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それでも歌姫は王を信じる


リアの“利用している”という主張に対して、何かの言葉を―――カナスでなくても、誰かの弁明を期待しているのに、誰もシェーナに何も言ってくれない。

そのことで、シェーナは皆が全てを知っていたのだと悟った。

シェーナだけが何も知らずにいたのだ。何一つ、知らされないままでいた。

それを強く意識すると、じわりとシェーナの瞳に涙が浮かんでくる。


潤んだ瞳で見つめた先のカナスは、体の横で拳を握り締めたまま、シェーナから視線を逃がしていた。


「だから、アナタのためだと言ったでしょう?これ以上利用される前に、早くお逃げなさいな。こんな男、アナタにはふさわしくないわ。無垢で、人を疑うことを知らない歌姫様とはとてもつりあわないわ」


バルコニーで聞いた、リアの“ふさわしくない”という言葉。それはシェーナがカナスにふさわしくない、のではなく、カナスがシェーナにふさわしくないという意味だったのだ。


けれど、何故リアはカナスを貶めるようなことを言うのだろうか。

ずっと、カナスの寵愛を得たいとそう思っているのだと信じていたのに。


(今のリア様は・・・まるで・・・)


カナスを憎んでいるようだった。そう、敵のように。

その予想が当たっていることは、リア自身がすぐに証明してくれた。


「若きアキューラの国王陛下、人望も名声も何でもお持ちの、美しく残酷な陛下。私はあなたが大嫌い。だから、あなたに協力など決してしないわ。お怒りのままに、この場で殺してくださって結構よ」

「・・・リア様・・・どうして・・・?」


どうして急に変貌したのかわからず、シェーナは混乱した頭で問いかけた。

すると、リアはひたりとカナスをにらみつけたまま答えた。


「どうして?簡単よ、この男があの野蛮人の血を引いているから。国に攻め入り、私を売らせた張本人のあの、殺したいほど憎いスロン王の息子だからよ!」


悲鳴のような声だった。リアは自分の身を守るように、両手を交差させ自らの肩を包む。


「あの男・・・あの、あのけだもののような男・・・、汚らわしい・・・っ」


彼女は震えていた。


「どれほど惨めだったことか。突然国を追われ、幸せな生活を奪われ、一人、憎くてたまらない男に身を売る生活がどれほど惨めかわからないでしょう。贅沢を尽くしても埋まることはない心の隙間を抱えて、好きでもない男の機嫌をとりつづけなければならず、その上、屋敷の人間には蔑まれ・・・あの、耐え難い幾年もの時間を忘れることなどありはしない。・・・許すものですか。絶対に、許さない。その血を引く息子が私にはないものを得て、幸せになるなんて絶対に認めないわ」

「リア様・・・」

「私は家族に見捨てられたのに!あんたたちは幸せそうで。絶対に許すものですか。償わせてやるわ。私が苦しんできた分、あなたに償わせてやるの。そのために、媚を売ることなど簡単だった。もう、私は汚れているのだから。好きでもない男にそのそぶりを見せることなど、生きるための術になっているのだから」


でもね、とリアは怒りに燃える瞳でカナスを見続けていた。


「私は、本当はあなたが大嫌いよ、憎くて殺してやりたいほどに。父親の犠牲を救おうとする、その偽善者ぶりが憎らしい。自分も被害者の一人のつもり?今まで自分が何をしてきたのか、それを全て棚にあげて?」

「リア姫!いい加減にしてください!」


返す言葉もなく黙り込んでいるカナスの代わりに、グィンがリアに怒鳴った。

しかし、リアは止まらない。


「従者風情がこの私に生意気な口を聞くんじゃないわ!あんたも同じよ、グィン=ラディゴ!ここにいる誰もがこの新王と同じじゃない!前王の名の下に、各地に攻め入ったのは?そこの人々を手にかけたのは一体誰よ?!私の国で血を流させたのは、誰よっ!!」


