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19/28

歌姫は新しい平穏に浸る

裏切者が捕まって、一月が経った。

凍える風はすっかりと春の陽気に変わり、不毛の大地といわれるアキューラの首都にもわずかに緑の息吹が芽生え始めてきている。


「おい、口開けろ」

「は、はい」


朝食の時間、言われるがままに唇を開いたシェーナの口の中に、陶器のスプーンが詰め込まれる。次の瞬間に口の中に広がった苦い味に、黒い瞳にじわりと涙が浮かんだ。

「・・・苦い、です」

「そうか、これは嫌いか。やっぱりな」


妙に納得した様子で頷いたカナスは、今度は透き通った黄金色の液体をシェーナの口に運んだ。ぱっとシェーナの表情が明るくなる。

「甘くて美味しいです!」

「それは生の蜂蜜だ」

「ハチミツ・・・?」

「蜂が集めた花の蜜だ。春になると、南の方から入ってくる。お前が好きなら、定期的に届けさせるとするか」

「本当ですか?嬉しいです。あの、フォチャにつけて食べていいですか?」


フォチャとは、この辺りでも育つ乾燥に強い麦のパンのことだ。自分用の小さなフォチャを手に取るシェーナに、カナスは蜂蜜の入った皿を渡してやった。

シェーナはにこにことしながら、幸せそうに一際甘くなったフォチャをほおばった。


「ああ、あとこれ食ってみろ」


ふと思い出したように、指でつまんで差し出されたのはべとべとしている白い丸い物体だった。


「なんですか?」

「まあ、食え」


カナスの反対の手には硬そうな殻の半分に包まれてもう一つの白玉が残っている。どうやら割ってくれたらしい。

感謝しつつぱくりと口に含むと、またしても甘く、濃厚なミルクの香りがした。


「これもすごく美味しいです」

「そうか。これは先日ギマから輸入されたものだ。・・・なんとかの実だったんだが。4、5メートル級の高木に生るらしいぞ」

「え?そんな高い木になる果物をどうやって採るのですか?」

「さあ。よじ登るんじゃないのか。思い出した。ラロッカだ」


「違います。ロラッカですわ。ついでに、よじ登るのではなく、それ専用の高枝バサミが開発されてますの」


果汁で汚れてしまった指を舐め直しつつ、満足そうに頷いたカナスに、あらぬ方向から突っ込みが来た。


「あ、リア様。おはようございます」


露骨に嫌そうな顔をしたカナスと対照的に、シェーナはにっこりと笑ってリアを出迎える。


そういえば、ギマはリアの出身国だったことを思い出した。


「リア様、ギマはどのような国なのですか?これ・・・ロラッカですか。とても美味しいです」

「それはどうも。王にアキューラの歌姫様が大層お気に召していたと伝えておきますわ。喜んで山ほど贈ってきますわよ」

「え、そ、そんなつもりじゃ・・・」

「いいんだよ、好きにさせておけ」

「そうですわ。弟は大国の機嫌を取ることに関しては、大層熱心ですから」

「・・・リア様」


ふん、と冷めた目をして鼻で笑ったリアに、シェーナは少し悲しい気分になった。

家族に見捨てられた、とリアが言ったとおり、ギマの王族はスロン王政が終わった後も、アキューラの支援をあてにし、リアの帰国を拒み、新王に取り入るように命じた。

大して裕福でもない小国は、王族の負担が増えるのを――名もない慰め人となっていた、この先の嫁ぎ先さえない姫を受け入れるのを厭ったのだ。

その決断をした実の弟を恨みつつ、それでも、血縁者の支援を求める懇願をリアは拒めなかった。


複雑なその感情を知ってしまえば、シェーナは今までリアにされたことを全て簡単に許せた。


しかし、カナスはそうではないらしい。

リアに自分が嫌われていることはかなりどうでもいいらしいが、シェーナへの侮辱の数々はとても許容できなかったようだ。

そのため、リアが目障りという感情を隠しもしない。


「それより何をしにきた。呼んだ覚えはないぞ」

「ええ、呼ばれた覚えもございません。ただ、シェーナ姫にお願いがありまして」


リアも、もうカナスに媚を売る気はまるでないようだった。

ただ、シェーナに対してだけは優しい笑顔を向けてくれる。


「私にですか?何でしょう?」

「お食事が終わったら、私のお部屋にいらしてくれない?見ていただきたいものがあるの」

「はい。わかりました」


即答したシェーナに、カナスは渋い顔をする。

