歌姫は意地をはる2
「は?お前も行くんだろうが」
「え、どこにですか?」
「どこって・・・大丈夫か?昨日でかけるつったじゃねえか」
「・・・え?でも・・・」
「でも?」
「・・・・・いえ、・・・あの・・・さっき・・・」
「さっき?」
先ほど彼は、大切な用事があるから出かけると言っていたのではなかったか。
混乱してきた頭で思考をぐるぐるとさせていると、カナスに置き去りにされたリアたちが追いついてきた。
「ひどいですわ、急に振り払うなど・・・」
「あら、シェーナ姫。いらしていたの?お加減はいかが?」
「あ、あの・・・」
「シェーナ様も陛下にご用でしたの?」
「え・・・っと・・・」
「陛下、歌姫様も陛下とお過ごしになりたいみたいですわよ。お早くお戻りになられたら、皆で晩餐にいたしませんか?ねえ、それでしたら嬉しいですよね?歌姫様?」
次々に言葉を重ねられて、シェーナはたじたじになる。そもそもまだカナスへの質問すらできていない状況なのに。
けれど、リアは勝手に決めて、頷いた。
「いいアイディアだと思いません?歌姫様もこのところ、お寂しいでしょうから。大切な御用事でしょうが、是非お早くお戻りになられてくださいな。歌姫様もお喜びになりますわ」
ね、と再び彼女がカナスに向かって伸ばした手に、また胸がぎゅっと引き攣れたように痛んだ瞬間。
「きゃあ・・・っ」
突然、ふわりと足が宙に浮いてシェーナは悲鳴をあげた。
「こんなところで時間をつぶす必要もないだろう」
「カナス様?」
肩に乗りかかる形でしがみつくしかなくなり、困惑のままに呼びかけるが、彼はそのまま歩き出してしまった。
「えっ、あの・・・お出かけするんじゃ?」
「だから、出かけるんだろ。お前と」
「・・・・・・私?」
「そう約束しただろうが。嫌なのか?」
シェーナはどういうことなのだろうと不思議に思ったが、その問いかけにはぶんぶんと思い切りよく首を振った。
するとカナスは満足そうに笑う。
「なら、さっさと行くぞ」
「でも・・・さっきは・・・」
「ん?さっきから何だ?」
「出かけるの、大切な用事で・・・重要な用件って・・・」
「ああ。だからお前と約束してただろ」
「!」
「なんだよ、その顔は。お前との約束破って、どっか出かけると思ったのか?」
それに頷くことも否定することもできないでいると、腕がふさがって小突けない代わりに、額をこつんとぶつけられた。
「い、痛い、です」
間近に顔が寄って動揺したシェーナは、真っ赤になってそう主張する。
けれど、カナスは軽く笑っただけだった。
「お前が人のことを薄情者のように言うからだろうが。俺は約束を破らない」
「・・・すみません」
しゅん、と頭を垂れたシェーナに、彼はもう一度だけ額を重ねた。
「まあいい。さっさといかねえと祭り終わっちまうぞ」
「祭り?・・・お祭り!ですか?」
「言ってなかったか?そう規模がでけえわけでもないんだがな。見たことないんだろ」
「はい。お祭り、見てみたいです。海も楽しみですけど、お祭りもすごく楽しそうです!」
初めての体験にシェーナは先ほどまでの沈んだ表情とは一変、きらきらとした瞳でカナスを見下ろした。
カナスはそんなシェーナの反応に満足そうな笑みを口元に刻む。
「よし。じゃあ、つかまってろ。馬場まで運んでやる」
「あ、はい」
いつものことなので、シェーナはさして気にもせず、カナスの首に回した腕にぎゅっと力を込めた。だが、必然的に背後を振り返る形になって、すぐにぎくりと手先をこわばらせる。
完全に無視される形で置いていかれた高貴な女性たちが、射るような瞳でシェーナをにらんでいたからだ。
綺麗な顔に憎々しげな表情を浮かべている彼女たちが怖いのに、シェーナはそこから視線を外すことができない。
幼い頃から悪意と憎悪にさらされ続けたせいで、自分に向けられる負の感情が怖くてたまらないシェーナは凍りついてしまっていた。
すると、ただ一人無表情だったリアが、ふとシェーナが見ていることに気がついて、真っ赤な唇の端を馬鹿にしたように持ち上げた。
その笑みは「ほらやっぱり子供ね」と、まるでそう言っているようで。他の姫たちのはっきりとした憎悪の表情よりも、シェーナの胸はひどく傷ついた。
「・・・・っ、お、おろしてく・・・ださ・・・」
そして、何故か穏やかなはずのシェーナの感情を揺らがせ、頑なにさせた。
「歩けます。下ろしてください」
「どうした?」
急に主張を始めたシェーナに、カナスが意外そうな顔をする。
「私にだって、足があります。ちゃんと、歩けます」
「は?そりゃそうだろうよ。そうじゃなきゃ困るだろ」
「だ、だから下ろしてください!自分で歩きます!」
「何だ?別にいいだろ。お前が歩くより俺が抱えてたほうが速いじゃねえか」
「・・・・・歩くの、遅いから、駄目ですか?」
浮かれていたのが嘘のように、心の中に暗い影が落ちる。乾いたシェーナの喉から、一オクターブ低い声が出た。
それにカナスは驚いたようだ。青い瞳がわずかに見開かれている。
「別に、駄目じゃねえけど」
