歌姫は意地を張る1
結局、シェーナは彼女たちに言われたことを誰にも告げず、唇を切ったことをジュシェたちが大騒ぎしても、ぼうっとしていて噛んでしまったと言い張った。
それを皆が信用しているかは怪しいもので、カナスはしつこく何度も聞いてきたが、シェーナは頑として何も言わなかった。
その陰でまたしてもグィンが彼に怒られて八つ当たりされていたが、そんなことは露知らず、何もされたわけでもないのだから言う必要がないと意地を張り続けているシェーナは、会うたびにちくちく嫌味を言われる状況を必死で耐えている日々だ。
双子が無礼な言い分に目を吊り上げて怒るが、シェーナの許しが出ないことやそもそも彼女らの言い方がはっきりとしていないせいで(だからこその嫌味だ)、高い身分の彼女らに何かを直接実力で対応することはなかった。下手な動きがカナスたちの足手まといになることを彼女たちも知っているからだ。
その陰で毎晩、彼女たちが暗器を磨いて、気持ちを落ち着かせていることをシェーナは知らない。
カナスは忙しいらしく、あまり姿を見ないが、たまに公のスペースで見てもキラキラの彼女たちに囲まれていて近づけない。
ジュシェたちが嫌そうに教えてくれたのだが、彼女たちはそれぞれ別々の地域で前王に囲われていた亡国の姫君もしくは貴族の娘で、自分たちは「カナスの」愛人ということになっているのだから、と整理に応じずに押しかけてきているとのことだった。
まず、薄茶のウェーブがかった髪に、緑色を帯びた薄い茶色の瞳の女性がリア=バース。一
番彫が深く、きつい顔立ちの上に化粧も濃い。かつ胸も大きい。
25歳で4人の中では一番年上ということだ。長く真っ赤な爪が魔女のようだと双子はかなり毛嫌いしている。
外見がどうとかというよりも、シェーナに対する態度が明らかに一番悪いからというのが実際である。
次に、ダークブラウンの長い髪と青い瞳の21歳の姫君がラーラ=リングティア。南の出身で蜂蜜色の肌をしており、他の女性たちよりも原色かつ露出が多い服を着ている。
石灰色の髪とルビーのような赤い瞳を持つ面長の女性で、華奢だが一番背が高いのが、リナリー=ミアード。北方の国の二の姫でまだ19歳。
そして、18歳と一番年下なのが、肩につく程度の茶色のストレートヘアに緑の瞳を持つキルベナ=エリドッセ。アキューラの三代前の王の娘が降嫁した公爵家の末裔である。前王が先代を殺害して自らその地位に立った際、廃嫡を賜った家柄の長女である。4人の中では影が薄く、人前では羽扇で顔を隠していることが多い。家柄がよい分、前王の慰み者という立場を一番恥じているのはどうやら彼女らしいとの話だ。
そんな風に生まれも育ちもばらばらの彼女たちだから、4人の間で喧騒が起こることもしばしばである。
そのたびグィンが手を焼いているらしいが、姉妹はさっさと追い出せばと怒っている。
あっちもこっちも板ばさみのグィンが一番気の毒なのであるが、報われる様子はちっともない。
暇をもてあますことが多くなったシェーナは、一人でよく歌っているようになった。
首都のレルベントはまだ安全と言い切れないから以前のように病院をめぐったり、子供たちと遊んだりすることはできないと言われている。
辺境の町のティカージュにいた頃が懐かしくて、その寂しさを紛らわすように新しい歌を作り続けた。一人でも平気だと、自分に言い聞かせるように。
だが、シェーナの歌は、古から伝わる由緒正しい“歌使い”の楽譜以外は、シェーナの感情に呼応してしまう。
寂しいという気持ちは容易にカナスにも伝わった。
「明日出かけるぞ。日帰りだけどな、北港町のディーヌってとこだ」
ある夜、彼がそんな申し出をすると、目に見えてシェーナの顔が暗くなった。
「・・・え・・・?あ・・・は、はい。あの・・・いつ、お帰りになります・・・か?遅く・・・ですか?」
「何言ってるんだ。お前も一緒に出かけるんだよ」
「・・・私も?」
