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歌姫はいつでも王を受け入れる

そのとき、パンパンパン!とガラスの砕ける音がし、室内の灯が全て消えた。

暗闇が恐ろしくて、シェーナは悲鳴を上げてすぐ側のカナスに力いっぱい抱きつく。力強く抱き返してくれるのを感じると共に、「イリヤ!」と鋭く叫ぶ彼の声が頭上から聞こえてきた。

続いてけたたましく椅子がひっくり返る音と、誰かが倒れるドサリという鈍い音。


喧騒はほんの一瞬のうちに、静寂に変わった。


「・・・カナスさ・・・?」


がくがくと震え、側にいてくれているはずの彼の名を呼ぶと、「大丈夫か?」という静かな声が返ってきた。

無事を確認して、ほっと息をつく。

まもなく燭台に火がともされて、室内にほのかな明かりが戻った。


「え・・・」


そこで見えた光景は、ほんの少し前とは一変していた。


絨毯の上に呆然と座り込んでいるリアの肩をつかみ、腕でかばっているグィンと、背中に腕をねじられた状態で小柄の男に馬乗りになられ、床に押さえつけられている細身の青年と、その青年の鼻先に鋭い剣を突きつけているラビネ。

そして、カナスに抱きこまれたシェーナの背中を守るように、立つ双子の姉妹。


「これは・・・、どういう・・・?」


混乱するシェーナの頭を数度撫でて、カナスはシェーナを双子に預けた。

そして、自分が腰に携えていた細身の剣を鞘から抜き、ラビネに代わって切っ先を縮れ髪の青年に向ける。


「残念だったな、アイス」

「・・・何故、私だと・・・」

「単純な話だ。イリヤが俺を裏切ることなどありえない。とすれば、暗行御使でもっとも疑わしいのはお前になる。イリヤを疑っているふりをして降格させ、お前を見張らせておいたというわけだ。詰めが甘かったな」

「く・・・っ」

「あとはお前の裏切りの証拠を得るだけだった。リア=バースが黒幕を話そうとすれば、必ずお前はその前に始末をしにくると思って、この女に囮になってもらった」


その青い瞳に冷ややかな色を浮かべ表情を浮かべていないカナスに対し、アイスは大口を開けて笑い出した。


「私は上手くはめられたというわけか」

「俺は王宮のものを信用していない。暗行御使も同様だ。わずらわしいからある程度は委任するが、本当に信頼できるか否かは自分の目で選ぶ。だからイリヤを長に選んだ」

「さすがに、あの狂王と長い間対立していただけのことはある。あなた様を甘く見すぎていたようです」


くっくと笑い続けるアイスに、カナスの表情はまるで変わらない。

全ての感情を飲み込み、冷静な正しい判断だけを下そうとしているようだった。


「理由は何だ?」

「理由?」

「何がお前をこの愚かな振る舞いに走らせた?」

「単純な話です。金と名誉ですよ」


言い訳をする気もなく、淡い緑色の瞳の青年は、縮れた茶色の髪をぱさぱさと振って下卑た笑い声をあげた。


「私は、ずっと待っていたんですよ。王宮を裏から支配する暗行御使の頂点に立つことを。裏の情報に精通すれば、何でも思いのままだ。私にはそれにふさわしい能力があった。前の王の代に次は私と約束されていた。それを、あなたが全て壊してしまったんです。面白くなくて当然だと思いませんか?」

「・・・そんな理由で」

「たいした理由じゃないですか。こんな、どこで育てられたかもしれない奴が私の上にいることなど私のプライドが許しませんよ。王都で選ばれた者として教育を受け、苦難に耐えた私が、突然やってきたどこの馬の骨ともしれないルナード族の落ちこぼれに使われる日々。その屈辱がおわかりいただけますか?」

「あいにく、さっぱりとわからんな」

「それは残念です。やはりあなたもまた、権威に選ばれなかった側の人間というわけだ。それゆえに、力に頼り、ただもがいているだけの哀れな負け犬だ」


アイスはけたけたと笑い続けた。


「そんな方に、王座はふさわしくない。私の才能も見抜けないような無能な方が、国王の座に納まっていては民も哀れと言うもの。それを正し、私をあるべき姿にしてくださるあのお方こそ、その緋色の椅子にふさわしい」

「そうか」


カナスは一度だけ小さく顎を引いた。

そして、その後で思い切りよく床に押さえつけられているアイスの顎を蹴り上げる。


鈍い音がしたのを受けて、シェーナはジュシェの肩に顔を伏せた。


「くだらなさすぎて殺す気も失せた」


カナスは口から血を流しているアイスの顎を靴先で持ち上げた。


「貴様が有能だと。笑わせる。俺がイリヤを選んだ理由は信頼しているからだけじゃない。誰よりもイリヤの腕が立つと見込んだからだ。逆にいえばイリヤは腕が立つから信頼しているんだ。貴様には信頼すべき欠片すらなかった」

「・・・ま・・・け・・・おしみを・・・」

「おめでたい奴だな。イリヤ一人に簡単に裏切りを見抜かれ、女一人始末することができず、こうして無様に捕まっている。貴様の能力とやらはその程度のものだ。最強の裏組織と謳われた暗行御使が聞いて呆れる」