「じゃあ、下ろしてください。私、小さな子供じゃないです」
「ああ、それは分かっているが・・・」
彼は気まずそうな表情で「何で急に」と呟き、それでもまだシェーナを下ろしてくれなかった。
それがなんだか悲しくなってくる。反抗的にシェーナが彼につかまるのをやめると、カナスは驚いて軽い体をしっかり抱え直した。
「あっぶねえな!落ちたらどうするんだよ?」
「平気です。子供じゃないですから」
「子供子供って・・・また、何か余分なこと考えてるのか?」
あまりにもシェーナが反抗するので、いい加減不審に思ったらしい。過去にシェーナが「大人」に拘っていた理由を思い出して、カナスは顔をしかめた。
「お前はまだ子供みたいなもんだろ。大分ましになったとはいえ、まだまだ世間知らずなんだから。体だってちっせえまんまだし、体力はねえんだし。甘えておきゃいいじゃねえか」
「・・・っ」
シェーナはカナスの言葉に、息を詰めた。
子供、とカナスまでシェーナをそうやって言う。そうやって扱う。世間知らずで、小さいから。
一番言われたくないことだった。
一生懸命にやっているつもりなのに。シェーナはシェーナなりに勉強をしているし、何をと具体的に言われると困るけど、それでも大きく、女らしくなろうとしている。
「・・・・・・・子供じゃ・・・ないもん・・・」
「そりゃ、年はそうかもしれねえけど。だが、お前はちょっととくべ・・・シェーナ?」
ぱたりと、シェーナの頬から顎を伝って、カナスの首元に涙が落ちた。それを感じ取ったカナスがぎょっとしてシェーナを離す。
「な、何泣いてんだ?!そんなに嫌だったのか?」
問いかけに頷きも首振りもしないシェーナを、彼はようやく腕から下ろしてくれた。
「悪かったよ。そこまで嫌がってるとは思わなかったんだ」
ちらりと背後を振り返ってから、カナスはシェーナの頭を撫でた。
「もう持ち上げたりしねえよ。だから、泣くな」
ぐしぐしと涙を袖でこすっているシェーナの前に、彼はかがみこんでくれる。
そうしなければ視線が合わないからだ。
それもまた、悲しいような気持ちになってくる。
「シェーナ?」
この国で一番偉い人なのに、膝をつかせてしまっている。きっとそんなこと望まないはずなのに、仕方なく。シェーナのせいで。
「・・・・ご・・・め・・・なさ・・・い」
「謝らなくていい。俺が悪かったんだ」
謝罪をするシェーナにカナスが苦笑を浮かべる。それにすら胸が痛くなった。
その痛みにとらわれて、彼が何かを言っているのに耳に入ってこない。
「・・・ナ、シェーナ。聞いているか?」
そのことに先に気がついたのはカナスで、肩を揺すられてはっとシェーナは視線を彼のほうへ向けた。
何か苦い色が彼の綺麗な青い瞳に浮かんでいる。
「出かけるのはやめるか?」
「・・・・え・・・?」
その言葉に、すっと手の平が冷たくなった気がした。
「お前、俺に怒っているんだろ。だったら」
カナスが立ち上がる。視線がずっと上の方へ行ってしまった。シェーナの届かないところへ。
「俺といないほうがいいだろ」
「っい、嫌です!」
シェーナは慌てて彼の服をつかんだ。背中の真ん中あたり。
それがシェーナの肩の高さ。視線の先は、いつも彼の背中ばかりだ。
カナスが振り返り下へ視線を向けてくれた。
「私・・・行きたいです。一緒に、行きたいです。駄目・・・ですか?」
ぎゅうっと皺が寄るほど、彼のシャツを掴む。すると、カナスは困惑した表情で、「俺はいいが」と頷いてくれた。
「ほ、ほんとうですか?」
ぱっとシェーナの表情が明るくなった。まるでジェットコースターのように感情を上下させているシェーナは一歩彼の背に近づいた。体温が感じられるほど近くで、ほっこりと笑う。
「ありがとうございます」
「いや別に。っていうか、お前怒ってたんじゃないのか?」
「怒って・・・?怒ってないです」
「そうなのか?急に泣き出すからてっきり」
「・・・ごめんなさい」
「謝らなくていい。ただ、怒ってるならそう言ってもらえるほうが助かるって話だ」
「あの・・・怒ってないです。悲しかっただけです」
「悲しい?何がだ?」
尋ねられて、シェーナは説明をしようとしたけれど、結局うまく言葉にならなかった。
「まあ、いい。行きたいなら行くか」
首をかしげているシェーナに見切りをつけたのか、カナスは未だシャツを掴んだままのシェーナの手を掴んでそのまま歩き出した。
手のひらに少しひんやりとした別の温度が触れているのがわかる。
手をつないでいるのだと思うと、なんだか急にどきどきした。
「・・・手・・・」
「お前はすぐ迷子に・・・いや」
だが、カナスは何かを言いかけてすぐに離してしまう。
「一人で平気だな。悪かった」
「あ・・・」
シェーナの肩をぽん、と叩いた彼は先を歩いていってしまった。
それをひどく寂しく思いつつも、手をつないでいて欲しいと自分から言えるわけもなく、結局シェーナは黙り込んだまま一人でやたら長く感じる道のりを歩くことになった。
言いたいこともろくに言えず、気持ちを上手く説明することもできない自分に嫌気を差しながら。