「転ばないように支えていてやるから、今度やってみるか」
それはそれで面白そうだ、とカナスは思った。
どうせろくに歩けなくて、足をがくがくさせながら嫌でもすがることになるだろう。
そのときの困った顔を想像するだけで、笑みがこぼれる。
我ながら子供っぽく、歪んだ愛情表現だと思わないでもない。
「ヒール・・・ですか?そうしたら、大きくなれますか?」
だが、ぱっと嬉しそうな顔をするシェーナを見て、よからぬ想像は咳払いでごまかした。
そしてぐりぐりとシェーナの頭を撫でる。
「底上げしてる分はそりゃ、大きく見えるだろ。見た目なんて、そうやって簡単に変わるもんだ。だから、大して気にしなくていいんだよ」
「・・・そう、ですか?」
「そうだ。そんなことよりも、お前はもっと大切なことを知っているだろ」
「大切なこと?」
「お前はいつも一生懸命だろ。それが、一番大切なことだと俺は思うぜ。見た目がどうじゃなくて、そうやって努力できる奴が一番綺麗に見える」
「・・・綺麗ですか?」
「考えてもみろよ。見た目なんていくらよくたって年を取ったら衰えるに決まってるだろ。外見しか好きじゃなかったら、それが色あせたらもう終わりだ。でもな、頑張ろうと努力してる奴はいくら年を取っても、ずっと綺麗に見える。それは見た目が綺麗だからじゃなくて、中身が輝いているからだと思う。俺はそういう、中身のある奴の方が好きだ」
「好、き?」
「ああ。だから、お前はそのままでいいんだよ。俺はお前のまっすぐで一生懸命なところが気に入っているからな。そもそも、見た目だって今のままでも可愛いからいいんじゃねえの?」
「かわ・・・?!可愛く・・・ない、です。・・・嫌いです。皆さん、黒くて気持ちが悪いって・・・」
その言われ方に、誰の言葉か容易に想像がついた。
むっとして、口調がきつくなる。カナスは肩を超えるまで伸びたシェーナの癖毛を一房つまんでぱらりと散らした。
「あいつらの言うことは聞くなって言っただろうが。俺はお前の黒髪は綺麗だと思うし、その黒い目もいいと思うぜ。お前は目が潤みやすいから、光をはじくと下手な色より綺麗に見える。草食動物みてえで、和む。シェーナ、俺の言うことは信じられないか?」
「い、いえ!」
「じゃ、信じてろ。俺がいいっつったら、いいんだよ」
「・・・・でも、カ・・・あなたも、たくさん食べろと言います。それは、私が小さいのが気に入らないからではないですか?」
「ちげえよ。小さいのが気に入らないんじゃなくて、お前は細っこいからすぐ風邪を引くだろうが。それを心配してるだけだ。あんまり軽いとまた倒れるんじゃねえかってな」
「え?」
シェーナが今までで一番ぽかんとした。
その反応は心外すぎて、苦笑するしかない。
「え、って何だ?」
「心配を・・・?」
「他の理由がよかったのか?」
「そんな、違います。そういうことでは・・・」
「だったらいいだろ。行くぞ」
「あ・・・はい」
つないだままの手を引っ張り自分の脇腹に近づけると、シェーナが足をもつれさせた様子でついてきた。
側面に張り付くような形になってしまっているシェーナを連れて、また街中を歩き始める。
―――不意にカナスの背にぞっとするものが走った。それは危険に対する本能的な恐怖感。
殺気めいたものを確かに感じるとともに、風がふぅっと彼の傍を通り抜けた。
「シェーナ」
「はい?」
「悪いが、少し我慢しろ」
断るや否や、その了承を聞くこともなく、カナスはシェーナを腕に抱えて人の流れの中を器用に走り出した。
当然人々が何事かと振り返り、迷惑な顔をする。
しかし、その数秒後には背後から女性の甲高い悲鳴があがった。
「誰か!医者を呼んでくれ!!」
「人が倒れているぞっ!」




