花冠のあるべき場所
*
「賑やかですね」
離れたところで双子たちと楽しそうに笑い合っているシェーナを眺めていたカナスの横に立って、ラビネが微笑ましそうに呟いた。
「よく笑うようになっただろ」
カナスは自分の体を支えていた手についた土を払い、体勢を変えて胡坐をかいた。
「こんなことくらいであそこまで喜ぶとは思ってなかったがな」
「欲のない方ですからね。その分、喜ばせるのが難しいかもしれませんけれど」
「図れないのは確かだな。それはそれで新鮮でいいさ」
「・・・あなたのそういうお顔を拝見するのは本当に珍しい」
「あ?」
「存外に、シェーナ様のご機嫌がよろしいのが嬉しいですか?」
くす、と小さな笑みをこぼしたラビネに、カナスは一度眉をそびやかした後で開き直った。
「悪いか?」
「いいえ。よいことだと思いますよ」
そう言った後で、ラビネはすっと片膝を折った。
「申し訳ありませんでした」
「・・・どうした」
「あなたにとってそこまで大切な方を危険な状況にさらさせ続けていたことを、未だ謝罪しておりませんでした」
確かに、内通者を探るために4人の姫君を王宮に留めろと主張したのはラビネだ。
けれど、カナスはその謝罪を受け入れなかった。
「決めたのは俺だ」
「しかし、一歩間違えば取り返しの付かないことになっていました。それだけではなく、あなたがシェーナ様の信頼を失うこともあり得た」
「何もなかったんだ。もういい」
「ですが・・・」
「お前が言ったことは正しい。あのときはああするべきだった。何一つ間違ったことを言っちゃいない」
カナスの瞳に、キツメグサを膝の上に摘んでいるシェーナの姿が映されていた。
「あいつが今、ああやって笑っている。それで、もういいんだ」
「・・・・・・もう少し、自分勝手に生きてもいいんですよ」
ラビネのトーンが少し変わった。
申し訳なさそうなものから、痛ましそうなものに。
彼の言いたいことをカナスはたぶん分かっている。
王だって人間なのだから。
何より優先したい大切なものを傷つけられたこと、傷つけられそうになったこと、それに憤り悔しさをぶつけてもいいのだ、と。客観的な正しさに、怒ってもいいのだ、と。
だが、カナスはそれを良しとはしなかった。
「俺は怖いんだよ」
「怖い?」
「自分勝手に生きた男の末路を知っている。俺は、その男と同じ道を歩み始めた。同じ血をもって、同じ罪を犯して、同じように始めたんだ。一歩でもふみはずせば、俺もまたあいつと同じところに行き着く気がしてな」
すべてを思い通りに支配しようとした父。傲慢で愚かで、人々の憎しみを買った父。
どれほど言い訳を並べても、カナスがその父を殺した事実に変わりはない。その罪は一生消えないのだ。
その恐ろしさはある種の強迫観念になって、いつもカナスの胸に厳しい自戒を要求する。
「カナス様、それは違います」
「分かってる。お前が言うだろうことは分かってる。けどな、俺は納得できないんだよ。少なくとも、しばらくは納得できないんだ。・・・だから・・・」
その後をどう続けていいのかわからずに、彼は言いよどんだ。しばしの沈黙の後で、先にラビネが息を吐いた。
「シェーナ様のおっしゃるとおり、あなたは非常に優しい方なのかもしれないですね」
「・・・何だ?」
気味の悪い言葉を聞いた気がして、カナスはうろんげな目つきになる。
カナスが「優しく」ないことはラビネが誰よりも知っているはずだ。
カナスはたくさんのものを目の前で犠牲にしてきた。いつでも自分が正しいと思うことのために。自分の望みを果たすために。時には汚いことでもやってのけた。
そんな自分が優しいわけがない。
「優しいって言葉は、シェーナに使うんだよ」
心がとても綺麗な少女。どんなときでも、他人を恨むことも憎むこともせず、いつでも手を差し伸べたがる。
そして、優しくもないカナスを、必死に守ってくれようとした。
いつも他の誰かのために動ける彼女こそ、その言葉にもっともふさわしい。
「そうですね。あの方は慈悲深く、無償の精神をお持ちです。だから、あんなにもお優しい。否定はしません。ただ、私は優しさという言葉が意味するのは何も慈悲だけではないと思いますよ」
「ラビネ?」
「優しさというのは、他人を思いやれることだと私は思います。誰かのために胸を痛めることができる、それを忘れないように思う。それもまた、優しさなんですよ」
