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「そういえば」


ふと思い出してカナスは、馬上で自分の前に座るシェーナに尋ねた。


「この間、俺がお前の頬に触ってたら、嫌がって逃げたよな?あれはなんだ?」

「え?すみません・・・いつのことですか?」

「俺が暇だからどこかに行くかって聞いたとき」


シェーナは必死で思い出そうとしているようで、眉を寄せている。しばらくして、小さく「あ・・・」と声を漏らした。


「思い出したか?」

「・・・え・・・い・・・いえ・・・」


相変わらず嘘をつくのが下手だ。首を振る仕草すらぎこちない。

何をそんなに隠したいのかとむっとしたカナスは、わざとらしく大きなため息をついた。


「そうか。俺はお前に隠し事はしないようにしているつもりなのに、お前は違うわけか」

「ち、ちが・・・っその、たいしたことじゃ」

「俺はあれで傷ついたんだぞ」

「き・・・傷つ・・・」


ぎくりと顔色をなくすシェーナに罪悪感が沸かないわけでもなかったが、結局やめなかった。


「当たり前だろ。外に行こうって誘ってやったのに振られるし、挙句に逃げられたんだからな。俺よりも、あの兵士たちの方が大切なのかと思って気分は悪くなるしよ。もう俺なんかどうでもよくなって、他に誰か大事な奴でもできたのかと」


幾分芝居かかった言い方ではあったが、全部本当のことだ。

この機に乗じてシェーナの本音を聞こうとするずるさはあったが、何分、確かめておかなければ不安なのだ。


確かに、ラビネのいうとおり、初恋とやらはタチが悪い。


「違います!カナス様より大切な人なんていません!」


するとびっくりするほどの大きな声が返ってきて、隠れて苦笑していたカナスは目を見張った。

馬の高さと揺れに未だになれないシェーナはいつもカナスにしがみついているのだが、今は顔をあげて必死に言う。


「私にはカナス様が一番大切な方です。ジュシェやニーシェや、ラビネ様やグィン様、それに王宮の女官やお医者様や兵士の方々も好きですが、それでもカナス様が一番なんです。他の誰かがいなくなってしまうとしたらそれは、とても悲しいですが・・・でも、カナス様がいらっしゃらなかったら、私は生きていけません」


それくらい大切なのだと、一分の揺らぎもなくシェーナは言う。


「ごめんなさい、カナス様を傷つけるつもりなんてなくて・・・。あの、あの日は暑くて・・・あの日だけじゃなくて、その前の日もその前の日も暑くて・・・ご飯をあんまり食べてなかったから、触られたらわかっちゃうかなって思っただけなんです。ちゃんと食べろって、カナス様はいつも言うから怒られちゃうかもしれないって」


だから、あんまり触られないように逃げたのだそうだ。

ついでにせっかくカナスと出かけられる機会を提案されて、ものすごく嬉しかったのだが、歌う約束をしてしまっている以上はそれを優先させなければならないと思ったらしい。

約束を破りたいな、と思ってしまったことが申し訳なかったし、せっかく誘ってもらったのにと落ち込んだのも本当と、シェーナは悲しそうな表情を浮かべた。

それを見下ろしていたカナスは、手綱を引いて馬を一度止めた。そして不思議そうな顔をするシェーナをぎゅっと抱きしめる。


「カナス様っ?!」

「・・・馬鹿だな」


自分の胸に押し付けてシェーナに聞こえないようにしながら、彼は低く呟いた。

ほんの少し、考えれば分かることなのに。

シェーナが律儀で、素直で、それでいていつもカナスを大切に思ってくれていることくらい。

それは、これからも、ちゃんと分かっていなければならない。

信じていなければ駄目なのだと、疑った自分を彼は恥じた。


憧れ、忠義というものは信じても、ただ好きという気持ちをカナスは信じられなかった。

無条件の好意がずっと続くことが信じられなかった。でも、シェーナに対しては信じたいと思った。


「あ・・・の・・・カナス様・・・?ごめんなさい・・・?」


もしかして怒られているのだろうかとおずおずと謝罪してくるシェーナに、カナスは息だけで笑った。反省はするものの、やっぱり少し格好をつけておきたくて、カナスはずるい言い分を唇に乗せる。


「そうだな、これからはちゃんと食べろよ。暑いなら暑いとき用の食べ物もあるんだからな。ちゃんと言えよ?」

「う・・・はい」

「それから、別に融通が利かないわけじゃないんだ。申し訳なく思わなくていいから、ちゃんとどんな用事があるか言え。怒ったりしねえから。隠されるほうが、不安になるからな」