だが、それを見たシェーナが「駄目ですか・・・?」と悲しそうに尋ねると、結局すぐに彼は折れた。ただ、ため息混じりに条件は提示しておく。


「双子も連れて行け」

「はい」

「・・・随分過保護な保護者だこと」


またリアが鼻で笑い、カナスがむっとした顔を見せた。


「お前に、信用がおけるか」

「まあ、それもそうかもしれないわね。けれど、心配も度をすぎると息苦しいものですわよ。シェーナ姫を窒息させないようお気をつけあそばして」

「何?」

「攻め落とした数ほどの愛人、という噂はまがいものとしても、陛下はそれなりのお方だと聞いておりましたわ。それが実際はこんなおままごとのようなご関係をお求めとは。本当に、人は見かけによりませんわね。まったく・・・見ていてこちらが恥ずかしいですわ」

「・・・勝手に言ってろ。お前にどう思われようがこれっぽっちも構わん」

「こちらも、純愛好みの、他の女に骨抜きの殿方になど、興味はございませんから安心なさって」

「いちいちむかつく言い方をする女だな」

「お褒めのお言葉として受け取っておきますわ」


両方とも、口元に笑みのようなものを浮かべたが、目が全く笑っておらず、薄ら寒いことこの上なかった。


「あ、あの・・・喧嘩は・・・」

「別に喧嘩しているわけじゃない」

「別に喧嘩しているわけではありませんわ」


しかし、おろおろとするシェーナに対し、二人は語尾が違うだけで同時に同じ言葉を返してくる。

実は気があっているといえないでもないのかもしれない。


「それではシェーナ姫、またあとで」


シェーナに対してだけにっこりと微笑んだリアが姿を消すと、後ろでカナスがため息をついた。


「お前・・・なんであんな奴をかばいたがるんだ?」

「あの、リア様が失礼なことをおっしゃったのはすみません。けれど、リア様は悪い方ではないんです。いろいろ教えてくださいますし」

「まあ、お前がそういうなら仕方ねえな」


それでもまだ文句があるらしくぶつぶつと呟いたカナスは、シェーナを自分の左肩に引き寄せて、くしゃくしゃと頭を撫でた。


「あいつと付き合うのは好きにしていいが、変な影響はうけんなよ」

「変な影響、ですか?」

「あの女、ひねくれまくってるからな。それに、ろくでもない話ばかり吹き込みそうだ。だから付き合わせたくないんだが・・・何か嫌なことがあったらすぐに言えよ」

「えっと、はい」


きっとそんなことはないだろうと思いつつも、心配するカナスに頷くと、またしても後ろから声が聞こえた。


「だから過保護だというのです。交友関係にまで指図するなど、並々ならぬ独占欲ですわね。シェーナ姫、迷惑でしたらそのようにおっしゃるほうがよろしくてよ」

「リ、リア様!」

「貴様、誰のおかげでここにいられると思っているんだ」


驚いたシェーナは慌ててカナスの側から離れようとしたけれど、カナスが却って強く抱き込んできたせいで余計にくっつく状態になってしまった。


「シェーナ姫のおかげですわよ。はい、これをお渡しするのを忘れていましたわ。甘いものがお好きと聞いたので、ギマの焼き菓子を作らせましたの。どうせそこの御方は私の部屋で出されたものを口にするなと侍女に言いつけるでしょうから、今お渡ししておきますわね」

「あ、ありがとうございます」


リアが置いていった壷には、薄いクッキーを巻いた人差し指ほどの太さの棒状のものがつめられていた。


「本当に鼻持ちならない女だな。いっそこの中に異物でも入っていれば、追い出す口実になるのにな」

「カナス様、そんな・・・」

「冗談だ。お前が望むうちは正式にここに置いておいてやるさ」


そう。カナスの言葉に表れているように、リアは王宮に住む権利を得た。

名目は、シェーナの家庭教師として。

詳細については知らされていないが、カナスの命を狙っていたのはなんとかという公爵だったらしい。キルベナの祖母が降嫁したエリドッセ公爵家と姻戚関係にあると聞いた。

スロン王政時代には有力地方を任されて私腹を肥やしていた旧貴族の一人で、いわゆるカナスが「腰巾着」と忌み嫌っている集団の仲間である。

ただ、彼は公爵の中でも末席で、他の貴族に追従するというタイプだった。

派手な不正をしていたというわけでもないため、廃嫡に追い込むことまでは難しく、要職から外し今までの領地を取り上げた上で、それでも北地方の広大な土地を新領地として与えていた。