「・・・助けることができたものを助けなかった。そして買った恨みを、忘れられるわけがない」
「そう思うことこそに、私はあなたの優しさを見ますよ。人は忘れる生き物です。都合が悪いことを進んで忘れたがる。あなたはそれをしたくないと思っている。自分が苦しんでも、追い詰められても、忘れたいとは思わないのでしょう?それは、強さでもあり、きっと優しさでもあるんです。当代の我が国は、優王を得たというのも、正しいかもしれません」
「・・・・なんだそれ。軟弱そうな名称だな。狂王の次が優王とは」
「優王もいいではないですか。優れた、と、優しい、の両方の意味を持つのですから」
「どうせ最後には、ろくでもない名前をつけられるんだ。民の気は移ろいやすいからな。あの父だって、かつては勇王として崇められていた。そんなもんだ。呼び名などどうでもいい」
投げやりに言って、カナスはごろりと寝そべった。空がやたらと澄んで見えた。
「今回のこと、思いの外、ご心痛でしたか?」
気まずそうなラビネの問いかけが聞こえる。それをカナスは一笑に付した。
「まさか。いくらでも予想されたことだ。俺をよく思わない人間などごまんといる。旧来の貴族だけだけでなく、国民の中にだってな」
何か一つを変えようとすれば、今まで得ていた利益を奪われるものは反抗する。
道義だけでは何一つまかり通らないのだ。だからこそ、流されない信念と恨みを買いつづけても動じない強さが、必要になる。
裏切られたくらいでいちいち傷ついてはやってられない。
「民のためを思って行動しても、必ず不平と不満にぶつかる。無力感に苛まれながら、時としてそれを強引にでも押さえつけなければならないこともある。けれど一度でも反感の大きさを見誤れば、すぐにその座を終われ命を落すことになる。王なんて、まったく、報われねえよな。自分でも時々、何でこんな面倒なもの引き受けてんだと思うぜ」
「・・・・おやめになりたいと思うことも?」
「ないとは言わねえ。けど、そのたびに思う。俺が投げ出したところで、どうすんだ。その先俺自身が住みやすいと思う国なんてできねえだろう、とな。だったら、仕方ねえ。俺がやるしかねえって。もし、俺が俺よりもこの国を上手くまとめられると思う奴がいたなら、俺はそいつに喜んで代わってもらうと思うぜ」
「でしたら、そのような方があなたの在位中に現れないことを祈っておきましょう」
「馬鹿、そしたら俺は楽できねえじゃねえか。知ってるか?俺は、さっさと引退して、すげー単調な毎日をのんびり過ごすのが夢なんだ」
笑ってカナスは目を閉じた。心地よい風と日差しがある穏やかな時間を全身で感じる。
「たぶん、あなたは3日もたずに飽きますよ。なんだかんだ動いていなければ気がすまない性格ですからね。だから、ご公務も体が動く限りはしっかりとこなしてください」
だが、あっさりと却下をくらって、彼はすぐに目を開いた。
「人使いの荒い奴だな。責任ばかり重くて地味な仕事を散々押し付けやがって。せめてもう少し休みを増やせ」
「あなたが気に食わない、やり直せと言って仕事を増やすのでしょう?」
「うるせえな、中途半端は嫌いなんだよ」
「それでよく日がな一日ぼんやりと過ごしたいなどとおっしゃいますね」
ラビネの唇からくすっと小さな笑みがこぼれた。
「結局あなたは、他の人間にすべて任せきりということはできない人ですよ。どんなに苦労なされてもね」
「・・・たぶん、俺は責任とか償いとかそういうものの前に、この国が好きなんだよ。だから終わりも手ごたえもないままでも、投げ出さないでいられる」
だが、好きという思いは不安定だ。願望や欲ほど強く明確なものでないため、実現への動機が低いのも事実。
いつかその不毛さに飽き飽きして、この思いが薄れれば、義務感だけでなんとなくこなしてしまうだろう自分が目に見えている。
だから、本当は誰か他の人間が表に立つほうがいいと思う。
もっと明確なヴィジョンをもちうる誰かがいるほうがいい。
シェーナには雑用係、と言ったが、それはカナスが自身でこの国の10年後、20年後の明確な未来を予想することができていないせいかもしれないとも思う。
正しいか正しくないかは別として、民衆の記憶に強く残っている歴代の王は、すべて国の将来を、すなわちこうあるべきというはっきりとした目標を掲げ、それに向かって邁進してきた者ばかりだ。