「はい」


神妙な面持ちで頷くシェーナの瞳を和ませ、その頭を撫でた。


「じゃあ、もういい。もう何も気にしなくていいし、謝らなくていいから。ほら、つかまってろ。飛ばすぞ」

「はい。・・・え、飛ば・・・?きゃ・・・っ、~~~~っっ」


シェーナの腕を自分の腹に回させ、カナスは馬の腹を蹴った。

すると駿馬は颯爽と駆け始める。風が一層強く抜けていく中で、シェーナは声にならない悲鳴をあげていた。


「・・・ひ・・・ど・・・ぃ・・・」


ようやく街に戻ってきたときには、彼女は息も絶え絶えになっていた。

がっちりとカナスの服を掴んだ手は硬直したままで、子猫のように腕の中で小刻みに震えている。

そんなシェーナを抱えたまま歩き出したカナスは、くっくと笑い声をこぼした。


「お前よりも手綱を握っていた俺のほうが疲れるのが普通だろうにな」

「う・・・でも、カナス様は、な・・・慣れていらっしゃるじゃないですか」


珍しく正当な反論をしてくるシェーナに、ますますカナスは笑ってしまう。


「もう、笑うなんて、ひどい・・・です!」

「怒るなって。むくれてんのが可愛いって思っただけだろ」

「か・・・可愛くないです!そうやって、ご、ごまかそうとしても、え、えっと・・・無駄ですから」


さらに珍しく言い返してくるシェーナに、今度は目を見張った。


「どうした?」

「ジュシェたちが・・・。か、可愛い・・・って言われると、答えられなくなってしまって困ると言ったら、カナス様はそれでごまかそうとしているから騙されては駄目だと。カナス様は、都合の悪いこととか心配事とかはすぐに、ごまかそうとする人だから、と」

「・・・あいつら」


チッと舌打ちをしたカナスの腕の中で、シェーナは続けた。


「あの、カナス様・・・。もし、おつらいことがあるのなら・・・隠さないで言ってください」

「シェーナ?」

「私なんか、じゃ・・・役に立てないし、でも、お母様のことだって、もし聞いて差し上げていたら、何か少しでもよかったんじゃないかなって・・・今日、連れてきてもらえて本当に、すごくすごく嬉しかったけど、ここに来るまでカナス様は、とてもおつらかったんですよね?そのときに、ほんの少しでも何か・・・せめて、一緒に悲しくなることはできたし・・・それがいいのかは、分からないですけど」


しどろもどろになりながら、シェーナはその黒い瞳にまっすぐにカナスを写している。

うつむきがちで、視線をあわせるのすら怖がっていたシェーナが、今度はカナスを励まそうと必死になっていた。


「その、お父様と似ているかもしれないって苦しまれていたなら、違うって言えるし、カナス様は優しい方だって何度でも信じてもらえるまで言うし。私が、嫉妬とか、嫌な思いをさせてしまったのならば、何度でも謝ったし、カナス様が一番好きだといくらでも誓えますから、だから、カナス様もちゃんと言ってください。楽しいことだけじゃなくて、つらいこととか苦しいこととか、そういうのも、ちゃんと言ってください」


生意気がすぎるかとびくびくしながら、それでも一生懸命に伝えてくるシェーナに、どうしようもないほどの愛おしさが募った。


「そうだな」


カナスはシェーナを腕から下ろした。

代わりにシェーナが迷わないように手をつなぐ。


「俺は、ずっと強くなきゃいけないと思っていた。俺がやらなければ、という思いが強くあった。だから、他の人間に弱音を吐いたり、愚痴ったりするのが得意じゃない・・・というか、どうしたらいいのかわからん。だから、まあ・・・すぐには無理かもしれないが、できる限り話すように心がける」


いや、その手を取ったのは、本当は自分が道を見失わないようにするためかもしれなかった。

小さくて、慈悲深い彼女に手を引いてもらっていれば、いつか、他人と重みを分かち合うことができるようになるだろうか。



“兄上は、俺なんかを何故許してくれるのですか?どうして、今更協力してくれなんて、俺に頭を下げられるのですか?悔しくはないのですか?”

“それこそ、どうして?だって君はとても優秀じゃないか。それに強い。私にはないものをたくさんもっている。君に敬意を払っているんだから、何も悔しいことなんかない。協力し合えば、もっといい国ができるんだからね。お互い足りないところを補って行こう、カナス王子”


ふと、そう言って手を差し出してきた兄の姿が思い出された。


(俺はあのとき、あの人に敵わないと思った・・・)


他人を認め、信じ、重責を分かちあおうとしたラバース。

だからあの人は強くなくても、人を惹きつけていた。信頼されているという喜びが、周りの輪を厚くしていた。

いつか、自分もあんな風に他人を頼れるだろうか。

そうすることができたならば、唯一、自分が心から憧れた人に近づけるだろうか。


未だ心に強固なわだかまりがある自分には、なかなか難しいことなのかもしれないが、それでも遠いいつか、実現できたらいいとそう思うことで、また一つ、胸が軽くなったような気がした。


「あの、カナス様・・・」

「ん?」

「上手く話せないなら、無理にお話する時間を作りましょう。何でもいいです。すごく些細なことでも、つまらないことでも。そうして話していくうちに、カナス様から自然とお話してくれるようになれば嬉しいです」


つないでいる方の手を、両手で抱えながら、シェーナは笑った。

そんな積極的な提案をしてきたのは初めてかもしれない。

シェーナもやはり少しずつ、変わってきているのだろう。カナスが変わったのと同じように。


「ああ、そうだな」


カナスも笑った。

シェーナに見せる笑みがどんどん無防備になっていることに、気が付かないまま。

引き寄せたシェーナの温かさに、瞳が潤んだことに、気が付かない振りをしたまま。



感情などいらないと思っていた。

そんなものに振り回されるなんてまっぴらだとずっと思っていた。

けれど違うのだと今はわかる。

たくさんの感情を知って、苦しみ、喜びながら、毎日が過ぎていく。満たされると言うことを知る。

そうやって、少しずつ変わっていく。前の自分を乗り越えていく。

かけがえのない人とともに。



明日から別の番外編を掲載します。

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