たいした度胸もないと踏んでそれ以上の処分は後回しにしていたが、なかなかどうして、言葉巧みに旧体制の貴族たちをそそのかし、ひそかに反覆を狙っていたらしい。


4人の姫たちの中にいた“内通者”は、キルベナだった。

彼女は、新王権が倒れたあとは、正当なアキューラ王家の血を引くものとして、再び“王女”に戻れるとそそのかされたのだという。

勿論、厳正な処罰をもらい、王女どころか、市民権を失って1年の半分以上が雪に埋もれていると言われる最北のバナン地方に送られた。

芋蔓式に出てきた反逆者たちも、一様に廃嫡と失脚の道をたどっている。


そうして、騒動が一応の鎮静化を見ると同時に、何故かあれだけ新王妃の座に固執していたラーラとリナリーも王宮から姿を消した。

尋ねても誰も教えてくれないが、どうやら上手く説得に応じ、あきらめてくれたらしい。

それもちゃんと自分たちがカナスの愛人などではなかったと表明までしてくれて。彼女たちの態度を一転させたその説得の仕方がいかがなものだったか、シェーナは全く知らないけれど。

そして、リアについては・・・。


“私にはどのような処罰がくるのかしら。流刑?奴隷身分に格下げ?どんな罪があるかしら?暗殺者に加担した、歌姫を突き落そうとした、国王陛下を侮辱した・・・。いくらでも名目はあるわね。なんならこの場で処刑してくださって結構よ”


地下の薄暗い一室で、少しやつれたように見えるリアは、楽しそうに指を折っていた。


“もう疲れてしまったもの。こんな世の中、未練なんて何一つないわ”


世を儚むリアに、何の感情も込めずにカナスが言った。


“お前には、確かに俺を憎むだけの理由がある。だから・・・処罰は王宮から出て行くこと。そのままギマに帰れ。この一度だけ、すべて不問に付してやる。だが、一度だけだ”


ギマを属国にした直接の手は、確かにカナスだった。

力の差を見せつけ、できるだけ友好的に開城を迫ったとしても、彼女を犠牲にしたことに代わりはない。

何よりリアはシェーナを守ろうとした。

花瓶を割り、飾られていた毒の花を片付けさせるように仕向けた。

アイスの指示に従うふりをしつつも、激情に見せて自分が突き落とすことでアイスに命を狙わせないようにした。

だからカナスはリアを許そうとしたのだ。

だが。


“嫌よ!あんなところ、帰るなんて冗談じゃない。だったら、殺して!そのほうが何倍もマシだわ!”

“何?”


リアは頑なにそれを拒んだ。

自分を疎む祖国の地など、踏みたくもないと。

自分が処罰され、ギマの名誉が傷つくほうがいいと。それが自分を捨てた家族への復讐なのだと。


けれど、そのリアの叫びは違うと、シェーナは思った。


“でも、リア様はご家族の絵が入ったペンダントを大切にしていらっしゃいます”


指摘するとリアはぴたりとヒステリックな叫びを止めた。

シェーナはリアの前まで歩み出た。


“ギマが憎いというのはきっとリア様の本心ではないと思います。今は・・・お怒りが先に立っていらっしゃるかもしれませんが、それでもリア様は心のどこかでご家族にお会いしたいと思ってらっしゃるのではないかと私は思います。死んだほうがいいなどとおっしゃらないでください。生きていればまたお気持ちも変わります。私もずっとどうして生きているのだかわかりませんでした。でも、カナス様に出会うことができたから、今は生きていてよかったと思います。だからリア様も生きて、いつか許せると思ったときに、ご家族に会いに行ってほしいです”


勝手を言うなとにらまれること覚悟で伝えた言葉だったが、リアは意外にも黙り込み、そして初めて人前で涙をこぼした。


“・・・によ・・・なによ・・・。まだほんの、小娘の・・・くせに・・・”


憎まれ口を叩きつつも、リアは涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔を手で覆った。


“その間、どこに行けというのよ・・・許せるまで何年もかかるに決まってるわ・・・許せないかもしれないわ・・・その間、どうしたらいいのよ・・・何も知らない地方で、また一人でいろというの・・・?そんなの、もうたくさんよ・・・”

“リア様・・・。あの、だったらここにいてくださればいいと思います”


突然のシェーナの提案に、今度はリアだけでなくカナスやその他の者たちみんなが驚いた。


“リア様が帰りたいと思うときまで、王宮にいればいいです。あの、リア様はリュートがお上手です。だから私に教えてください。それに、リア様は作法とか振る舞いとか・・・私が知らないことをたくさん知っていらっしゃいます。そういったものも教えてくだされば嬉しいです”

“おい、シェーナ”

“あ・・・だ、だめ・・・ですか?”