思いもかけぬ言葉にきょとんとしたシェーナの頬をカナスが軽くつまむ。
「当たり前だ。海を見たいって言ったのはお前だろ。ちょうど、積荷が来る頃で、活気づいているからな。人も多いし、そうそうばれねえだろ」
「海・・・」
「双子には付いてくるなって言っとけよ。かしましいのが居ない方がのんびりできるからな。あいつらはまったく、邪魔ばかりする」
カナスはそうぼやいて、黒髪の天辺をぐりぐりと撫でた。
「朝に少し雑務があるから、お前はのんびり朝飯食ってろ。そうだな、大体三ツ時くらいに、・・・馬場は遠いな、ああ。じゃあ、東の庭、白石で囲まれた池があるとこ、わかるか?そこまで来れるか?俺の執務室はあっち側だから、出かける前にこっちまで戻るの面倒なんだよ」
「はい、大きな葉っぱとピンクのお花が浮かんでいる池ですね。大丈夫です。行けます」
「お前、花がある場所はよくわかるんだな。そんなに花が好きか?」
「はい。お花は綺麗ですから、大好きです」
「そうか。じゃあ、悪いがそこまで来てくれ。慌てなくていいからな。俺も待たせるかもしんねえし」
「わかりました」
久々に一緒に出かけられると、ぱあっと顔を輝かせたシェーナに、カナスもまた満足そうな笑みを浮かべ、シェーナの頭を撫でた。
そして次の日。
わくわくしすぎてなかなか寝付けなかったシェーナは珍しく寝坊をしてしまい、ぱたぱたと慌てて支度をする羽目になった。
朝食を抜くという選択肢が許されておらず(ジュシェたちに怒られるのだ)、しかも食べるのが遅いシェーナは、さらに、双子を連れてくるなと言われた手前、一人で待ち合わせの場所に向かおうとしたが(実は後ろから護衛のために双子が見守っていたのだが)、焦りすぎて道を間違えるという初歩的ミスを侵した結果、約束の時間を少し過ぎてから指定の場所にたどりついた。
走るのが苦手なシェーナは、息を整えつつ、石柱の一つの影にいた目当ての人の名を呼ぼうとした。しかし。
(あ・・・)
きゃいきゃいとその周りで楽しげな声をあげる艶やかな一団もまたいることに気がついて、立ちすくむ。
緩やかな白石の階段の一つに腰を下ろし、本を読んでいたカナスに、媚びた声で話しかけ続けるリアたちを見ていると、そこから一歩も動けなくなってしまった。
シェーナは大丈夫と言いつつも、やはり彼女たちにすっかり萎縮させられていた。
声も発せずにただ物陰に立っていると、カナスが顔をしかめて立ち上がった。
本を読むのをあきらめたようで、どこかに移動しようとする彼を当然のごとく、姫君たちが追う。
その際、リアとリナリーはちゃっかりと手を彼の腕にかけ、まるで腕を組むようにしてついていっている。
リアに逆らうものはいないようで、リナリー側をキルベナとラーラが争っていた。
リアはその隙に密着度を上げている。
しかし、彼は無表情のまま、色めき立って囲む彼女たちを放置していた。
だが、シェーナはカナスがやめさせないことに、少なからずのショックを受けた。
王族に触れるのは、先に許されたとき以外駄目だと聞いたことがある。つまり、カナスは許しているのだ。
リアの真っ赤な爪がカナスの藍染のシャツの腕に怪しく映え、そこにばかり目がいく。
どくんどくんと心臓が嫌な音をたてて、気持ちが悪い浮遊感に襲われた。
「お待ちになって。どこへ行かれますの?」
「・・・・・・」
「今日はご執務はもうないとお聞きしましたわ。お時間があるなら、外でお茶にでもなさいませんこと?天気もいいことですし。わたくしたちのことを知ってもらうにもいい機会だと思いますわ」
「あら、素敵だわ。せっかくですもの。いつもお忙しくて陛下とお話できないことが残念でしたのよ」
「陛下に私たちのことを、もっとよく知っていただきたいんですから。何も知らないままでは、悲しいです」