「なんだと・・・!」



侮辱され、アイスの顔が憤怒に赤く染まる。それを見て、カナスが初めて嘲笑を浮かべた。


「イリヤだけじゃない。能力が高いと謳われるルナード族ですらなく、暗行御使としての特別な教育

も受けていないラビネやグィンすらお前は止められなかった。つまりお前はあいつらよりも格下だ。俺の側に置くに値しない、二流品がくだらねえ口を聞くんじゃねえよ」


てめえなんざ、戦場で真っ先に殺されるタイプだと彼は言う。

所詮王都で浮かれた貴族の護衛として真剣味もなく生きてきた暗行御使など、牙のない獣にすぎないと。


「よ、よくも・・・っ」


アイスの憤りの色がますます強くなった。


「力のないものほどよく吼える。少しはイリヤを見習え」

「離せ、離せぇ!」


だが、アイスが暴れ出したとしても、イリヤは眉一つ動かさずに彼を完璧に押さえ込んでいる。

くっとカナスの喉で笑みの音が鳴った。


「無様だな」

「離せっ!この私を・・・っ!」


わめくアイスであったが、額の皮一枚を掠めてカナスの剣が勢いよく床に突きたてられた瞬間にぴたりと大人しくなった。

青ざめるアイスに、カナスは一段低い声で吐き捨てる。


「俺が貴様に対して憤りを感じていないと思うなよ。洗いざらい吐かせたあとで、たっぷりと償わせてやる」


パラパラと茶色の毛を散らせながら、カナスは剣を鞘に収めた。

そして、もはや興味が失せたとばかりにアイスから視線を外す。


「イリヤ、こいつを連れて行け。この阿呆みたいに気位の高い奴が自決するとは思えんが、一応全て吐かせるまでは決して死なせるな」

「かしこまりました」

「グィン、そいつもついでに地下へ連れて行け。ああ、一応護衛はつけてやれ」

「はい」


室内に他の近衛兵たちが呼ばれ、アイスとリアが連れ出されていった。それをしっかりと見届けて、初めてカナスは手にしていた剣をラビネに渡した。


「お疲れ様でございました」


恭しく受け取ったラビネは、主人をねぎらう言葉を掛け、頭を下げた。


「いつでも裏切りを見つけるというのは・・・あまり気分のいいものではないな」


そう呟いたカナスに、ラビネは黙ってもう一段階深く、頭を下げるだけだった。

これから先、幾度もこういったことがあるかもしれない。

けれど、屈することも歩みを止めることもできない。一つ一つ乗り越えていかなければならないことを理解しているからこそ、彼は何の言葉も掛けられなかった。

政治とは敵のいるもの。王とは孤高のもの。そ

の先に何があるか分からず、正か否かもわからない茨道を先陣をきって歩くもの。


主は強くなければならない、けれど、必ずついていく。そんな意志を無言で示していた。

それをカナスも正しく受け止めたのだろう。ふっと瞳の端を和らげた。


それだけで分かり合える。それが長年の信頼関係。

アイスには、決してないものだった。

カナスはその一瞬だけラビネに視線を向けたあとは、ただじっと別の方向を見ていた。


その視線を受けていたのは、怯えたような戸惑ったような表情を浮かべているシェーナだ。


「・・・怖いか?」


カナスの問いかけに、幼さが強い少女はびくりと一度震えた。


「お前だけじゃない。リア=バースも裏切り者を見つけるために利用した。そこまで知れば、やはり俺に幻滅したか?」


リアがアイスと繋がっていることはすぐに掴めた。しかしやるなら証拠をすべで揃えたかった。だからこそ、シェーナがのこのことリアに会いにいったのも、呼び出された場所が足元が危険だったのも、リアがつかまればアイスが何かを話す前に殺しに来るだろうことも、全部わかっていて、カナスはそれを容認した。

シェーナだけを守るつもりでリアは命を落としたかもしれないと思っても、それはいいと判断した。


けれど、シェーナの答えはいつも決まっている。


「カナス様は優しい方だと思います」


だって、カナスは感情を浮かべないようにしているけれど、それでもやっぱり悲しそうな顔をしている。

誰かを利用することを、彼は自ら進んでする人じゃない。

きっとたくさん悩んで。たくさん他の方法を考えようとして。

それでも決断をするしかなかったときに、彼は自分を傷つけているのだと思う。


シェーナは迷いなくカナスのそばまで寄っていって、ぎゅっと抱きついた。


「カナス様は偉い方で、たくさん、私には分からないことがあります。それでも、苦しいのなら、悲しいのなら、ほんの少しでも分けてください。その痛みが和らぐまでずっと歌います。ずっとおそばにいます」


するとカナスが膝をついて、シェーナの肩口に頭をうずめた。

今度こそ本当に、すがるように。


「・・・もし、神を信じるとすれば」

「え?」


神嫌いのカナスの口からそんな言葉が出たのが意外で、シェーナは彼を見ようとした。

けれど、きつく体に回された腕のせいで、指先をぴくりと動かすことくらいしかできない。


「たった一つ、俺は・・・お前に出会えたことを神に感謝する」


シェーナの目が限界まで見開かれた。

そうして次の瞬間には、ぽろぽろと涙が出てくる。

カナスが口にしたその言葉の重みをかみ締めながら、シェーナは自分を放そうとしない彼の栗色の髪に頬を寄せた。


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