思いも寄らぬシェーナの言い分に眉を寄せたカナスではあったが、シェーナがしゅんと悲しそうな顔をするのを見ては、否とは言えなかった。

苦虫を噛み潰したような顔で、シェーナの頭をぽんと撫でる。


“・・・・今までしてきたような贅沢はゆるさねえが、それでもいいならな”

“・・・・・・・・本気、なの?本気で私をここに置いてくれるって言うの?”

“こいつが自分から願うって言うのは珍しい。それだけ希望しているってことだからな。仕方ねえ”

“カナス様!ありがとうございます!”


顔を輝かせたシェーナは、背伸びをしてカナスに抱きついた。

しかしすぐにその行動を反省したようで、真っ赤になってぱっと離れた。

そしてリアに上気した顔のまま尋ねる。


“あ・・・リア様は、嫌ですか?いたくないですか?”

“歌姫・・・、アナタどこまでお人よしなのかしら?”

“お人よし、ですか?”

“私なら絶対に嫌よ。私みたいな女を同じ宮に置くなど・・・。もし、私が気を変えて、あなたの大切な陛下を誘惑しようとしたらどうするの?”

“え・・・それは嫌です!カナス様をとらないでください!それだけはやめてください!”


ぎゅぅっとカナスの服を握り締めたシェーナの手をぽんぽんと叩いたカナスは、何故か上機嫌で言った。


“安心しろ。誰もこんな女の誘惑に乗らない”

“ほ、本当ですか?リア様はこんなにもお綺麗なのに?”

“・・・・・あはは、シェーナ姫。あなたは本当に変わっているわね。不思議なくらい変わってるわ”


突然笑い出したリアの言葉の意味がつかめずにいると、彼女はお腹を抱えたまま何度か頷いて言った。


“そう、そうね・・・お願いされるわ。王宮に残って、私の知っていることをあなたに教えてあげてもいいわよ”


上からの発言をカナスは気に食わなかったようだが、シェーナはただ嬉しそうに笑った。

リアが王宮にいてくれるということよりもむしろ、彼女が生きる希望をもってくれたことが嬉しかった。

それからリアはシェーナに貴族のマナーや教養を教えてくれ、時にはシェーナの歌の伴奏を弾いてくれたりもするようになった。

教えてくれるときはかなり厳しいし、面と向かって優しくしてくれるわけではないが、シェーナの力になってくれようとする気持ちはよく伝わってくる。

ジュシェ、ニーシェの他にもまた姉ができたようだと、ひそかに思うシェーナだった。


「そういえば」


ぱりぱりとリアがくれたお菓子を幸せそうにほおばっているシェーナに、また何かを思い出したのかカナスが呟いた。


「北の回廊の裏手に、キツメグサが咲き始めたそうだ」

「キツメグサ・・・ですか?」

「ああ、春の花だ。まあ、雑草みたいなもんだがな。そうだな・・・小さなひまわりみたいなもんだ。黄色くて花弁が山ほど付いていて、花を終えれば白い綿毛の花になる」

「あ、もしかしてタンポポですか?」

「タンポポ?」

「えっと・・・丸くて白い綿毛になる黄色い花ですよね?タンポポ、私の国ではそう呼びます」

「へえ」

「いつも塔の上から一面にタンポポが咲いて、黄色い絨毯になるのを見ていました。とても綺麗で、降りてみたかったです。塔の庭は広い平野だったから、たくさんの人がお花を見ながらお弁当を食べに来ていました。春は温かで気持ちいいだろうなあと」


高い塔の上から眺めるだけだった光景を思い出して、シェーナは夢見心地に言う。すると、くしゃくしゃとカナスが頭を撫でてきた。


「カナス様?」

「明日、そこで朝飯にするか?まあ、この国の気候じゃ、フィルカほど見事なもんじゃねえだろうけどな」


どうやら塔から出ることを許されなかったシェーナを気遣ってくれたらしい。

優しい心遣いに感謝をして、シェーナは幸せ一杯に頷いた。



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