立ち上がったリアは、背筋をぴんと伸ばして、一歩も引かぬ体裁でぐるりと辺りを見渡した。


「自治?解放?そんなものであんたたちの罪が消えるものですか。関係のない民を、命令の下に大勢殺したくせに。今更偽善者の仮面をかぶることが、一番腹立たしいのよ!」


ぴくり、とシェーナに触れる双子の侍女の手が震えた。

それが怒りのためなのか、それとも、また別の感情のためなのか、シェーナに知る術はない。

ただ、望まなかったであろう争いが、決して消えることのない憎しみという傷跡をはっきりと残していることだけは分かった。


「新しい国王陛下は前王と違う、理知的で慈悲深い方?笑ってしまうわ。あなたも、あの男と同じ親殺しのくせに!王座を血に染めて手に入れた残忍な王のくせに!」


その瞬間、息を呑んだ音は誰のものだったのだろうか。

凝った空気がリア以外を取り巻いた。


「あなたもあの野蛮な王といずれ同じになるわ。人を人とも思わない、身勝手で残酷な最低の男に。いえ、もう同じなのかもしれないわね。大切だと口にする歌姫も囮にするくらいだもの。アキューラ王家の血筋は、まったく争えないわね。本当に、父親そっくり--―」

「っやめてください!!」


リアの言葉にカナスの表情がどんどんなくなっていくのを見て、体が勝手に動いていた。


シェーナは思うところがあったのかほんの少し緩んでしまっていたジュシェたちの腕の檻をくぐって、リアとカナスの間に両手を広げて立ちはだかる。

いままで遠いと思っていたカナスとの距離は、抜け出てみればほんの少しだった。


「シェーナ!馬鹿、来るな」


驚き焦るカナスの声が後ろから聞こえたが、それには答えずにシェーナはリアを精一杯にらんだ。


「リア様、これ以上カナス様にひどいことをおっしゃらないでください!これ以上おっしゃるなら、私が許さないです!」


その言葉があまりにも意外だったのだろう。

ずっと暗い笑みを浮かべ続けていたリアが、急に呆然とした様子になった。


「・・・何故?何故、その人をかばうの?わかったでしょう!その人はちっとも優しくない。アナタを暗殺犯を見つけるために利用しようとした。答えられないのが、真実を示しているじゃない。それくらいのこともわからないというの!?あなたが抱いているのは、全部幻想にすぎないのよ!」

「幻想なんかじゃないです!カナス様は、優しい方です!カナス様は・・・ずっとずっと苦しんできたんです。誰よりも、一番苦しんできたんです。優しいから、苦しくて、傷ついていたんです!」


シェーナは、いつものおどおどとした様子など微塵も感じさせずに、誰よりも通る声で反論した。


「リア様は確かにおつらかったのだと思います。でも、同じようにカナス様だってつらかったんです。それを見せようとしなかっただけで、カナス様はずっとずっと悲しかったんだと思います。私は・・・本当は私だってその悲しさや苦しさの半分も分かっていないと思います。でも、カナス様が優しい方だということだけは、ちゃんと分かります!」

「何よ・・・何を分かっているっていうのよ」

「だってカナス様は、私を助けてくださいました。自分の国で存在を許されなかった私を、見捨てずに救ってくださいました。何もできなかった私に、いろいろなことを教えてくれました。楽しいことも嬉しいことも、怒ることですら・・・全部カナス様が教えてくれたんです。今の私があるのはカナス様がいたから。お父様のことにしても、カナス様は許そうとしたんです。その思いが伝わらなくて、不幸な結果になってしまったこと、カナス様は悲しんで悔やんでいたんです。そんなカナス様が優しくないわけがないじゃないですかっ!」