カナスはただ、民が飢えなければ、他国に侵されず争いない世であれば、それでいいと思っている。漠然としすぎているゆえに、民の意見に頼るところがある。意見を広く聞くことができるのはよいことであるが、それゆえに軸が揺らぎやすい危険がある。
実際、カナスにもその懸念の声があることを知っている。
(偉くない王、か・・・)
その座につく前は、民の立場で見聞きできる王がいいと思っていた。
けれど、時折、それで本当にいいのかわからなくなるのだ。
時には自信もなくしそうになる。理想は遠くて、いつもカナスを惑わせる。
本当は裏切った者たちの方が正しいのではないか。本当は自分がここにいてはいけないのではないか。最初から間違っていたのではないか・・・。
「―――カナス様っ!」
淀み始めた思考に、突然軽やかな声が響いた。
起き上がれば、シェーナが息を弾ませて駆け寄ってきた。
彼女が立ったままなので、自然に見上げる形になる。
「あの、私・・・これ・・・」
シェーナは少しまごついて、後ろ手に隠していたものをカナスに差し出してきた。
キツメグサで作った冠だった。
シェーナが自分で作ったのだろう。よれよれとしていたが、それでも編み合わせて一生懸命に作ったのがわかった。
「ジュシェたちに教えてもらってやっとできたんです。これ、カナス様にあげます」
「あ・・・ああ」
しかしそれをどうしろというのか。かぶれと?この状況じゃそれしかない。
だが、できればそれは避けたい。
受け取ったカナスは、恥ずかしそうにしているシェーナを見つめ、若干引きつった表情で固まった。
すると、またシェーナが口を開く。
「あの、私、それを作っている間考えていたんです」
「・・・考えた?」
てっきり「つけてくれないですか?」と悲しそうに言われるのかと身構えていたカナスは、思わぬ言葉に不審そうな声で対応してしまった。
けれど、シェーナは気にした様子もなく、言いたかったことをもどかしそうに伝えてくる。
「カナス様はさっき言いました。王様はただの雑用係で、民がいなければ何もできない。だから偉くない、と。私は、その意味がよくわからなかったです。でも、私なりに考えてみたんですけど、王様はたくさんの民の声を聞いて、その願いを叶えるのがお仕事なんですよね?えっと・・・願い、と言っても、神に祈って叶えてもらうものではなくて、民がその願いを叶えるために、自分たちで働いてくれるように助けてあげるお仕事、で、あってますか?」
カナスは驚いた。
シェーナが“神”ではなく、“人”を見たことに。フィルカの王は“神託”を得て政をするのだと聞く。だからこそ“白の神官”と呼ばれるのだが、そんな王家で育ったシェーナが、カナスの言葉の意味をこんなにも早く理解できたことが、意外だった。
「私は、詳しく分からないですが、でも、いろいろ考えてみて、そのお仕事はとても大変だと思いました。その、誰かにしてもらうこと、というのは難しいです。上手く伝えられなかったり、伝わっても嫌がられてしまったり・・・。だから、とてもとても大変だと思います。その大変なお仕事をしているのが王様なのだとしたら、王様はやっぱり偉いんだと思います」
国で一番大変な仕事をしているのだから、偉いのだと。
権力があるから偉いのではなく、大変さを一番引き受けているから偉いと表現するシェーナの言葉に、カナスは聞き入った。
「カナス様は、そんな大変なお仕事を一生懸命にこなしています。民のために、毎日夜遅くまで働いていらっしゃいます。努力していらっしゃいます。よい王様です。だから、やっぱりカナス様は偉い国王陛下だと思います」
自信がなさそうだったシェーナは、最後にはっきりと言った。
そして続けた言葉も、迷いが見あたらなかった。
「私・・・一生懸命勉強します。頑張って勉強して、もっとちゃんとカナス様のおっしゃっていることが分かるようになりたいです。少しでもカナス様に追いつけるようになりたいです」
突然、笑いがこみ上げてきた。
簡単だったのかもしれない。自分が欲しかった答えがある場所は。
「シェーナ」
カナスはシェーナに花冠を返した。
「お前が、俺を王にふさわしいと思うのなら、つけてくれ」
最初シェーナは何を言われたのか、そしてカナスが何故笑っているのかわからないようで、きょとんとした表情を見せた。
しかし、すぐに手を伸ばして、花の冠をカナスの頭に乗せる。
「カナス様は、いつも頑張ってらっしゃるから、王様にふさわしいです。誰よりも」
「・・・・ありがとな」
カナスはシェーナの細い体を抱きしめた。