「知り合わないままでしたら、いいところも分かり合えませんわ。せっかくこうしてご縁があるのよ。それに、お優しい陛下は私たちを見捨てたりはしないはずですもの。どうせこの先もずっと世間の目はついて回るのですから、どうせなら本当に懇意になっておいたほうがよいと思いません?そのためにも知っていただきたいのです。私のことを。もっとよく、ね。・・・そうでなければ歌姫様を通じてお話させていただくしかありませんわ」
リアの流し目に、完全無視を決め込んでいたぴくりとカナスの肩が揺れたのがわかった。
カナス自身の表情は見えなかったけれど、その妖艶な様子を目にしたシェーナは泣きそうな気持ちになる。
やっぱりリアは綺麗だから。同性のシェーナですら、一瞬呆けてしまうような美しさをもっているから。
どこかへ行こうとしていたはずのカナスの足が止まった。
それだけのことにシェーナの心臓が引き絞られるように痛む。
「あいにくだが、出かける用事がある。相手をしている暇はない」
鷹揚のない声で彼が言うと、姫君たちから途端に不満があがった。
「今日はお休みだと伺っておりますわ」
「たまには休息も必要です。ご公務ばかりなされていてはお体を壊してしまいますわよ。今日くらいゆっくりなされたらいかがですか?」
「重要な用件だから、そういうわけにも」
「でしたら、わたくしも連れて行ってくださいませ。ご公務のご様子、間近で見てみたいですわ」
「私も、是非。陛下のお邪魔はいたしませんので」
「大切な約束なんでな」
取り付く島もないカナスの言い分に、彼女たちもあきらめたようだった。そして、シェーナも同様。
(・・・そうだ。カナス様はお忙しいのだから・・・急にお仕事でお出かけしなければいけなくなることもあるに決まってる)
そんな忙しい彼を待たせてしまった。約束したから、断るために待っていてくれたのかもしれない。なんて失礼だったんだろうと、シェーナは落ち込んだ。
ただ、消沈の理由はそれだけでは決してない。
やはり楽しみにしていた分、予定が潰れてしまうことには、鉛でも呑んだかのように沈んだ気分にさせられた。
(仕方ないもん。お忙しいんだから)
再びそうやって自分を納得させようとするが、悲しい気持ちはなくならない。
それでもせめて一言謝ろうとしたが、あきらめたとは言っても僅かな時間を惜しむようにカナスを囲んでいる華やかな彼女たちを押しのける気力は出てこなかった。
呼び止めるのですらどうしようと悩んでしまうシェーナとは違い、気後れせずに一気に触れてしまえる彼女たちが恨めしく、うらやましかった。
本当は触らないでと言いたいのだが、当人が振り払うまでもない態勢でいるのに自分にそんなことを言う資格はないと、あきらめ混じりに吐息をこぼす。
シェーナは胸の真ん中あたりをきゅっと掴んで踵を返そうとした。
もやもやした気持ちが広がっていて、いっそこのまま彼に気づかれなければいいと思う。
いや、どうせ小さいから柱や人の影に隠れてしまって気づかないだろう。
もうそれでいい。
シェーナ自身が自覚していたかどうかは分からないが、このとき完全に拗ねて意固地になっていた。
「おい、こら。どこに行くんだよ」
だから最初、そんな声が聞こえたときも自分のためのものではないと思った。
「おい、シェーナ」
「・・・え?」
はっきりと名前を呼ばれてようやく振り返ると、いつの間にかカナスが目の前にいる。
びっくりして目をまん丸にするシェーナに、彼は苦笑を向けた。
「お前な。人を待たせておいて何、逃げようとしているんだよ」
「待・・・あ、ご、ごめんなさい」
はっと正気にもどったシェーナはとりあえず頭を下げる。
すると、ぽんぽんと頭を軽く撫でられた。
「別に怒ってねえけど。珍しいと思ってな。どうせまた迷ったんだろ」
「ちょ、ちょっと・・・です」
「慣れねえなあ。まあいい。行くぞ」
「え?」
思いがけない言葉に、シェーナがきょとんとして顔をあげると「何だよ」と、カナスにこそ意外そうな顔をされてしまった。
「え・・・あの・・・行ってらっしゃい?」
とりあえず、見送りかと首をかしげながら言うと、ますます怪訝な表情を向けられた。