あのとき。

カナスは父親を生かすという選択をした。それでもスロンはカナスを道連れに殺そうとした。

馬鹿にしたように、狂ったように笑って。自らの行いを一切省みることもなく、ただ"死"に引きずり込もうとした。

だからカナスはそれを振り払った。それだけだ。

事故だと事実を知る誰もが言う。

それでもただ結果だけを見れば、カナスは確かに親殺しだった。彼はその心持ちを誰にも語らなかった。

語らなかったけれど。


でも、そばにいたシェーナは知っている。

まだ完全に傷が癒えない頃、深く傷ついた脇腹を抱えるように考え込んでいた彼の姿を。

傷跡だけが残ったあとも雨の日は痛む気がするとシェーナの歌を望んだ強いはずの彼の姿を。


シェーナは今まで以上に、その黒い瞳に力を込めた。

涙を眦に溜めながら、必死にリアをにらむ。


「リア様がカナス様をこれ以上悪くおっしゃるのだったら、私はリア様を許しません!人を嫌いになるのは嫌だけれど、リア様を嫌いになります!大嫌い!」


初めてシェーナから出た「嫌い」という言葉に、リアの目が丸くなった。

彼女は赤い唇を震わせ、ようやくといった様子で尋ねてくる。


「な・・・ぜ・・・?利用されていたことに腹は立たないの?一歩間違えばあなたの命がなかったのよ。どうして信じられるの?」


シェーナは、そっとカナスを見た。

言葉を尽くすシェーナに呆然とした様子のカナスを見て、キュッと一度唇を噛んだ。

そして、迷いなく言葉を紡ぐ。


「カナス様が、ずっと私のために心を尽くしてくれていたことはよく知っています。だから、カナス様がそうなさったのには、何か理由があったのだと思います。たとえ・・・たとえ、そうじゃなかったとしても、もうどうでもいいと思われていたのだとしても、私はカナス様のお役に立てるのだったらそれでいいんです。だって、私はカナス様がいなければ生きていけなかったのですから。そのカナス様のためになるならば、それが一番いいです。腹など立つわけがありません。カナス様に何かあるほうがずっと、何倍も悲しくて嫌です。だからカナス様を悪く・・・」

「もういい」


シェーナの言葉の続きは、カナスの胸に吸い込まれた。

彼の手がシェーナのうなじを掻き揚げるようにして、その頭を自分の方へ強く引き寄せる。

今までそばに寄せなかったことなど全くなかったかのように。自分の一部を取り戻すかのように。


「誰に分かってもらわなくても、お前の言葉だけで十分だ。もういい」

「カナス様・・・、でも・・・」

「だが、これだけ覚えておけ。俺は、お前をどうでもいいなんて思ったことは一度としてない。お前は俺にとって一番大切なんだ。・・・だから無茶をするな」


一回り大きな体にうずもれるようになっているシェーナの耳元で、カナスは凝りのない声で確かにそう伝えてくれた。

かすかに震える手と、引き寄せる力の強さがその言葉をさらに裏付ける。


彼は、小さなシェーナを抱きしめながら、逆にすがりついているようにも思えた。


なくさないように、奪われないように。怯え、ただ自分の手で抱きしめることしかできないみたいに。


だからシェーナは、その手で強くカナスの服を掴んだ。

ここにいると知らしめるため、離れないと誓うために。

目をつぶり、頬を自分と違う体温に摺り寄せた。


「・・・・・・・馬鹿じゃないの?」


不意に、リアの声が聞こえた。今までと違った響きをもったそれは、呆れとあきらめが漂うものだった。

ふっと強く息を吐いた彼女は、やってられないとばかりに椅子の背にもたれかかる。


「馬鹿馬鹿しい。何よ・・・私だけ拘っているみたいじゃない。私だけ、馬鹿みたいじゃない」

「リア様・・・」

「私ならごめんだわ、そんな男。軍人あがりの、算段高くて、冷酷で、自分が攻め入った国の、これ以上行き場のない女に情けの欠片もみせない男なんて」

「カナス様を悪く言わないでください!」

「でも、アナタには大切なのね」


怒ったシェーナに、リアが向けたのは何故か微笑みだった。

それも今までの嘲笑とは違う、とても穏やかな微笑み。


シェーナはカナスの腕の中で、ぱちぱちと目を瞬いた。


「シェーナ姫、私はその人が嫌いだけれども、アナタのために教えてあげるわ。その人から私をかばってくれたお礼に、最期に教えてあげる」


リアはすっと、シェーナを指差した。


「私に協力を申し込んできたのは・・・」



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