シェーナは知らない。カナスのしてきた『優しくない部分』をほとんど知らない。
でもだからこそ、シェーナの言葉が胸に響くときがある。
この与えられる信頼を裏切らないでいたいと思う。過去は変えられないけれど、これから先は変えられるのだから。
「カナス様?何故、お礼を言うのですか?」
「少しそう言いたい気分だっただけだ」
「そう・・・ですか?あの、気に入ったのでしたら、また作ります。今度はもっと上手にできるように」
「・・・・・・そうだな」
また、迷いそうになったときにはいいのかもしれない。自分を確かめる意味でも。
とはいえ、いつまでも花冠をかぶる趣味はない。
「でもこれは、やっぱりお前の方が似合うぞ」
カナスは、ぽすりとシェーナの頭に黄色の冠を乗せた。
するとシェーナの頭には大きく、ずるりとそのまま額まで下がってきてしまう。
前が見えづらくなって、おろおろとするシェーナを笑い、カナスは彼女の頭を撫でた。
「可愛いな」
「か・・・っ」
カナスに可愛い、と言われることにいつまで経っても慣れないシェーナはすぐに真っ赤になって、そのまま逃げていった。
その後ろ姿にまた笑っているカナスに、ラビネもまた微笑みながら言った。
「案外、お似合いでしたのに」
「・・・ま、俺は何でも似合うからな」
からかいを軽口で返したカナスを見て、ラビネの瞳がますます細められる。
いつものカナスに戻っていることが分かって安堵したのだろう。
そんなにナーバスになっていたのかと、カナスは今更自覚した。
だから、ラビネのために言ってやった。
「ラビネ、俺はこの国が好きだから国王なんて面倒なもんやってると言ったな」
「はい」
「それは間違いじゃねえけど、それだけじゃねえわ。俺は、あいつに認め続けられる王でありたい。あいつがくれる無条件の信頼に恥じないだけの人間でありたい、あらなければいけないと思う」
カナスの瞳がまっすぐに写している、か弱くて、それでいて誰よりも懐の広い彼女の目が間違っていないことを証明するために。
「だからやっぱり投げ出せたりはしねえよなあ」
シェーナがくれた花の冠。
アキューラの王は官職の誰からも戴冠を受けない。
だから、カナスにそれを許されたシェーナだけが彼に冠を与えることができる。
そのたった一つの冠に、恥じない王でありたいと思う。
鬱屈したり逃げたくなったりしたとき、その気持ちを思い出せるような自分でいたい。
「それはよかったです」
「だから、俺が間違えそうになったとき。自分の望みを優先するあまり、正しい判断ができていないと思ったとき。お前が俺を一度、止めろ。今回のように、それがたとえ俺の一番大切な奴であっても」
たとえシェーナを危険にさらしそうになっても、まずは止めて欲しいとカナスは願う。
立ち止まって考えなければ、きっと後悔をする。翻ってシェーナを余計に危険にさらすことになる。
何より、シェーナが喜ばない。
だったら、正しい判断をしたい。その分、全力で守るから。
「一時、俺に憎まれても、できるのはお前だけだと思っている。俺の背中を預けてもいいと思っているお前なら信頼できる。頼むぞ」
カナスはまっすぐにラビネを見た。
「承りましょう」
すぐに礼を取ったラビネに、カナスは満足そうに頷いた。
「とはいえ、そういった輩を出さないようにするのが先決か」
「勿論です。ということで、ご休憩はこの辺りで切り上げて、さっさと本日のご公務に参りましょう」
「ああ?!」
「陛下が今まで以上に働く気になってくださって、臣下としてはこれほど嬉しいことはありません。積もりに積もった書類が本日も各地の役所から届いておりますゆえ」
「ちょっと待て!やっとこの間の騒動の処理が終わったところだぞ」
「ええ、ですから、その間処理されなかった書類が山ほどございます。シェーナ様のためにもしっかりと働いてくださいませ」
「・・・てめえ・・・」
「よろしくお願いいたします、陛下」
にっこりと笑ったラビネに、カナスは不機嫌を隠そうともしない表情で、舌打ちをした。
最初の謝罪からなんだかはめられたような気がするのは、気のせいではないだろう。
「クソうぜえ・・・」
聞こえるように呟いたはずの一言は、ラビネにあっさりと無視された。
慌しい一日が、また、始まる。
END
これで本編終わりになります。お付き合いいただきありがとうございました!
シリアスめとコメディめの番外編を掲載予定です。




